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大詰(第九場)

大詰同場


本舞台、元の佐平次内の場。中央に佐平次と三太がいる。下座をかすめると明転。


三太「猿子佐平次よ。今のがお前の行く末だ。肉体が塵芥(ちりあくた)()そうとも、なした財が潰えても、世の風聞は消えぬのだ。お前は何もかも手に入れようとして、何もかも手にいれられぬまゝ、息が絶えるその時にもそれに気づかず、金箱に手を伸ばすのだ。人々はお前の名を悪鬼同然に忌んで呼ばず、畜生未満と蔑んで、我が子にはあゝなってはいけないと言い聞かせるのだ。佐平次よ、あゝなるのがお前の望みか」


ト、佐平次、三太に情けなく縋り付く。


佐平次「違いますとも違いますとも。どうか仏様だか閻魔様だか、はたまた耶蘇の神様だかは知りませぬが教えてくださりませ。あなたがお示しなさったものはわたくしがきっとこうなるというものでありますか、それともこのまゝではこうなるという影法師のようなものでございますか。わたくしが犯した罪業はもう(ぬぐ)えず、こゝからはなにをどうしてもあのような末路を辿るのでしょうか。それともわたくしが心を入れ替え、今までの行いを悔やみ、善行を積めばいくらかばかりは変わるものでしょうか」


ト、三太、答えず。佐平次、さらに必死になる。


佐平次「教えてくださりませ、教えてくださりませ。過去は変わらぬものとは存じております。わたくしがせいで身を苦界に沈めた娘は浮かばれず、大川に沈んだ者も生き返ることはないでしょう。その罰として死後は地獄に落ち、業火に焼かれ針の山を歩くのは仕方がないでしょう。それは重々承知しております。金の病に取り憑かれた者の末路は斯くあるべきでしょう。ですが、もし、もし、この佐平次めの惨めで醜い生き様が少しでも後世に残るのでしたら、せめて後の世に、人は変わる、変われるということを伝えられるものにしたいのでござります」


ト、佐平次、泣きつき、そのうち縋っていた三太の羽織が脱げる。佐平次、それには気付かずそれを抱きしめて懺悔や後悔の捨て台詞のうち三太、向うに入る。下座が止まると鶏鳴、時の鐘にて佐平次、ハッとする。


佐平次「そんなら夜が開けたか○今のは夢か幻か、もしくは生き地獄であったか」


ト、手元の羽織に気付く。


佐平次「いや、どちらにせよ今ので目が覚めた。あれが隙間風が見せた悪夢だろうが雪の中の幻だろうが。こうしちゃいられねえ」


ト、佐平次、帳場に行き、筆を出し紙にいろいろと書き始める。煤掃き合方になり路地口より一場目の町人が出てくる。


町人「昨日はめっぽう吹雪いたからだいぶ雪が積もってら。どこの家も崩れていないといゝんだが。おい佐平次さん、大丈夫かい」


ト、門口より声をかける。佐平次は三太の羽織を引っ掛け書いてた紙を手に出てくる。


佐平次「竹の屋か。ちょうどよいところにきてくれた。今からこれに書いてあるものを全て買って、それぞれの家に届けるように頼んでくれねえか」

町人「なになに○隣長屋の甚兵衛に味噌樽、その隣の長太郎に米五合、裏の長庵どのに朝鮮人参に葛根湯」

佐平次「読んでいる暇があるんだったら、さっさと行ってくれねえか。払いは俺にツケといてくれ。根性は曲がっているが金払いは正道な佐平次さ、きっと大丈夫だ」

町人「自分で言うか。まあ、そこまで言うなら聞いてやるのも構わないが、わしゃこれから周りの家々が昨日の猛吹雪で壊れちゃいないか見回りにいかなきゃいけないのだ」

佐平次「そりゃ、好都合だ。俺はちょうどこれから詫びを入れるため、こゝらを回るつもりだった。そんなら、その役目を任せてくれ」


ト、町人、思入れ。


町人「まあ、お主がいゝなら、それでいゝが。たゞ引き受けるのだから、この前のぶんの払いはな○」

佐平次「なんだ、そんなことかい。竹の屋の主人ともあろうものが丁半に金を使えなくて、この世に金が回るかい。払いは気がついた時でよい。まあお前にとっちゃ、俺の催促より女房のほうがよっぽど怖いだろうけどよ」

町人「それを言われちゃあ」

佐平次「そんなら任せたぞ」


ト、佐平次、バタバタにて向うに入る。残された町人、自分の頬をつねって、これは夢ではないかというこなしあって路地口に入る。時の鐘。路地口より倉吉が出てくる。


倉吉「あゝ、どうしようか。旦那に決して遅れてはいけないときつく言われたのに、昨日はお政が帰ってきて、ひもじいながら一家で囲むちゃぶ台で、話を肴に進む酒、ふと目を閉じたつもりが気付けばもう七時過ぎ。佐平次さんのことだから、きっと言葉通りこの場でお払い箱、ただでさえ活計(たつき)に苦しむ、この身の上、こりゃいっそ首を括るか大川に」


ト、倉吉、身震いする。


倉吉「ハテ。いつもなら、この時間には帳場に向かってるはずの旦那の気配がまったくしない。もしや、なにか。

ト、合方になり向うより佐平次が桶に締めた鶏を手にやってくる」

佐平次「おい倉吉」


ト、倉吉、声をかけられビックリする。


倉吉「ひえっ、旦那、お出かけでしたか。これはなんとお詫びを申し上げましょうか」

佐平次「てめえ、こんなところでなにをやっていやがる」

倉吉「申し訳ございませぬ。七時に間に合わなかったということは当然、首でござりましょうから、そもそも来るべきではございませんでした。一言、お暇を申し上げましたら、すぐにでも帰りましょう」

佐平次「何を言ってやがる。今日はお政が帰ってきているのだろう。せっかく越後屋さんが気を利かして宿に下げてくれたのだ、お前がこゝにいては雇い主として俺の面目が立たないだろう」

倉吉「あい、あっちは今日でお払い箱になりましたからすぐにでも帰りましょう」

佐平次「さっきからなんだか(ほう)けていやがるな。払い箱と言ってもお前がいるから人が払った銭がうちの金箱に入るのだ○思えば女房が亡くなってからお前を雇ったが、もう十年になるかあ。倉吉どのがいなかったら、この佐平次はとうに首でも括っていただろうな」


ト、佐平次、笑う。倉吉、合点が行かずに呆然とする。


倉吉「それなら、わたしは首ではござりませぬか」

佐平次「首。なんのことだい。さっきからなんだい、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして」

倉吉「いや、それならよいのでございますが○まるで卵が四角になっちまったようだ。なにか患ったのではないといゝのだが」

佐平次「卵とはよく言った。ほら、これを持っていけ」


ト、佐平次、桶を渡す。


倉吉「こりゃ、(とり)でございますか。それも大層高そうな」

佐平次「聞けば耶蘇のクリスマスとやらでは七面鳥というのを祝いに食べるらしいが、さすがに手に入らなかった。これで勘弁してくれ」

倉吉「これをいたゞけるのでございますか」

佐平次「いらねえというのか」

倉吉「いや、ありがたくいただきますとも○この倉吉、今まで甚だ思い違いをしておりました。今後とも佐平次どのには一生ついて参りまする」

佐平次「おいおい、いきなりなにを言い出すのだ○そういえばお前の末っ子、名は鎮吉だったか。どうやら人の話によれば大層そろばんがうまいそうじゃないか」

倉吉「へえ、親だから言うのじゃございませんが片輪ゆえか家に籠ることが多く、それで古いそろばんをおもちゃ代わりに渡してみましたら、大層気に入りまして昼夜問わず楽しそうにやっております」

佐平次「それなら、今度連れてこい。ちょうど、もう一人ぐらい人手が欲しかった。もちろん金は払う。あゝ、それにお前の払いもあげようと思っているのだ」


ト、倉吉、びっくりしてフラフラする。


佐平次「大丈夫かい」

倉吉「いや、なにがなんだか。まるで夢か幻でも見ているようだ」

佐平次「まあ、これも明日○いや、天下の越後屋が奉公人に一日の休みを与えるなら、こっちは二日だ。いゝか、明日も休みにするからまた明後日来た時に詳しく話そう」

倉吉「ありがとうござりまする。それなら早速、これから家に帰って家族に話をしてきます。この恩は決して忘れませぬ」

佐平次「わかったから、さっさと行きやがれ」


ト、倉吉、何度も礼を言いつゝ路地口に入る。


佐平次「さて、俺も一休みするか」


ト、佐平次、暖簾口に入る。時の鐘。合方になり、向うより一場目の子供の一人に連れられ、新吉、紋付袴の形、風呂敷包みを抱え、おりん二役のおすゞ、世話女房の拵え、妊婦の体にてやってくる。よきところに止まる。


子供「あれが佐平次さんの家だよ」

新吉「あの頃となにも変わらぬなあ」

おすゞ「あい、大層懐かしうございます」

新吉「そして、幼子(おさなご)よ、今しがたの佐平次どのゝ話は本当かね」

子供「おう、おらもびっくりしたよ。朝、障子を叩くものがいるから何事かと開けてみりゃ、薬屋の手代さんがきていて佐平次さんからと朝鮮人参に葛根湯とたくさん薬を置いていった。おらもかゝあもビックリだ」

おすゞ「あの(とゝ)さんが」

新吉「これ」

子供「それにうちのところだけじゃないさ。朝から町中に佐平次さんのところからといって味噌に米に塩に酒といろんなものが届いてるのだ。それにこゝらの雪掻きも手伝ったそうだ」

新吉「俄には信じられぬが○いずれにせよ、こゝまでの案内ご苦労であった。これは少ないが」


ト、新吉、銭を渡してやると子供は引き返して向うに入る。二人は本舞台にくる。


おすゞ「いまさらながら腹の中の虫がぴょんぴょん飛び回り始めたよ。なんせ五年も会っていないのだから、どんな顔をすればいいのか」

新吉「はて、おすゞさんらしくない。そもそのその腹のために来たのだろう」

おすゞ「そうは言っても」

新吉「腹を括りなされ○佐平次どの、佐平次どの。ご在宅でござりましょうか。越後屋におりました新吉でございます」


ト、新吉が声をかけると暖簾口より佐平次が出て門口を開ける。


佐平次「新吉か、こりゃ驚きだ。ずいぶん久しぶりじゃないか。そして、そこにいるのは」


ト、佐平次、おすゞを見てビックリする。おすゞは面目ないというこなし。


佐平次「おりん○いや、そちゃ娘じゃないか○いずれにせよ外は寒い。中へ入りなされ」


ト、三人は家に入り、よろしく住まう。気まずきこなし。佐平次が喋ろうとするところにおすゞが土下座する。


おすゞ「父上、まこと無沙汰をしており申し訳ございませんでした。母上、存命の砌はもちろんのこと、お亡くなりになられてからも独り身ながら身を粉にしての長年のご養育、いくら言葉を重ねても、いくらこの身を尽くしても決して返せぬ御恩と知りながら、若気の至りで家を飛び出し、早五年。越後屋の大旦那の助けもあり、住み込みで暮らす内、親の大切さ、商売の難しさ、人のご縁、日々この不肖の身に染みながら、こちらの敷居を跨げぬこの愚かさ、どうかお許しくださりませ」


ト、新吉も土下座する。


新吉「わたくしからもお願いします。二親ある身だからこそ、こちらも承知の親の大事。無礼はおすゞにありと承知すれど、会わせに行かぬはこちらがしくじり。どうか許してくださりませ」


ト、佐平次、黙って聞いているが今度は自ら土下座する。新吉とおすゞはビックリする。


佐平次「いや、謝るのはこちらが道理。二親なれど子が懐くのは乳を与えし母なのはさもあらん。さりながら妻を亡くした悲しみに暮れ、母を亡くした娘に寄り添えぬのは親失格。娘が不肖と申すならこちらは畜生も同然○そして新吉どの。そちにも詫びしなければならない。幼き頃から娘と育ち、おりん亡きあとに娘を慰め、遊び相手になるだけでなく、家出後の越後屋への奉公もそちらが尽力ゆえと世の風聞。その上、このような頑固なお転婆と一緒になってくれたのだから○」

おすゞ「すりゃ、父さんは」

新吉「佐平次どのは」

二人「わしらのことを」


ト、顔を見合わせる。三人は互いに感謝と謝罪の土下座を続けるが、やがて可笑しくなってきて一斉に笑う。


佐平次「今日というが、このようなめでたい日になるとは」

新吉「そうだ、お前。あれを」

おすゞ「あい」


ト、おすゞ、風呂敷を開けて中より赤いちゃんちゃんこを出して佐平次に渡す。


佐平次「こりゃ、なんじゃ」

おすゞ「やはり、お忘れでございましたか。父上は今年でいくつになりましたか」

佐平次「ハテ、もう年を数えなくなって何年経ったかすらわからぬわい。いや、待てよ」


ト、佐平次、ぶつぶつ言いながら指を折る。


佐平次「おゝ、合点がいった。わしゃ、今年で五十と九。なるほどそうか」

おすゞ「早めの還暦祝いでございます。ちと気が早いですが、どうぞ着てくださいませ」


ト、おすゞ、佐平次に着せてやる。

佐平次「さすが越後屋だ。まっこといゝ布を使っておる。どうだ、似合うか似合うか」


ト、佐平次はくるくる回って見せびらかす。


おすゞ「よう似合うてます」

新吉「日本一の還暦男でございます」

おすゞ「お前さん、あのことも」

佐平次「なんじゃ、まだなにかあるのか」

新吉「あい。昨日のこと越後屋の大旦那に夫婦共々呼ばれまして、最初は合点が行きませんでしたが、話を聞けば、なんとこれまでの功に免じて越後屋を継がないかと言われました」

佐平次「なんと、あの越後屋を。しかし、天下の越後屋といえど、それはどうも」

おすゞ「あい、父上のお考えの通り、名高き越後屋なれど、そのぶん値も高く、このまゝいけばいずれはお偉方や金持ちしか寄り付かなくなりましょう。そこで大旦那には誠にありがたい申し出ながら重荷がすぎるとお断りしました」

佐平次「ほう、それで」

おすゞ「しかし、せっかくの好機を逃すのはこれまた惜しく、その場で暖簾分けをお頼み申し、そこで越後屋の名を継ぎつつ、御一新に合うような安価な服屋を開きたいとお願いしました」

佐平次「それでこそ我が娘」

新吉「これにはわたくしめはもちろんのこと、大旦那も最初は開いた口が塞がりませんでしたが、やがてさすが佐平次の娘、商売上手と手を打って無事にご承知いたゞけました」

佐平次「めでたや〳〵」

おすゞ「来年の今頃には店を開く算段でございます」


ト、佐平次、喜びの舞をしていたが止まる。


佐平次「それは合点が行かぬ。善は急げとのことわざ通り、なぜ明日にでも店を開かぬ。一日一日で世の中が変わるこのご時世、おすゞらしくないじゃないか○金か。金が足りないなら、山ほどあるぞ。いくらでも持っていけ」

新吉「それが、もう一つございまして」


ト、新吉とおすゞは顔を見合わせる。


おすゞ「父さん、わしが腹に」


ト、おすゞ、自分の腹を撫でる。佐平次、驚く。


佐平次「すりゃ、お前ら」

おすゞ「あい」


ト、おすゞ、恥ずかしがるこなし。


新吉「父となるからには、これから一層のこと精進して参ります」

佐平次「あゝ、なんとめでたい日だ」


ト、佐平次、力が抜けてホロリとする。


佐平次「そうだ、それなら」


ト、佐平次、押入れより位牌を取り出す。


おすゞ「そりゃ、(かゝ)さんの。てっきり捨てゝしもうたのかと」

佐平次「捨てようと思った時もあったさ。おりんが亡くなって信心も同時に失せたれど、こいつだけはどうも○おっかあが見守る我ら三人」

新吉「体は寒くも心は暖か」

おすゞ「思い(重い)の腰を上げたらば」

佐平次「新雪踏み締め(親切噛み締め)新たな門出」

新吉「一度は切れた親子の縁も」

おすゞ「今世のうちに繋ぎ直し」

佐平次「阿弥陀(新た)に縫えば新たな縁が」

新吉「生まれた今日はクリスマス」

おすゞ「夏には新たに一つ増え」

佐平次「末は四人で囲むと思えば○ほんに今日は」

三人「めでたい日じゃなあ」


ト、誂えのクリスマスの合方になり佐平次は再び踊り始める。二人も巻き込まれ、三人は踊る。この模様にて、

拍子幕

参考文献

Charles Dickens “A Christmas Carol”, Atria Books ebook edition, 2013

竹の舎主人(饗庭篁村)「影法師」『明治翻訳文学全集《新聞雑誌編》6 ディケンズ集』、大空社、一九九六年(元は読売新聞にて明治二十一(一八八八)年九月七日から十月七日にかけて連載されたもの)

Les Stranford “The Man Who Invented Christmas: How Charles Dickens's A Christmas Carol Rescued His Career and Revived Our Holiday Spirits” Kindle Version, Crown Publishers, 2008

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