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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第九章
53/163

三、

 寒い中、ほのかはまだ雪が薄く残る土の領を、足取り軽く進んでいる。


 しゃくしゃく


 霜柱と雪を踏みつける音が、軽やかに歌う。

 しゃくしゃく


 そのテンポは音符となって浮かんできそうな、楽しい速さ。

 集会の翌日四限、ほのかは碧の療養室を予約していた。始めたばかりの頃は余裕で予約がとれたのに、最近は予約を取るのが難しくなっている。開設直後は、竜巻事件の際に碧のヒーリングを受けた風の領生がちらほら予約を入れている程度でちょこちょこ空きがあった。だが、拓真の起こした地震の件で、碧のヒーリングの評判が跳ね上がったのだ。

 療養室は心と身体を癒すのが真の目的だが、おかげで力が伸びた学生も多く、その噂は広まっていった。碧のことが認めてもらえたことは嬉しいが、もともと他の仕事もあってヒーリングのコマ数が少ないのに、予約を入れにくいのは残念だ。特に、ほのかは碧を独り占めしている気分だったため、予約を取れなかったときの落胆は大きい。


 ほのかはガーディアンズの集会に碧が参加した際、余裕のある時間をこっそり聞き出して、少なくとも二週間に一回は見てもらっている。自分が一番のリピーターであると自負している。

 今回の診察の後は、昨日の集会の報告という任務があるのだが、碧のヒーリングは心も身体も本当に軽くなるし、そのうえおいしいお茶とお菓子がいただける。ほのかの楽しみのひとつになっていた。任務が待っているとはいえ、つい足取りが軽くなってしまう。

 空はどんよりとした曇り空。今にもみぞれが降ってきそうな、重たそうな雲。

 うす陽がさしていれば雪をきらきらと輝かせてくれて、ほのかの心とぴったりシンクロするのだが、雪は灰色に見える。それでもスキップしたくなるのは、ほのかが碧に心酔している表れだ。

 空気は突き刺さるように冷たく、吐く息は白い。でも足元で踏みしめる雪のその下からは、熱を感じ取れる。


 ほのかは火の属性で、特に熱に敏感な体質だった。碧にそのことを指摘されてから意識するようになり、そして炎そのものを操る能力もぐんと伸びた。今では、無意識に熱を身体で感じ取ってしまうほどだ。

 今、ほのかの足元からは、ぐつぐつ煮えるような熱のエネルギーが感じられる。

 ぽっぽっ、とか、ふつふつ、とか、優しく届くエネルギーであれば、もうする春が来るんだな、と思うだけで気にしなかっただろう。


 でも、ぐつぐつって?


 今の季節には、いや、そうでなくてもこの感覚は不自然ではないか。主張が強すぎる。火の領の火山であれば、マグマがぐつぐつと活発に活動していても不思議ではないが、ここは土の領。さらに水の領に近い場所。昨日の集会で話題にあがった、火のエネルギーへのバランスの傾きによるのだろうか。

 もう療養室の原っぱについていた。ここはいつ見てもきれいだな、とほのかは思う。

 こんなにどんよりした天気で寒いのに、心地よい空気が体を包み込んでくれる。ほのかには見えないけれど、雪の妖精さんがいるならば、せっせと働いているんだろうな。それがこの気持ちのいい感覚にしてくれてるんだろうな。そんなことを想像してしまう。自分に妖精が見えないことを残念に思う。


 こんこーん


 療養室の扉をノックする。

 どうぞ、と中から返事があった。

 扉を開けると、温かい空気が肌を撫でた。暑すぎず寒すぎず、でもほんの少し寒いくらいの温度になっている。

「いらっしゃい」

「お邪魔します」

 いつもの席、まずはヒーリングの際に診察を受ける椅子に座る。

 今日はピンク色のアロマキャンドルに火が灯り、心を安らかにしてくれる。火の属性にあるほのかは、キャンドルに灯される火の明かりが揺らめくのを見つめるのが好きだった。

「そんなにじっと見てると、催眠状態になっちゃうよ」

「えっ」

 碧はくすくすと笑っている。

「蝋燭みたいな、淡くて不定期な、でも心惹かれる灯りはね、催眠術にも使えるの。香りもそういう効果があるんだよ。ほら、本とかでもそういうの、ない?」

 そういえば、小説とかでそんなのがある気がする。さらの暴走を樹が止めたのも、光を使ったと聞いている。

「ここで使うキャンドルにそんな効果はないから、安心して。今日のはほとんど香りがないものだよ」

 ほのかは碧にからかわれていたことに気付く。軽い冗談を言い合えるくらい、二人は親しくなっていた。

 碧がシンクからカップを二つ取り出して、お茶を淹れはじめる。

「お茶の香りが引き立つように。今日ははちみつとしょうがのホットティー」

 こぽこぽとお茶を注ぐ音がしたと思うと、甘いはちみつの香りと、しょうがのつんとした香りが一緒に鼻をくすぐる。

「体が温まるよ。どうぞ」

「いただきます! ……おいしぃ~」

 はぁ、と息をつく。カップから立ち上る湯気が揺らめく。さっきまでの寒さがふきとんだ。

「まずは、ヒーリングからはじめよっか」

 ほのかのカップが空になるまで雑談して、碧が言った。


 碧もほのかが昨日の集会の報告をしてくれることを知っている。ヒーリングの効果が最大限に出るように、報告を聞くのは後にする。

 はぁい、と返事をすると、ほのかはベッドへ移動した。碧のいうおまじないから始まる。

「はい、終わりです」

 ぽんぽん、と背中を叩かれて、ほのかは目を覚ました。最近はマッサージをしてもらいながら話をしているうちに、うたた寝してしまうことが多い。今日もそうだった。

 いつもならば、少し寝ぼけながらヒーリング後のお茶をいただいて、碧からの質問に答えながら目を覚ます流れだ。

 しかし、今日は任務がある。ぼけっとしていてはいけない、と、がばっと起き上がるとばちんと自分の頬を叩く。

 すると、すぅっと爽やかな香りが入ってきた。頭をはっきりとさせてくれる、そんな香り。何度もほのかを診ている碧が、ほのかの考えることを見通して準備してくれたのだろう。ほのかは急いでみなりを整えた。

 ベッドの仕切り替わりのカーテンを開けると、既にお茶とお菓子を用意して碧が待機していた。爽やかな香りはこのお茶からだとわかった。碧はヒーラーとしてではなく、ガーディアンズのメンバーとして仕事モードを切り替えている。今日のお菓子――ジャムののったクッキーだ――に心躍ったが、碧の真面目な顔を見て興奮を抑える。

「診察ありがとうございました。軽くなりました」

 椅子に座って碧と向かい合う。

「よかった。お茶をどうぞ」

 すすめられたお茶を遠慮なく口に含み、一息ついてから口を開いた。

「昨日の集会の内容報告を始めますね」

 今度はほのかが仕事をする番。

「よろしくお願いします」

 ほのかは内容を要約して、しかし重要と思われる件はなるべく詳しく報告する。

 そして、一番気になっていた件を口にした。

「火の領の火山の活動が、活発化しているんです」

 この件についてが最も重要であり、ほのか個人としても気になるところだ。

「地震が原因で噴火が多くなってるって、それだけならいいんですけど、もし他に原因があるとしたら対処が必要なので、積極的に様子を見ることになりました」

「“影”のことを懸念してるんだね」

「はい」

 それで? というように碧は続きをうながす。

「これまで、“影”が関係していると思われる事件の前は、なにかしら自然に影響が出ています」

 前兆とも言い換えられる変化の表れ。

 誘拐事件のときは泉の水草の大発生。

 竜巻事件のときは高山植物が枯れた。

「そのうえ、四大元素のバランスも崩れていました。……今は、“火”にバランスが偏っている傾向にあります」

 誘拐事件のときは季節のずれた長雨。

 竜巻事件のときはこれといって風に関係ありそうな天気の変化はなかったが、弦矢と樹が、そういえば空気が淀んでいた、と言っていた。

 “影”の関わる事件があった直前と、状況が似ているのだ。この状況は、地震のせいだと思いたい。でも、火の領生で長が姉であるほのかは、次は火の領でなにか起こるのではないかと心配でならなかった。

「そんなに暗い顔しないで。ほのかちゃんは笑顔がとってもよく似合うんだから」

 はい、とクッキーを差し出されたのを受け取り、口に入れる。おいしい、と口角が自然と上がる。

「そう、その表情。ほのかちゃんを元気にするにはお菓子が一番だね」

「なんか、単純だって遠回しに言われてる気がするんですけど」

「あら、単純だなんて思ってないよ。簡単、とは思ってるけど♪」

「むぅ~」

 しばらくにらめっこして、そして同時に吹き出した。笑い声が響き、キャンドルの火も一緒に揺らめく。

「うん、やっぱり笑顔が一番かわいい」

「碧さんに口説かれてる、あたし?!」

 ほのかは心の中で、ありがとうございます、とお礼を言う。碧は人の気持ちを明るくするのが本当にうまい。


「それで」

 少し時間をおいてから碧が切り出す。

「今日は、その報告だけ、というわけではなさそうね?」

 真剣な表情に切り替わった。碧は察しもいい。すべてお見通しのようだ。

 ほのかも表情を引き締めた。

「そのとおりです。碧さんにご意見をいただきたくて」

 たしかに、報告が第一の任務だ。しかしもう一つ、碧の、碧にしかわからない意見を聞く、という任務があった。

「妖精さんたちのことだよね?」

「はい」

 やっぱり、碧にはわかっていたようだ。

 誘拐事件のときは、水に異常があることを樹に伝えていた。そのときはまだ碧の複雑な事情を知らなかったため、妖精のことは碧から口にしなかった。しかし、後で聞くと、元気がなかったとのことだ。

 竜巻事件の前は、風の領から妖精が激減した。正確にいえば、瘴気を感じ取り身を護るために避難していたのだ。

 もし火の領の妖精に異常があれば、“影”が関係した事件の前の条件がすべて揃う。

 碧から妖精のことを聞くことは、紅葉(くれは)一水(かずみ)から集会後に頼まれたことだ。集会後に頼んできたのは、事態を重く捉え過ぎることも悪影響になると考えてのこと。火山活動が自分のせいで活発になっているのではないかと責任を感じている拓真への配慮でもある。

「どうでしょうか……?」

 ほのかの問いかけに、碧は目を閉じて考え込む。

 最近はマンドラゴラの栽培で火の領に顔を出していることも多い。火の領での妖精たちの様子を思い出しているのだろう。

「みんな、元気だよ」

「へ? あ、そうですか……」

 意外な返事に、気の抜けた返事になってしまう。

「うん。しいて言うなら、元気すぎるってとこかな」

「元気すぎる?」

「そう。みんな活発にはたらいてるんだ。今の季節は割と控えめなんだけど、なんだか元気すぎるというか、積極的に動いてるというか、勢いがありすぎっていうか、うん。そんなふうに思う」

 碧の言葉をどう受け取ればいいのか、ほのかにはよくわからない。

「冬でももちろん火山活動はあるし、おかしいことではないと思うんだけど……」

 うーん、と碧も悩みこむ。ほのかは思い切って聞いてみた。

「それって、悪いことでは……ないいんですよね?」

 うーん。まだ碧は首をひねっている。

「多分。もともと火の妖精さんたちは、活発だし盛んに行動するの。血の気も多い性分もあってね。だから悪いことではない、と思うんだけど。今のところ嫌なかんじはしてないよ。でも、もっとしっかり観察してみるね」

 安心させられなくてごめんなさい。碧は最後に一言添える。

 しかしほのかにとっては、“多分”であっても悪いことではないというのはひとつの安心だった。

「いえ、ご意見ありがとうございます。お姉ちゃんたちにも伝えますね」

 これで伝えるべきことは伝え、聞くべきことは聞けた。任務終了だ。

 そろそろお暇しよう、と考えたとき、

「噴煙も出てるんだよね?」

 突然碧が聞いてきた。

「? あ、はい。最近は何か所かの火口から出続けています。灰もうっすら地面を覆っているみたいです」

「……」

 碧は黙り込んでしまう。

「あの……碧さん?」

 ほのかが呼びかけると、碧ははっとして慌てて手を横に振った。

「あ、あのね、灰は植物に積もるとよくないから、気をつけなきゃって思ってたの」

「そうですか」

 言葉では納得したことを示しつつ、ほのかは碧の様子に違和感を関いていた。黙り込んだ時の碧の顔つきが、ほの昏く、深刻そうに見えたのだ。


 ほのかは残ったお菓子をわけてもらい療養室を出ると、ふぅ、と息をついた。息は白くなって上空へ消えていく。

 ふと火の領に目を向けると、灰色の煙が細く立ち上り、どんよりとした雲に同化していくのが見えた。

 ヒーリングしてもらい、せっかく心も身体も軽くなったと思ったのに、なんだか晴れない気持ち。今の空のようだ。

 次に報告を任されたときは、ヒーリングの日と別の時間にしよう、とほのかは思った。

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