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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第四章
14/163

二、

 誘拐事件から二日目の早朝、樹は一水(かずみ)と共に泉に来ていた。まだ朝日が昇る前にいきなり部屋に押しかけてきた一水に叩き起こされたのだ。

 寮から泉に向かいながら理由を聞くと、なんでも、水の女王に呼び出されたのだという。

「サファイヤが光ったと思ったら、女王様の声が聞こえたんだ」

 首元に光るサファイヤをきゅっと握りながら、速足で泉へと向かう一水からは、緊張が感じられる。

 何かあったのだろうか。それとも良くない報せがあるのか。

 急な呼び出しに、不安が心を侵略していく。

 あの事件を知る者として今後も関わることがあるだろう水の女王に面会させ、情報を共有すべきだという考えから、一水は樹を連れて行くことにしたのだという。しかし樹は物騒な事件の当事者である一水を警護するつもりで付き添っていた。

 早朝、陽の昇る前とはいえ、季節は夏。暑い、とまではいかなくても、なま温かい空気が身体にまとわりつく。樹は心を冷静に保ち、何かあったときにはすぐに一水を護れるよう、神経を研ぎ澄ます。


 泉に到着すると、水の上を通り抜ける風が気持ち冷たくなる。もう、泉は黒くない。まだ淀みは残っているものの、ほとんど透明に戻ってきている。

「一水さん、その、女王様は、いつこちらへ……?」

「女王様は、陽が昇る時にここへいるよう俺に伝えてきた。……日の出だ」

 陽が昇り始める。暁の光が泉に反射し、ゆらゆらと輝く。

 すると、その水面から馬の頭が現れた。背中には……人魚が座っている。

 人魚の姿が水上に現れたとたん、空気が一気に涼やかに変わった。

 朝の光を浴びながら海馬に優雅に腰掛ける人魚の姿は、それはそれは美しかった。銀色の髪が朝焼けに染まり、鱗は瑠璃色に煌めいている。

「女王様、再びお会いできて光栄です」

 そう言って胸に手を当て、うやうやしく泉のほとりに跪く一水。人魚の美しさに見惚れて立ち尽くしていた樹も、一時遅れて一水と同じポーズをとる。

「私も嬉しく思います」

 下を向いている樹たちには見えないが、ふわりと笑みを浮かべているのがわかるような、優しい声が聞こえてきた。

 もっと楽にしてください、と言いながら、女王は海馬から腰を上げて泉の岸へ――陸へと上がる。と、瑠璃色の鱗で覆われていた尾ひれが二本の足へと変わり、鱗と同じ色のドレスとなった。

 楽にしてと言われ、顔を上げていた一水と樹は驚きを隠せなかった。そんな二人の表情を見た女王は、手を口に当ててくすくすと笑う。

「人魚に足があるとは、そんなに驚くことなのですね。人魚は陸に上がれば、人間と同じように二本足になるのですよ。鱗とえらはそのままですが。ご覧になるのは初めてのようですね」

 人魚を見るのすら初めての樹は、驚きから復活するのに時間がかかった。しかし一水はすぐに冷静を取り戻し、女王に返答する。

「大変失礼いたしました。知識不足と偏見で、女王様の転身に頭がついていかず……。しかし、女王様はどんなお姿でもお美しいです」

 まぁ、と女王様は楽しそうに笑った。この人はよく口がまわると樹は感心する。

「私もあなたがたの表情を見て楽しんでおりました。驚くのは当然でしょう。ところで一水さん、お隣の男性を紹介していただけますか?」

 女王の視線が樹へ注がれる。

「はい。彼は、星水樹といいます。私の二つ下の学年ですが、水の力に長けており、私は学園の警備隊員の中で最も信頼を置いております。この間の件の詳細を知る、数少ない学生の一人です」

 そして、一水は女王に、泉へと帰った後のことと昨日の会議の内容を簡単に説明した。

「こちらは前と変わらずの環境に戻り、落ち着いています。あの時はなぜあんなに不安定だったのか、私にもわかりません。誰かに操られていたと考えると、納得がいきます。火の長の妹さんの体調はいかがですか」

「ぴんぴんしています」

 一水が答えると、女王様は安心したようにほっと息をついた。

「しかし、淵園さんが倒れ、まだ意識が戻りません」

「そうでしょうね……」

 まるで予想していたかのような反応に、一水は違和感を覚える。しかし、彼女たちは昔からの知り合いだ。体調を予想できても不思議ではないと思い直す。

「私たちの心を操り、感情を利用するその者は、再び何かを仕掛けてくるでしょう。私たちも情報を得た場合はすぐにご報告いたします。一水さんもご一報ください。できる限り、お力になりましょう」

 女王の隣で、彼女を導いてきた海馬が、ぶるん、とたてがみを震わせる。自分の存在をアピールしているようだ。

「この子は、あなたが入り江から帰る時に乗ってきたヒポカンポスです。あなたのことを気に入って、私についてきました。必要なときはこの子も力を貸してくれます」

 海馬の頭をなでながら、女王様が言う。

 自分のことを認めてもらえるのはとても有難いことだ。だが一つ、気になることがある。

「女王様、なぜ人間のために力を貸してくださるのですか」

 ほのかの件で借りを返したい、申し訳ない、と思う気持ちならあるかもしれない。

 しかし、もとはといえば人間が人間に対して危害を加えようとして人魚たちを巻き込んだという結論に一水たちは至っている。そうすると、人魚やメローは被害者なのだ。これは、一水たち有能力者が、人間が解決すべき問題なのだ。

 それなのに、なぜ。

 一水の問いかけに、女王様は真剣な面持ちになる。

「人間だけの問題ではないからです。心を操るその者の行動は、“平衡”を崩す引き金になります。“平衡”崩れれば、その影響を被るのは人間だけではないのです。“善と悪”の平衡も崩れてしまうでしょう」

 四大元素の平衡が善悪にどのように関係しているのか、一水にはわからなかった。

「それは、どういうことでしょうか」

「あの時の、人魚とメローの戦いがもっと大規模に、様々な種族を巻き込む形で始まっていたら、どうなったと思いますか?」

 どうなったか……。

 難しくて、これもよくわからない。わかったのは、人間以外の種族――人間ならざるものも、協力していく必要がある、ということだ。

「さて、今朝はこのくらいにしておきましょう」

 すでに太陽は顔を出しきっていた。そろそろ学生も外へ出てくるかもしれない。

「ありがとうございました」

 一水は深々と頭をさげる。

 女王様は優しく微笑むと、海馬の背に乗る。足だった部分は再び瑠璃色の尾ひれとなった。

「そうそう、樹さん?」

 今までずっと蚊帳の外状態だった樹は、突然女王様に呼ばれて飛び上がった。

「は?! はい!」

 声が裏返ってしまう。女王様はさして気にしない様子で話しかけてくる。

「樹さんは、一水さんに負けない大きな力をお持ちのようですね。それは水の力だけに収まらないようです。あなたの力は一水さんの大きな支えとなります。名探偵の助手として、これからもよろしくお願いしますね」

「は、はい!」

 言い回しは不思議であったが、女王様の信頼を得られたことはわかった。

 それから、と女王は言葉を続ける。

「碧さんもそろそろ意識が戻るでしょう。彼女から聞きたいことはいろいろあるとは思いますが、無理に話させることはしないでいただけると嬉しいです」

「かしこまりました」

 一水が承諾する。それを聞き、「ではまた」と、女王と海馬は泉の中へ消えていった。


 水面に残った波紋を見つめながら、一水は呟く。

「お前のことも女王様はお見通しってわけか」

「そうですね」

 相槌を打つ樹の視線は、一水の見つめる先よりも、もっと遠くに向けられていた。

 と、ぱん! と背中を叩かれ、樹はよろめく。

「そんな顔をするな。ほら、早起きさせたのは俺だが、一限は休みにはならないぞ」

 そんな深刻な顔をしていたつもりはなかったが、樹は一水になぐさめられているのがわかった。

 だが、最後の一言に、別の意味で気持ちが重くなった。

 ……あぁ、寝ていたい。

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