お客様2人目
毎週木曜日19:00頃。
この時間になるととあるお客様が来る。
決まった曜日、決まった時間にくるこのお客様はここ"TONYA"の十数年の常連さん。
そんなお客様がくる、今日木曜日。
19:04
「こんばんわ。…いいですか?」
「いらっしゃいませー! こんばんわ。」
「こんばんわ。いつものお願いできますか?」
「はい。 ママ、丸さんいつもの!」
「はいよー!」
毎週木曜日19時にくる常連さんのあだ名は"丸さん"。
仕事終わりにくるそうでいつもスーツ姿の中年男性。
丸い顔に丸い眼鏡、丸い身体をしているためか皆からそう呼ばれている。
本人も気に入っているらしく自分にもここではそう呼んでほしいと言ってきた。
「はい、お待ち。梅酒ロック。」
「ありがとうございます。」
お礼を言い、丸さんはグラスに口をつけ半分ほど飲む。
その後は身体を軽く左右に揺らしながらチビりチビりと梅酒を楽しむ。
ママや他のお客様と会話することはほとんど無く、1人静かに飲む。
しかし話を聞いていないわけではなく、急に話を振られたり、意見・同意を求められた際はしっかりと受け答えできる。
「僕の肴はお店の雰囲気と皆さんの会話です。」
ある時丸さんが自分にそう言ってきた。
きっと自分が『1人静かに梅酒のみを飲んで楽しいのかな?』と思っていたことに気づいて言ったのだろうと思う。
ウチの店はカラオケもTVも無く、会話と小さい音のBGMだけが流れていた。
自分はそんなウチの店を会話を楽しむお店だと思っていた。
しかし丸さんは誰かと会話せずともこのお店を楽しんでいた。
バイトを初めた頃は丸さんの楽しみ方がいまいちよく分からなかった。
丸さんは座る席も決まっていてカウンター席の左端の席が丸さんの定位置だった。
なので木曜日はその席をなるべく空けておくようにしている。
他の常連さんもそれが分かっていて木曜日はその席は空けていてくれた。
その席から皆の会話に耳を傾け、時より店全体を見渡しながらチビりチビりと梅酒を飲む。
丸さんは物腰柔らかく、年下の子供の自分にも敬語を使う。
そんな丸さんは皆から好かれていた。
たまに酔ったエロジジイさんとかにからまれ、長々と愚痴や自慢を聞かされてることがあるが、丸さんはニコニコと微笑みながら「うん、うん。」と頷き、ずっと話を聴いていた。
嫌な顔や話を切り上げることもせず、相手が満足するまでずっと話を聴く。
そんな丸さんを嫌いになる人はいなかった。
丸さんは19時にくると大体2時間程お店にいて、梅酒ロックを4~5杯飲む。
お帰りになる際は顔を赤らめながら
「お勘定置いておきます。」
と言いカウンターに5千円札を置いてお店を出ていく。
お釣りは「いいですよ。」と言い、絶対に受け取ってくれない。
それを毎週やるのでお店としては申し訳ない気持ちになり、せめて楽しんでもらえるように努力することにした。
そんな丸さんを自分は秘かに"TONYA"の布袋様と呼んでいた。
木曜日19:40。
「よーす、メース、エロス~!」
「いらっしゃいませ!」
エロジジイさんがご来店した。
「おっ、今日も元気に稼いでるな。頑張っているガキにはこれをやろう。」
一冊の厚い本を渡される。
表紙には"淫乱人妻 濃密に交わる壺と棒"とデカデカと書かれていた。
「…いりません。」
「あーすまん、すまん。今渡してもシコシコできないからしょうがねえか! 帰りにまたやるからな!! 中古のコンビニコミックだかなかなかいいぞ! 期待しとけ!!」
「い・り・ま・せ・ん!」
「そういえば今日は丸さんまだ来てないんだな。」
「そうなんだよ。珍しくね。何にもなきゃいいんだけどね。」
ママとエロジジイさんが話している。
今日は木曜日。時間ももうすぐ20時になろうとしていた。
しかし丸さんはまだ来ていなかった。
ただ単純に仕事が忙しいとか今日は気が向かなかったとかならいいけれど、事故とか事件に巻き込まれでもしてたら…とか思うと少し不安になった。
「キミ、丸さんのこと心配なんでしょ。」
とあるお客様にそう訪ねられた。
「あ、え、…はい。少し…」
「さっきから角席見ては顔が雲ってるよ。接客業なんだからスマイルスマイル。」
"ムッチャッ、ムッチャッ"
そう言いながら自分の頬をこねてくる。
「ふぁ、ふぁい。すみまふぇん。」
「うん、うん。 きっと丸さんは大丈夫だよ。大人だからね。大人は問題を自分で解決できるから。だから心配しないで。」
"ムッチャッ、ムッチャッ"
「ふぁい。」
「とか言いながらいつもいる人がいないと私も少し不安になっちゃう。だから私の話し相手してね。かわいいキ・ミ。」
"ムッチャッ、ムッチャッ"
「ふぁい。」
…………頬が取れそう…
7日後 閉店後。
「今日も…丸さん来なかったですね。」
先週に続いて今週も丸さんはお店に来なかった。
もしも体調不良なら1週間続くとなるとそれなりに大変な物だと思う。
ただお仕事が忙しいならまだいいのだけど…
事故、事件…?
もしかしたらお店が嫌になってしまったのかもしれない。
もしかしたら自分が不快に思わせてしまったのかもしれない。
もしかしたら……
「アオも言っていただろ? 大人だから大丈夫だって。 それとあんたがそんな顔してたら丸さんも来るに来れなくなっちまうよ。お前さんは何の心配もせずいつも通りニコニコしてな。」
「…はい。」
…丸さん来週は来るかな…?
木曜日。
「こんパンティー!」
17時半過ぎに店を開けてすぐにエロジジイさんがお店に来た。
「「「こんばんわ。」」」
「やっママ来たよー。キミもこんばんわ。」
「失礼いたします。一杯よろしいでしょか?」
18時頃から次々とお客様が来店されお店が騒がしくなる。
「今日はやけにお客が多いね… まったく…」
いつもの平日のこの時間には考えられないほどのお客様の多さにママが少し愚痴をこぼす。
「ババア、おかわり!」
「「「ママ、ママ…」」」
「キミ適当におつまみ頂戴。」
「店主。唐揚げを頂きたい。」
「マッマさ~ん!」
「…あーもう、お前さん! アオと◯◯◯と◯◯の相手は任したよ。適当にあしらっておけばいいからね!」
「はい!!」
急にお客様を任されて少し不安はあるが任せてもらえた嬉しさで何とか頑張った。
19時を過ぎるとお客様の注文がピタッと止まった。
まるで台風が去ったかのように落ち着く。
ついさっきまでお酒注いで、おつまみ作って、話し相手していたが今は話し相手だけになった。
『なんだったんだろうか?』そう思った。
「なんだい、あんた達さっきまでアホみたいに飲み食いしてたのに急に大人しくなったね。」
「あーいや、なー…」
「ねー…」
なんだろうかこの空気感は。
「今晩こそは丸さんがいらっしゃると思われましたが…見当違いでしたね。」
お客様の1人がそう言った。
「ね~」
「「「ですなー」」」
皆口々に同意した。
『あー…今日は皆、丸さん目当てでお店に来ていたんだ。』
そこから話しは丸さんの話題ばかりになっていった。
皆、あまり表に出さないもののやっぱり丸さんの事が気になり、心配をしていた。
木曜日の19時から21時の間、いつも同じ席で同じ物を飲み、ニコニコと微笑みながらお店を観ている丸さん。
いるだけで安心してしまう、そんな人だった。
そんな丸さんが皆大好きで慕っていて…
「来週は来っかなー…?」
「来るといいね~」
「「「今日は帰りますか。」」」
「また伺わしていただきます。」
皆、今日は帰っていった。
「アオ、あんたは帰らないのかい?」
「私は皆いなくなったらこの子が寂しくて泣いちゃうかもだからまだいる。 おいで、おいで。お姉さんが相手してあげる。」
「ありがとうございます。でも自分はその程度じゃ泣かないので。 あと自分は食器洗うので相手はママにしてもらってください。」
「うーん、可愛げが無い! でも、かわいい!」
この日も丸さんがお店に来ることは無かった。
木曜日。
『今日こそ丸さん来るかな…』
そんなことを思いながら店を開ける。
19:00。
丸さんはまだ来ない。
19:05
いつもなら来る頃の時間だがまだ丸さんの姿はない。
19:10
『今日も来ないかな…』
そう思い始めた。
19:15
…………
19:20
"ガチャ"
お店の扉が開いた。
「こんばんわ。」
お店に入ってきたのは両手に大きな紙袋を持った、丸い顔で丸い眼鏡をかけ丸い身体の……丸さんだった。
「いらっしゃいませ!!」
嬉しさのあまりいつもより少し大きな声で挨拶をしてしまう。
「! こんばんわ。少し遅くなってしまいました。」
自分の声に少し驚い表情をしたがすぐにいつものニコニコ顔に戻る丸さん。
その顔を見るとなぜか少し泣きそうになってしまった。
「おおおおー!! 来たじゃねーか!!」
「丸さ~ん。久しぶり~!」
「「「丸さん、丸さん。」」」
「皆さん1ヶ月ぶりぐらいですね。おかわりなさそうで何よりです。 な、なんだか今日は皆さん僕への圧が強いですね。」
いつもは挨拶程度しかしないお客様も今日は丸さんと話したくてしょうがない様子。
「あんたがしばらく来なかったから皆心配しちまっててね。何かあったんじゃないかってね。」
「…そうでしたか。それは皆さんに悪いことをしてしまいましたね。申し訳なかったです。」
丸さんは皆の方を向いて頭を下げる。
「いーや、いいんだよ! 頭なんか下げなくて。丸さんが元気ならそれでいいんだ。 で、なんで1ヶ月も来なかったんだ? 海外風俗旅行にでも行ってたのか?」
…まったく、このエロジジイが…
と、その場にいた皆が思ったはず。
ママはしっかりと思ったそう。
『いい加減、去勢するぞ!』って。
「旅行ではないですが海外に出張していました。 ああこれ、お土産です。たくさん買いすぎて駅からお店まで来るのに倍以上かかってしまいました。」
そう言い持ってきた紙袋をカウンターの上に置く。
中にはお菓子やお酒がたくさん入っていた。
「会社で新しい海外支社を作ろうと思ってアジアの国々をまわっていたんです。 行った国、行った国でお店と皆さんにと思ってお土産を買っていたらこんなになってしまいました。ハハハッ。良かったらもらってください。」
丸さんが買ってきてくれたお土産はどれも高そうなものばかりで開けるのが気が引けてしまった。
エロジジイを除いて…
「そっかー。じゃあいただくわ!」
何の迷いもなく明らかに高そうなお酒に手を伸ばし封を開ける。
"ポンッ トットットッ クックックッ"
「プパッ! なんだこれうめぇ!!」
一切の躊躇なくグラスに注ぎ飲む。
そこからは皆でお土産を開けお菓子やお酒楽しんだ。
しばらくして丸さんが席を立ち
「ママ、お勘定。今日は心配かけてしまった皆さんの分も払いますね。…これで足りるかな?」
そう言い財布から一万円札をまとめて出しママへ手渡す。
「ちょっと…こんなにはいらないよ!」
ママへ渡された1万円札10枚以上あった。
「いや、いいんです。ママにも心配かけてしまったようですし… 次からは前もって伝えますね。」
「いや、本当にこんなには受け取れないよ! ぼったくりになっちまう。」
「大丈夫ですよ。僕が払いたいだけなので。」
お金を返そうとするママに対して絶対に受け取らない丸さん。
金額は違うけど『いつもの丸さんだなー』なんてかんがえてた。
「羽振りがいいな、丸さん! どこぞの社長かよ!! ガッハッハッ! ご馳走になります!」
エロジジイさん奢られる気満々でとても気分が良さそう。
「ハハハッ。いえいえ、お気になさらず。僕社長なので。」
「「「「「「えっ?」」」」」」
丸さんの最後の一言で場が静まり返った。
「あれ? 言ったことありませんでしたっけ? 僕は◯◯◯◯◯◯◯◯の社長やらせてもらってます。」
「「「「「「えっ?」」」」」」
◯◯◯◯◯◯◯◯…地元の大手企業。
まさかの大物だった。
「ええ~…」
エロジジイさんの開いた口が塞がらなくなった。
お客様2人目:丸さん(大企業社長)