比叡山延暦寺は何様
今年も9月12日比叡山延暦寺で比叡山延暦寺の焼き討ちの法要が行われた。何の罪もない多くの坊主、坂本の住民が殺されたとされている間違った歴史認識に基づく比叡山延暦寺は大事なことを見落としてる。そもそも焼き討ちが行われた当時いや、その随分前から寺院は今日のような純粋な信仰の場や修行の場では無かった。そもそも延暦寺は国を守る為に京の鬼門に建てられたものであった。しかし徐々にその理念は消え去り僧兵が御所までいき強訴し、敵対した寺院を攻めて焼き討ちまで行う始末、しかし言い換えればそれが可能な程の広大な寺領を持ち僧兵を数多く抱えていた。更には坂本での日吉大社を中心とした高利貸しを行い比叡山の坊主は坂本で肉を喰らい、遊女を呼ぶなど本来開山の理念を失ってしまった。そして信長と敵対していた浅井・朝倉を匿い僧兵を出していた。これが引き金であったのか、そういった寺院が兵力や広大な寺領を持ち敵対してる恐ろしさは一向宗との戦いで十分理解してる信長が敵対している軍事施設に攻撃した結果起きたのが焼き討ちである。それを現代の認識で無防備な比叡山を焼いた無差別攻撃だとするのは如何なものか。
天台宗大僧正・比叡山長臈の小林隆彰氏の様に、当時と現代の比叡山が異なる事をしっかりと認識している人が増え間違いを正して欲しい。
参考https://news.livedoor.com/article/detail/12026560/の中の小林隆彰氏の意見は宗教家としても一人の人間としても尊敬。この考えが広まって欲しい。