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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第五章
25/163

四、

 今日は全休、水曜日。

 その大事な一日を、樹はほぼパトロールに費やしていた。しかし、そんなことは気にならない。昼過ぎの今、弦矢を相棒として警備を行っているのは風の領なのだ。

 さらの姿が高く青い空にきらきらと輝いて見える。風の領の警備担当を増やしてくれた一水(かずみ)に感謝だ。あのとき約束しておいてよかった。


 さらは今日も空中浮遊の指導で忙しそうだ。心なしか顔に疲れが浮かんでいるように見える。

 それも当然ではあった。冬になると風が強くなり雪も降るため、空中浮遊の外での訓練は冬の時期になると禁止されるのだ。したがって、秋の間は訓練に力を入れることのできる重要な時期である。課題をクリアしていても、さらなる上達を目指し、谷の付近には多くの学生が集まる。

 弦矢に参加しなくてもいいのかと聞いてみると、彼は課題をクリアしたため、警備を優先させたいと答えた。二回生の実習は、宙に浮いた状態を十秒間維持することだそうだ。風の属性ではあるが、光に能力が偏っている弦矢は、ガーディアンズとしての責任の方が風の力の向上よりも大切に思っていた。


 講義室がある棟や寮の見回りを先に済ませ、風の領の森林地帯も一通りパトロールを終える。

 次に草原地帯に向かおうとしたときだった。講義棟のほうから淵園が歩いてくるのが見えた。恰好はいつもの作業着にバンダナ姿だが、今日はショルダーバックを下げているだけで身軽に見える。最近彼女は、植物が少しでも回復するよう、図書館の本やら自作の薬やらの入った重たそうな大きい荷物を抱えていることが多かった。解決策に至ったのだろうか。

「淵園さま、今日はいつもより出足が早いですね」

 弦矢は彼女が草原地帯での仕事に取り掛かる時間がいつもより早いことのほうが気になったらしい。

「少し手伝いに行きたいのですが、岩場地帯のパトロールをお任せしてもよろしいですか?」

 弦矢が聞いてくる。

 草原地帯は彼が手伝いをしながら見てくれるだろうし、淵園もガーディアンズの一員だから、そこは彼に任せてもいいだろう。残るは岩場地帯だけで、さらの姿もよく見える場所だ。こっちは引き受けるからそっちを頼む、と伝えて樹は岩場地帯へ向かった。


 岩場地帯は岩肌がむき出しにはなっているが、障害物が少ないため見通しはよい。草原地帯に目をやると、弦矢と淵園が立って話しているのが見える。淵園はなにやら小瓶のようなものを持っている。ぽんっ、と音を立てて――もっとも、その音は樹には聞こえないが――小瓶の栓を開けた。

 そのときだった。

 ざわっと、風が暴れ始めた。

 風の出所へ振り返ると、草原地帯に入るあたりに、さらが浮いていた。二人の姿を見て、声をかけに来たのだろうか。

 と、さらは踵を返してふらふらと谷の方向へ空中を歩き始めた。


 様子がおかしい。


 焦点の定まらない虚ろな瞳をしているのに、しっかりと意思を持って身体だけは谷へと進んでいく。

 止めなければ。

 樹は直感してさらのもとへ走った。


 ぽんっ、と小気味良い音を立てて淵園が栓を抜いた小瓶には、調合した薬が入っていた。効果を試そうと開けたのだが、それは叶わなかった。

 突然風がざわめき、顔を上げると宙に浮いたさらと目があった。

 かと思えばさらは谷の方へふらふらと移動していく。そして、彼女が通った箇所の地面は、腐ったように黒く染まっていた。

「弦矢さま、さらさまのご様子がおかしいです! 足元を見てください!」

 いつもは凛として透き通るようなさらの瞳が、濁り曇っている。

「さらさまの周りが、黒いもどろどろに覆われて……。とにかく、さらさまを止めないと!」

 さらさま! と大きく声をあげながら弦矢はさらへ駆け寄る。声が届く範囲へ来たときには、先に樹がさらに近づいていた。同じくさらの名前を呼んでいる。

「だいじょう」

 ぶですか、と言おうとした樹だが、言い終えることはできなかった。ゆらゆらとした体が樹へ振りかえり、さらは空中を切るように左手を横に振りなぎる。鎌鼬のような鋭い線の風が、樹だけでなく弦矢までも吹き飛ばす。

「弦矢さま?! 大丈夫ですか?!」

 淵園は近くにいた弦矢のもとへと駆け寄る。尻もちをついた弦矢の態勢を整える。

「はい、なんとか……。そんなことより! 明らかにさらさまがおかしいですよ! 操られている……。きっと、いや絶対! さらさまは“影”に操られているんです!」

 本来のさらならば、人を力で吹き飛ばすようなまねはしない。

 なんとかしないと、ともう一度さらの方へと向かおうとする弦矢に、淵園が言った。

「ごめんなさい、弦矢さま、私……これ以上、さらさまに近寄れません……」

 かすかに震えているように見える。

「これ以上、あの“気”の中には入れません……」

 弦矢はわかりました、とだけ答え、何も聞かずに谷の淵へと走り出す。

 淵園の声が背中から聞こえてきた。

「私もできることをしますから!」

 風がどんどん強くなる。樹のほうがさらに近い。弦矢は谷の淵へと走った。


「さらさん?!」

 樹が駆けよったのは谷の淵。さらは谷間を向いた状態で宙に浮いている。

 さらに吹き飛ばされたとき、いつものさらではない、と確信した。

 急いで駆け寄ってきたものの、さらから少し離れたところで足が止まる。さらのまわりをどよどよと濁ったなにかが覆っていて、近づけば呑み込まれてしまうような、底知れぬ恐怖を感じたのだ。

 あれはさらであって、さらではない。

 “影”の仕業で間違いない。樹も弦矢と同じ結論に至る。

 空中浮遊の練習をしている学生の反応は様々だった。訝しげにその姿を見つめる者、戸惑いの表情を隠せない者、無意識のうちに後ずさっていく者。

 さらが手のひらを上に、両手をふっと持ち上げる。すると、あんなにきれいだった青空が分厚い雲で覆い尽くされ、一気に日差しが遮断された。

 ごごごご……、と谷間の底から地面がうなる音が聞こえたかと思うと、大きな二本の柱が立った。

 竜巻だ。

 さらの持つ強い力から生まれた竜巻の威力は底知れない。それが二本。

 谷間から崖を崩してきたら、淵まで上がってきたら……。考えるだけで恐ろしい。


 谷付近にいた学生たちは吹き飛ばされかけ、わけもわからぬまま必死に非難を始めている。竜巻の起こす上昇気流にのって谷間からうまく脱出してきた学生も目に入るが、皆無事だろうか。

 この竜巻に巻き込まれた学生がいないことを祈りつつ、樹はさらを止める方法を必死で考える。

 竜巻を起こしているさらの周りにも、誰にも邪魔させないといわんばかりに風が渦を巻き、近づけそうもない。直接さらに干渉するという選択肢はまずない。

 竜巻はどんどん大きくなりながら、谷の淵へと上がってきている。

 ぐごごごご……と、今度は上空から淀んだ音が鳴り響いた。

 見上げると、二本の柱の間に妖しい光の輪が見えたかと思うと、そこから黒っぽい物体が突然現れた。


 なんだ、あれは……?


 よく見ると、その物体は大きな鷲の身体に老婆の顔をしていた。

 妖鳥、ハルピュイア?!

 だとしたら大変だ。妖鳥と言われるだけあって、あれが本物のそれなら人間に害を及ぼす。少なくとも十羽はいるだろう妖鳥は、群れになって学生のいる方向めがけて飛んでくる。


 ギヤァァァアアアア!


 樹は思わず耳を塞ぐ。身体が痙攣しそうなほどの酷い鳴き声。竜巻の音がない状態でもっと近くで聞いていたら、卒倒していたかもしれない。体中の生気を持って行かれるような気分だ。


 “生気を吸われる”? それ、どこかで聞いた気が……。


 そんなことを考えていられない。草原地帯へ目をやると、ハルピュイアの鳴き声が波となって植物を襲い、植物は黒く枯れ果てた姿と化していく。

 竜巻は風の領の学生たちが力を合わせ、これ以上発達しないようどうにか抑えているようだ。それでも竜巻は少しずつ大きくなっている。さらひとりの力に、大勢の力でも敵わない。さらの能力の大きさをひしひしと感じる。いつまでもつかわからないが、竜巻は学生に任せるしかない。

 樹はハルピュイアをどうにかしようと考える。ハルピュイアは空を飛べる。結界があるとはいえ、もし学外へ出られたらそれこそ大変だ。

 樹は鳴き声の影響を和らげるため、自分の耳を水の膜で覆う。そして見当たり次第、ハルピュイアを水の球の中へ閉じ込める。しかし数秒も経たぬうちに、けたたましい鳴き声とともに大きな翼で水球は弾かれてしまう。

 殺したくはないが、躊躇している暇はなかった。樹はもう一度水球の中へハルピュイアを閉じ込めると、火の力で熱を操り、一気に冷却する。水の球は氷と化し、ハルピュイアは氷漬けとなっていく。


 やっと六羽目に入ったたきだった。樹はがくんと膝から崩れ落ちた。はぁ、はぁ、と荒い息がおさまらない。水と火の両方の能力を巨体の鳥を対象に使用したことで、力が限界に達したのだ。

 応援部隊は来ない。竜巻そのものの威力と非難の対応に追われ、風の領の奥にあるここまで来れる者がいないのだろう。

 ハルピュイアはまだ残っている。早く捕まえなければ。でも、今の状態ではハルピュイアを抑えることもままならない。


 どうすればいいんだ?!

 誰でもいい、俺に力を貸してくれ。


 岩場に膝をついたまま、自分の情けなさに拳を握りしめたときだった。


 ――私が助けを呼ぼう。君には、息子のことで縛りを与えてしまったことに負い目を感じているからね。助けが来たら、あとは自分ひとりの力でがんばりなさい


 どこからか声が聞こえた。

 顔を上げると、一瞬だけ透明な人の姿が見えたような気もしたが、ふっと消えてしまった。


 今のは……? 幻視? 幻聴?


 そうではなかった。身体がふわっと浮いたかと思うと、力がみるみるうちに回復していく。

 樹は考えるよりも早く、行動に移す。

 ハルピュイアを捕まえようと立ち上がると、上空から力強くも清らかな風がひゅうっ、と駆け抜けた。その風は、白く淡く光っているようにも見える。

「少年」

 気付くと、空中にそれの姿があった。

「私は“風の王”、ヴィクトール。シルフの頼みでここに参じた」

 “風の王”は、大きな翼をもつ白馬、ペガサスだった。

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