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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第十章
63/163

五、

 だんだん、暖かくなってきた気がする。それでもまだ、外の空気は冷たい。

 拓真は、療養所付近にある、溶けて固まった硬い雪を一心にかいていた。自らの属性である土に寄り添い、何かに集中している方が、気がまぎれる。

 魔法は使わない。がっがっとスコップを雪に突き刺す。雪かきは重労働で、三十分もすると汗ばんできた。

 かいた雪をまとめ、辺りはだいぶきれいになってきた。春になれば、この野原にはきれいな花が咲き誇るのだろう。なにせ、碧が世話をしているのだから。目覚めたとき、残念な思いをさせないようにしてあげたい。


「拓真さまではありませんか」

 いきなり声をかけられて少々驚くが、声は弦矢のものだった。振り返ると彼がいた。警戒することはない。弦矢は風の属性にあり、光を扱うことを得意とするからか、気配が周囲に溶け込んで認識しづらいことがある。

「雪かきですか? そろそろ自然に溶けだす時期だと思いますが……」

「少し体を動かしたかった。弦矢こそ、こんなところでどうした?」

「あ、その、時間があったので、自主的にパトロールを……」

「いい心がけだな」

「ありがとうございます!」

 弦矢は嬉しそうに顔を輝かせる。


 普段、所属する領以外の領に、他の領生がいることは多くない。座学のためには共同の棟があるため、通り道に使うくらいだ。特に禁止とされているわけではないが、自然と自分の領で過ごすことが多い。

 ここ、土の領は、この季節は特に他の領生が少ない。花も少ない時期で木々の葉はなく、残る雪が寂しさを醸し出すからだろうか。

「あのう、拓真さん? なにかお悩み事があるのではありませんか?」

「……なぜ、そう思う」

 質問を質問で返し、弦矢に背を向けてまた作業を始める。

 手を動かし続ける拓真を見て、この話題を続けてもいいものか少し悩んでから、弦矢は口を開いた。

「拓真さんから感じられるオーラが、もやもやしているからです」

「それは皆、同じだろう」

 拓真の言う“皆”とは、守護神メンバーのことだ。そして“同じ”というのは、“影”関連の数々の問題に対する気持ち。

「違います。拓真さんは、“影”のこととかはもちろんですが、個人的な、別の悩みを抱えていると思うんです」

 確信的な言い方ではないが、いつもの弦矢とは異なるきっぱりとした口調に、拓真は白旗を揚げた。

 手を止めて、空を仰ぐ。薄くはった雲が、その向こうの陽の光にぼうと揺れる。それを見ていると、意識も揺らぎそうになる。

「碧さんみたいにぼくにヒーリングはできませんが、相談したほうが楽になることもあると思います」

 弦矢に心配されている。きっと後ろでは、力になれないことを悔しく情けなく思い、弦矢が俯いていることだろう。

「そうだな。でも皆には話せない」

「なぜ……?」

「恥ずかしくて、な」

「恥ずかし……くて?」

 そう、恥ずかしくて。

「弦矢、おまえが聞いてくれないか」

「へ?」

「お前に聞いてもらいたい。嫌か?」

「そっそんな、とんでもありません! ぼくでよろしければ」

「ああ、おまえがいい」

 振り返りながらそう言うと、こちらを見つめる真剣な瞳と視線がかち合った。

 弦矢になら話してもいい、話した方がいい……なぜかそう思えた。


「弦矢、最近俺以外の長がなんと呼ばれているか、知っているか?」

 相談とはまた違うような質問をされ、戸惑いながらも弦矢は「はい」と答える。

 水の長、一水(かずみ)は“水の王子”。風の長、さらは“風の騎士”。火の長、紅葉(くれは)は“火の女戦士”。

 一水は前から水の王子と呼ばれていたが、さらと紅葉がそう呼ばれ始めたのは最近のことだ。みな、“影”が引き起こしたそれぞれの事件での活躍がきっかけだ。

 ほのかを助け出し海馬に乗って帰ってきて、水の領に安寧をもたらした“王子”。

 ペガサスに乗り、弓矢を操り竜巻を消し去った“騎士”。

 燃える剣で火山に乗り込み噴火を抑えた“戦士”。

「俺にはなにもないんだ」

 拓真には、逞しい体つきと威厳から王と呼ばれたり、人を導く将と呼ばれたり、護ることに長けた砦と呼ばれたり、色々とささやかれてはいるが、定着した呼び名はない。

「うらやましいって……ことですか?」

 弦矢がおそるおそる聞いてくる。

「そうだな。正直言えば、うらやましい」

 弦矢は無言だ。拓真は続けた。

「俺は、何者にもなれていないんだ。長という立場にありながら、土の属性にありながら、地に足がついていない」

 誰にも認められていないのではないか。

 そう思うと不安と悔しさと情けなさが一気に押し寄せてくる。そして、二つ名が定着するほど実力を認められている他の長三人への嫉妬。

「恥ずかしいだろう?」

 どんなことも浸透し、踏み固め、少しずつ積み重ねていく。拓真はそれが“土”だと考えている。そして、大切なものを護るのが最大の武器である、と。

 それなのに、醜聞を受け入れるのが辛く、他の人と比べている自分がいる。

 どしんと構えていればいいものを、そうできずにふわふわとしている。


 恥ずかしい。


 他の長をうらやむ気持ちなど、それこそ恥ずかしくて話せるはずがない。

 はあ、と息をついた。

 「ぷっ」

 すぐそこで吹き出す音がした。見ると、弦矢がくすくすと笑っている。

 笑われているのが自分であるのはもちろんわかる。しかし、なぜ笑われているのかわからない。

 拓真の様子に気づいたのか、弦矢が取り繕うように言った。

「あ、その、嘲笑っているとか、そういうのではありませんからっ!」

 言いながらも、弦矢から笑みは消えない。

 では何がおかしいのか、そう聞こうとする前に、「だって」と弦矢が続けた。

「だって拓真さまがそんなことを思って、感じて、悩んでいたなんて、思いもしなかったので」

 弦矢はちらと拓真を見た。

「かわいらしいなって思ってしまって」

「かわいらしい?」

 思いもよらない発言に、つい強い口調になってしまった。弦矢がびくっとして、顔がさぁっと青く変化する。

「あ、あのですね、その、拓真さまは、他人のために悩む方だと思っていました、その、だから、えっと、自分のことで、悩んで、しかもうらやましいと思っていたなんて、考えてもみなくてですね……その、なんというか、人間らしいというか、かわいいというか、そんなことで思いつめていたことに、そのですね……」

 弦矢はごにょごにょとまだ言っているが、最後のほうは拓真の耳には入ってこなかった。

 そういえば、碧にも背負い過ぎだと言われた。他の人を頼れ、とも。

 自分のことにもっと目を向けてみて、という意味でもあったのだろうか。


 ああ、そういえば自分自身のことで悩んだのはいつぶりだろう。拓真は考える。

 悩むというのは普通、自分のこと中心なのだということに拓真は気付いていなかった。人のことを考えるほうが多かったからだ。

 自分自身のことに悩む。それは悪いことではないのだ。むしろそれは、自分を見つめ直し、自分に向き合ういい機会だ。

 恥ずかしいと思っていたこと――今も恥ずかしいと思う気持ちに変わりはないが――の理由がわかった。

 他の長がうらやましいのは、ありのままの姿、それぞれの個性を活かして、そのままの姿が周囲に認められているからだ。

 もちろん、隠している部分もあるだろう。でもそれは当たり前だ。長所を活かすことで、短所は包み込んでしまえばいい。彼らは、それができている。

 代わって、自分はどうだろうか。

 周囲が望む姿になろうと、努力している。悪いことではない。しかしその姿は、本物の自分ではない。本物の自分を、周囲に認められたい。

 そう、そのための努力をすればいいのだ。もう少し、ありのままの自分を、表に押し出してみよう。本当の自分を、見てもらえるように。


「拓真さま、失礼なことを、申し訳ありません……」

 しばらく黙っていたため、気分を害したと思ったようだ。弦矢がしゅんとうなだれている。

「なぜ謝る? 考え事をしていただけだ」

「え? いや、その、むすっとした表情をしていたもので……」

 ああ、顔つきにも問題がありそうだな、と思った。

 まずは第一印象から変えていくべきか。でも、この顔ばかりはどうにもできないな……。

 再び考え込んでしまった拓真に、弦矢は本気で怒らせてしまったのだと焦る。

「す、すみません……」

 弦矢を見ると、彼はすっかり縮こまっていた。拓真はなるべく優しく聞こえるように意識して、声を出した。

「いや、弦矢に話してすっきりした。解決策まで浮かんできた。お礼を言わせてくれ。ありがとう」

 弦矢はあっけにとられている。口の形が「は?」となっている。

 今の自分に自分で恥ずかしくなって、拓真は弦矢の頭をわしゃわしゃとかきまぜた。

「わっ」

「お前のほうが、十分かわいいぞ」

 照れ隠しになるかはわからないが、かわいいと言ってきたやつに言い返してやる。もし今の状況を見ている人がいたならば、照れているということは、はにかんだ顔からわかったかもしれないが、幸いここにいるのは二人だけだった。

「ぼくも、お役に立てならなら光栄です。拓真さんの新しい一面を見られて、嬉しかったです」

 そうか、普段と違った面を見せることでも、印象は変わるのか。

 拓真は心の中にメモをとる。そして、ばん! と弦矢の背中を叩いた。「あいた!」と涙目で叫んだ弦矢のことは気にしない。

「ほら、自主パトロール中なんだろう。時間をとらせて悪かった。早くいけ」

 はい、と背を向ける弦矢に、拓真は一言付け加ることにした。

「弦矢、かわいいと笑ったこと、忘れてやる」

 弦矢の背筋がぴきーんとはり、立ち止まった。

「し、しつれいしますぅーっっ!」

 こちらを見もせずにそう言って、弦矢は逃げるように去って行った。


 拓真は弦矢の背中を見送り、もう一度空を仰ぐ。ぼんやり光る雲の間から、陽が差し込んだ。

 今度はため息ではなく、ふっと口角の吊り上る笑いが漏れた。

「よし」

 そしてまた、スコップで雪をかき始める。

 ざくざくと、重い雪のわりには軽い音が、野原に響いた。


 えらく小さな悩みだったのかもしれない。そんな小さなことに囚われていては、長は務まらないぞ、俺。

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