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夕日は瞳の奥に  作者: ぬりえ
第三章
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三、

 “聖なる入り江”は、単に岩場の洞窟といえる場所ではあったが、ただの洞窟ではなかった。聖なる、という言葉にふさわしい、神聖な空気がただようところだ。光の入る場所はないのに、ぼうと明るく、水が清く輝いている。ただ少し、とげとげした感覚が一水を突いてくる。


 一水(かずみ)は海馬から降りて岩場に足をつける。と、奥から大きな力を感じた。ここまで自分たちが追ってきた力。この力を発しているのが、“水の女王”だ。

 淵園が海馬に、「ありがとう、少し待っててね」と伝え、奥へと足を向けたときだった。

 目の前に、すう、と女性の姿が現れた。学内の泉に現れた、あの女性だ。

「我が名はウンディーネ。“水の象徴”であり、この入り江を護る者。あなた方をこの先へ通すわけにはいきません。そもそもお願いしたのはメローの侵略を止めることです。ここへ来いとは申し上げていません。どうぞ、お引き取りを」

 言葉づかいこそ丁寧であるが、有無を言わせぬ迫力がある。

「ウンディーネさま、大変ご無沙汰しております。私は淵園碧と申します。その節は、クラウディアさまともども、大変お世話になりました。本日は、仲介として参りました。クラウディアさまにお目通り願います」

 淵園はそう言って深々と頭を下げる。一水も一時遅れてそれに倣う。

「そなた……あのときの……」

 ウンディーネは何か思い出したようだ。

 淵園をちらと見ると、彼女は哀しげに微笑んでいる。

「お通ししてください、ウンディーネ」

 どこからか透き通った声が響いた。

「……かしこまりました」

 ウンディーネは不満そうにしながらも、承諾する。

「女王様からお許しをいただきました。どうぞ奥へ。あなたがいるのなら、案内は不要でしょう」

 淵園はさっきと同じく哀しげに微笑んだままだ。

 と、ウンディーネはすう、と水の中へ消えていった。

 

 一水は入り江の奥へと進む。そして、女王を一目見て、息をのんだ。

 “水の女王”は、人魚だった。

 前もって知らされていたが、本物を目にするのは初めてだ。水の身体を持つ女性や海馬をなど、人間でないものを今日一日で見ている。だからもう驚くこともない、と思っていた。けれどやはり、幻獣といわれる生き物を見て驚かないわけにはいかなかった。しかもその姿がとても麗しいのならば、当然だ。

 下半身は瑠璃色の鱗に包まれ、尾ひれがついている。上半身は人間の身体ではあるが、物語でよく聞く装いとは異なり、貝や水中の植物で編まれたと思われる服を身にまとっている。銀色の髪はまっすぐに流れ、肩のあたりから腰までは、ゆるく三つ編みにされている。人間でいえば耳となる部分はえらのような形をしており、瞳は海の底まで見透かすかのような深い青。

 美しい。

 それ以外、何も感じさせない。

 しかし、その見目とは裏腹に女王の表情は厳しく、向けられる眼差しは鋭い。

「碧、今回の件、あなたは人間の味方なのですね」

 水の女王の最初の言葉は、淵園に対してだった。怒りがじわじわと伝わる声。

「クラウディアさま、大変ご無沙汰しております。このような形であるのは大変不本意ですが、またお会いできて光栄です」

 洞窟の岩に腰掛ける女王に対し、淵園は顔を上げずに両膝をついて言葉を返す。

「そしてクラウディアさま、私は今回、人間の味方ではございません」

「なっ?!」

 一水は驚いて声をあげてしまった。では、ほのかを攫った人魚の味方というのか。

「ですが、敵でもありません」

「……それは、どういうことですか」

 一水も同じことを考えていた。

 水の女王の問いに、淵園は顔を上げ、女王を見る。

「私は今回、あなたさまと、人間であり私の勤め先の学園の水の長である一水さまを対話させるための、ただの仲介役でございます」

「仲介ですか? 私たちの要求はウンディーネに伝えてもらっています。対話の必要などありません」

 切り捨てるような言い方に、このままでは会話もできずに終わってしまう、と一水はとっさに判断した。

「恐れながら申し上げます、女王様。私は人間の通う学園の水の長を務めさせていただいております、瀬戸一水と申します。女王様の要求は受け取りました。しかし、私どもにはその内容についてまったく身に覚えがありません。どうぞ、経緯を教えていただけないでしょうか」

 女王の前に跪き、一気に言う。

「“平衡”を保つためにも、私からもお願い申し上げます、どうか」

 二人で頭を下げる。

「……いいでしょう。あなた方のしでかしたことがどれだけ重大なことか、話せば理解できるでしょう」

 女王は、静かに語り始めた。



 人魚とメロー。それらは似て非なる存在。

 メローは上半身は人間、下半身は魚の身体を持ち、海の一部の次元に棲むが、“属性”が異なる。

 “善”と“悪”。

 “光”と“闇”。

 “陰”と“陽”。

 “白”と“黒”。

 このように世界を分類した場合、人魚は“善”、メローは“悪”にそれぞれ分けられる。

 人魚は人魚たちが棲む領域内で、秩序を守り生きている。棲む次元の異なる生き物を襲うことはない。

 メローは好戦的で肉食、特に人間の肉を好む。美しい見目と声で人間を魅了し、おびきよせ、鋭い牙と爪をもって襲い、喰らう。

 似ている種族とはいえ、生きやすい環境は異なり、それぞれ海の中を棲みわけていた。お互いに争うことは良策ではないと理解していた。メローにとって人魚は食べ物の範疇に入る。しかし人魚はその“属性”から海の生き物を味方にする力を持っていた。

 人魚とメローは棲みわける境界には、いつしか暗黙の了解が存在することとなった。お互いにその境界に近寄ることはほとんどなく、今までそれぞれの次元で生きてきたのだ。

 だがある日、一線が越えられた。

 ある日、幼い人魚が行方不明となった。探し回った結果、体中を噛まれ、食い千切られ、もとの姿がわからないほどの無残な姿で発見された。

 人魚たちは声を境界の向こう側から洩れるような声を聴いた。

「お前たちがその気なら、こちらも容赦しない」と。

 その後、暗黙の了解として保たれてきた境界は、メローから侵略され始めた。じわじわと負のオーラが人魚の領域に忍び寄る。

 あるとき、女王に報告があった。境界付近で、メローが人間に何やら指示を受けている様子を見た、と。

 人間の世界では、人魚の肉を食べると不老不死になる、という迷信があるのは人魚自身知っていた。それが本当であるかは人魚自身でさえわからない。だが、人魚の肉を狙い、人間がメローを操っているとしたら。

 そんなことができるとすると、水を操る能力を持つ人間しかいない。人間の世界で、“有能力者”と呼ばれる者たちだ。

 そこまで考えると、激しい怒りが込み上げてきた。身勝手な望みのためにメローを操り境界を侵して人魚を狙うなど。

 許せない。

 人間の世界で有能力者が集まる場所には心当たりがあった。能力を磨くための人間の学校。特に優秀な人間が多いというのは――榊魔法大学園。あそこの者なら、メローを操ることができてもおかしくない。

 女王が“水”がつながる泉から、水に弱い“火”の能力者の人間を攫うよう水のニンフに命令し、ウンディーネに伝言役をさせるまで、時間はほとんどかからなかった。



「これですべてです。この者の命を救いたければ、メローの侵略を止めなさい」

 女王の隣に、水の泡が現れる。中には、赤みがかった髪の女性が気を失った状態で浮いている。ほのかだ。

「恐れながら申し上げます。女王様のお話には、いくつか疑問点がございます」

 一水は水の女王に質問の許可を求めると、女王は無言で先をうながす。

「人魚とメローでは、言語が異なると古い書籍にありました。人間の書いたものですが、それは本当でしょうか」

 女王は眉間に皺を寄せて考え込むように俯いた。一水はそれを、言語が異なることの肯定として受け取る。

「そうであれば、メローの声を聴いたという人魚は、なぜ、メローの言葉を理解できたのでしょう」

 聞こえてきた声がメローのものだとわかったことも不思議である。

 女王は無言のままだ。

「また、境界の向こう側でメローが人間に指示を受けている様子を見たという報告も、事実なのでしょうか。メローと相いれないようにしていて、さらに幼い人魚が襲われたことで恐れを感じていた人魚たちが、向こう側が見えるほど境界の近づくとは思えません」

 女王の話にはなかったし、一水も知らないことだが、境界の向こうはメローが好む領域で暗い海。境界の向こう側はほとんど見えない。

「たしかに、私のように水の中を自由に移動できる人間はおります。ですが、メローを背後で操るような人間が、みすみす人魚に姿を見せるようなまねをするとも思えません」

 裏で操っているのが人間で、そうとは思わせないようにメローを使って人魚を侵略しているような奴が、そんなミスを犯すだろうか。

 女王は、人間が境界の侵略に関わっているという考えに至った時点で、メローではなく人間を対象に、怒りに任せて行動してしまった。一水の疑問に女王は動揺を見せ始める。

 さらに一水は訴えた。

「お話によりますと、被害を受けた人魚は一人です。その後、境界の侵略が始まったとすると、容赦しない、というメッセージは、境界の侵略に対するものと考えられます。お前たちがその気なら、というのは、人魚たちがこちらの領域に侵入してくるのであれば、という意味であると思われます。失礼ながら確認させていただきます。あなた方人魚は、暗黙の了解を破ることはあったのでしょうか」

「ありません」

 女王がきっぱりと否定する。

「でしたらメローの側も、人魚に境界の侵略を受けたと思い込まされ、脅しのために被害にあった人魚を手にかけた、と考えられるのでは」

 自らの欲で暗黙の了解を侵したのと、防衛のために犯したのでは、目的が異なる。

 メローが餌として人魚を捕まえ、殺したとも考えられなくはない。しかし、そんなことをすれば人魚と争いになることはメローもわかっているはずだ。いくら好戦的であれ、人魚が強い力を持っていると認めているメローがそんな危ない橋を渡るようなまねをするだろうか。いや、考えられない。


 では、なぜ、人魚を殺すに至ったのか。

 それは、人魚に境界を侵略されていると、メローが思ったからだ。それがあってこその制裁。侵略は止めろ、という意思表示。

 人魚側は、幼い人魚が殺されたことにより、大きな不安と恐怖をおぼえたが、メローに対しそれ以上の怒りを感じた。人魚は境界がメローに侵略されたときのために、対峙するための武器を備えるなどなんらかの対応をしたはずだ。

 そのぴりぴりとした気配は境界を越えメローに届き、メロー側は人魚が境界の侵略を企んでいるという確信に至った。そして本当に、メローは自らの領域を守るために、事実侵略などしていない人魚に対し、境界の侵略を始める。

「私の愚考によりますと、つまり、メローの背後には人魚が境界の侵略をしてきていると唆す存在がおり、同じく人魚のほうにもメローが境界を侵略してきていると思い込ませる何者かの存在があったものと考えます」

「……それが、人間の能力者なのでしょう」

「背後にいる者は、メローには人魚に、人魚には人間に矛先を向けています。最終的に人間に至るようになっているのです。だとすれば人間がその背後の者とは考えにくいのでは」

「……」

「人間ではない何者かが、メローに人魚を襲わせるようにそそのかしたのです。最終的に、人魚に人間を襲わせるために」

 一水は考えた結論を言い切った。

 自分たちが、有能力者が、人間が、今回の件を起こしたのではないという主張が女王様に伝わるよう祈りながら。

 女王は強い視線を一水に向けてきた。その鋭さに目を逸らしたくなる。でもここで目を逸らしてはいけない。彼女との約束を果たすためにも。

 一水は正面から女王の視線を受け止める。


 二人の睨み合いはどのくらい続いたのだろう。

 女王がふぅ、と息をつき、ゆっくりと瞼を下ろす。

 再び目を開いたときの眼差しは、心なしか柔らかくなっていた。

「あなたの言い分は理解しました。黒幕がいる、という意見には賛成です」

「では!」

「ですが」

 女王がまた厳しく一水を見据えて続ける。

「あなたを、あなたの学園の人間を完全に信用したわけではありません。まだ問題が解決していないのです」

 最初の問題、それは、メローが境界を侵してきていること。

「境界線をもとに戻してください。それができれば、あなたの結論を受け容れます」

 境界線をもとに戻すなんて、どうすればいいのだろう。一瞬見えた希望の光が塵となって消え去る。

「これを使いなさい」

 絶望しかけた一水の前に差し出されたのは、一本の棒。そこには見事なサファイヤが埋め込まれている。

 差し出されたままにそれを受け取ると、なにか大きなエネルギーが身体の中に一気に流れ込むかのような感覚を覚えた。これがとてつもない力を秘めていることを悟る。

 女王は、何も言わない。

 試されている、と一水はわかった。

 どのように使うかは教えられていない。でも、これを使えば境界線をもとに戻せることはたしかだ。そう思った瞬間、なぜかこの使い方がわかった。

 一水はすっと立ち上がる。しっかりと棒を握ると、有する水の力を流し込む。

 すると、棒の先に透明な三本の水の刃ができた。三つ又の鉾だ。

 聖なる入り江の海面に、持ち合わせる力と祈りを込めて、水の鉾を突き刺す。


 自分がここにいる理由が、突き刺した反動と同時に、すとん、と心に収まった。

 自分は学園の“水”の領の“長”。

 “水”を司る“王”に意見できるのは、学園では一番高い立場にいる自分だけ。

 そして自分が認められば、それは、自分が治める領と、学生たちも認められたことになる。

 そうだ、自分がここにいるのは意味があるのだ。だから、自分にしかできないことを、やりとげる。

 海に争いが起きないよう祈り、水の鉾にさらに力を流し込む。


 ごごごごご……


 海底から音が響く。

 守らなければならない。水に属すもののすべての平衡を。


 ごごごご……


 争わないでほしい。作られた偽の事実に惑わされるな。真実を受け容れろ。


 す……ん


 地鳴りの音が止まる。

 一水が水面から鉾を抜くと、三本にわかれていた水の刃はするすると消え、棒もなくなり、サファイヤだけになっていた。

 終わったのか……?

 境界線は、今どうなっているのだろう。

「お見事です、一水さま。境界はもとに戻りました」

 ただ茫然と立ち尽くす一水に最初に声をかけたのは、淵園だった。そうですよね、というふうに彼女は女王に振り向く。

 女王を見ると、彼女は一水に優しく微笑んでいた。生命の母、“水”、そのもののあたたかさが伝わってきた。

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