QUEST 1
暑い。
炎天下で暑いのと試合真っ最中で熱いのとで、俺はすっごく汗をかいてるはずなのに。
不思議とさざなみすらない鏡のような、静まりかえった湖みたいに冷静でいる自分に感心している場合ではないのだけれど。
こうして一触即発の状態になってからどれくらいの時間が過ぎただろう?
コロシアムの観客は、一斉に固唾を飲んで俺たちの次の動きを見逃すまいと視線をこっちに注いでいる。
この試合に勝てば優勝だ。でも相手と俺の力はほぼ互角。勝てるかどうかも五分五分。
愛用の青みがかったロングソードを構えたまま、そっと目を閉じる。
相手はそろそろ焦ってきたのか、時折じりっ、じりっと少しずつ足をずらして間合いを詰めてきて、だんだん荒い息遣いが近づいてくる。
そしてひと呼吸置いた頃、空気がふっと動いたような気がした。
次の瞬間、甲高い刃鳴りの音がして目を開けると、一振りのソードが空中高く舞い上がっているのが見えた。
俺のソードは……しっかりと手に留まっている。
俺は自分でも無意識のうちに相手のソードを弾いていた。それと同時に審判が声高に宣言した。
「勝者、スフィーダッ!」
審判の宣言で、観客がコロシアムを揺るがすほどの歓声を上げた。
よしっ! これで大会5連勝だっ!
「お疲れっ、スフィーダ」
コロシアムの裏口からこっそり出てきた所で、深緑の法衣をまとった相方がにこやかに待っていた。
「よっ、サージュ。見ろよ、今日の賞金だぜ」
俺はずっしりと重い麻袋を掲げてみせた。
「ちょっ、誰かに見られたら、また大変だよっ」
サージュは慌てて回りを見たけど、俺たちの他には誰もいなさそうだ。
そうそう。前回はメインゲートでうっかりこれをやってしまったばっかりに、スリにすられてしまったんだっけ。でもサージュがスリ返してくれたけど。
この相方は、サージュっていう。見た目はおとなしそうな賢者様なんだけど、実はそのスジでは名うてのトレジャーハンターもやってたりする。俺的には、どっちかっていうと「盗賊」の方がしっくりくると思うんだけどさ。
「あはは、すまねぇ。裏口だからって気抜けないもんな」
「もう……。今度もスラれたら取り返せるって保障、ないんだからね」
呆れたようにサージュがぼやいてくれる。
「まあまあ。ちゃんと気をつけるって。早速祝杯をあげようぜ! 俺のおごりだ!」
「はいはい、ゴチになります、っと」
俺とサージュは、連れ立って行きつけの居酒屋へと向かった。
居酒屋へ行くには王宮の前を通っていくんだけど、いつもは衛兵しか立っていないのになんだかすごい人だかりができている。
「なんかあったのかな?」
サージュが首を伸ばしてそっちを伺っている。
「ちょっと行ってみようぜ」
俺たちは足を王宮へと向けた。
「ちょっとごめんなさいよ……っと」
人垣を掻き分けると、ひとつの立て札があり、みんなはそれに注目していたみたいだった。
「えっと、『剣闘士・スフィーダ並びに賢者・サージュ 両2名は近衛兵詰め所まで来られたし』 ……って? ちょっ、こっ、これ僕たちの事が書いてあるよっ!」
サージュは半分パニクっている。
「サージュ、おまえなんか心当たりあるか?」
まわりに聞こえないようこそっと聞くと、サージュの顔色がさーっと青くなった。
「もしかして、この間居酒屋に行った時、オーダーしてない料理が出てきたじゃない? あれ食べちゃってお金払ってないのバレた?」
俺にも心当たりが。
「それとも、この間道具屋でお釣り多かったよな? あれを黙ってくすねたのが今になって分かったとか」
いろいろありすぎて困る。
「こうなったら、近衛のとっつぁんに直に聞こうぜ」
近衛のとっつあぁんは、実は俺の剣術の師匠。ついでに近衛隊長だったりする。
「もしヤバい事になってたら、その時は……」
俺は知らず知らずのうちに背負っていたロングソードの柄に手をかけていた。
その瞬間、周りの人垣がざあっとひいていったのに気がついて、俺は苦笑いをした。
「あ、あはは……。冗談だって」
取り繕っても場の空気は凍りついたままだったので、俺はサージュを引っ張るように詰め所へと向かった。
「よっ。とっつぁん来たぜ」
詰め所の中に入ると、なぜかいつもとは違う雰囲気の視線が一斉に飛んで来たがそれをかわしまくりつつ、とっつぁんこと近衛隊長の前に行った。
普段なら、『いっちょもんでやるか?』なんて調子で、がははと豪快に笑いながら背中をどやされるのに、今日のとっつぁんは何だかおかしい。
見た事のない真剣な顔で、他人行儀に『こちらへ』と言ったきり、何も言わなかった。
俺もサージュも話しかけてはいけない空気をすぐに読み取り、神妙に頷いて歩き出したとっつぁんの少し後ろをついて歩いた。
一般の人はめったに入れないふかふかの赤い絨毯が敷き詰められた廊下を延々と歩くと、重厚な扉が見えてきた。あの奥が、玉座だ。
俺は何度も大きな闘技会で優勝してる。その表彰式の時に来てるから別に珍しくないんだけど、サージュは緊張した顔で扉にくぎづけになっている。こいつ、以外とへタレなとこ、あるんだよな。
扉をふたりの従者がゆっくりと開けると、絨毯は金の糸で刺繍された豪華なものになり、その向うに玉座が見えた。
従者に促されるまま、前に進み出て跪いて頭を下げて、と。ここまではいつもやってるから慣れっこだ。
サージュも横目で俺を見て、ワンテンポ遅れて同じようにした。
「顔をあげよ」
ただっぴろい王室に、王様の低いがよく通る声が響く。
すっと顔をあげると、いつも隣でにこやかにしている王妃様がいらっしゃらないのに気づいた。どうしたんだろう? 王も、こころなしか表情が曇ってみえた。
「待ちかねたぞ。早速だが、用件に入る」
俺たちはごくっと息を飲んだ。
「実は、おまえたちに頼みがあるのだ」
あれ? 心配してた事と違ったのか? 俺たちは思わず顔を見合わせた。
「例のものをこちらへ」
そういうが早いか、側近のひとりが恭しく深い紫色の布でくるまれた四角い箱をさっと俺たちの前に差し出した。
俺が思わず受け取ると、何も入っていないように軽かった。布の表面には、銀の糸で複雑な魔方陣が刺繍してある。
「開けてみるがよい」
俺が布をほどいて出てきたのは木箱で、蓋を開けると一冊の本と、何度も使い込まれたような、折り畳まれた一枚の古めかしい紙が出てきた。
本をパラパラとめくってみたけれど、古びた表紙とは違って、新品の上等な羊皮紙でできていた。でもなぜか全部真っ白。
「サージュ、これって何か書いてあるか?」
俺は本をサージュに渡した。
同じようなパラパラめくると、首を即座に横に振った。
「ううん。まっしろだよ」
なんだ、これ。
さっぱり訳が分からず、思い切って王に尋ねた。
「王様、俺……いや、わ、私たちにこれをどうしろとおっしゃるのですか?」
ううう、丁寧な言葉は使いづらいや。
「その本は『インフィニート・ブック』と言われ、各地にいるインフィニートというメッセンジャーを全て探し出しページを埋めてもらうとひとつだけ願いが叶うというものだ。その任務をおまえたちに頼みたいのだ」
「私たち、がですか?」
サージュが初めて王に話しかけた。
「そうだ。いきなりで驚いているだろうが、今は、この国、いや世界の命運がかかっているとしか言えんのだ。もしかするとかなり危険な事に出くわすかもしれん」
いつになく苦渋に満ちた表情で絞り出すように言葉を紡いだ。
「だが、賢者・サージュ。おまえの知識と剣闘士・スフィーダの行動力ならこの任務を必ずや成し遂げるであろうと、信じておる」
だ、誰だよ。 そんな事王様に言ったの。これじゃ断れないじゃないかぁ……。 でも王の頼み……っつうか、これってほとんど命令に近いよな。だったらキャンセルは無理だな。ここは素直に応じるのがスジだよな。ま、断る理由もないけどさ。なんか訳ありみたいだし。
俺はサージュを見た。目が合った瞬間、無言で、でもはっきりと頷いた。
やっぱり俺と同じ事思ってたんだ。長年の付き合いの賜物だな。なので思い切って承諾する事にした。
「承知いたしました。この任務、おまかせください。明朝にも早速出発いたします」
「おお、そうか。よくぞ言ってくれた」
王は俺の申し出に顔を輝かせた。
すると、それを待っていたかのようにもうひとりの側近が、俺が今日もらった賞金の入った袋よりもさらに大きな麻袋を持ってきた。
「これだけあれば、旅支度の資金と路銀にはなるな?」
側近が開けてみせると、この国で一番高額の紙幣がぎっしりと詰まっていた。きっと一生かかっても拝める金額ではないはずだ。これはなんとしてもやるしかない。
「ありがとうございます。必ずや、いい報せを持って帰ります」
「期待してるぞ」
俺たちは王に深く一礼すると、玉座の間を後にした。
翌朝。ドンドン、と何回目かのドアが叩かれる音で俺は目が覚めた。
結局、昨夜は俺の勝利の祝杯はお預けという事になり、早々に家に帰ると久々の旅支度に時間を取られ、ベッドに倒れこむようにして寝たのがいつなのか全く記憶になかった。
「スフィーダっ! 早く起きてよっ!」
確か、待ち合わせ……してたんだよなあ。街の門のとこで。
目をこすって窓の外を見たら、もうすっかり明るくなっていた。
やべ!
早朝出発します、なんて言っといて思いっきり寝坊したのがとっつあんや王様にバレたら……
俺は跳ね起きると速攻で昨日から着てた汗臭い服を冒険用の装備に替えて、中身を放り込んだだけの道具袋の口を無理矢理に閉めてひっさげると表に出た。
「……ったくもう! 待ち合わせ、すっかり忘れてたね!」
サージュは時間だけはきっちり守るヤツだから、ちょっとでも遅れるとかなりうるさい。
「へいへい。悪うございました」
俺は靴紐を締め直しながら一応素直に謝っておいた。こいつには口では絶対勝てねえから、こういう時俺は適当にあしらっておくことにしている。
「さ、早く行こうよ」
サージュはもうとっとと街の門の方へと歩き出していた。
俺は散らかりまくって足の踏み場もない部屋の中をざっと見渡して忘れ物がないかを確認した。この部屋に帰る事は当分ないんだろうな。……もしかしたらもう帰ってこれない可能性もあるかも……そんな頭の隅にある不吉な考えを押し込め、鍵を閉めると隣のおばちゃんにしばらく留守になるから、と鍵を預け、サージュの後を大股で追った。
門の向うは一面の緑の草原。その中にひとすじの道があり、真っ青な空とくっついている地平線の先まで続いている。
山から昇ったばかりの朝日に背中を押されながら、俺とサージュは冒険の一歩を踏み出した。