序章 その4
そうして進み続けること六時間と少し、ようやく目的の場所に辿り着きます。
「――やっと、到着です」
体感ではありますが、時間も大丈夫そうです。道中何度か崖から滑り落ちそうになりましたが、何とか無事に師匠の家の前に辿り着けました。
師匠の家は、外観を見ただけではとても人が住んでいるとは思えない程に汚れていてボロボロです。……昔に建てられた山小屋をそのまま直すことなく使っているのです。
そんなものを見ていても仕方がないので、私は直ぐに玄関の扉を開けて中に入りました。
内装は外観とは全く異なった、幾つもの美しい装飾で彩られた広大な空間となっています。外観を知らずに見たら、王族が住むお城だと勘違いしてしまうでしょう。もちろんこれは師匠の魔法によるもので、空間が丸ごと変化しているのです。
……外観の方も同じように綺麗にすれば良いのに、どうしてしないんでしょうか……。とそんなことを考えるよりも、まずは師匠に会わなければいけません。
私は無駄に長い廊下を進み、師匠の部屋の前に着いたところで、身だしなみを整えます。
それから深呼吸をして気を張り直し、ドアをトントントンと叩きます。
「師匠、ユノです。ただ今帰りました」
「――入れ」
そう返事が返って来たので、私はドアを開けました。
――刹那、対魔力製のナイフが私の首元、僅か数センチのところまで飛んできていました。私は戸惑うこと無く物質生成魔法一型を発動し、剣を生成。瞬時にナイフを師匠に向かって打ち返します。……ナイフの材質の影響も有り、剣は砕けてしまいましたけどね。
「――お見事」
師匠は不敵に笑いながらそう告げ、飛んでくるナイフを触れることなく消し去ってしまいました。私はそんな師匠のことをじっと見つめます。
――銀色の腰下まで伸びた長い髪。黄昏色の鋭い目をしたこの人が私の師匠、オリビアさんです。因みに、師匠とのいい思い出は特にありません。思い返すと過酷で辛いものばかりです。
師匠は表情を変えずに、口を開きました。
「どうやら腕は落ちていないようだね、ユノ。心配は不要だったか」
「そんな心配はどうせ元からしてないんですから、一々試すようなことはやめてくれませんか?」
「……相変わらず、自信満々で生意気なところは変わっていないようだね」
なんなんですか? 失礼ですよ。
「師匠こそ、相変わらず人使いが荒いところは変わっていないようですね。働く者の気持ちを少しは考えてください」
私がそう言い返してみると、師匠はとてもつまらない返事をしてきます。
「……勿論だ。私はそういう人間だからね。それに今更変えたところで得るものなど何も無いのだよ」
「はぁ、そうですか」
私はそんなことには興味が無いので適当に答えました。それから進展があるのかと思ったら、師匠は次の話に移らずにじっと私を見てきます。
……なんで無言のまま私のこと見てきてるんですか? この人は。私を呼び出したのは師匠じゃないですか。
そうは思いつつも仕方がないので、私の方からお話を進めることにします。
「今回のお仕事で採取した魔石です」
収納魔法を発動し、別空間に収納していた大量の魔石を全て出します。
「ああ、ご苦労だったね。……ふむ、これだけあれば何とか足りるか」
師匠は魔石を見ながらそんなことを呟きました。
「何に使うんですか?」
「お前を呼び戻したことと、直接関係する事だよ」
「……師匠がそうやって勿体振るときは必ず厄介事です。ですから、聞かない代わりにそのお仕事は辞退させてください」
ダメ元でそう言ってみますが、案の定断られます。
「残念ながらお前に拒否権は無い。今回の仕事は非常に重要だ」
「……パワハラです」
私が小声で言ったそれも聞こえているはずなのに、平然と無視して師匠は続けました。
「これから三週間後にお前には、『コンクラーヴェ王立学院』に入学してもらう」
……学院? この人は一体何を言っているんでしょうか。私に今更、学生として生活しろと? ……いえ、そんなわけありません。聞き間違いに決まっています。もう一度確認してみた方がいいですね。
ちょうど、そう思ったときです。まるで私の心を見透かしているかのように師匠は口を開きます。
「ユノ、聞き間違いではないよ。これから三年間、お前には学生として生活してもらう」
……なるほど。どうやら、単純に師匠の頭がおかしくなってしまったようですね。なら仕方ありません。一旦部屋を出ましょう。
私は何も言わずに部屋を出ようとしますが、師匠はおもむろに言葉を続けました。
「手続きも既に済ませてある。さっきも言ったが今回の仕事は絶対に遂行してもらうよ」
別にさっき言って無かったですよね、そんなことは。
私が何も答えずにいると、急に場の空気が冷たく重いものに変わりました。師匠は私に有無を言わせない冷酷な視線を向けてきます。
「――なんと返事をすべきか、教えたのを覚えているかい? ユノ」
……この目は苦手です。私のことを人だと思ってないような目です。
師匠から幾度となく折檻された過去の辛い記憶が蘇りました。これを断ればどうせ暴力です。
「……分かりました」
もはやそう答えるしかありません。
「よし、いい子だ。しっかりと覚えているようだね」
師匠は満足そうにそう言うと、一瞬の沈黙の後、説明を始めました。
「では、今回の仕事について話そう。……お前にコンクラーヴェ王立学院に入学してもらうのは他でもない。『勇者』がそこに入学するからだ」
「……勇者、ですか」
――勇者というのは、端的に言えば数百年に一人しか生まれてこない超人のことです。魔力や運動能力などが普通の人とは桁違いで、数千年前の大きな戦争で大活躍したのだとか……。
師匠は中々先を話そうとしないので、私の方から話を進めていきます。
「……それで? 私に勇者を退学させろとでも命じるんですか?」
「何を勘違いしている。その勇者は私たちと同じアルスティナ帝国の生まれだ」
「……はぁ。だから何なんです?」
「つまり、基本的に敵対する必要などないということだ。特別、お前から勇者に何かする必要はない」
「なら、そのまま放置してればいいじゃないですか」
私がそう言うと、師匠は露骨に呆れました。
「それで済むならお前に仕事として行かせるわけないだろう。……これまでに勇者が学校に通ったなんて記録はない。戦争中であれば間違いなく幼少の時から戦地に駆り出されてきたからな。……まして、コンクラーヴェ王立学院ともなれば話はさらに難化する」
師匠はそう言い、やれやれと首を横に振ります。
「……えーと。その学校が他国の学校とかそういうことですか?」
「コンクラーヴェ王立学院の概要を説明しておこう」
師匠は私の言葉を無視して説明を始めました。
「半世紀に渡って続いた帝公共和冷戦が終結し十年。つまり、今から二年前、神聖ヴァレンシア帝国、大栄アドラス連邦王国主導の元、国際平和の実現に向けて設立されたのがコンクラーヴェ王立学院だ。学院は神聖ヴァレンシア帝国の都市ノースディアナに位置する。……ユノ。以前、お前に話した勇者のことを覚えているかい?」
全部説明してくれればいいのに、師匠はわざわざ私に話を振ってきます。面倒ですが、しっかりと答えておきます。
「えぇと、そうですね。数百年経っても老いることなく生きている方、でしたっけ?」
私はそう言いながら、その勇者の情報を頭の中で整理します。
……たしか二百年ほど前のアドラス・ギネア大戦でギネア大帝国の三百万人を超える兵を単身で壊滅させ、二ヶ月足らずで大帝国そのものを滅ぼしたことのある、正真正銘の化物です。それ故に『無敵の勇者』と言われているのでした。その他にも幾つかの小国も単身で制圧したことがあるとか……。
私がそうこう考えていると、師匠はやっと思い出したかとでも言うような、呆れた表情で私のことを見てきました。
「……概ねその通りだ。帝公共和冷戦もそいつが一人出征したことで事態は大きく急変し終結した。つまりそいつは、単身で大国同士の戦争にすら多大な影響を与える力を持っているということだ。そして今、そいつはコンクラーヴェ王立学院の学長をしている」
「……勇者がそこに通うことと何が関係しているんですか?」
私がそう質問すると、師匠はため息を零してしまいます。
「まぁ、待て。もう一人、お前には話していなかったが、千年以上の時を生きている勇者がいる。そしてそいつは神聖ヴァレンシア帝国出身の勇者だ。……その二人の勇者は、これまで人類の歴史に非常に大きな影響を与え続けてきた。つまりだ、片方が学院の学長として矢面に立ち、もう片方が影から学院を支えているという訳だ。――その学院の掲げるテーマは国際平和の実現で、各国の王族貴族を対象に国境を越え、学院に入学する生徒を募っている、半ば強制的にな。……この誘いを断れる国など存在しない。そして王族が入学するとなれば、貴族連中も自らの子を学院に入学させる他にないということだ」
……ふむ、だいぶ話が見えてきました。要約すると、単身で大国を相手にできるほどの方が二人も揃って学院に入学しろと、各国の王族や貴族に迫ったために嫌でも何でも断ることができないというわけですね。そして、私がするべきことは……。
「つまり、私は他国の方から勇者を守ればいいんですね」
「――いや、全く違う。お前は何を聞いていた」
え、全く違うんですか!? って言うか、分かりにくい説明をしている師匠が悪いんですよ。
「私は師匠のお話を聞いていたんです」
皮肉を込めてそんなことを言ってみますが、師匠は無視して続けます。
「勇者は学生如きが殺せる相手ではない。学院の教授達やいかに優秀な魔法使いであれ、世界屈指の警備を誇る学院で、互いの監視をくぐり抜け、勇者を殺す。そんな事が出来るとは思えん。……したがって、お前に任せるのは勇者の護衛ではなく監視だ。勇者がアルスティナ帝国を裏切り、心変わりし他国に付くのであれば私に知らせろ。その時は私が勇者を抹殺する」
「抹殺って……。そもそも今、師匠自ら『いかに優秀な魔法使いでも、学院で勇者を殺すことは出来ない』って言ってましたよね?」
「無論、それは私以外の話に決まっているだろう。私からすれば、勇者の一人や二人殺すことなど造作もない」
師匠は表情一つ変えずにそう言ってのけます。
なんでしょう、本気なのか冗談なのか分かりません。とても反応しづらいです。
私は困りながらも、慎重に質問してみました。
「師匠は勇者を見たことあるんですか?」
「なくて殺せるなどとは言わないだろう」
「……そうですか」
どうやら、さっきのは本気だったようですね。……つまり? 私が師匠に「勇者が国を裏切った」と報告すれば勇者が殺されてしまうわけですか。……なんだかとっても嫌な仕組みですね、知らない方が良かったです。
「まずは監視するにあたり、お前は勇者の友人にでもなるといい。身近な人間になら多少なりとも気を許すだろう」
「友人、ですか。めんどくさ……じゃなくて、分かりました」
というか、私から勇者に特別何かする必要はないって言ってましたよね、さっき。
私はそんなことを思いますが、師匠は何も気にせずに話を続けました。
「特になくても困りはしないが、他国の情報は適宜集めておくように。勇者の近況と共に報告しろ。それと、これにも目を通しておけ」
そう言い、師匠は私にファイルを渡してきます。私はそれを受け取り、中身を確認していきます。