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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第十二章
81/163

四、

 泉のまわりには、ぐるっと一周椅子が並べられ、満席。穏やかに談笑するのが聞こえてくる。

 暖かな陽射しが泉にきらきらと反射して、そよ風に吹かれて揺れる光にそのまま眠りたい気持ちになる。

 ゆったりと、時間が過ぎていく。昼食を済ませた時間となれば、この快適な時間に眠気をおぼえないほうがおかしいくらいだ。


 火の領と水の領のメインイベントを終えた後は、ちょうどお昼時。学内のカフェテリアと食堂は通常営業し、自由に利用可能。その他、屋台がたくさん出され、どこでも飲食ができるようになっている。

 屋台や出店は学生がすべて仕切っている。魔法を使わずに食べ物を販売することを条件に有志で行われている。有能力者も非能力者と同じように生活しているということを、さりげなくアピールするのが目的だ。

 ただし、出来上がった食べ物を渡す際、飲物に魔法で氷をいれたり、火が付く演出をしたり、冷めにくくまたは熱いままを保つための魔法をかけることなどは許可している。これは、魔法を怖い物ではなく、便利で楽しいものだと印象付けるのが目的だ。

 午前中でだいぶ魔法に慣れた外からのお客様は、お昼の時間も存分に楽しんでいた。屋台の食べ物を同じように楽しむ有能力者と話しながら食事する人たちの姿も見られ、“共存”のテーマの実現はそう遠くないように思えてくる。


 さて、泉のまわりに人が集まっているのは、もちろん水の領でのメインイベントのためだ。題目は、水のオーケストラと合唱。火と風の領でのイベントが好評だったためか、しっかりぎっちり満席だ。

 午前中は、水生植物の鑑賞やヒポカンポス、ケルピーなどの水に属する生き物との交流会や小さなショーが行われていた。背に乗せてもらい、泉を一周した子どもたちは、大いに喜んでいた。クラーケンが突然現れたときには身体が硬直する思いだったが、水を掛け合って誰もが同じ空間に存在していた。最後には水の妖精に濡れた服の水分を吸い取ってもらい、お別れをしていった。

 午後から始まるのは題目のとおり、音楽だ。午前中に姿を見せてくれていた生き物たちは姿を消している。音楽を奏でるのは誰なのか、どのようなものなのか、わくわくしているのが見て取れる。

 観客のそういった様子を見て、火と風の領の反応が良かったことを改めて実感する。一水(かずみ)は、紅葉(くれは)とさらが持ってきてくれたこの良い雰囲気を維持し、さらにはテーマである共存につなげるため、最後には持ち帰ってもらって未来につなげるため、このイベントを成功させなければならない。

 成功させる、と一水は心に決めている。


 開始の時間になった。

 よし。一水は首元の蝶ネクタイをきゅっと締める。

 観客の目は泉に集中している。観客の背の方向から、泉へ向かって歩き出す。

 すらすらと流れる水のように、お客様の間を歩いていく。観客はその横顔に、姿勢に、一斉に注目する。一水は自分に集中する視線を気に掛けることなく、泉へと一直線に進み、そのまま泉の水面を歩いて中央付近までいくと、くるりと振り返る。

 あびせられた拍手の中、一水は一礼する。

 燕尾服を着こなし、微笑を浮かべて水面に立つ一水の姿に、女性一同はうっとりとしている。彼が水の妖精だと思っているかもしれない。

 一水はおもむろに両手を胸の前へ持ち上げると、何かに指をすべらせるように両手の指を外側へすっとすべらせた。と、その手には泉と同じ色の指揮棒が握られている。

 一水は波のように指揮棒を動かす。

 すると、水面からしゅぅ、と霧が出て、泉全体を覆い始めた。視界がすべて霧に覆われたと思うと、すぐにさぁっと視界が開け、そこには一水ではなく、岩に座った人魚がいた。

 観客が目を丸くしている。信じられない、と顔が言っている。

 しかしその表情はすぐに、人魚たちの美しさに魅了され、穏やかになっていく。

 なかでも最も美しい艶めく瑠璃色の鱗を持つ人魚が、手にするハープを奏でる。


 ざざん……ぽろぽろ


 浜へ響くたおやかな波のように、ハープから音がこぼれる。

 それを合図に、次々と人魚たちが演奏し始める。

 たおやかな波が、だんだんと荒れ狂う渦に呑み込まれ、深く沈んでいく。

 ふと気づくと、音色が轟々とした力強いものから、透き通る雫が遊ぶように飛び跳ねた。


 てぃん、てぃーん、てぃん、とん


 楽しくリズムを踏み、弾んでいった先にあるのは、ざぁっと一気に欠け落ちる滝のようだ。


 ざざざざざざ、どしゃん


 雷が轟くような音に、身体がきゅっと固くなる。するとどこからか歌声が聞こえてきた。

 滑らかに、するすると通り抜ける気持ちの良い歌声。滝の音を緩和する。

 見ると、滝の岸辺に水が人の形をして立ち、合唱していた。

 どこまでも深いところまで見通せそうな澄み切った歌声。それに、どこまで続くのかわからないふかみにはまってしまう恐ろしさをも感じさせるオーケストラの音色が合わさる。

 流れ着いた先は、どこまでも広がる海。

 さらさらと流れ、ばっと広がった海は、自由で広大でありながら、大きすぎるその存在に自らの小ささを心細く思わせる。波と共に、畏れが押し寄せる。

 心臓が止まるかと思った。


 さぁっ……ふつふつ……


 優しく広がり、泡のように消えていく。

 耳から聞こえた音が、映像になって心にくっきりと後を残した。

 自分が水になって移動していたはずなのに、ふと気づくと泡がぱちんと弾けたかのように、現実世界に戻されていた。その現実は、有能力者と非能力者、人間ならざるものがいる世界。

 泉の岩に優雅に腰掛ける人魚と、人の形を成した水。同じ観客として鑑賞している人々に区切りはない。

 演奏が終わっても、観客はぼう、としている。まだ夢の中にいるかのようだ。


 ぱん!


 ぱんぱんぱんぱん、とどこからか拍手が響いた。

 観客はその音で、今度こそ現実に戻った。ぶわあ! と拍手の波が押し寄せる。スタンディングオベーション。拍手の音を、人魚と水の人たちは、水浴びをするかのように気持ちよさそうに受け止めていた。

 拍手は鳴りやまない。

 その大きな音に負けない、波を抑え込む声が泉から響く。声の主は水の象徴、ウンディーネ。

「ご鑑賞大変ありがとうございました。楽しんでいただけたようで幸いです。ただいまの曲は、人魚作曲の水をイメージした曲です。波に水の一粒一粒、川の流れ、滝、海の壮大さと恐ろしさを感じていただければ本望です」

 水というのは、生きていくうえで欠かせない。人間ならば、水を三日間飲まなければ死んでしまうとも言われる。

 大切な水。一滴一滴は、集まれば恐れになる。津波に呑み込まれてしまえばひとたまりもない。反乱した川の水も人家を襲う。自然に存在する水の大切さと恐ろしさの両方を理解したうえで、さらに、そこに住まう水の生き物と人間は共に生きていることを考えてほしい、という願いが込められている。

「人魚の方々が使っている楽器は、海の生き物の骨や水生植物で作られています」

 骨、という単語に、人々がざわついた。人魚も魚だから、共食いをするとは思ってもみなかったからだ。

「ご様子から、人魚が魚を食べることに戸惑っているのかと思います。骨を使う、と聞き、食べた後の骨を使ったとお考えになったのでしょう。骨が、食べた後のものなのか、死んだあとものなのか、それとも流れ着いたものなのか、結論は皆さまのご想像にお任せします」

 骨と聞いて、食べた後のものと考えた人がほとんどだった。だが、ウンディーネの話から、選択肢はひとつでないことに気付く。

「私たちは水の精霊です。姿形は様々ですが、人魚たちとも、他の生き物たちとも、ともに水に生きています。もちろん、人間の皆様とも。私たちのような人間ではないものが、世界に存在することを、忘れないでください」

 観客はウンディーネのこの言葉を忘れないだろうと思った。

 泉からのたくさんの真剣な眼差しを、しかと受け止める観客。さきほどの音楽の大きな印象と言葉が、観客の心に刻み込まれる。


 一水は感心していた。“水の女王”クラウディアの戦略に。

 そう、これは、人間の心に“共存”の必要性を埋め込むための策だ。

 まず、なにもなかった泉に、人間にとって幻の存在である人魚をいきなり出現させる。それだけで人間の視覚から心をがっしり掴む。

 次に聴覚。音楽で人間の心をゆさぶり、鳥肌が立つ音色で嗅覚や触覚までも伝える。水の世界へ誘うのだ。

 その感覚がまだ人間に残っている間に、身に染みるウンディーネの語り。彼女の言葉は、乾いた地面に水が落ちたかのように、人間の心へと染み渡ったことだろう。“共存”の意味を、自分たちの世界は自分だけのものではないことを、実感したはずだ。

 クラウディアの策は、ある種の催眠術ともいえる。上手に伝えたいことが伝わる環境を築いたのだ。もし、クラウディアが“影”だったら……考えるだけで恐ろしい。


 一水は、戦略の大切さだけでなく、今のような催眠に引きずり込まれない芯の強さを持つことの大切さを学んだ。

 自分にぶれない芯があれば、一度別の世界へ誘われたとしても、その世界を受けいれるにとどまり、新しい世界が追加されるだけで自分自身の考えを上書きされることはないはずだ。

 自分の芯を、自分がどうありたいかをしっかりと確認し、他の世界を受け容れる柔軟さと器の大きさを持つことが重要なのだ。

 もし自分が観客の立場にあれば、いくつかの事件で人間ならざるものに出会う前ならば、自分もクラウディアの手のひらで転がされていたことだろう。

 クラウディアに目をやると、ぱちと目が合った。一水がゆっくりと瞼をおろし、敬いと感謝の念を伝える。クラウディアはふっと口元をほころばせたかと思うと、美しい鱗を煌めかせながら他の人魚とともに泉のなかへ消えていった。


 今回は、水の女王に認められた名探偵も惨敗だな、と一水は苦笑した。

 しかし、人魚たちが帰ってしまった今、思慮にふけっている時間はない。一水はすぐに水の王子の仮面をかぶると、水の領のメインイベントに幕を下ろすため、泉へと足を踏み出した。

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