6 刻まれた想い
レコーディングを見学に行った3日後。
あれからずっと、何度も同じ事が頭の中をぐるぐるとしていた。
これ以上快音さんやゆり姉と関わらない方がいい。
きっとまた傷つくだけなのだから…
快音さんからは携帯に何度か電話があったけど、1度も出ていない。
そのほうがいい…自分の為にも快音さんの為にも。
あの事を知られる前に…
♪〜
突然鳴った携帯の着信音に考え事をしながら無意識に通話ボタンを押す。
誰からの着信か確認もせずに。
「もしもし?」
『もしもし?綾音ちゃん!よかった。あれから電話に出てくれないから心配してたんだよ』
「あ……」
しまった…快音さんからの着信だった。
ずっと無視をしていた手前話しずらい…
もしかして怒ってる?
そんな不安をよそに快音さんは嬉しそうに話し続けた。
『そうだ、いい知らせがあるよ!』
「なんですか?」
なんだろう?
快音さんの口調からかなりテンションが高いのがわかる。
仕事でいい事でもあったのだろうか?
『実はこの前のレコーディングの時、俺の事面倒見てくれてるプロジューサーが来ててね。綾音ちゃんの歌を聞いて凄く気に入ったみたいなんだ』
「え?」
『でね、ぜひデビューを前提にうちの養成所に入らないかって!上手く行けば俺とのデュエットもありかもしれないって!』
「……」
それは私にとっては凄く嬉しい事だった。
今まで自分の存在なんて誰にも知られず終わっていくものだと思っていたし。
自分の歌を凄いって言って貰えるのはなにより幸せな事で……
だけど……
『綾音ちゃん?』
「ごめんなさい。せっかくですがその話はお断りさせて下さい」
『え?どうして?』
「ごめんなさい……プロデューサーの方にはもうしわけないと謝っていただけますか」
やはり私はあんなに沢山の人の前で、光輝くステージの上にはいけない。
私は…幸せになんてなってはいけないんだ。
『…無理にとはいわないけど、こんな機会めったにないよ?俺は一緒に歌ってみたいと思ったんだけど……』
「ダメなんです!……ごめんなさい。色々ありがとうございました。失礼します」
『ちょっ待っ……』
ツーツー
快音さんの言葉を遮り通話を切った。
どうして?別に幸せになんてなれなくてもいい。
普通に暮らせればそれでよかったのに…
どうしてこんなに胸が苦しいの?
なにもかもやり直す事ができればいのに。
どんなに考えても過去を消す事なんてできない。
あのギターはまだ壁際に倒れたまま。
気がつくと私は家を飛び出してあの川に来ていた。
あの日からしばらくの間来ていなかったけど今は無性に人のいない静かな場所にいたかった。
柔らかい草の上に座り目を閉じる。
川のせせらぎや鳥のさえずり、落ち葉を運ぶ風の音。
自然の音を聞いていると不思議と心が落ち着き、からまった糸がほんの少しほつれていくような気がした。
どれくらいたっただろうか…。
何も考えずただ自然の音に耳を傾けていると後ろから車のエンジン音が鳴っている事に気がついた。
バタバタと車の扉が開け閉めされる音がしてふと振り向くと快音さんがこちらに駆け寄ってくる所だった。
「…どうしてここに?」
「何となくここに居る気がしてさ」
「…」
沈黙が続く。
なんて気まずい空気だろうか。
今すぐにでも逃げ出してしまいたい程だ。
「あのさ、電話での事ごめんね」
「え?」
突然の事に言葉を失った。
てっきり怒られるとばかり思っていたのにどうして快音は謝ったのかあの頃の私にはすぐには理解できなくて。
「いきなりあんな事言われたら驚くよね…。それに他人が無理やり決める事じゃないし本当にごめん。俺勝手に1人でうれしくなっちゃって…」
「……」
「デビューの件は俺の方から断っとくから気にしなくていいよ。でも…もしよかったら綾音ちゃんが悩んでる事、教えてくれないかな?」
快音さんは真剣な顔で私の目を見てそう言った。
きっと出会った時の事もあったしずっと心配してくれてたんだよね。
こんな風に思ってもらえたのは初めてかもしれない。
「でも……」
「いきなりごめん。でも少しでもいいから力になりたいんだ。俺、なんもできないけどさ…歌手を目指すと決めた時に思ったんだ。」
「……」
「医者は怪我や病気を治せるけど人の心の痛みまでは治す事はできない。でも歌なら心を癒す事ができる。俺はそんな歌手になりたいって。」
この時、川の流れを見つめながら淡々と話していた快音が私と同じくらい大きな傷を背負って一生懸命に本心を伝えてくれた事を知ったのは随分先の事で…
ただそんな彼を見ていて私は自分自身のある変化に気づいてしまった。
私は少し前までずっと死にたいとしか思ってこなかったけど、今は私の知らない景色を見つけてもっと色んな事を知りたい。
もう少し生きていたいと望んでいる事を。
だけどきっと私は許されない……。
いつのまにか私はずっと苦しんできた絶対に知られたくないと思っていた過去を、押さえ込んできた本当の気持ちを口にしていた。
私の父親は若い時から歌手を目指していて母もそんな父を応援して一生懸命働いていた。
だけど父はあまり歌唱力はなくて駅前で歌ったり、オーディションを受けたりしても中々結果を出せないでいた。
いつしか父は酒に溺れるようになり、酔っ払っては私や母に暴力を奮っていた。
いわゆるDVと言われる家庭内暴力。
そんな父の暴力から母は私を庇っていつも必死に守ってくれていた。
しかしある日事件は起きた。父が酔って喧嘩をして一緒に飲んでいた人に重症を負わせてしまったのだ。
相手もかなり酔っていたし一命は取り留めたものの他人から見れば殺人犯も同然。
その日から私と母は周囲から犯罪者の家族として非難される日々が続いた。
母と私は心も体もボロボロで日に日に弱っていった。
それでも母はいつも大丈夫だよと優しく抱きしめてくれて……どんなに苦しくても母の支えのおかげで私も頑張っていいける気がした。
だけど、そんな何よりも大切だった母の優しさを私は裏切ってしまった。
学校で私を虐めていた女子グループと口論になりそのうちの一人を階段の上から突き落としてしまった。
正しく言えば突き落とされそうになって腕を掴んだら代わりにその子が落ちてしまったんだけど父の時と同じで他の人から見たら私はただの加害者。誰も本当の事なんて知ろうとはしない。
結局その子は転校してしまったし、私もその事件がきっかけで学校を辞めたけど元々弱っていた母は完全に壊れてしまいしばらくして私を置いて家を出ていった。
その後私は親戚の家をたらい回しにされ、どこに行っても邪魔者扱いを受けてきた。