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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第五章
27/163

六、

 風の領は、今日は涼やかな風に包まれている。

 昨日の事件などなかったかのように思われるが、風の谷はところどころ竜巻に浸食されて崩れている。被害が小さく済んだのは、不幸中の幸いだった。

 一方、草原地帯の植物は小さなつぼみを風の流れに任せて揺らしている。

 樹は、生気を取り戻しつつある高山植物を見て喜ばしく思いながら、谷の淵へと足を向ける。その足取りには緊張と楽しみが混在しているが、楽しみのほうが勝るのか、不思議と軽やかに進んでくれる。


 風の谷に着くと、その人はすでにそこで待っていた。黒く長い絹のような髪を風になびかせ、空を見上げるその人に、樹は声をかける。

「行きましょうか、さらさん」

 振り返るさらに、そっと手を差し出す。さらがその手を取る。樹は自分の手が熱を持ちすぎていないか、動作が不自然でなかったか、心配になるがそれを悟られないよう、行きましょう、とだけ言って二人で歩き始めた。


 向かうのは生徒会室。今日はガーディアンズの集会日。昨日の出来事を報告するのだ。

 さらに直々に頼まれ、樹はこうしてさらを迎えに来ている。さらの手からも緊張が伝わってくるが、さらのそれと樹のそれは意味が違う。樹は少しでもさらの支えになるように、しっかりとエスコートする。

 生徒会室に入ると、さらと自分以外の全員が席についていた。今日は淵園も参加だ。生徒会室に入ったときの皆の表情、視線、雰囲気はいつもと変わりない。それを見たさらは、安心ですこし緊張がほどけたようだ。

「お揃いになりましたね。では、始めましょう」

 一水(かずみ)の一言で集会が始まった。


 まずは樹が昨日の詳細を報告する。一番詳しく事態を知っているのが樹だったからだ。

 弦矢とパトロールをしている途中で別れたところから台風を消したところまで、順をおってなるべく丁寧に詳しく伝えるように心がける。ただひとつだけ、風の王が現れる前に聞こえたあの声のことだけは、話さなかった。

 次いで、さらが話し出す。

 昨日、例によって空中浮遊の指導を行っているところ、弦矢と淵園の姿を見た。

 すると、ぽん、という音と色でスイッチが入ったように、自分自身がなにか暗いものに内側から侵食される感覚に陥り、正気を失っていった。

 なんとなく意識はあったらしいが、自分の抱える負の感情から逃げ出したい、という心の奥底にあった本心が理性をどんどん侵食し、抗うこともせずに結局その浸食に身を任せた結果があの竜巻。

 大きな力を使うというのは、一種の快感だ。力を外へ放出する形で、開放感を味わえる。さらの場合は竜巻が負の感情の塊だったのだ。そして一瞬もどった意識がことの重大さを認識させ、今度は自分自身を殻に閉じ込めた。

 その後は樹がくるまで意識はほとんどなく、よく覚えていないという。ハルピュイアのことも気付いていなかったそうだ。


 “風の王”ヴィクトールからダイヤモンドを授かり、ひとつになった竜巻を消し去ったところまで話し終えると、さらは立ち上がって大きく頭を下げた。

「ごめんなさい。私の心が弱いばかりに、“影”につけいられてしまいました」

 顔は見えないが、声は震えている。涙をこらえているのがわかる。

 さらはとぎれとぎれに“本心”を伝える。

「私は、淵園さんのことを、信じきれて、いなかったの、です。仲間、として、認めていた、はずなの、に。大切な、人を、助けてくれた、のに」

 私はなんて愚かなのでしょう……。

 そんな思いに囚われて、つけこまれた結果がこれだ。

 さらは抑えきれずに泣き崩れる。すると、向かいに座っていた淵園がさらに近寄って、椅子の横にさらの表情を窺うようにしゃがみこんだ。

「さらさま、ご自身を責めてはいけません。私のような、何者かもわからない人間に不信感を抱くのは当然です。妖精の森で育ったなんて。“癒しの手”を持っているなんて。人間以外の生き物を知っているなんて。何も感じない方が無防備で、おかしいんです。さらさまは、私を信じられないことに、自己嫌悪を抱いていたのですよね? それは、私のことを信じたい、という気持ちがあったからこその想いですよね。私はそれだけで、十分嬉しいです」

 さらが淵園の顔を見る。淵園は続けた。

「私への不信感を他人に見せないでいたのは、あなたがお優しいからです」

 淵園は微笑んだ。

「あの竜巻を起こしてしまったことを、さらさまは自分の心の弱さだとおっしゃいました。ですが、本当に心の弱い人なら、それを受け容れることはできません。自分が弱い人間だと認識している方が、弱いはずないのです。あなたは強いお方です。もっとご自身に自信を持ってください。そしてもっと、抱えているものを打ち明けて。ここにいる人たちは、皆さん、さらさまのすべてを受け止めてくれます」

 仲間ですから。

 さらは、生徒会室にいるメンバーをぐるりと見渡す。皆、さらに優しい眼差しを向けている。

 それを見たさらが、瞳からダイヤモンドのように光る雫をこぼしながら、「ありがとう」とふんわり笑った。

 もう、さらが“影”に心を支配されることはない、と樹は思った。


「ヴィクトール様は、私が台風を消し去った後、これを授けてくださいました」

 再び話し始めるさらの口調は、やわらかく流れるようないつもどおりのものに戻っていた。

 さらは左耳のまわりを手でふわりとなでる。耳の下にはダイヤモンドが美しく輝き揺れていた。風の弓矢に飾られていた、あの宝玉だ。


 風の王は、さらを背から降ろすと、こう言った。

「君には、その宝玉を持つ資格がある。それを弓として使えたことがその証だ。それは君に正式に授けよう」

 すると風の弓矢はダイヤモンドのイヤリングとなった。鎖の下に飾られたダイヤモンドは、光を反射してきらりと光る。風の力を有する宝玉は、気に揺られている形が良いという。

「それを持つ者として恥ずかしくない人となれるよう、努力します」

 こうしてさらは風の宝玉を持つ者となったのだ。黒髪に透明の光がよく映える。

「我々の世界の平衡が歪んできている。何かあった時、君がしようとすることが我ら風に生きるものすべてにとって正しい行いであるならば、それは君に力を貸してくれるだろう」

 そういえば、水の女王もそんなことを言っていた。

「風の世界の歪みとは、何なのでしょうか」

「例えば、あのハルピュイアたち。“悪”に属するとはいえ、あやつらが人間の次元に手を出すことはまずない。誰かが意図的に、次元を歪ませてやつらを召喚したのだろう。そういったことが、均衡を保っているはずの次元にひずみゆがみをもたらしている」

「その召喚も、私がしてしまったことでしょうか」

 さらが表情を曇らせる。

「いや、君ではない。あのとき君は竜巻を発生させ、その後も心の殻に閉じこもっていた。召喚には大きな力と準備が必要だ。操られている状態ともいえる君にそのようなことはできない」

 はっきりと否定され、さらの顔は少し晴れた。

「君たちが“影”と呼ぶその者の仕業であろう。その件については水の女王から聞いている。我らも情報を得たらすぐに使いを送るように努めよう。風は情報の象徴でもある。そちらに起こったことは私も把握していると思ってよい」

 こちらからの情報発信は必要ない、ということだ。

 与えてもらうだけなのは申し訳ない気がする。自分たちも役に立ちたい。その思いを読み取ったのか、風の王は口を開いた。

「役に立ちたいと感じているのなら、君たちはその宝玉を正しく使い、“影”を止めなさい。それが一番私にとっても世界にとっても必要なことだ。“影”の行動は生き物、世界、力、すべてに影響を及ぼす」

 さらと樹は深く頷いた。

「それから、少年よ。樹といったか。君にはハルピュイアを止めてもらって感謝している」

 感謝されることではない、と思っている。危害を加えてきたとはいえ、殺してしまったのだ。“影”に召喚されたせいで人間の世界に迷い込んだだけの生き物を。

 風の王は、方法も素晴らしかったとまで加えてくるが、樹は苦々しい気持ちでいっぱいだった。


 生き物を殺す。それがどんなことなのか、考えたことなどなかった。

 岩場地帯には五羽のハルピュイアの屍が転がっている。もう氷は溶けて、濡れた屍が重々しく見える。自分がしたことなのに、目を逸らしたくなるが、命を奪ってしまったことの事実は変わらない。

 自分は、それを受け止めなければならない。辛くても、逃げずにこの光景を目に焼き付ける。もう二度と、こんなことがないように。

 火の力を使って焼き殺すこともできた。だが、燃えたまま暴れられたり、燃えた灰や血に悪い作用があったりしたらまずい。だからそれは行わなかった。風の王によると、それは正しかったらしい。灰や血は、鳴き声よりももっと酷い状況を生み出す効果があるそうだ。とりあえず方法に間違いはなかっただけよかったと思う。

「このまま腐敗させるのはよくない。これらは同じく翼を持ち風に生きるものとして、風に還そう」

 風の王が優しく羽ばたくと、ハルピュイアの屍は白い光に包まれて、ぱん、と消えていった。

 樹はハルピュイアたちが優しい光に包まれたところを見て、少し気持ちが軽くなった。殺され方……殺し方は酷かった。でも最期は、風の王に看取られて美しく消えていった生命(いのち)。もう人間の世界には来ないでくれ、と消えた妖鳥たちに祈った。

「我のすべきことは終わった。縁があればまた会えるだろう。さらばだ」

 風の王は大きく翼を広げると、空へ舞いあがった。

 さらは「ありがとうございました」と頭を下げている。しかし樹にはまだ聞いていないことがあった。

「ま、待ってください!」

 必死で叫ぶと、風の王が空中で止まった。

「あなたに助けを依頼したのは、どなたでしょうか?!」

 あの声は、誰のものなのだろう。人ではないことは、確かだと思う。

「いつか、知るときがくるだろう。今はそのときではない」

 風の王はそう言い残して去った。さらは樹の問いについて、何も聞かずにいてくれた。


 台風を消し終えた後の出来事も話し終わる。ただし、樹が風の王を引き留めたことを除いて。

「ハルピュイアが現れていたなんて……知りませんでした」

「私もだ」

「同じく」

 一水、紅葉(くれは)、拓真はハルピュイアの姿は見ていないらしい。おそらく他のメンバーもそうだろう。

「ぼくは見ました。とても恐ろしくて……。あの咆哮に当てられてよろよろしていたら風に吹き飛ばされて気を失ってしまって……情けないですがその後のことはよく知りません」

 弦矢が俯く。

 弦矢はどうにかさらを止めようと奮闘したが敵わず、ハルピュイアの出現で動けなくなったところ、飛ばされて頭を打ち、気絶していたとのことだ。

 さら以外の長三人は、警備隊員に学生をなるべく風の領から遠い建物内に避難させるように命ずると、竜巻を止めようと試みたらしい。

 しかし暴風で近くに寄ることはかなわずに、計画を変更して風の領の学生が竜巻を抑え込む応援に入り、指揮をとったということだ。

 竜巻が生み出す暴風の音で、ハルピュイアの咆哮は学生までは届かなかったらしいが、竜巻の近くにいた学生の中には、姿を見た者もいるという。その学生たちのほとんどと長三人は、さらがペガサスを操り弓矢で台風を消した状況を目撃している。だが、さらが空気の鎖に閉じこもっていた様子は見えていなかったようだ。

「私もそのかっこいいところ、見たかったなぁ」

 ほのかが悔しそうにつぶやくと、不謹慎だろ、と紅葉に目で制されていた。

 ほのかは警備隊員に混ざって学生の安全確保にまわり、藤之は土の力を使って他の土の領の学生とともに建物の強化を行っていたため、風の谷の出来事は見ていない。

 淵園は力の枯渇で倒れた生徒にヒーリングをするため、谷から少し離れたところで駆け回っていた。長三人の到着後、自分自身もふらつきながら草原地帯から現れたのに、他の学生の治癒を続けてくれたそうだ。


「高山植物の状態ですが、例年と比べ発育は遅めですが、生気を取り戻しています。このままなら去年と同じく、花が咲いて気持ちよく風に吹かれる光景を見られると思います」

 淵園の報告は植物の話が中心だ。

「竜巻事件の前まで、高山植物に支障を与えていたのは、あの辺りに瘴気がたちこめていたからだと考えられます」

「しょうき?」

 聞きなれない言葉に、首をひねる。

「瘴気というのは、簡単にいえば負のエネルギーで、重苦しく淀んだ気のことです。たしかに悪いものであるのは間違いありませんが、それを生み出すのに善悪は関係ありません」

「もしかして、さらさまの周りにあった、あの空気のことですか……?」

 弦矢は尋ねると、はっとして申し訳なさそうにさらの様子を窺った。

 さらは、いいんです、というように弦矢を見つめ返す。

「はい、そうです。私がさらさまに近づけなかったのも、樹さんが駆けつけていって足を止めてしまったのも、瘴気を感じ取ったからです。瘴気は生きるものすべてに支障をきたします。自分がその“気”に呑み込まれていなければ」

 樹は、ん? となにか引っかかったが、淵園はそのまま言葉を続ける。

「話を戻しますと、草原地帯周辺に瘴気が溜まっていた、ということです。今回の場合、“影”が召喚の練習、または準備を行っていたことによると考えられます。“影”は人間に危害を与えようと企んでいますし、まとうオーラは瘴気そのものでしょう。そしてハルピュイアは風の世界では“悪”に属する妖鳥で、彼らの気は周囲のものの生気を吸い取ります。これは咆哮で枯れた植物を見れば一目瞭然ですが。これら二つが重なって、植物は生気を奪われ、妖精さんたちは怯えて姿を見せなくなったものと思われます。事件前からあった瘴気は、さらさまのものではありません」

 実際、今朝は草原地帯に妖精たちの姿があったという。事件が収まって学生のヒーリングを終えた後、淵園はすぐに植物の手当に取り組んだ。植物はみるみる元気を取り戻しているのだから、たいしたものだ。

「今後も様子はみますが、もう大丈夫だと思っています。私からは以上です」

 淵園が報告を終える。

 樹は淵園の話を聞いているうちにいつのまにか、さっき引っかかった何かについて、忘れてしまっていた。

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