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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第一章
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三、

 なぜ、こうなった。


 樹は今、応接室であの女と向かい合って座っている。しかも二人きり。

 なぜだろう。それは自分があの人のお願いを断れなかったからに他ならないのだけれど。


 一水(かずみ)が協力的な姿勢を先生方に示すと、先生方は学長に報告するため会議室を出た。残された八人と淵園は自己紹介を簡単に行う流れになった。出来レースであるとわかったときはざわついたが、それは驚きと困惑、学園に対するささやかな不満と彼女に対する他の学生の反応への不安であって、淵園に対する悪い感情ではなかった。

 反抗的な態度を示す者はおらず、むしろとても友好的に自己紹介は進んだ。最初に長四人が分け隔てなく彼女に接したこともあり、付き添いとしてやってきた他の四人も自ら声をかけた。そもそも長とその信頼を受ける人なのだから、差別意識など持っているはずがないのだ。

 淵園も初めこそぎこちなかったが、皆が自然に接してくれるので、だんだんと笑顔を見せるようになっていった。

 樹も関わらないわけにはいかないが、自己紹介で名前は伝えていたので、積極的には近づかず、むしろにぎやかにおしゃべりする輪から離れていった。


「俺の推測、当たってたな」

 一水が肩をぽんと叩いて言った。樹をからかうように見つめている。今回の呼び出しがあの女のことだなんて、当たってほしくなかったのに。

「樹、お前また一水にいじめられているのか」

紅葉(くれは)さん」

「いじめているとは失礼ですね。いじっているだけですよ」

「同じことだろう! まったく、お前ってやつはいつも……」

 こうなってしまうともう誰にも止められない。一水と紅葉は幼馴染で仲が良い。これもおなじみの痴話喧嘩だ。ちょっとつっかかるように一水に小言を言う紅葉に、あーいえばこーいう、の形でさらりとかわす一水。傍から見ればどうみても夫婦漫才だ。


 二人のじゃれ合いからはじき出され、淵園に近寄ることはできずにぽつんとつっ立っていた樹に声をかけてくれたのはさらだった。

「また置いてけぼりですか?」

 微笑みかけられ、樹の頬がほんのり熱くなる。

「さすが幼馴染、仲が良いですね」

 さらがふふっと笑う。ふわっと風が舞ったように感じる。

 “あの子”と同じようなあたたかさ。けれどどこか違うんだよな。

「樹さん、これから予定はありますか? たしか全休だったと思ったのですが」

 自分のスケジュールを知ってくれていたことに喜びを感じる。あの二人のじゃれ合いはまだ続きそうだから、さらの言葉の続きを密かに期待して、特にありません、と答える。

「それなら、淵園さんに学内のことを簡単に教えてあげていただけませんか? できれば案内も。私たちも学長に報告しなければなりませんので」

 お願いできますか、と首を傾げながら上目遣いに見つめられては、もう断ることなどできなかった。


 そんなわけで、現在に至る。まったく、なぜ他の付き添いはいないんだ。

 ち、ち、ち

 時計の音だけが虚しく応接室に響く。

 とりあえず応接室に案内し、校則や学内の習慣等を機械のように読み上げたが、それが終わったら互いに無言になり、気まずい雰囲気に覆われた。

 そもそも少し前から学園で植物の世話をしているのだから、ある程度の規則などはわかっているはずだ。今さら他に何を伝えればいいのだろう。

 さらに頼られていると思えば気も少しは楽になるが、相手が相手なので気持ちはどんどん沈んでいく。

 無言の時間はどれくらい経ったのだろうか。先に沈黙を破ったのは淵園だった。

「……ご説明ありがとうございました。では、仕事に戻ります」

 そのまま席を立つと、すっと部屋を出ていく。

 そのまま一人にしておいても問題はないのではないか、とも思った。しかしさらに学内の案内も任されている。その責任は果たさねばならない。

 さらからのお願いというのは樹にとって大きい。放っておけばいいじゃないか、という悪魔の誘惑をどうにか押しのけて、彼女を追った。


 彼女は思ったより先を歩いていた。よく考えれば、彼女は会議室やこの応接室に来るのは初めてのはずで、仕事をする場所――多分昨日の庭園だろう――へ行く道は知らないはずである。彼女がこれまで行ったことがあるだろう場所は、庭園、温室、所々の花壇など限られているはずだ。学生も滅多に使わない会議室なんてあることすら知らないのではないか。

 しかし淵園は迷うことなくすっすっと進んでいく。まるでなにかに導かれているかのように、本来は樹が案内するはずの道を正しく歩き続ける。


 彼女が足を止めたのは、やはり昨日の庭園だった。

 陽の光がやさしく差し込む庭園の一画が、不自然に光を吸い取っている。昨夜燃やされた苗だ。淵園は一直線にそこまで行くと、灰と化した苗を集め始める。今日は作業着ではないのに、服に土がつくこともお構いなしにもくもくと作業を続ける。苦い表情。

 樹は昨夜の自分の行動を省みる。確かに、もっと早く止めることはできたのだ。タイミングが遅かったのは、自分のための都合だった。

 樹は彼女の隣にしゃがみこんで一緒に灰を集めた。何に使うかはわからないけれど、集めているのはわかる。淵園は少し驚いた表情を浮かべ一瞬手を止めたが、すぐに作業を再開した。

 灰は袋に入れられた。樹は手を洗うために近場の水道へ行くよう促す。魔法は使わないほうがいい。

「こっち」

 それだけ声をかけると、今度は樹が先に歩き始める。その途端、きゅっと服の背の裾をつかまれた。足が止まる。

「ごめんなさいっ!」

 いきなりで何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

「昨日は、すみませんでした。ひどいことを言ってしまって……。助けてくださったのに、初めて会った方にあんな言い方……」

 背中をつかまれたままなので完全に振り返ることは出来ない。だが、彼女がどんな表情をしているかは必死な声から想像できる。樹は無意識に口を動かしていた。

「俺も、悪かった」

 背中を抑えていた力が抜けていく。樹は完全に振り返って淵園を見る。

「俺の都合であんたと、あんたの大切な花を助けなくてごめん」

 淵園は固まっている。謝られるとは思ってもみなかったのだろうか。

「まぁ、その、お互い様ってことで……いいか?」

 そう言うと、淵園は嬉しそうに微笑んだ。

 朝露を含んだ開きかけの花が、一気に咲いた瞬間のようだった。

 ぽかん、と一時見とれてしまう。

「あの……?」

 遠慮がちに声をかけられて意識が戻る。慌てて「学内を案内するから」と伝えた。

 ぶらっきぼうな言い方になってしまったが、淵園は「よろしくお願いします」と返事をくれた。


 学内の要所を一通り案内しながら、頭では別のことを考えていた。

 昨夜のもやもやとしや気持ちはすっきりなくなった。もやもやは、自分の非をずばりと指摘されたことと、それに腹が立って彼女に当たり返してしまった情けない自分を認めたくない気持ちだったのだ。

 でも、それだけではない気がする。その正体はわからない。あのもやもやを生んだのは、他にも理由がありそうだった。まぁ、今はすっきりしていることだ。樹はそれ以上深く考えないことにした。


 そしてもう一つ考えていたのは、さっき淵園の笑みを見たときの感覚。不本意にも見惚れてしまった自分に、焦りのようなものを感じていた。自分には憧れている人――好きな人がいるのだ。他の人を気にかけている余白などない。

 まず淵園の第一印象は最悪。第一印象なのだから残念だがそれは変わらない。“あの子”にはほど遠いのだ。きっと、見慣れている有能力者がまとう雰囲気とは異なる空気を彼女がまとっているから、その珍しさに興味が傾いたのだろう。これから学内で彼女を見かけることは多くなる。そのうちこの空気にも慣れるだろう。

 樹は頭のすみに残る考えをどうにか結論づけた。


 空は晴れわたり、心地よい風が吹いている。朝の気分のままだったら、この心地よさに気付くこともなかっただろう。とりあえず、さらの信頼を裏切ることもなく、そのうえ昨夜の件も解決した。悪い気分ではなかった。

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