1話 その2
建物に入ると中はとても広く、既にかなりの方が席に座っていました。とりあえず私は左奥の方に歩いていきます。そうして左奥に着くと、また一人別の先生が立っていました。男性でエレナ先生よりも明らかに歳上です。
エレナ先生ではなくこちらの方が担任の先生なんでしょうか? それとも副担任の先生でしょうか?
ついそんなことを考えてしまいますが、まずは席を探さないといけません。なので、私は気持ちを切り替えて席を探し始めます。
えと、私の席はどこでしょうか……。って見ても全然分かりません。席に番号が付いてるのかと思ってましたが、そうじゃなかったです……。
私が悩んでいると、その男性の先生が話し掛けてきました。
「君は自分の席を探しているのか? それとも自分が無能でこの学院に不相応な存在だと自覚して退学を考えているのか?」
……ん? なんでしょう。この方ちょっと……いえ、だいぶ変な気がします。
「……えーと、自分の席が分からなくて」
「なら興味は無い」
「……?」
そう言うと、先生は先程まで立っていた位置に戻っていきました。どうやら私には教えてくれないようです。こうなったら席を数えて34番目のところに座りましょう。
……1、2、3、4、5、――、33、34。ここですね。
私は席に座ったところで周りを見回してみました。平民はまだ私しか来ていないようです。師匠曰く勇者も平民らしいので、まだのようですね。パンドラさんの資料には顔写真は付いていなかったので、もちろん勇者がどんな顔の方なのかは知りません。
それから数分経って、私と同じ平民の方が来ました、女性です。
……あの方が勇者なのでしょうか? なんだか席が遠いせいでよく分かりませんね。
私が判断できずにいると、さらに数分後にまた平民の方が来ました。今度は男性です。ですが、この方も席が近くなく判断できません。
誰が勇者か直ぐ分かると思っていましたが、案外分からないものですね。仕方ないですし、式が始まるのを大人しく待ちましょう。
それからさらに十分ほど経った頃です。建物内の照明が落ち、舞台の上へ演奏者の方々が上がっていきました。指揮者の方と他数名の、多分凄く有名な方々の挨拶が終わり、演奏が始まります。
音楽は全然分かりませんけど、とても上手なのはたしかです。ただ、技術面ではリタさんとさほど違いはありませんし、表現力に関してはリタさんの方が上でした。これだけ人数がいて、素人のリタさん一人と同じレベルだとは、世界最高というのも聞いて呆れてしまいます。……と思いましたが、よく考えればリタさんがとても凄いのかもしれません。
三曲の演奏が終わり、再び挨拶を終え演奏者の方々は舞台から降りていきました。建物内が大きな拍手で包まれていたことからも、演奏は総じてかなり良かったみたいです。
そして直ぐにアナウンスが聞こえます。
「これよりコンクラーヴェ王立学院、第三回入学式を執り行います。新入生、起立」
その声と共に周りの方々は一斉に立ち上がりました。私も少し遅れて立ち上がります。
「一同、礼」
今度は私も周りの方々に合わせて礼をします。そして、「新入生、着席」という掛け声も同様にして、周りの方々にしっかりと合わせます。そんな感じで私たち新入生が全員着席すると、再びアナウンスが聞こえました。
「コンクラーヴェ王立学院、総学長アイン・クロムウェルよりご挨拶をいただきます。……よろしくお願いいたします」
しかしそのアナウンスの後、直ぐに学長さんは現れません。そのまま数秒経ち、建物全体は静寂に包まれ、どことなく緊張が走り始めます。それから更に数秒が経った時です。
コツン……コツン……。とゆっくりとした足音が建物内に響き渡ります。そして、舞台袖から一人の男性が姿を現しました。
……あの方が学長さんですか。見た目は二十代と言った所でしょう。たしか数百年生きている勇者なんですよね。とてもそんな長い時間を生きているようには見えませんね。
学長さんは舞台の中央まで来たところで、私たち新入生の方を向きました。
「新入生の諸君、入学おめでとう。学院の教職員を代表して、親族や関係者の諸君にも、心から祝いを申し上げよう。――諸君がこれから学びはじめる本学院という場所は、一人ひとりの様々な可能性が多様に繋がり、育っていく場である。これまで人々は、互いを恐れ、憎み、朽木糞牆の殺戮を繰り返してきた。……しかし現代は違う。人々は国境を越え繋がり、ともに学び助け合うことができる。僕はこうした時代においてこそ、本学院の価値が高まるものと考えている。なぜなら、いま世界で最も必要とされているのは互いを知り、それぞれの国において蓄積されてきた知識や、経験から生み出された見識や知恵を組み合わせて、新たな『知』を創出し、困難な課題を乗り越える道を見出すことだからだ。僕は学長として、この学院を、そのような多様な『知』が生まれ、交じり合い、より大きな『知』として実を結ぶような活動の場としたいと考えている。……とは言え、言うは易し行うは難しだ。実際のところ、同じ国の者同士でも、直ぐに話が通じるとは限らない。異なる国の人々との間であれば、なおいっそうだ。学生の諸君にとっても同じで、せっかく本学院という開かれた交流の場に身を置いたにも関わらず、同国の者以外とほとんど語り合わないまま卒業してしまう、ということにも成りかねない。……異なる国や地域の人たち、異なる考え方や背景を持つ人たち。そうした多様な人々との出会いの機会を生かせるかどうかは諸君次第だ。僕は多様な人々が集う場で、何よりも尊く大切なことは『対話』であると考える。ただそのための共通の『ことば』はあらかじめ用意されてはいない。どのように対話をすればよいのか、まずそこから探らねばならない。単なる会話にとどまらない、本質的な対話の試みとはいったいどのようなものか、そこにはどのような可能性があるのか。……ここでは僕自身が四百年生き、そして導き出した対話の意味について話そう。――第一の意味は、向かい合って話すことによって、ある問題に対する理解を深め、解を探っていく。言わば、真理に到達するための対話だ。本学院の設立に向けて、幾度となくこの意味での対話が重ねられたことは言うまでもない。対話の第二の意味は、すなわち答えを探るよりも、まず対話の相手を全体として受け止め、対話の相手として信頼し、そこから自分に向けられた声を聞き取るという、共感的理解のための対話だ。こうした意味での対話の相手は、人に限ることでは無い。例えば芸術もそのような対話によって息を吹き込まれるものであると思う。僕自身が行ってきた魔法の研究も、まさに魔法全体を受け止める努力をし、それがこの世界に対して何を語っているのかを聞き取る、そのための対話であるということも言える。とは言え、全体の理解はとても難しいことだ。そこで重要なのが第三の意味での対話だ。相手をよく理解できなくても対話を続けると、結果として意外なことが起こる。この第三の対話は、『ポリフォニー』としての対話であると考えることが出来る。ポリフォニーは、独立した旋律が複数あり、結果として一定の調和を見る音楽のことだ。ポリフォニーでは、一致することを目指さない多様な声が響きあうことで、結果として何かが生まれる。その前提には、他者のことはそう簡単には理解できないという認識があるとも言える。現代の世界は、共感にもとづいた理解などとても生まれそうに思えないほど、社会の分断が浮き彫りになっている。相互理解を進めること自体、容易では無い。しかし、声を聞くことから始めることはできる、自分が声を上げてそこに響き合わせることもできる。大切なことは、対話への試みをやめないことだ。意識的に、共に学ぶ仲間の声に耳を傾け、世界の多様な声を、たとえ理解できなくても、聞き続け、そして諸君もぜひ声を出して、話し掛けてみてくれ。そうすることで、諸君にとって世界が身近なものになるはずだ。……本学院は出会いと対話、創発の場だ。諸君の才能を社会の中でより良く生かしていくための様々な選択肢があることを、常に心に留めておいてくれ。学院の中でも外でも、多くの可能性を持つ多様な人々が存在することを、そしてそれら一つ一つの可能性がすべて尊いものであることを、忘れないでくれ。本学院もまた、諸君一人ひとりの個性とその可能性を最大限に尊重し、これからも諸君との対話と共感をさらに深めていきたいと考えている。困難な状況の先に広がる輝かしい未来に向かって、ともに歩んでいこう。――ようこそ、コンクラーヴェ王立学院へ」
言葉を終えると、学長さんは一礼します。その瞬間、建物中に極めて大きな拍手が鳴り響きました。




