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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第十六章
104/163

一、

 勝手に足が動き、碧を追う形でくぐったアーチの先は、開けた野原があった。

 空には星が輝いていて夜であることは明らかなのに、見渡す景色は明るくて、不思議な光景だ。


 後を追ったと思ったが、そこに碧の姿はない。

 目の前に広がるのは、“あの日”を夜にしただけのそのままの景色だ。星の光がそのまま形になったように、妖精がちらちらと舞っている。

 ここに来た、アーチをくぐったその目的も忘れて、樹はただ呆然と、その場に立ち尽くした。

 ここは、“あの日”の場所なのか。

「懐かしい? 久しぶりだからね。八年ぶりかな」

 声がしたほうを見ると、くるくると渦巻く風があった。風はだんだん大きくなって、人の形となる。樹と同じ年頃の青少年の姿。

 どこかで見たことあるような……。

 記憶をたどると、竜巻事件のときに出会った風の象徴、シルフとそっくりだと気づく。

「シルフ様……?」

 風の青年は、ふっと口元をほころばせると、「ちょっと違う」と言った。

「僕はシエル。シルフは僕の父さ」

 父?

 ということは、今ここにいる風の青年はシルフの息子で。

 って、そもそも精霊に子どもがいるものなのか?

 頭が追い付かない。あれ、でも前にあの人型の風に会った時、息子が世話になったとか、そんなことを言われたような。あれがシルフ様ってことか?

 とりあえずそのへんは置いておき、聞きたいことを聞くことにする。

「あの、シエル様、ここはどこなのでしょうか」

「様なんてやめてほしいな。あのときみたいに気軽に話して」

「あのとき?」

「八年ぶりだと言ったじゃないか。ここは妖精の森。八年前、君をここに連れてきたのは、僕だよ」

「!」


 八年前。樹が十一歳の時。風に誘われて迷い込んだところ。

 その風がシエルで、場所がここ。

 “あの日”の場所。

「思い出したかい?」

 思い出したもなにもない。気が付けばいつも、“あの日”のことを考えていたのだから。

「ああ」

 言葉にならない感情が溢れてくる。

「こうしてやっと君にあえて、嬉しいよ、樹。話したいことが山ほどあるんだ」

「悪いけれどそれはあとにしてもらいましょう」

 堂々と威厳のある声が響く。

「グリンヴェルドューユ様。少し待ってくださってもいいのに」

 シエルが向いた先には、美しい女性が立っていた。

 地面まで届く長い金色の髪は波うって、星の光を美しく反射している。その髪には、野花で編まれた花冠が載っている。瞳はその奥まで吸い込まれてしまいそうな碧色。耳はとがっていて、背には羽。うすい絹のような繊細な布地を何枚も重ねたような、緑色の羽衣をゆったりとまとっているようだ。クラウディア様とはまた違う美しさと、力が感じられる。

 驚いたのは、その姿が通常の人間の大きさだったことだ。妖精というのは、人間の手のひらサイズで羽のあるイメージがあった。

 それにシエルが口にしたその名前。どこかで聞いたことがある。

 グリンヴェルドューユ。あ。

「“森の女王”……様?」

 妖精の女性はちらりと樹を見ると、ゆっくりとまばたきをした。

「いかにも、私が森の女王、グリンヴェルドューユです」

 と、いうことは、ここが碧の育った場所だということだ。

 最初にシエルが妖精の森だと言っていたではないか。

 今になって、やっと気づく。

 そしてここが、樹が迷い込んだ“あの日”の場所なのだ。


「妖精が人間ほど大きいことに驚いているのですか? それとも、あなたが昔迷い込んだのがここであったことに驚いているのですか?」

 目を見開いている樹に、女王が聞いてくる。言葉は丁寧だが、威圧感がある物言い。友好的ではないことが感じられる。

 なにも言わない樹を気にも留めず、女王は続ける。

「妖精が小さい、というのは人間の決めつけ、思い込みです。種族にもよりますが、妖精もたくさんいるのです。それからあなたがここに入ってこれたのは、シエルがあなたを連れてきたからです。八年前も、そして今夜も」

 シエルはきまり悪そうに目線を女王から逸らす。

「星水樹」

 名前が知られている。

「なぜ……」

 そう聞いておきながら、知っているのも当たり前か、と樹は思い直す。妖精たちの女王なのだから。

「はぁ。八年前はまだしも、今夜も連れてきてしまうなんて、正直迷惑です」

「そんなこと言わないでくださいよ。樹には伝えておくべきだと思ったんだ。それに入ってきたのは樹のほうさ」

「だから扉を勝手につなげたのですね」

 話を聞いていると、扉というのは時空を超えるものらしい。碧が消えた直後、アーチに飛び込んだ樹がたどりついたのが、妖精の森だったということだ。

 思い出すと、碧がいつもどのような手段で学園に通っていたのか知らなかった。帰宅の時間帯に土の領付近で見かけたときはあったが、正門へ向かうとばかり思っていた。

 しかし違ったのだ。碧はあのアーチを扉にして、学園と自宅を行き来していたに違いない。草木を世話している彼女が植物の多い土の領に入って行ってもおかしくない。たとえ誰か見ていても、気にも留めないだろう。


 女王とシエルが言葉を交わしているのを、別のことを考えながら聞いていてふと気づいた。

「碧は、ここにいるんですか?!」

 アーチの淡い光にとびこんできたらここだった。つながれた先が同じ可能性が高い。碧が育った場所でもあるのだから。

「どこにいるのか、あなたに教える義務などありません。そもそもあの子を追いやったのは、あなたたちでしょう」

「うっ」

 冷えきった、かつ強い口調でそう言われ、樹がぐうの音も出ない。頼みの綱であるシエルに目をやったが、シエルは肩をすくめただけでなにも教えてくれなかった。

「あの子が両親を失った直後にしていた顔と同じ顔をしていたことだけは、伝えておきましょう」

 少なくとも、一瞬は碧と会っているということだ。そして彼女はとてもショックを受けている? それとも覚悟を決めたのか?

「あなたは碧を疑っているのでしょう?」

 女王の言葉が樹の胸に突き刺さる。そのとおりだ。まさに今も、疑念を抱いている。

 報復の、混沌を作りだす覚悟を決めたのではないか、と。

 樹がなにも答えられずにいると、女王はさらに問い詰めてきた。

「なら、なぜあの子を追ったのですか?」

「え」

 女王が美しい顔を無表情にして見つめてくる。美しいだけに、とても怖い。


 樹は考える。

 なぜ追ったのか。なぜだろう。

 自分でもわからなかった。碧が消えてすぐ、無意識に足を踏み出していた。なぜなのか。答えが出てこない。

 はあ、と溜息が聞こえる。

「もういいです。では、いくつか忠告をしておきましょう」

 忠告。その単語にはっとして、樹は考えるのをやめ女王の言葉に集中する。

「これからあなた方は、自身の力だけで問題を乗り越えなければなりません。救いの手があるかどうかは、あなた方次第です」

 問題。それはまず、石像事件のこと。そしてその後起こるであろう、“影”による混沌の創造だ。

 碧の助けはないから、自分たちで解決策を見つけろ、ということだろうか。それとも碧こそ“影”なのだから、阻止できるのは樹たちの力によるということか。

「あなた方は、五つ目の力を自ら手放しました。それをどう穴埋めするかは、自分たちでお考えなさい」

 五つ目の力? なんだそれは。

 女王の忠告の意味の理解に困る。

「いいですね」

 念を押されて、樹は「はい」と答えるしかなかった。

「グリンヴェルドューユ様、あなたは、碧が妖精たちや人間ならざるものに手を下そうと考えているとは思わないのですか」

 女王はきゅっと目を細め、樹を一瞥した。

「あの子は中立です。何にも属さず、すべてに属しています。私たちはあの子を信じています。あなた方と違って」

 とても冷やかな声だった。身体からすう、体温が吸い取られていると錯覚するほどに。

 樹は目を彷徨わせる。

 そう、自分たちは、碧を疑っているのだ。反論などできるはずもない。

「樹」

 突然名前を呼ばれ顔をあげると、女王が手を差し出した。手の上には、森の緑を凝縮したような、碧色に輝く宝石――エメラルドが乗っている。

「これは……?」

「お守りにしなさい。私から、お詫びとお礼です」

「お詫び? お礼? 俺はなにも」

「あなたがここへ迷い込んだとき、帰す時空を間違えたことへのお詫びです。あの日は碧の両親のことで、焦っていました。しかしそれは言い訳にはなりません。妖精たちを治める私にも責があります」

「え、それって」

「お礼については」

 女王は樹に口を挟ませる隙を与えなかった。

「理由はどうであれ、あの子を追ってくれたことに対して、です。これを」

 ずいと押し出されたわけでもないのに、受け取ることに有無を言わせぬ圧力があった。

「あ、ありがとうございます」

 樹はたどたどしくその宝石を受けとった。一水たちが持つような特別なものではないとは思うが、宝石をこんなに簡単に、しかも森の女王から受け取っていいものなのだろうか。つまんだ宝石を手のひらに転がせ、見つめると、エメラルドは神秘的に見えた。

 まじまじと見つめていたが、樹は聞きたかった大事なことを思い出し、去っていこうとする女王の背に向かい声をかけようとした。しかし、その前に女王が足をとめ、ほんの少し、こちらに振り返った。

「あ、そうそう、あの日、あなたがここで出会ったのは、碧です」

 さも、「そういえば思い出しました」、みたいな体で、女王は言った。

 樹は固まった。身動きできない。

「ではシエル、あとは頼みますよ」

 女王はこちらを見ずにそう言い残すと、消えた。

 すっと、碧がアーチのなかへ消えたときと同じように、音もなく。残ったのは緑が映える景色だけ。

 女王がまとっていた空気のような、威厳と刺々しい雰囲気すら、そこからなくなっていた。

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