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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第十三章
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六、

 いきなりの終了発言に、樹はぽかんとした。

 さっきの暗い空気はどこへいったのか。自分の頭の上にはクエスチョンマークがついていることだろう。

「え? へ?」

 あ、でもそういえば、自分も、「以上!」で終わりにしてたっけ。


「おかわりはいかがですか? 淹れてきます」

「はぁ」

 樹に選択権はないらしい。どんどん準備を始める碧。作業は同じだが、さっきよりもスムーズに見える。

 作業の手元に気を取られて気が付かなかったが、碧の瞳からは静かに涙が流れ落ちていた。

「どうぞ」

 本日三回目のやりとり。

 一口飲んでみると、今度は味がした。おいしい。お茶菓子もついてきて、もぐもぐと食べているところ、碧に聞かれた。

「お互い様ですが……話していないこと、ありますよね?」

 ぼとり。

 咥えていたクッキーが口から落ちる。肯定しているも同然だ。碧はおかしそうに樹を見る。

「いいんです。お互い様と言ったでしょう? すべて話していないだけで、嘘はついていないんですから」

 にこにこと笑顔で話す碧は、淀み溜まっていた靄が晴れたようにすっきりとしている。


 樹が話していないのは、“あの子”のことだ。

 “あの日”のこと、家族とのわだかまりは話したが、それだけは話さなかった。自分のなかだけの素敵な思い出にしておきたかった。さらと同人物と解釈され、一水(かずみ)のようにからかわれる可能性も少し考えた。

 碧が話していないこととは、なんだろうか。自分のように理由があって話していないのはわかる。その理由はきっと自分のそれよりずっと重いだろう。いつか話してくれるだろうか。そのときはきっと、自分たちを心から信頼できるようになったときに違いない。

 待とう。それまで。


 お茶を飲み終え、お菓子の皿も空になった。

「そろそろ、お開きにしますか」

 思ったより長く話をしていたらしい。

 窓から差し込む光が、橙色に染まってきている。

「あ、次の予約……」

 もうとっくに、一コマは過ぎている。

「大丈夫です。今日の予約はこの後ありませんから」

 ほっとする。次に人がいたら大迷惑だ。

 それ以前に今の話しを聞かれるたら色々とまずい。

「今日の夕日は、あたたかいものが優しく包んでくれるように見えます。今までは、嫌な思い出をおこさせる嫌な景色でしかなかったのに……」

 窓の向こうのそのさらに向こうを見つめ、碧が呟く。

 淡いオレンジ色が、景色を照らす。碧の顔も、夕日色に染まる。なんだか、今にも消えてしまいそうな、儚さ。


「あ……」

 美しいと思ってしまった。触ったら手がすり抜けて消えてしまいそうなのに、陽の光を受け止めてしっかりと地に立つ姿は、力強くも見える。

 だけどやっぱり、抱きしめたら崩れてしまいそうな弱さもあって……。釣り合っていないのに、懸命にバランスを保とうと形を作るその姿は、自然の平衡の象徴のようだ。

 それに、何かと重なる気がする。あれ、なんだっけ……。

「今日はありがとうございました。あなたから来てくれなかったら、歩み寄ることはできなかったかもしれません。話す機会を作っていただいて、本当にありがとうございます」

 深々と頭を下げる碧。

「あ、こちらこそ」

 つられて樹も頭を下げる。

「じゃ、じゃあ、俺、帰るわ」

 一水に顛末を伝えなければならないし、できればさらにも話したい。


 陰ってきた景色の中へ出ていこうとしたとき、ふと気づく。

「あれ、今の話って、他の人には秘密?」

 碧は少し悩んでいる。悩ませてしまうのは申し訳ないけれど、これは聞いておかねばならない。

「樹さんの裁量にお任せします。樹さんは?」

「碧さんの裁量にお任せします」

 まねて返してみる。

「「……ぷっ」」

 ふたりで吹き出してしまった。

 とりあえず、今のところは話さないでおこう、と樹は思った。碧から話してくれるまで。

 碧もきっと、同じことを考えているに違いない。

「二人でお互いの秘密を共有しているってこと、さらさんには秘密にしないとですね」

「そういうことは言わなくていい!」

 これだから嫌なんだ……。一水が二人に増えた気がした。

「あ、そうだ、あと、樹さんっていうの、やめてくれない?」

「お名前のことですか? どうして」

 碧は不思議そうに小首をかしげる。

「あと、敬語も止めてほしいんだけど」

 質問に答えずに次のお願いを続ける。

「え、でも、今までどおりではだめなんですか? 樹さんはひとつお年上とわかったところですし」

「学年は一緒だろ」

「そうですが」

「一浪したやつだと思えばいいんだよ。同じ年に入学した人とは、普通タメで話すだろ」

「そういうものですか」

「そういんもんだよ。じゃ、よろしく」

 強引に認めさせる。

「でも、名前のほうは」

「……」

「もしかして、さらさんと同じ呼び方されるのが嫌だとか?」

「……」

 これだから嫌なんだ。

 樹の無言を肯定と受け取ったのか、碧がにやりとした。

「わかりま、あ、いえ、わかった。じゃぁ、樹くん、と呼ばせてもらいま、もらうね。これで……いい?」

 一気に碧が幼くなった気がする。いや、実際年下だ。それともこれが彼女の本来の姿なのかもしれない。大人びていない、飾られていない言葉と表情。

 そういえば、言い合ったあの夜と今日で、碧の見たことのない表情をたくさん見られた。碧も同じようなことを言っていたし、よかった。

「うん、それで」

「それなら、私のことは、碧で」

「え」

「それが私の妥協点です」

「……了解」

 自分のお願いを二つも聞いてもらったのだ。樹は渋々頷いた。

「じゃ、今度こそ行くから」

 さっきから何度も帰ろうとして帰れていない。からかわれないためにも、早々に切り上げたい。

「次は、俺の名前で診察受けに来るから」

「お待ちしております」

 声の口調から、これはわざと敬語にしているとわかる。受診者に対するコミュニケーションへのモード切替なのだろう。


 碧に見送られ、まずは一水のもとへ向かう。

 仲直り、よりもずっと、距離が縮まった。気分は悪くない。

 碧の境遇は想像を超えてずっと重かった。それを知れたことで、今後碧の言動にいらいらすることも減るだろうし、力になることもできる。

 水の領へと、そんなことを考えながら歩いていく樹には、碧の言葉は小さすぎて聞こえていなかった。

「ごめんなさい、樹くん……」

 夕日を背負った碧の顔は陰り、昏い闇に埋もれていた。

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