一、
どんよりと青空を覆い隠していた雲はすっかりと消えて、今の季節にぴったりの清々しい空が広がっている。湿ってずんと重く感じられていた空気も、爽やかな風に流されていった。
昨日起きた泉での誘拐事件の解決により、乱れていた天候や四大元素のバランスがだんだんと回復に向かっているようで、学内の雰囲気も先日に比べてずいぶんよくなった。
しかし、誘拐事件の翌日就業後の会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
現在会議室にいるのは、長四人と、長が指名した各領一人ずつの計八人。薬草学の方針変更の際のメンバーと同じだ。事件に関する報告及び情報共有のために開かれた臨時の会議は、一水からの提案で長四人だけでなく、プラス信頼のおける学生四人を追加して行われることとなった。
会議は、聖なる入り江に向かった後からの一連の話が報告される形で始まった。途中、一水の話に口をはさむ者はいない。皆、真剣な面持ちで彼の報告を聴き、頭の中でその状況を想像していた。
海馬に乗って“聖なる入り江”に向かったこと。
“水の女王”、クラウディアに会ったこと。
人魚とメローの棲む領域に存在する、暗黙の了解で保たれていた境界線が侵略され、争いが始まろうとしていたこと。
その裏には、双方を操る何者かの存在があったこと。
そしてその何者かは、人間に危害を与えようとしていると考えられること。
水の鉾と一水の力によって境界線はもとに戻り、水の女王の誤解も解けたこと……。
すべてを話し終えると、しん、と静寂が訪れる。皆、一水の話を完全に理解することができていない様子だ。それも当然だろう。実際に体験してきた一水でさえ、今回の件のすべてを呑みこめていないのだから。現実なのかと疑ってしまう気持ちもまだあるくらいだ。
静寂の時間を止めたのは、土の長、拓真だった。
「有能力者に危害を加えようと企むやつがいる、ということか」
拓真の深い声が、室内に響く。
「……そういうことになりますね」
一水の声も重い。こんなこと、本当は受け容れたくない。そして、もっと受け容れたくないのは。
「その何者かは、この学園の学生である可能性が高いということですね」
さらが指摘する。そう、学内に、その何者かが存在する。
仲間の中に仲間を傷つけようとする者がいる。仲間を疑わなければならないなんて。
皆の表情がぴりっと引き締まる。
さらの指摘は正しい。紅葉も賛同する。
「そうだな、有能力者でなければ人魚やメローの棲む海で彼女たちをうまく誘導することなどできないだろう。そもそも彼女たちの棲む世界に入り込むことすら叶わない。水の女王まで騙すことができるんだ、相当の力を持っているな」
「待ってよお姉ちゃん! そいつが有能力者だとしても、ここの学生とは限らないでしょ?! 卒業生だって、他の学園にだって有能力者はいるし、能力を隠している人だっているんだから!」
ほのかが紅葉に反論する。今回の事件の当事者であるほのかは、火の長である姉から会議の参加者として任命されていた。
こうした正式の場では、姉のことを学園の先輩、長として認識し、言動にも気を遣い公私をわけているほのかだが、興奮のあまり我を忘れ、紅葉をお姉ちゃん呼びにしてしまっている。しかし、紅葉たちがそれを咎めることはなかった。
「ほのか、学内の、という点は私も肯定したくない。でも――」
「女王様がこの学園だとおっしゃったのですよ」
たしなめるように返答する紅葉の言葉は、一水に引き継がれた。
四大元素を操る能力を持つ人間には、特有の波があるらしい。人間には感じ取れないそれを、人魚であり水の女王であるクラウディアは、しかと認識していた。言い換えればオーラであるその波は、個々それぞれで異なるのはもちろん、学園によっても特色があるそうだ。
実際にその黒幕の会っていないクラウディアでも、メローの侵略を受ける前から不穏な波を感じ取っていた。そして思い起こせば、その波は人間特有、しかも有能力者の出す波であり、この榊大魔法学園の学生の流れに似たものだったそうだ。一水に出会い、確信に至ったという。
「そんな……」
そもそも学園には魔法により周囲の一般人、非能力者へ影響がないよう、強い結界が張られている。外からの干渉はほぼ不可能なのだ。この学園の泉で事件が起こった、ということ、黒幕がこの学園内にいる、というなによりの証拠だった。
ほのかさんは、と一水が切りだす。
「なぜ昨日、泉周辺を歩いていたのですか?」
四大元素のバランスが崩れかけ、ほのかはその影響を大きく受けていた。“火”に属するほのかが、“水”の力が強い水の領に自ら足を運ぶとは考えにくい。むしろ力のコントロールを保つため、火の領で調整を行おうとするのが普通だろう。
「そういえば、なんでだろう」
ほのかが不思議そうに呟く。
「うまくコントロールができないのに悩んで、図書館で解決策を調べていて、そしたら、相反する力の強いところのほうが制御に適している、なんて話をどっかで聞いて……気が付いたら泉に何人かで向かってて……」
「その話は、誰がしていたのか覚えていますか?」
「ええと、聞いた、というより聞こえてきた、のほうがあってるのかな? あれ? すみません、ぼんやりとしか覚えていません」
申し訳なさそうに俯くほのか。一水はほのかに「ありがとうございます」と礼を述べると、表情を厳しくする。
「ほのかさんも、何者かに利用された、ということですか?」
一水の厳しい表情から、何を言いたいのか樹は理解した。
一水がこくんと頷く。
「やはり、学内の者、という結論になりそうですね」
誰からも反論は出なかった。
「そうだとすれば、これからどうやって学生たちを守っていく」
紅葉が今後の対策案を持ち出したとき、あの……、と控えめな声が弦矢からあがった。
「その何者かが危害を加える対象は、この学園の学生に限っていいのでしょうか」
「それは、どういう意味ですか?」
弦矢が属する風の長、さらが問うと、弦矢はおずおずと答える。
「えと、学生はもちろんですが、あの、学外の有能力者さんや、非能力者の方々も、その、対象に、なる、と、思うんです……が」
一同がはっとする。それは、“人間”すべて、ということになる。
「ほのかさんを操り、水の女王様に攫わせれば、紅葉さまが怒り狂うことは学生であれば誰でも想像できると、思うんです……。力が暴走して、結界を壊して学外の民家を焼き尽くしてもおかしくない状況でしたし……。一水さまが女王様を説得できなければ、四大元素のバランスは能力の有無関係なく及びますし、一般の方々にも被害は出ていたと思います。だから、その……対象は、“人間”ではないかと、思ったの、ですが……」
自信なさそうに語る弦矢に、一同は注目していた。
「えーっと、あの? ……すみません……?」
なぜ自分が注目の的になっているのかわからない弦矢。どう反応していいのか、おろおろしている。
「そうだ……黒幕の対象は能力の有無など関係ない。“人間”という種族、すべてだ」
最初の被害がここの学生だったこともあり、学外のことなど頭になかった。しかし、弦矢の言うとおり、もしも、が現実になっていれば、能力でどうにか対抗できる有能力者よりも、それができない人々のほうがずっと大きな被害を被ったはずだ。操るのであれば、有能力者でなくてもできる。学園にも非能力者の雇用者もいるし、入れないことはない。
人間を能力の有無で、そして学内と学外で分類し、被害の可能性を無意識に絞り込んでいた自分を、一水たちは恥ずかしく思った。
弦矢、と一水が彼の名を呼ぶと、「はひいぃっ」と悲鳴のような返事があった。
「ありがとう、君のおかげで黒幕の悪意の対象を絞り込まずに済みました」
笑みを弦矢に向ける。他の参加者たちも同じことを考えていたのだろう、弦矢に対し、感嘆の表情を送っている。
「あ、ありがとうございます!」
自分が責められているのではなく、褒められていると理解した弦矢は、少し遅れて嬉しそうに返事をした。
ただ、と紅葉が口を開く。
「その悪役の目的がなんなのか、さっぱりわからない。なぜ人間に危害を加えようとするんだ?」
一度や柔らかくなった雰囲気が、再び緊張する。
「それは今後明らかにしていきましょう。その何者かが学内にいる、ということを前提に、すぐに警備を強化し、企みを防ぐことが現在できる最善の対策です」
さらが言う。その意見は最もであり、一同からは同意の声があがる。
今回の件を知る者は会議室にいる八人。誘拐事件があったことを知る学生は少数に限られ、問題が起きたことは知っていても詳細までは知らない学生がほとんどだ。これは、樹や弦矢が事件を大きくしないために懸命に働いた成果だった。
学長にはすべてを報告し、警備隊員など一部の学生には、自らの能力を悪用しようとする者が学内に存在することを伝え、少しでも不審に思うことがあればすぐに報告される態勢を整えることとなった。
何者かの企みと対象を伝えないのは、学生や先生に不安や他人への疑惑を与えないためだ。負の精神状態やその場の雰囲気は、その何者かにとって好都合な環境を生み出しやすい。
今日の臨時会議はとりあえず閉会となった。だがこの件に関する議論は終わっていない。まだ根本的な解決策までに至っていないのだ。参加者の表情も晴れないままだ。
「早く、眠り姫が目を覚ませばいいのですが……」
さらが呟いたひとり言。その発想に樹はぴんとする。しかし今考えるべきは他にある。
樹は自分を諫め、さらの言う“眠り姫”のことを頭に浮かべる。今回の件を一水同様詳しく知る、いや、彼以上のことを知っているだろうもう一人の存在に。




