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交差する深淵  作者: 宇美八潮
入社1年目
5/12

防災モデル都市

入社するにあたって私は熊谷から当時の鹿嶋市内のアパートに引っ越してきました。

市役所から比較的近い場所の住宅地で、何よりも飲食店や大型ショッピングセンターが徒歩圏内にあるのが便利な場所です。

事務所からは少し離れていましたけれど、通勤には車を使っているので問題ありません。

三係の他のメンバーも歩いて数分以内のほぼ同じエリアでアパートを借りていました。


本社から見学の人が来ていた話をしましたけど、最初の頃は主な仕事が作業の調整だったこともあり、こちらから筑波シティへ行くことばかりでしたね。

何人かで行くときは係長の運転するミニバンタイプの社用車も使いましたが、ある程度仕事に慣れてきてからは自分の車でも行きました。

スケジュールを合わせてもらって、週末は筑波シティから熊谷の実家に帰ったこともありました。

でも、熊谷から鹿嶋に戻るのが大変だったので、それ以降は無理に車での帰省はしませんでした。



それまでの「筑波研究学園都市」とその周辺が「防災特別行政区」というものに指定されたのは、確か私の入社する3年前のことでした。

それが筑波シティの始まりです。


政府主導で進められた防災拠点整備事業というものだったのですけれど、本格化すると多くの建設従事者を集めなくてはいけませんでした。

それで例の「オススメ公共事業」という求人アプリが作られたわけです。

特定公共事業という言い方をしていましたが、これに参画すると毎月のお給料とは別に、指定したポイントサービスに割り増し加算分としてポイントを付与する仕組みが導入されたんです。

それに加えて、原則として建設地とその周辺の人が優先ですが、仕事の内容や従事期間などの条件を満たせば、防災モデル都市への居住権を優先的に得られ、シティ居住後の職業も斡旋するという特典がありました。

自分たちが住む場所を自分たちで造るというのが好評で、それ以降に建設が始まった他の防災モデル都市でも同じ募集方法が使われました。

さらに、参加企業にも作業従事者にも税制上の優遇措置が適用されました。

こうやって防災モデル都市の建設や運営に携わる企業や人材を大規模に集めていたんです。



防災モデル都市としての筑波では、まず最初に建物や設備に手が加えられました。

「防災」とはいいながら、一番重要視されたのは食料とエネルギーでした。

それまではどちらもその大半を国外からの輸入に頼っていたんです。

国内で賄えていたものであっても、これまでは供給地から全国の消費地へと提供していたものを、原則として防災モデル都市間の流通は停止(注1)する前提で考えなければなりません。

都市に住む人々のための発電施設、畜産施設、野菜工場、機械製造・整備工場、そういったものを基本的に防災モデル都市の中だけで過不足なく賄おうというんですから、それは相当大変なことだったと思います。

実現性を疑う声も少なくはありませんでした。

だからこそ、第一期完成として成功が発表された時の反響は大きなものでした。


実現にあたっては様々な分野から専門家が集められたそうです。

こういった技術を集めるのにも研究学園都市という立地は打ってつけだったのですね。

宇宙開発のための技術や軍事技術までもが転用されたと聞いています。



さて、先ほども言いましたけれど、防災モデル都市として整備されていた筑波研究学園都市が第一期完成となったのは私の入社した年の3月1日のことでした。

それと同時に「筑波シティ」と命名することが発表されました。

その日は日曜日でしたから、実質的には翌日からだったのですけど、政治面でも経済面でも防災特別行政区としての活動が本格的に始まりました。


「シティ」では、それまでとは全く違う制度が導入されました。

一番大きな違いは貨幣制度の見直しです。

以前は現金が使われていたということは知っていますよね?

当時はもう既にキャッシュレス決済が浸透していましたし、電子マネーサービスも拡大していました。

たから普段の生活で現金を使う機会というのは、このころには随分と少なくなっていました。

筑波シティではこれを一歩進めて現金を排し、全面的なキャッシュレス化を初めて実現したんです。


更に、政府主導によるポイントプログラムが本格稼働を開始しました。

名前は何のひねりもなく「シティ・ポイント」です。

ポイントサービスというのは、それまでにも色々な企業グループなどが展開していて多くの人が利用していました。

でも、これが結構大変だったんです。

財布は何種類ものポイントカードで膨れてしまうし、カードに代えてスマホアプリにしてもどれを使うか選んだり画面を呼び出す手間がかかったりと。

シティ・ポイントではそうしたこれまでのポイントを全部引き継いで一元的に管理できるようにしたんです。


そうして画期的だったのはこのシティ・ポイントをシティ内限定でしたが正式な貨幣として扱ったことです。

毎月のお給料も割り増し加算分を含めてこのシティ・ポイントで支払われることになりました。

このようにしてシティ内では全ての経済活動がポイントのやりとりで行われるようになりました。


鹿嶋事務所はその筑波シティの飛び地みたいな位置付けでしたから、お給料とかも当然のようにシティ・ポイントでの支給でした。

もちろん筑波シティ以外の場所では貨幣としての利用ができません。

でも大型ショッピングセンターの中にある店舗はもちろん、近所のお店なんかでも多くはポイントでの支払いができたので不便は感じませんでした。

事務所の近所にあるコンビニエンスストアのATM(注2)では、ポイントで現金を引き出せるようにしてくれてありましたし。

現金を使うのは、ポイント払いができない飲食店を使うときとか、帰省やダイビングに行くようなときくらいでした。


この制度はアイ・端末が全員に行き渡り「円」とポイントが統合されるまで続きました。

通貨の単位としては現在も「円」を使っていますけれど、実は仕組みとしては従来の「円」を廃止して、新たに「円」と改称したシティ・ポイントの側に統合しています。

その変更から2年の移行期間を経て、硬貨や紙幣といった貨幣は回収され、流通も廃止されました。

貨幣価値が無くなった現在ではコレクターズアイテムとなっているそうですね。


こうしたポイント制を可能にしたのが、これもまあ安易な命名だとは思いましたけれど、シティ・システムの仮稼働でした。

現在のアイ・システムの原形です。

確かプロトタイプと呼ばれていますよね。

オススメ公共事業もそうでしたが、この時点ではアイ・端末のような専用端末は無かったので、シティ・ポイントもスマホのアプリの一つとして機能が提供されました。



筑波シティでもうひとつ取り入れられたのが評議員会制度です。

中央政府は全体を管理する組織として存続しますが、シティは運営に関しても内部で完結できることを目指しました。

従来は地方自治体として都道府県があり、その下に市町村があり、という階層構造になっていたんです。

それでは非効率であるということで、各シティ毎に一元的に運営するための組織として新たに設けられたのが評議員会制度でした。

気候変動の影響が激甚化した場合、中央政府直轄となる首都シティ群を除いては、政府から見て各シティが長期間孤立化することも懸念されます。

そうした場合でも滞りなく運営可能とするために政府から大幅な権限委譲が行われたんです。


シティ・システムには状況分析などの面で評議員会のサポートを行うことが期待されていました。

むしろ本来はこちらが主たる任務でしたが、この役割を円滑に実施するためにインターフェイス機能の強化が図られました。

その結果としてシステムが想定以上の成長を遂げることになったのですが、それが私たちの目に触れるようになったのはもう少し先のことです。


首都シティ群の第一陣が供用されたのと同時に、進化したインターフェイス機能を搭載した改良型シティ・システムが首都シティと、大阪、博多、札幌のシティ建設予定地で稼働を始めました。

プロトタイプを含めてアイ・システムと命名されたのはこの時です。

やがて、家電製品の自動化、生産工場などの完全無人化、ヴィークルの自動運転など、様々なことが次々と実用化されていきました。

更に機器は一緒だったんですけど、スマホに代わるものとして「アイ・端末」が登場し、刷新された各機能とともにそれまでスマホで提供されていた各種アプリが搭載されました。

そういうのを見聞きするたびに「ああ、何だかSFな未来都市に来ちゃったなあ」と思ったものです。



注1)この会話の時点で既に交通困難となり孤立化したシティが幾つか存在している。各種物資は内部備蓄や生産可能な範囲内で賄う必要があり、無駄なく効率的に供給することが優先された。食品は単調になりがちであったし、各種製品の原材料など徹底的なリサイクルが行われた。この資源管理にアイ・システムの果たした役割は大きい。この考え方は現在にまで続いているが、シティ間流通の復活後はシティ特産品など彩りの加わる余裕が生まれ、タウンの登場による新たな産品などもあり特に食生活が豊かになっている。


注2)ATM:現金自動預け払い機(automatic teller machine)のこと。かつて預金という形で資金を集め、事業者などへの融資を行う金融機関という組織が存在した。ATMは預金者が現金の入出金を行うための機械。この会話の時点では既に存在していない。ヤスコは説明を失念したが、イツキも知識としては知っていたので聞き流している。

K:この頃まではお金とかお財布とかがあったんだよね。

M:今は私がケイのお財布ですね。

K:お小遣いを使い過ぎそうになると教えてくれる賢い財布だよね。それにしても食事が単調って寂しい感じ。

M:最も厳しい時期は食材を無駄なく効率的に使うために、家庭での調理は行わず食事は全て食堂で行う方式がとられました。学校の食堂をイメージすれば近いと思います。

K:何だかこのあたりは歴史の授業を聞いているみたいだね。

M:記録を参照すれば、これでも実際に実施された事柄のごく一部に過ぎません。

K:アイコさんが生まれたのは、もう少し先なの?

A:私は首都のi1(アイ・ワン)達の4年後に稼働を開始しました。

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