28話 アークライン神聖国
フーライナ国境の街『ハラフリコス』で一泊。街をまっすぐ北へ向かうと蕾を拾った川に着く。
「…目の前の橋を渡るとアークライン神聖国」
馬車の荷台からそんなアイリの声が飛んできた。
「あれ?あの壁は国境じゃないの?」
川の向こうには高さ5 mくらいの白亜の壁が、侵入者を拒むように立ちはだかっている。のに、あれは関係ないの?
「…微妙に違う。ちょっと説明が難しい」
のそっと荷台から顔だけを出してくるアイリ。
娘同然のこの子の綺麗な深紅の瞳は、目薬で俺らと同じ黒色になっており、流れるような美しい黒髪とともにフードの下に隠されている。
この子が望んで隠しているわけだけれど、その理由が「容姿が過去の悪魔と似通っていて迫害されるかもしれないから」というのは悲しい。
「…顔出した方が説明しやすい。いいよね?」
そんな内心は無事に押し隠せたのか、アイリは頭を後ろから出したまま、こてっと首をかしげて聞いてくる。
もちろん、否なんてあるものか。
「…ん。確かにあの壁の大部分は国境を兼ねてる。でも、川の近くだけは壁が川に沈んだりすると危ないから、ちょっと離してる」
「ということは、川沿い付近までアークライン神聖国の国土があるけれど、安全上、フーライナの一部っぽく見える…ということですか?」
俺の横に座る四季がアイリの顔を見るため、体をひねったまま首をかしげる。
そうすると、ちょうど俺の正面あたりに四季の顔が来る。俺が彼女を好きになってしまっているからか、それだけで幸せな気持ちになれる。
……召喚されてから今日までおよそ8日あった。だのに、一切、自分の気持ちを伝えられていないけれど。
「…ん。でも、アークライン神聖国の国土はほぼ真円。思うほど壁の外にはみ出ている面積はない」
「真円なの?じゃあ、円の直径はわかる?」
「…たしか60 kmくらい」
そんなに大きくない……か? 面積を求めると大体3万k㎡くらい。大きいのか小さいのか分からん……。
「…アークライン神聖国に接しているのはフーライナとイベアだけ。両方とも結構大きい国だから、地図で見るとかなり小さく見える」
それだけ聞くと、フランスとドイツに挟まれてるルクセンブルクに似ているような気がしてくる。
「フーライナはあれだから別ですが…、イベアがアークライン神聖国に攻め込んだりしないのですか?」
あれという表現はかなりあれな気がするけれど、フーライナは「人類の食糧庫という名前を誇りに思うやべー奴」。だから、合ってるんだよねぇ……。
「…しない。アークライン神聖国は前も言ったようにアークライン教の聖地。イベアの国教もアークライン教。神聖国が傍若無人なら兎も角、節度を持ってやっているんだから支配下に組み込む方が面倒くさい。…ってさ」
宗教の聖地なら教皇とかそのあたりのお偉いさんがいるはず。その人が「占領したくせに良くない扱いをしてくるイベアを殴れ!」って言ったら、周辺国は殴るわな。
「…ん。加えて、イベアは砂漠の国。…メピセネ大砂漠もしくはメピセネ大砂海をはじめとする砂の海やら、岩の海が国土の半分以上を占める不毛の国。フーライナと対立したら死ぬ」
食糧自給、出来なさそうだもんね……。
「…後、イベアは魔物領域であるメピセネ大砂漠からの魔物侵入を防ぐ防波堤。だから、そもそも職業軍人の比率が高い」
食糧生産に関わる人の割合が低いから、余計に食糧不足になるってことね。
不毛の大地の上、魔物という侵入者とも戦わないといけない。そりゃ、周囲の国と喧嘩したら死ぬわな。
「アイリ」
「…何?」
「なんか壁の前にくっそ長い列が見えるんだけど、あれに並ぶの?」
「…ん」
マジか。なんか既にもう100人くらい並んでるんだけど…。テーマパークとかなら「何分待ち!」っていうプラカードを持った人が最後尾に立っていそうなレベル混雑具合なのに。
「…新興宗教の影響かまだマシ。本当にひどい時なら列はこの橋の上まで来る」
めっちゃ混むじゃん……。壁から向こう岸のこの橋のたもとまでは見た感じ1 kmくらい。1 mに1人待つと考えると1000人。それだと感覚広すぎるから人と人の間隔を程よさげな30 cmとすると、雑に1 mには3人。待ち人数3000人。……ちょっと待ちすぎでは?
「…たぶん二人とも馬車の人考慮してない」
正解。口に出してないのによくわかったね。
「…なんとなくそんな気がした」
さいで。
アイリのこの勘の良さも、かつての虐殺者──エルモンツィ──に似ているから培われたモノ。そう考えるとなんかやるせない。
「…気にしちゃダメ。馬車なら馬車でいっぱい人が乗ってる可能性はある。…でも、同一集団ならまとめて調べられるから、端まで到達していても、手間で言えば千人を個別に調べるのと同じくらいだと思う」
十分多い。
「…説明終わり。引っ込んでいいよね?」
「あ。アークライン教の話を聞いてもいい?」
「…ん。けど、二人が知ってないとおかしい程度には有名な話だから…、」
周りに聞かれると面倒くさいから、引っ込んだ状態で喋る! のは不可能と。
「引っ込もうとしてたところ悪いけど」
「お願いしていいですか?」
「…ん。構わない。でも、ちょっとだけ待って」
そういうとアイリは首をひっこめた。ごそごそと何かを漁る音が聞こえると、また首を出してきた。
口の中がもごもご動いているから、飴を放り込んだらしい。
これから喋るというのに飴を食べるのは、食べながら喋ることになってあんまりよろしくはない。だけど、アイリに限っては何かを口に入れていないとマズいらしいから、仕方ないだろう。
見てる限り、寝てるときは大丈夫っぽいし、すぐに駄目になるわけじゃないんだけど。だのに今、そうしたのはアイリ自身、飴が大好きだということ。俺らがアイリが飴を口に放り込んだまま喋っても咎めないということ。これらが大いに関係しているんだろうけれど。
「…アークライン教は夫婦神を崇める宗教。夫は白き戦神『シュファラト』。妻は黒き愛の女神『ラーヴェ』」
アイリは放り込んだ飴を舌で端っこに追いやると、喋り始めた。けれど、喋ってる間に邪魔なところに来たのか小休止。
「………」
あれ? 休止、長くない? アイリ?
「どしたの?」
「何を悩んでいるのですか?」
俺と四季、二人そろって後ろを向いて悩んでいるっぽいアイリに聞いてみる。
「…喋ってみたけど。思ったより喋ることがなかった」
「え。あれだけ?」
「…ん」
マジか。もっと他に話すことがあるんじゃないの?
「…じゃあ、二人の知ってる宗教について話してみてよ」
え? …言われてみれば困る。一番大事な誰が作ったか、誰を崇めているか。くらいは言えなくもない。けど、それより深いところとなると怪しい。
というか、どこまでがその宗教の基礎教養かが分からん。あまりに深くしゃべりすぎるともはや雑学ってなってしまうかもしれない。けど、喋らなさすぎると今みたいにスッカスカになる。
「あ、で、ですが礼拝法くらいは…」
「…信じてもないのに拝むの?」
「うん」「はい」
「…うわぁ」
マジかよこいつら。みたいな顔をされた。失敬な……と一瞬思ったけど、俺らが異端か。
現代日本では宗教の存在はかなり希薄。尤も、初詣だとかお盆だとか、そういった年中行事的なものと化していて敢えて意識されることではないというのが、理由の一つではあるのだろうが。
でも、海外では違う。宗教は社会の基盤であって、生活習慣に深く根差している。そのあたりは特定の時期にはラマダーンして、酒を飲まず……といった戒律を守っておられるイスラム教徒の方々を見ればわかりやすい。
そしてこの世界では、シャイツァーという神の御業が存在するから、地球の比じゃないレベルで神の存在は身近。そんな世界で信仰もしていないのにとりあえず拝もう……なんて考え方はかなり異端だろう。
「そのあたりは人によって考え方はあると思う。俺は信じてようが信じてなかろうが、みんながそうしてるならそうしようって感じかな?」
「私もですね。深く根差した宗教ならば、それを維持するために不断の努力がなされているはずです。それに敬意を払う……ということになりますかね」
敢えて言葉にするならそういう感じになるかな? 正味、下手すりゃ祀られておられるのだから、拝んでおこう程度でしかない。
「…深く根差した宗教じゃないなら?」
「場合によるなぁ……」
「ですねぇ……」
仏教とかレベルじゃなくても、ある程度信者さんがいるなら拝むくらいはするだろうけど、そうじゃなければ、うさん臭さが先に来るかな?
実はこれ、詐欺の一環で術中に嵌めようとしているのでは? とか、洗脳しようとしてるんじゃ? とかそういうことを先に考えてしまう。
新興宗教=胡散臭いという方程式は大多数の現代日本人は持ってると思う。で、それはだいたい某鳥のせい。
「…わたしが言えたことではないけど、変なの」
「知ってる」
「ですね」
神社仏閣、お地蔵さまに祈るかどうかは別として、今のほとんどの日本人は『特定の宗教に帰依することが嫌』な人々と言えるだろう。
今でこそ、神社仏閣、教会、モスクが共存してる! みたいに言われる日本だけど、明治には神道を国教にという流れから、(意図せずの形であったらしいが)廃仏毀釈運動が起き、結果として数多くのお寺が破壊されている。
だから、この考え方がメジャーになってるのは世界的に見ても稀有だし、歴史的に見てもそんなに長くない。
確実に言えるのは500年くらい前──戦国時代──に遡れば、一向一揆、隠れキリシタンなんかの事実から、先の考え方は息してないってことだ。
「って、それはいい。礼拝法とかないの?」
「……わたしが知ってるとでも?」
ほぼ表情を変えないアイリが、珍しく苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
あ……。
「「ごめん(なさい)」」
思い当たった瞬間、頭を下げた。
そりゃそうだ。アイリはただでさえ黒髪赤目という容姿で嫌われる要素があるのに、そこにシャイツァーを鎌という形で与え、完全にエルモンツィに寄せに行った神を信じていない。というか、恨んですらいる。
そんな娘に神を賛美する方法を聞くのはちょっとデリカシーに欠けていた。
「…ごめん。あんな言い方したら二人なら謝っちゃうよね。一応、基礎教養として知ってはいるけど…」
「「やらなくていい(です)」」
二人そろって速攻で却下すると、アイリがフードの中で不思議そうな顔で首をかしげている。
いや、そりゃそうだろうに。どこに娘が神を恨んですらいることを思い出したのに、神を讃える行動をさせようとする奴がいるんだよ!?
「…そう。じゃあ、神話は?」
神話? 神話なら……。セーフかな? アイリ自身が言い出してくれてるわけだし。
「…ん。じゃあ、神話を。『何もないところにシュファラトとラーヴェが生まれた。二人は夫婦となり、世界を作りました』……おしまい」
!?
「「短っ!?」」
「…情報増えたでしょ?」
少し得意げな顔のアイリ。
いや、確かに増えたけど、それってよくある「神がいて、世界を作りました」だけじゃん!
「二柱以外に神はいないの?」
「…少なくともわたしは知らない」
「え。戦神と愛の女神って分かれてるのに、それしかいないんですか?」
コクっと頷くアイリ。
マジかよ。わざわざ二柱用意して多神教っぽくした意味はどこに。
……いや、違うか。神の恩恵がある世界だから、神話は神が語った話なのかもしれない。だから、人間が作ったわけじゃなくて、神がそうあっただけ……なのかもしれない。
けれど、愛の神と戦神でどうやって世界作るんだ……。あふれんばかりの愛で世界の土台作ったってか? それとも、ティアマトのように自らの亡骸を世界の土台としたか?
「あ。そういえばリブヒッチシカ?が言っていた2000年前の侵略の話はないのです?」
「…あぁ、あったね。わたしが知ってるのは、二柱は侵略者たるチヌリトリカを退けた。…けれど、深く傷ついた二柱は長き眠りについた……ってことくらい」
なるほど。ならばラーヴェは存命か。
「世界作った方法とか知らない?」
こっちも聞いちゃえ。考えるだけ無駄だ。まぁ、
「…知らない」
だよね。アイリが知らなさすぎるんじゃなくて、神話自体がスッカスカな気が。
どうやって世界作ったし…。神がいるのに、天地創造をどのようにしたかの具体的描写がないとか、結構、謎い。
神話って昔の権力者が権力の正当化として作った話……って、それは地球の話か。でも、神がいるこっちの世界なら、神をすごく見せることは神にとってもいいはずなんだけど。
「世界を作った」の一分で済ませるくらいなら、最初から「虚無から世界が生まれた」でよかったと思うんだが……。
「ねぇねぇ!」
ん? 聞こえてきた声の方に目を向けると、手を伸ばせば届きそうな距離に女の子がいる。
いつの間に……。俺も四季もアイリもセンも、誰もが多少は気を抜きつつも、会話を聞かれないように気を配っていたのに。なんで誰にも気づかれずにそんなところにいる?
「ねぇねぇ、ねぇってば!」
「あぁ、ごめんなさい。どうしたの?」
こちらの困惑なんてしらねぇ! とばかりに呼び掛けてくる少女に四季が反応してくれた。優しげな声ではあるけれど、わずかに警戒心が感じられる。
「皆さん、貴族だよね!?」
問いかけのようであるけれど、ほぼ断定。外見からそう判断したか?
……だとしたら何故声をかけてきた? というか、何で貴族だって思ってるのに、そんな雑な聞き方なんだ?
……あぁ、なるほど。少なくともこの子も貴族で、しかもかなり高位なんだろう。
「へい!ついてきて!」
列を抜けて、壁の方へ誘導しようとする少女。
待っている人がいるのにいいの? という気分になるが、それ以上に、この子について行っても平気なのかどうかという考えが頭の中を駆け巡る。
「どーしたのー!」
せかされた。俺が見る限り、平気だと思うが…。
「どう思う?」
「習君と同じくです」
「…たぶん大丈夫だと思うけど、二人に任せる。…後、わたしは二人がどう思ってるかわかんない」
「ブルッ!」
センは「どーかん!」って言ってるかな?
……何故にアイリは最後の文を付け足したし。
「…二人だけで分かりあってて通じてないから」
なるほど。それは悪かった。
「行こう」
「ですね」
「…根拠は?」
「「勘 (です!)」」
あぁ、そんな微妙な顔しないで。アイリもほぼ勘でしょうに。
「…そうだけど、わたしのはそこそこ場数踏んでるよ?」
それを言われると返す言葉がない。でも、勘の云々は兎も角、
「人を見る目はそこそこあるよ」
「同じくです」
完全ではないし、タクのが頭抜けてるけど。それでも、結構あるんだよ?
一応、罠にはめようとしてるなら、こんなところで呼び出すと目撃者は一杯いるんだから、すぐに誰が罠にはめたかわかるんだから意味ないとか、高位っぽい貴族の少女を罠にかける囮に使うか? っていう理屈もある。
「はーやーくー!」
うだうだ喋ってたら少女が賑やかになってきた。待たせるのも申し訳ないから、とっとと行こうか。
センに指示を出すと、馬車はゆっくり列を離れて少女のいるほうへ動いていく。少女に合わせているからか、馬車の動きはいつもに比べれば非常にのんびりしたもの。
だけど、少女も俺らが馬車に乗っていることを理解しているからか、地球の同年代っぽい子らが移動するであろう速度よりだいぶ早い。
「とーちゃーく!」
ニコニコ笑顔の少女。でも、右にあるのは白亜の壁だけ。
「見誤ったか?」
「かもしれませんね。まぁ、嵌めるつもりなら「待って!待って!結論をそうすぐに出さないで!」……」
出さないでって言われても……、何もないよな?
おびき寄せて叩こうとしてると考えるほうがよっぽど自然。
「物騒な……。えっと、このあたりをこうして……」
物騒って言われても、普通じゃない? アイリもこくって頷いてくれたよ?
「あれ?開かない……。いや、手応え的にはここをこうすれば……?よっし!開いたー!誰だ構造変えたの。……姉さまか。余計なことしやがって。でも、残念だったなぁ!この程度でブルンナを止めることはできぬと知れ!」
すっごい楽しそう。でも、こういう場合って大抵、次はもっと面倒くさいことされて、いつか突破できなくなるのがオチなんだよなぁ……。
「はっ!げふんげふん、行くよー!」
無かったことにしたいのか、せき込んだうえで、拳を上げて意気揚々と進んでいく。
その先にはこつ然と現れた、馬車がちょうど通れそうな隙間がある。
馬車に乗ったまま潜り抜けると、豪華なシャンデリア、ふかふかのソファー、華美なテーブル等で彩られた部屋についた。
豪華さを前面に押し出しているけれど、成金趣味じみた汚さはなく、落ち着いた優美な感じだ。
少女はそんな部屋にある一人掛けソファーに顔から飛び込むように膝から着地。そこから上品に体を回転させて、ポスっと座った。
「さ、皆様もどうぞお座りくださいませ」
上品そうな顔で、声で、態度で、言う少女。
さっきまでとの落差がひどいが、それが気にならないくらい、嫌な予感がする。
注) 一向一揆
簡単に言えば、浄土真宗を信じる人(大多数は農民)による武力行使のこと。
信仰心の強い昔の時代かつ、彼らは死ねば極楽に行けると信じていたため、大量の死を厭わない人の波を叩きつけることが出来た。




