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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第一章
3/163

二、

 ぴち、ぴちち。

 鳥たちの声が聞こえる。

 カーテンの隙間からは朝日が差し込み、樹の顔をどんぴしゃで照らす。


 昨日の出来事は、水の長、一水(かずみ)に報告した。「報告しなくていいと言われたんだから、しなくてもよかったんじゃないか」と一水には言われたが、何しろ燃えた苗はそのまま残っているのだ。報告しないわけにはいかず、火の所属と思われる男子学生の領長である紅葉(くれは)ではなく、一水に伝えたのだ。結局三人は不問となったが、昨夜は気分がすっきりせず、すぐに寝付けなかった。

 普段は時間になればぱちっと目が覚めるのだが、そのせいか今朝は朝日に起こされることとなった。時計を見ると、既に九時を過ぎている。

「全休でよかった……」

 つい口に出すと、ぴぴっ、と鳥が笑うようにさえずって飛んでいくのがわかった。起こしてくれてありがとう、と心の中でお礼を言う。


 昨日の燃やされた苗を片付けようと支度をしていると、ふわふわと透明の、でも目に見える球が前に浮かんできて、ぱちんと弾けた。と、声が聞こえてくる。

「樹さん、薬草学の先生からお話があるそうです。一水様と一緒に会議室にお越しくださいますか」

 声の主は、風の領所属で執行部を事実上まとめている、光井弦矢(げんや)のものだ。風の能力者は、言葉を空気で包み、届けたい相手へ送ることができる。“気の言伝”と呼ばれている。

 これを聞き、樹は急いで身なりを整えると、一水のいる領長部屋へと向かった。各領の長は、他の学生と同じ棟ではなく、一つの建物を与えられる。学生からは“水の(ぐう)”と呼ばれている。

 走っていこうとしたが、その必要はなかった。自室を出ると、一水が立っていたのだ。

「おはよう」

「お、おはようございます」

 長を待たせるなんて、なんという失態。なんとか挨拶を返す。一水にも弦矢からのメッセージが届き、遅い自分を迎えに来てくれたのだろう。

 そういえば、さっきから寮内の空気がいつもより張りつめていた。寮内に一水がいることに学生が緊張していたからだったと、今さら気づく。

「弦矢からのメッセージは聞いたな。行くぞ」

 一緒に歩き始める。この人の隣は、なぜか心地良い。流れる水のようにいつも清潔で、海のように大きな器で受け容れてくれるしなやかさを感じる。


「薬草学の先生が何の用でしょうか。確か、笹崎先生と大蔵先生ですよね」

 薬草学は二回生後期から受講することができる。専門教員は二人。一人は女性教員の笹崎先生。まだ若く、真面目で丁寧な説明に人気があるそうだ。もう一人はかなり高齢の見た目の小柄な男性教授。大蔵という苗字に反し、身体が小さいため小人先生と学生の間では通っている。この人は、授業内容とは関係のない薬草の話が面白いという評判を聞いたことがある。

「そうだ。先生からの呼び出しとは珍しいな。俺たちに頼みたいことがあるのかもな」

 一水はいたずらっぽい顔でこちらを見て、続ける。

「あの外部からの植物世話係さんからのことかもしれないな」

「なっ……?!」

 昨日のことが脳裏によみがえる。

「勘弁してくださいよ!」

 彼女のことはなるべく思い出したくない。むすっとした樹の顔を、一水が興味深そうに見つめる。

「樹が声を荒らげることのほうが珍しいかもな。いつもは落ち着いてなんでも冷静に対応しているのに」

 確かに普段、樹は問題があっても事を大きくしないよう、なるべく温和な態度を心がけている。なのになぜ、昨日は初めて会った彼女を責めてしまったのか、正直自分でもわからなかった。


 会議室に着くと、先生二人と他の長三人、付き添いが三人揃っていた。つまり自分たち以外全員だ。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 一水が頭を下げるのに樹も倣う。

「お気になさらずに。突然お呼び立てしたのはこちらですからね」

 小人先生がそう言って、着席を促す。二人が席につくと、笹崎先生が口を開いた。

「本日集まっていただいたのは、薬草学の講義で使用する薬草や魔草、香草について、皆さんの同意をいただきたかったからです」

 長四人ではなく、各領から一人ずつ信頼のおける人を同行させたのは、その同意を学生に納得させるためでもあるという。

「今後、講義内で実際に薬草に触れ、簡単な調合も行ってもらうことになりました」

 笹崎先生がてきぱきと話し始めた。

 これまでの薬草学では、テキストを使用した講話のみで、実際に薬草を扱うことはなかった。薬草、特に魔草は育てるのが難しく、仕入れも安定して行うことができないためだ。先生方も知識はあってもそれらを育てる時間をとることはできず、環境は整えることはできても実行に移せずにいた。しかし、薬草を安定して仕入れることができる先、世話をする人材を見つけたのだという。したがって、薬草学の講義内容を変更したい、というのが今回の話だった。

「それはとても良いご提案かと思います。聞くだけではわかりづらいことも多いですし、薬を作ることは薬草の効能や大切さを感じる大変良い機会になります」

 最初に答えたのは風の長、さらだ。「皆さんはいかがですか?」と他の長にも返答を促す。火の長、紅葉も続く。

「私も賛成です。学生の応用力の向上にもつながります」

 土の長、拓真もうなずいている。同意ということだろう。先生二人は安心したように長たちの言葉を聞いている。

「では、瀬戸さんは」

 笹崎先生が一水に水を向ける。視線が一気に一水へ集中した。

「今回の変更案に関して、基本的には私も賛成です。ですが、実際に薬を調合するとなると、講義一コマの受講人数を減らさざるをえません。そうすると、先生方の講義の回数を増やす必要がありますし、負担が大きくなるでしょう」

 小人先生は老齢で、笹崎先生は女性なので体力的な心配もある。それらの点に問題はないかと一水は心配しているのだ。

 笹崎先生が答えた。

「はい、変更後は、大蔵先生は今までどおり大人数での講義を行い、その受講生をグループ分けして私が実習の指導を行う予定です。そこで、アシスタントをお願いして、私の負担を減らしたいと考えているのです」

「それなら問題なさそうですね」

 一水も納得した様子だ。先生の負担が大きく講義がうまくまわらなくなったら、実習に大きな利益があるとしても変更した意味がなくなってしまう。助手がいれば、いわゆる雑務を委ねることができ、先生も教えることに集中できる。

 ひとまず四人の長の同意を得ることができ、先生方は安心している。


「それで、そのアシスタントというのは?」

 紅葉がなにげなくたずねると、二人の先生が少し難しい顔になった。二人は顔を見合わせ、うなずいた。

「実は皆さんに同意をいただきたいのはそのアシスタントさんの方が重要なのです」

 こちらにお呼びしています、と笹崎先生が会議室を出ていく。

 嫌な予感がした。

 薬草学の方針変更について反対する者がいないことはわかっていただろう。書面での通知でも問題なかったはずだ。なのに長四人と付き添い四人を集めて同意を求めているのは大げさだ。アシスタントに起用したい人に対し、多くの人の同意が欲しいのではないか。同意が欲しいアシスタントとは、どのような人物か。樹には一人、思い当たる人がいた。

 がちゃ、と扉の開く音がして笹崎先生が入ってくる。後ろに続いて入ってきたのは――

 昨日の、あの女だった。


「お待たせしました。こちら、淵園碧(ふちそのみどり)さんです」

 淵園碧と紹介された女は、ぺこりと頭を下げる。

 今日は髪をバンダナでまとめずにおろしていて、作業着ではなく落ち着いた色合いのオフィスカジュアル的な服装。薄化粧もしているが、あの女だとすぐにわかった。

 向こうもこちらに気付いたようで、一瞬目があったが気まずそうにふいと顔をそむける。

 会いたくないと思っていたのに、嫌な予感が的中してしまった。そんなことを考えている間に、なんともいえない空気が会議室内に広がる。

「皆さんお察しとおり、淵園さんは外部の方です。私たちのような能力は有しない、一般の方です」

 先生は様々な表情を浮かべる学生らを見回す。

「思うところはあるでしょう。確かに淵園さんは私たちがいう非能力者ではありますが、薬草などに対し大変高い知識と能力をお持ちです。質の良い薬草を栽培し、樹医、薬草医療士等の資格もお持ちです」

 先生が非能力者という単語を発したことに、数人が驚いた表情を浮かべる。

「榊学長からは、すでに許可を得ております」

 室内がざわつく。学長から許可がおりているなら、できレースでこんな集まりは不要だったのではないか。方針変更の同意イコール淵園碧の採用の同意なのだ。ただ、影響力の大きい学生の同意を得ているという体裁がほしかったのではないか。戸惑いを隠せない。

 口を開いたのは、話を笹崎先生に委ねていた小人先生だった。

「今後の薬草学については、先生が話してくださったとおり、行います。皆さんもその点については賛成してくれたことですしね」

 小人先生は優しく言ったが、樹には意地悪く聞こえた。方針の変更についてはもう決まったことだ、と念を押されている。

「淵園さんの採用についても、笹崎先生がおっしゃったとおり、学長の承認を得ています。これをよく思わない学生もいるでしょう。問題が起こることもあるかもしれません。皆さんにはご迷惑、お手数をお掛けすることがあるかもしれませんが、何卒、よろしくお願いします」

 小人先生は深く深く、頭を下げる。笹崎先生も申し訳なさそうな顔をしてそれに倣う。淵園はそれを複雑な表情で見つめてから、小さく会釈した。

「承知いたしました。私たちも、薬草学がより高い知識と技術を学生に与えてくれることを望みますので、ご協力させていただきます」

 一水のその言葉で、会議は終わった。

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