5 音律
「よし、もう一度今のとこ頭からいこうか」
「わかりました。お願いします」
♪〜
随分昔の事たけど、これと同じような風景をテレビで見た事があった気がする。
大きなガラスごしに指示が飛びヘッドホンを頭につけた歌手が目の前に立つマイクに向かって気持ちよさそうに音楽に合わせて歌う。
あそこに立ったらどんな気持ちだろうか。
よくそんな事を考えていたのを思い出す。
快音から連絡を貰ってレコーディングの見学をする事になった私は、今までTVの中でしか見た事のなかったレコーディングスタジオとゆう場所に来ていた。
お邪魔になると最初は断ろうとしたけど快音があんまり誘うので断りきれなかったのだ。
まぁ前から少し興味があったし内心嬉しい気持ちはあったけど、本当に来てよかったんだろうか…?
レコーディングは休憩を挟みつつ5時間ほど続いた。
私は歌手じゃないしただ見ているだけだけどみんな真剣な顔をしていてついこちらも緊張してしまう。
「OK、じゃあ今日はここまでにしようか」
「はい!ありがとうございました。」
どうやら今日のレコーディングはここまでのようだ。
無意識に入れていた肩の力が抜ける。
しばらく遠くでプロジューサーだろうかかなり偉い人だろう男の人と話していた快音は話が終わるとこちらに近づいてきた。
「お疲れ様。どうだった?初めてだから緊張してあんまり声出てなかったかな?」
「お疲れ様です。そんな事ないですよ。とても綺麗な歌声でした」
快音は恥ずかしそうにしていたけど、初めてのレコーディングとは思えない綺麗な歌声だったと思う。
それに、なにより私には歌を歌っている時の彼がどんな時より輝いて見えたから。
「綾音ちゃんの歌声には負けるよ。…また聞きたいな」
「え、そっそんな事ないですよ」
私はその一言に焦って顔をそらす。
今まで人前で歌った事なんてないし、自分が上手いとも思えない。
ふと入口付近に目を向けると、いつの間にかゆり姉がさっきの偉い人?と話していた。
「いや、本当に綺麗だったよ!ぜひみんなにも聞かせたいくらい」
「ねぇねぇ♪何話してるの?」
その時話に割り込んできたのが須崎葵。
青みがかったふわふわの長髪を後ろに束ねていて少し子供っぽい喋り方が印象的だった。
「…?」
「あ、会うのは初めてだよね。俺の高校の時の同級生でここでは俺の先輩の葵だよ。」
「よろしくね♪この前話してた彩音ちゃん?」
「ああ」
なんだろう…
軽いって訳じゃないけどふわふわした感じの人。
見慣れない人に戸惑いつつ軽く頭を下げて、取り合えず挨拶をしておいた。
「はじめまして…」
「へぇ〜言ってた通り可愛い子だね♪で、今なんの話ししてたの?」
「あぁ、前に聞いた綾音ちゃんの歌声がとっても綺麗で上手かったからまた聞きたいなって」
「えー!そうなんだ。僕も聞きたいな♪」
うぅ…このテンションにはついていけない。
でも子供みたいなあどけない笑顔はなんだか憎めない感じがある。
どっどうしよう。
「…あ!そうだ!せっかく機材があるしあのマイクの前で歌ってみたら?レコーディングはもう終わったことだし少しくらい大丈夫だよ!」
「え…でも」
少しくらいって普通はダメなんじゃないかな?
てゆうかこんな人がいる所で歌えるわけない…
返答に困っているとそんなことお構い無しに葵に背中を押されてマイクの前まで連れてこられてしまった。
「ちょ…あの」
「ねぇねぇ♪ここからの景色どう?プロになった気分でしょ?」
「あ……」
そういわれて改めて周りを見渡すと目の前にはマイクが1本立っていてガラス越しにレコーディングスタジオが全て見える。さっきまで自分がいた位置もゆり姉の姿も。
快音はずっとこんな景色を見ていたんだ…。
思えば今まで見ていた景色はいつも真っ暗でとても狭く全てが色あせていたけど、今目の前に広がる景色はとても明るく輝いていた。
でもなぜだろう…そんな景色に胸がチクチクと痛んだ。
♪〜
いつの間にかスタジオ全体に音楽が流れ始める。
おそらく葵の仕業だろう。
そんなつもりはなかったのに…
だけど聞き覚えのあるその音楽に私の唇は無意識にゆっくりと開き歌声を奏でていた。
スタジオ全体に響く私の声。
まるで本当にプロの歌手になったみたいに自然に歌詞が溢れ出ていく。
歌が終わりふと我に返るとその場にいた人達がみんなこちらに注目している。
瞬時に顔が赤くなっていくのを感じた。
「あ…ご、ごめんなさい!」
「すごい…本当に綺麗な歌声だね♪」
「てか、今の歌いつ覚えたの?」
いつの間にか近くに来ていた快音が不思議そうに首を傾げる。
それはそのはず。
その時葵が流した曲はライブで快音が歌っていたもので聞いたのはそれ1回だけだから。
「いや…あの…この前ライブで聞いて…」
「1回聞いただけで覚えたの!?」
「…とても素敵な曲だったので」
あまりの恥ずかしさに2人の顔を直視できない。周りの人達がひそひそと何かを話しながらこちらを見ている。
「あの…今日は見学させていただいてありがとうございました。これで失礼しますね」
私は周りからの視線に耐えきれず逃げるようにその場を後にした。
脳裏にはある光景が浮かんでいた。
何度忘れようとしても忘れられない私の過去の過ちを…
私が死のうとまで思い悩んできた事。
もし、私の過去を、過ちを快音や葵が知ったらなんて思うんだろう。
きっと昔と同じように…
最近色んな人と出会い、私の知らない世界を沢山知って私の中の何かが変わりそうだった。
ステージで輝いていた快音や誇れる仕事ができて活き活きしていたゆり姉みたいに…
だけど本当はわかっていた。
私は幸せになんてなれない。
いや、なってはいけないんだと。
だって私は…私は…
二度と取り返しのつかない罪を犯して、何もかもから逃げた最低な人間なのだから。