序章 その3
そうして馬車に揺られること数時間、駅に到着した私は馬車で一緒だった方々に別れを告げたのですが、ここで一つ問題がありました。目を覚ましたクロエさんが、私にしがみついたまま離れようとしないのです。
「――嫌! お姉ちゃんともっと一緒にいる!」
「ダメよ、そんなのは。ほら、魔法使いさんも困っているでしょ?」
「……そんなの嫌!」
「ダメなのもはダメなの。ほら、行くわよ」
クロエさんは涙を流して私の方を見つめてきます。
「お姉ちゃんは……嫌なの?」
涙ながらにそう言われては、なんとも断りにくいものです。
「クロエさんのこと嫌なわけないです。……でも、私も行かなきゃいけないので、その代わりに一つ魔法具をあげます」
私がそう言うと、クロエさんのお母さんは直ぐに断ってきます。
「そんな高価なもの、いただけませんよ」
「いえ、買ったものではなく私が作るので、お金はかかっていません」
「――え?」
何かに驚いていますが、とりあえずは放置でいいでしょう。私は物質生成魔法五型を唱えて、とある魔法具を作りました。とりあえずそれをクロエさんに見せてみます。
「これは魔力量を測る魔法具です。クロエさんの手をここにかざしてみてください」
「……? いいよ!」
あまり分かっていないようでしたが、クロエさんは私の言う通りに手をかざしてくれました。
すると、魔法具には7という数字が表示されます。
「クロエさんは数字は分かりますか?」
「分かるよ! お母さんからたくさん教わったの! これは七だよね!」
「そうですね、正解です。……この七というのが、今のクロエさんの魔力量です。魔力量が増えれば、魔法ももっと沢山使えるようになるので、とにかくこの数字を大きくすることを目標に頑張ってください。三百を超えれば、専門職にも就けますよ」
「せんもんしょくってなぁに?」
不思議そうな顔をしてそう聞いてきましたが、今それを説明する余裕はないので、クロエさんのお母さんに任せることにしました。
「それについてはまたお母さんから聞いてください。……ただ、製氷業はいつの時代でも必要です。氷はそこそこ高価なので、沢山作れるようになればそれだけで暮らしていけますよ」
私がそう言うと、クロエさんは疑問を浮かべていましたが、あまり気にせずに「あとでお母さんから聞く!」と頷くと、私の方をじっと見つめてきます。
「どうしました?」
「えっとね? あのね? お姉ちゃんはどう?」
「……えと?」
クロエさんは「これっ!」と魔法具を指差します。
「……私ですか?」
一応そう聞いてみると、クロエさんがこくこくっと頷くので、とりあえず魔法具に手をかざしてみます。
すると、魔法具には000という数字が表示されました。
「これなに?」
「……ある一定以上だとこんな感じで測定できないんです」
「そうなんだ!? すごいね!」
クロエさんは目をキラキラさせて私を見てきますが、まあそれはいいのです。時間もそろそろまずいと思うので、要件を伝えてしまいます。
「クロエさん、これは貴女にあげます」
「――ホント!? いいの!?」
「もちろんです。そのために作ったんですから」
「ありがと、お姉ちゃん!! 大切にする!!」
私がクロエさんの手に置くと、お母さんが「本当にいただいてもいいんですか?」と不安そうな顔で聞いてきましたが、それには「もちろんです」と答えておきました。
そして最後に別れを告げます。
「――クロエさん、さようなら。貴女はとても優しいので、その心があればこの先もきっと輝かしい世界が広がっていますよ」
「お姉ちゃんとさよならしたくないけど、でもさよならするね。お姉ちゃん、さよなら! わたし頑張るからね!」
私はクロエさんのことを優しく抱き締めると、クロエさんのお母さんにも頭を下げて、駅のホームに向かいました。最後まで小さい体で必死に手を振るクロエさんはとても可愛く微笑ましかったです。
そして、私は魔法急行列車に乗って師匠の住む地、イルニア山岳へ向かうのでした。
〇
列車に乗ってから一日と八時間。乗り継ぎも何回かしながら、やっとの事でイルニア山岳の最寄り駅、イルニア山駅に到着しました。
四つの巨大な山がプレートの影響でぶつかり合うことで形成された非常に大規模な山岳地帯が、今から私が登ろうとしているイルニア山岳です。頂上は優に雲を突き抜け、高さは八千メートルを越えているとか。
駅からでも一目瞭然なその壮大な景観には思わず息を呑んでしまうことでしょう。
……今みたいに夜じゃなければですけど。
それに問題はそれだけではありません。
「遠い、遠すぎます。……もう十分疲れました」
ついついそんなことを口に出してしまいます。ですが、ここからさらに師匠の家までかなりの距離を進まなきゃならないと思うと……。
「――非常に、非常にしんどいです」
師匠の手紙にあった『二十一日までに戻ってこい』というのも、残りは七時間弱しかありませんし、もし僅かにでも時間を過ぎたらどんな罰が待っているか分かったものじゃありません。……つまり、休む暇は無いということです。
「……最悪ですね」
既に日は落ちていて辺りは完全に真っ暗です。魔力を持たない人であれば、この時間から山岳を進むと言うのは厳しいでしょう。……しかし、私は魔法使いです。なのでいくら辺りが暗かろうと問題ありません。
――私は魔力を脳内で魔法式に変換し、暗視魔法と頭で唱えます。
瞬間、辺りは一変し真昼のように明るく見えるようになりました。……ですが、こんな事をせずとも浮遊魔法や転移魔法が使えれば楽なんです。私も本来ならそれらの魔法は使えるのですが、今は使えません。と言うのも、イルニア山岳周辺には師匠が生成した結界魔法が張り巡らされています。許可された者以外は大体の魔法が制限されていて、浮遊魔法や転移魔法も使えないのです。……そして残念なことに、私も魔法を制限されています。師匠はかなり厳しいので、そんな楽はさせてもらえないのです。行きの時にしてくれたように転移魔法で迎えに来てくれる、なんて優しいことはやっぱり無いようです。
「はぁ……冷たすぎです」
私はそんな文句を言いながらも、仕方なく徒歩で今使える魔法を駆使しながら山を越え、渓谷の中を進んでいきました。