序章 その13
列車の微かな振動を感じながら、私たちはのんびりとその時間を過ごしていました。
「お姉ちゃん。私少し寝ていい? なんだか眠くなってきちゃった」
「いいですよ。まだ距離はあるのでゆっくり休んでてください」
「うん。お休みなさい」
リタさんはそう言うと、直ぐに寝てしまいます。
それから私は帝都で買った本を読んでいたのですが、程なくして急に眠くなってきました。
まだイルニア山岳に着くまでかなりの距離があるので、時間の方も大丈夫そうですね。それまでにどちらかが起きるでしょうし、私も少し寝ましょうか。……お休みなさい、リタさん。
そうして目を瞑って、今にも寝てしまうという時です。微かな違和感を感じました。
……? なんでしょうか? この感じ。……このまま寝てしまったら、なにか良くない気がします。
何とか目を開け周囲を確認すると、本当に微かではありますが、列車内の空気に睡眠魔法と麻痺魔法が含まれていることに気付きました。
……これは間違いなく意図的な犯行ですね。早急に犯人を捕まえないと非常にまずいかもしれません。ですが、その前にこの眠さを対処しなくては……。それに体が麻痺して思うように動かないのも……。
あまりよくない状況なのは間違いないです。しかし、こういう時は焦ってはいけません。まずは落ち着いて一つずつ対処していきましょう。
私は冷静に魔法の構造を分析していきます。睡眠魔法は一型をベースに四型と六型を複合、麻痺魔法は三型をベースに五型を複合……ですね。
その情報を元に、物質生成魔法二型を発動し解毒薬を生成します。そして、既に体中に麻痺が回っていて、手すらろくに動かせないので、浮遊魔法を発動し解毒薬を浮かせて無理やり口の中に流し込みました。
……流石は私です。
構造の読みは完璧だったようで、瞬く間に眠気と麻痺が抜けます。私は犯人を捕まえようかとも思いましたが、それよりもリタさんの安全が第一なので、まずはリタさんの口にも同じように解毒薬を流し込んでいきます。
「……うぅ」
「リタさん起きてください」
小声でリタさんにそう呼びかけます。無理やり流し込んだ解毒薬のおかげもあって、直ぐに目覚めてくれました。
「……なーに? お姉ちゃん……」
「静かにしてください。今列車が何者かによって襲われています。直ぐにこの列車から降りますよ」
「……え? どういうこと?」
「説明は後です。リタさんは結界魔法で衝撃に備えてください。このまま転移魔法で列車から外に飛びます」
「……うん、分かった」
突然のことに驚きつつも、リタさんは私の言う通りにしてくれます。そして直ぐに、私は転移魔法を発動しようとしますが、どういうわけか発動出来ません。そんなタイミングでリタさんも口を開きます。
「お姉ちゃん! 結界魔法使えないよ!」
「……私もです。ということは、既に列車自体に強力な結界魔法が張られているということです。ですが……」
これは明らかに不自然です。睡眠魔法と麻痺魔法のことを考慮すると、本来正式に結界魔法を張ったのであれば、結界魔法や転移魔法の制限をするのではなく、まず第一に解毒薬を作らせないためにも、生成系の魔法の使用を制限しておくべきです。それをなぜ制限せずにそのままにしておいたのか。……そして先程から列車の揺れをまったく感じないこと、周囲から音がまったくしないこと、これまでに一度も襲われたことの無かった魔法急行列車が襲われたことなど、これらから導かれる結論は……。
「……どうやら、犯人の目的は私たちにあるようです」
「どういう――」
「――正解でございます、ユノ様」
「――!?」
いつからそこに立っていたのでしょうか。
その方はとても高身長で、黒いローブに身を包みフードを被っていて、顔まではよく見えません。……ですが、体中に無数の呪いを刻み込んでいることだけは、ローブの上からでもはっきりと分かります。
――この方は絶対に関わってはいけない人物だと本能が告げています。
どうして私の名前を知っているのか気になりますが、そんなことは今知る必要はありません。
私は即座に神聖魔法二型を発動し呪詛特効の剣を作り、その方に突き付けます。
「――今直ぐ私たちの前から消えてください」
「それは出来ませんねぇ」
「なら突き刺しますよ。あなたの体にこの剣はかなり効果があると思いますけど?」
「おやおや、これはこれは……。困りますねぇ。そのような事をされては。ええ、本当に困ります……。んふふふふ……」
剣を突き付けられているにも関わらず、不気味に笑い出します。
――瞬間、同じ装いの方がもう一人現れました。
「ナブー。楽しむのは構わないが、あまり時間を掛けるな」
「ああ、これはこれは……。申し訳ございません、エア様」
「構わないと言っただろう」
二人目の方からは気配を一切感じません。この感じ、この雰囲気はまるで師匠やパンドラさんのようです。間違いありません、私より遥かに強いです。非常にまずいですね……。
「……お姉ちゃん」
リタさんは小さくそう呟きます。とても怯えているようです。
「大丈夫です。私が何とかします」
私はそう言い、リタさんに少しでも安心してもらいます。……とは言え、既に転移系統の魔法は全て試しましたが、どれも結界魔法で制限されていて使えません。
正面から突破しか方法はないのでしょうか? しかし、それだと私が明らかに不利です。私が全力を出せるのは精々数分が限度ですし、そうは言ってもリタさんが近くにいるのでそれすらも無理です。この方々の底が一切推測できない以上、私の攻撃ではそもそも倒しきれない可能性も高いです。そうなると私から攻撃するのは明らかに悪手です。それに隙が一切ないので、様子を見てから動くというのも厳しそうです。……つまり、話し合いができるうちにどうにかして、リタさんだけでも解放してもらうという方向に持っていった方が良さそうですね。
私が策を思案していると、それを嘲笑うかのように喋り出します。
「おやおや……何とかするとは、何を、どうするのでしょうか?」
私はそれには答えずに、一番大切なことを聞きます。
「……あなた方の目的は一体なんなんですか?」
まずは狙いが私たち二人なのか、それとも片方なのかを聞き出すしかありません。……しかし、それは意味をなしませんでした。
「質問は不要だ。だが安心しろ。直ぐに命は取らない」
取り付く島もなく、容赦なくそう言われます。
これは話し合いなんてできる感じでは無かったようですね、元々。――仕方ありません、無理やり逃げるしか無いようです。
「リタさん! 壁を壊して外に!」
そう叫んだ瞬間、私は全力で魔法を発動しようとしました。
「――ぅぐっ……!」
しかし、既に反応すら、見ることすらできない速度で、私は頭を蹴り付けられていたようです。一瞬にして視界が無くなり、床に倒れ込んでいました。それに、その一瞬でお腹も貫かれていたようで、下半身の感覚もなくなってしまいます。
「――お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
リタさんが私の体を必死に揺すってきます。
ごめんなさいリタさん。聞こえてます、聞こえてますけど、体が言うことを聞かなくて……。
私はそれでもどうにか体に力を入れてみますが、一切動きません。――その瞬間、バリボキッ、バキベキッといった謎の音が響きます。
「これはこれは……随分とまあ、上質な魔法でごさいますねぇ。……非常に美味でございます、はい……。んふふふふ……」
そんな理解が追いつかないほど危険な状況でも、リタさんは私のことしか見えていないようです。相変わらず私の体を揺すってきています。
「――お姉ちゃん! 死なないで! 返事して!!」
違います、リタさん。もう私のことなんか構わずに逃げてください。もう命乞いをするしかありません……。
「……ぅ……」
私はなんとかしてそれを伝えようとしますが、どうやっても声は出ないようです。
そして、そんな光景を心の底から楽しむように、歓喜に満ちた享楽の声が聞こえてきます。
「おやおや……これはこれは、必死でございますねぇ。――ではリタ様、アナタには消滅していただきます、はい……」
――待ってください、何をする気ですか……。
「――では、さようなら……」
その言葉と共に、ゆっくりと、しかし確実にリタさんに向かう靴音が響きます。
――このままじゃリタさんが殺されてしまいます……。
こんな時にこんな時なのに、どうして私の体は動かないんですか……。
――自分自身の無力さが憎い……。
どうして私はたった一人の家族すら守れないんですか……。
これ以上、家族を失わないと決めたのに。
――誰か、誰でもいいので、リタさんを助けてください……。
――いえ……違います。そうじゃないです! 私がリタさんを守るんです!!
――絶対に!!
「……? 何だ?」
「どうなさいました?」
「違和感がある。……お前か?」
突如、私の腕が踏み砕かれます。
「――っ!」
……集中するんです。何がなんでも成功させます。後先のことよりも今です。例え、世界の禁忌であったとしても……絶対に成功させるんです。
「――お姉ちゃんから……離れろ!」
リタさんの声が響いた瞬間、ゴチャッという何かが壁に叩きつけられ、潰されるような音が聞こえました。
それと同時に、私は時間魔法七型を発動します。
――時を遡る魔法。失敗すればこの世界が壊れるかもしれない禁忌の魔法です。
――時を遡る中、何かの声を聞いた気がします。
……そして、そのまま意識がなくなりました。