八、
「樹、最近さらといいかんじじゃないか」
「いいかんじって……別にそんなんじゃないですよ」
あの日生徒会室にエスコートしてきたのにか? と意地悪くにやにやとした視線を向けてくる。今ばかりは一般の人仕様の一水になってほしい。
樹はその視線を流すようにふいっと顔を横へ向ける。
「彼女がお日さまの姫君だといいな」
「一水さん!!」
樹は怒気を含んで一水を制止させる。一水にはまったく効果はなく、涼しい顔をしているのが憎たらしい。そもそもいつか忘れたが、“あの日”の話を一水にしてしまったのが間違いだった。まぁ、一水にはその話を聞く前から、樹がさらに想いをよせていることはお見通しだったようだが。
「何のお話しですか?」
樹がいきなり声を荒らげたことが気になったのか、ほのかが口を挟んできた。弦矢の頭の上にもはてなマークがついている。
「いやぁ、ちょっと内緒話です。皆さんいらっしゃるので止められてしまいました」
一水がさらりと言ってのける。内緒話というのは嘘ではないが、それで簡単に「そうですか」と引き下がってしまうふたりに、なんだかな~、と感じる。この人が作り上げている人柄は恐ろしい。
「なぁ、一水」
今度話しかけてきたのは紅葉だった。
「お前、碧とそんなに親しかったのか」
あのくだけた口調のことを言っているのはすぐにわかった。
一水と紅葉は幼馴染だ。一水がどんな相手にもあの口調で話すわけではないことを、紅葉は知っている。幼馴染である紅葉にさえ、芝居がかったともいえる丁寧な口調で話しているのに、不思議に思うのは仕方ない。いや、不思議というより不満といったほうが正しいかもしれないが。
ただ、ほのかの誘拐事件のときにだけ、一水が自分に話す時と同じようなくだけた口調で紅葉に話しかけていたのを樹は覚えている。ちなみに、碧は業務に戻っていてこの場にはいない。
「親しいかどうか、彼女がどう思っているかはわかりませんが、僕は例の事件で助けていただいたことに恩を感じていますし、彼女の“手”の力は本物です。彼女のことは心から信頼していますよ」
「そうか」
紅葉の顔がわずかに曇る。
「親しいというならば、あなたのほうがよっぽど親しい間柄ですよ」
一水が恥じらいもなく付け加える。
紅葉はふんと顔を背け、離れていってしまった。
「お姉ちゃん、妬いてるんですよ」
こそっとほのかが一水に耳打ちする。わざわざ言われなくてもわかりきったことなのだが。
一水は苦笑しただけだった。でも、その眼には彼女への愛おしさが感じられた。
一水も、なぜ紅葉があんなことを聞いてきたかわかっているのは確かだ。紅葉の態度も気にする必要のないものと捉えている。いつもの痴話喧嘩の一端だ。
まぁ大丈夫だろうな。
樹も同じように考えていた。一水に見えていたか定かではないが、顔を背けたときの紅葉は、安心したような、嬉しいような、恥ずかしいような、そんな表情だった。本人に言ったら反発されそうだが、かわいらしい顔をしていた。
一水が碧に対して自分と同じような口調で話したことには樹も驚いたし、ちょっとした嫉妬心もわいた。紅葉と一水は自分よりもずっと付き合いが長い。衝撃はあっただろう。
それに樹はふたりのやりとり、というか痴話喧嘩を五万と耳にしてきたが、二人の間には強い絆があることを感じている。たかが口調ひとつでその絆がほころぶことは考えられない。大丈夫、と思うのはそんな理由もあった。
いっそのこと恋人になってしまえばいいのに、二人とも変に意地っ張りで照れ屋なところがあって、仲の良い幼馴染でとどまったまま、外聞で恋人という認識をされるまでに至っていない。
樹からすれば、どこからどう見ても恋人同士なのだけど。
隣で一水がほのかと会話しているのを聞き流しながら、いつかはなるようになるだろうと考えていた。
一水と離れてそのまま生徒会室を出た紅葉に、弦矢はついていった。さっきの様子を心配し、紅葉の愚痴ならぬのろけを聞きに行ったのだ。
「それってやっぱり嫉妬ではあり」
「違う!」
紅葉の話を聞いていて、弦矢が意見を口に出そうとしたところを紅葉は遮る。紅葉の話す内容は愚痴というかなんというか、過保護すぎる姉の気持ち。弦矢はどんな言葉も感情も受け容れてくれて、嫌な顔ひとつしないため、つい本音を話してしまう。
弦矢の黒く光るまっすぐな瞳に見つめられて、紅葉も根負けした。
ふぅ、と息をはくと、違くないか、とつぶやいた。
「まぁ、嫉妬の一種、ではあるかもな。あいつがあまり人に見せない顔を碧に見せたものだから、少し妬け……気になったんだ」
弦矢はにこにこと紅葉の話を聞く。強がりだけど女の子なんだなぁ、と思われていることなんて、紅葉は気付いていない。
「でも、気にすることなんて一つもなかったんだ。あいつのことを私は信頼してくれてるし、あいつが信頼する碧のことも、私はあいつと同じように、信頼している。私のことも、ほのかのことも助けてくれた」
「そうですよね、事件のときいつも傍にいて、助けてくれますもんね」
弦矢が相槌をいれてくる。それに、と紅葉は続ける。
「あいつが樹に使うような口ぶりをするのはなにか思うところがあるんだろう。恋心も“影”も関係ない。気にすることなんてないんだ。あいつのことは心配いらないんだ」
悔しいけどな、と付け加えながらも、紅葉からは一水への強い信頼が感じられる。
「乙女心は複雑なんですね」
「な?!」
「一水さまへの信頼と、碧さんへの信頼は、種類が違うんですね。ふむふむ」
「……」
紅葉は今、羞恥心半分、呆れ半分の目を弦矢に向けている。
「とにかく! 嫉妬心を碧にぶつけるつもりは毛頭ない! あいつのことはお互いに誰よりも理解しているんだし、心配はいらない!」
紅葉は碧に嫉妬心を抱いていたことを思い切り口にしたが、本人は気付いていないようだ。弦矢はふふっと笑う。
「さすが紅葉さまですね。碧さんがいても無敵!」
「なんだそれは。まぁ、嫉妬の気持ちも人間の感情の一部だからな。それをプラスに変えていけばいい話だ。どんな気持ちも自分の一部だとを受け容れないとな」
「さすが紅葉さま!」
「さっきも聞いたぞ、それ。まぁ、なんだ、弦矢。愚痴を聞いてくれてありがとな。愚痴って聞いているほうは気持ちいいものではないのに。おかげですっきりした」
ぽりぽりと頬を掻きながらお礼を言う。
愚痴というよりやっぱりのろけだよなぁ、と思われていることも知らず、弦矢の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわす。
「わ」
今の紅葉も、弟を愛する姉の顔だった。




