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5.チート級魔導師は最強の獣を飼い馴らす

もうもうと舞っていた砂塵が収まる。

汚れ一つない(・・・・・・)綺麗な靴先が、トン、と軽やかな音を鳴らして着地する。


両手を大きく広げた年若い魔導師が一人、獣のすぐ目の間に笑顔で立っていた。


周囲の剣兵たちが大声を上げて駆け寄り、あるいは自分たちの剣を投擲しようとするのを、その人物は片手を挙げて制して。


衆人環視の中、一人と一匹。

その間で、天井から下がる蝋燭の明かりが、ゆっくりと揺れる。


獣の荒い息がかかるほどすぐ近くまで歩み寄り、魔導師は手を伸ばす。獣の汗ばんだ頬と湿った鼻先を、優しく撫でる。


「よし、いい子」


不安げに見下ろしてくる獣に、エンテはゆっくりと微笑んでみせた。


遠くでどこかの建造物が壊れる音がした。

何人かの若い近衛兵が、その場にへたりこむ。


「な、なんだ……?」


「あいつ、さっきの妙な魔導師だ」


気づいた数十人がざわめく。

魔導術が発動したことを示す、青白い光はなかった。

つまり。


「一体、どうやって……」


唖然とする全員の前で、くるりと振り向く笑顔の魔導師。


「老師長、剣兵隊長。どうです?」


獣の腹部をゆっくりと撫でながら、もう片方の手をのんびりと振ってみせる。二の句を継げないでいる満身創痍の二人を見て、満足そうにうなずく。


「では、この子は私が飼うってことで」


おいで、と獣に声をかけて、そのまま歩き去ろうとするエンテを、


「ま、待て、まさかそのまま野放しにしておくつもりか?! いつまた……」


ハッとなった剣兵隊長が慌てて呼び止めた。


「私が責任もって止めますよ」


「ど、どうやってだ!」


唾を飛ばして怒鳴る老師長をまじまじと見返して、エンテはこてんと首をかしげた。


「じゃあ――こうやって」


魔導師の着衣の袖が、風を包んでふわりと広がった。


ゴゥ、とエンテの足元で砂塵が舞い上がる。

不意に生まれた、つむじ風。


動けないでいる玉座の王の頭のすぐ横に、すとん、と何かが着地するような音。王が目線をそちらへ滑らせると――先ほどまで目の前にいたはずの魔導師が、壁に作りつけられた燭台に片足で乗り、器用にしゃがみこんでいた。


キィ、と軋んだ音を立てて揺れる燭台。


「レキ! もう手加減無用(・・・・・)だよ」


魔導師がそう声をかけた途端。

獣の全身からゴゥと一気にほとばしる、青白い、煙のような淡い光。


「ま、魔導術……!?」


「使えたのか……」


あふれんばかりのその力で急激に熱せられた空気が、生ぬるい風となって皆の顔にかかる。部屋中のカーテンや垂れ幕がばたばたとはためく。


誰の目にも視認できるほどの圧倒的な魔導力を温存していながら、それを一切使わず応戦していた獣を、愕然と見る老師長と魔導師たち。


絨毯に片膝をついた姿勢のまま、かすむ目を懸命に見開いて、老師長は先ほどのエンテの言葉を思い出していた。


「まだ全力では……なかったと……」


王国が結集した総力をこうも蹴散らし、玉座の前まで到達しておきながら。その広い背中にいくつもの矢をつきたてたまま、鮮血をぼたぼたとこぼしながら、それでも我々に向けて魔導術を使わなかったのは、一体なぜか――


そんな疑念は、目の前の光景に意識を奪われたことで、たやすく途切れる。


揺らめく青いもや(・・)を身にまとった獣は、姿勢を低くし、がつんと地を蹴った。


一秒前までエンテが足場にしていた燭台が、大きく跳躍した獣の前足で、周囲の壁ごと深くえぐられる。ばらばらと石の崩れる音。


そのときには魔導師の姿はいつのまにか、南側の半壊のバルコニーにあった。白い欄干の上に仁王立ちのまま、ちらと肩越しに振り返る。

揺れる髪の間からのぞく、異様に好戦的な目。

これまで数々のならず者を相手にしてきた剣兵隊長は、しかし今までにない悪寒を――身の毛がよだつのを感じた。


欄干の上で体ごと振り向いたエンテは、瞬く間に駆け寄ってくる獣に、広げた右手をまっすぐ突き出す――


対する獣の全身から、更にぶわりと吹き上がる青いもや(・・)


壁際にへたりこむ若手の魔導師たちの外套に、石釜を開けたときのような熱風と、水辺に咲く花のようなかぐわしい匂いがかかる。上級の警邏魔導師(テック)たちが発するものと同じ、高等魔導術特有の匂いだ。


魔術研究員(スコラ)たちの最近の分析によれば、それは、強すぎる術によって濃縮した魔導力が、人間にも嗅ぎ分けられるほどの匂いを発するから、であるらしい。



どん、と空気のかたまりがぶつかりあう重い音。



打ち消しきれなかった、すさまじい量の魔導力があたりにブワリと広がる。室内の空気を大きく振るわせる。


四方の窓ガラスが弾け飛ぶ。天井に、壁に、床に、亀裂が走る。

広間全体が、いや、王城全体が大きく揺れた。

絨毯が裂け、壁の絵画がばらばらと落ち、豪華な家具が次々と倒れた。


慣れない量の魔導力にあてられた年若い剣兵たちは、それだけで目を回して倒れた。中堅の者たちも耐え切れずにふらつく。


「……な、ん、だこれは」


一気に惨状と化した広間で、ただ呆然と呟く剣兵隊長。

おおよそ、今まで彼らが見てきた『魔導術戦』とは程遠い――戦争だ。

一人と一匹だけの戦いが。


倒れた棚の上に着地した獣は大きく息を吐いて、部屋に充満する、むせかえるような匂いに、フンと鼻を鳴らす。

ここにきて、ようやく気づいたのだ――欄干に立ったままの魔導師が、ずっと身にまとっていた独特の匂いは香などではないことに。ただ、あまりにも濃すぎて(・・・・)、別の匂いだと勘違いしただけだ。


これは、濃縮された魔導力の匂い。


獣は顔を上げた。

エンテの右手からたちのぼる、限りなく白に近い、青の光。



――この人間は(・・・・・)壊れない(・・・・)



獣が天井に向かって口を大きく開けた。

突然の咆哮に、部屋がびりびりと震える。


一瞬でバルコニーに肉薄した獣が、エンテの身体に触れる直前――獣の全身が白い光に包まれて、ぽいと窓の外に投げ飛ばされた。少し遅れて、下のほうでばきばきと枝葉の折れる音。


「お、王族領に……」


不可侵の神聖な森林が破壊される音に、敬虔な魔導師たちが青ざめる。


「さてと、今のうちに」


欄干からストンと下りたエンテが室内に戻ってきて、右手の人さし指を振る。


「!」


部屋中にぶわりと広がる白い光に、たまらず全員が目を閉じ。


「王、ご無事ですか? ケガはないですよね」


そんな声が聞こえて、何人かがそっと目を開ける。


玉座からずり落ちそうになったまま固まっていた国王を、エンテが片手でひょいと引きずりあげていた。ハッとなった側近の近衛たちが慌てて駆け寄ってくるのに、笑って彼らの肩を叩いて、入れ違うように段を下りる。

まっすぐに向かうのは――扉と窓枠の下、伏せたままの剣兵隊長の元。


「お前……何者だ?」


顔を上げた剣兵隊長は、冷静な声で問うた。


屈強な剣兵たちが束になっても持ち上げられなかった重い窓枠の上に、細っこい腕の魔導師の靴先が乗る。


「お前……ッ!」


周囲の剣兵たちがカッとなるのを、近くに座り込んでいた老師長の凛とした声が呼び止める。


エンテの靴が触れたところから、窓枠の上に氷のように亀裂が走り――パキン、と音を立て、粉々に砕け散った。


ぱらぱらと砂塵の降る中、ゆっくりと身を起こした剣兵隊長は、数秒前までひどく負傷していた自身の右肩に触れる。今や痛みも、上着が重くなるほど染みたはずの血液の一滴すら見当たらない。


ようやく事態に気づいた者たちがざわめき始めるのを、剣兵隊長は目の端に捉えつつ、


「治癒魔導術か」


エンテを見据え、確認するように小さくつぶやく。

混乱した警邏魔導師(テック)の一人がわめいた。


「まさか、そんな! こんな広範に、それに、あれほどの負傷を、一瞬で……」


言葉が途切れたのは、南側の窓を見たから。


傷ひとつない大きな窓枠。嵌め込まれたつややかなガラスが日の光を通して、毛の長い絨毯を広く照らす。汚れのない左右のカーテンは、先ほど飛び散ったはずの金色の鎖できちんと束ねられていて。


「ろ、老師長……」


数年後には老師職に就くであろうと噂されている上級の警邏魔導師(テック)の男が、動揺しきった声で老師長を呼んだ。


「……治癒魔導術と復元魔導術を、組み合わせたのか」


立ち上がりながら言う老師長に、にっこりと微笑んだまま答えないエンテ。


「ああ、併せて、魔導力も撒いたな」


老師長が自身の手を見下ろしながら付け加えるのに、自身の魔導力が回復していることに気づいた魔導術たちがハッとなる。


と、南側の窓が外側から開いた。

ひたり、と静かな足音。


「ああ、おかえり、レキ」


エンテの気安い声に、獣が窓から顔を出す。

背中の矢も、血の跡もない。


エンテのすぐ横まで歩いてきた獣は、その場にすとんと座り込んだ。


「い、今のうちに取り押さえろ!」


剣兵の一人が叫ぶ。

カッとなった獣が毛を逆立てるのに、エンテの手がぽんと乗って。


「その必要はありません」


駆け寄ろうとした剣兵たちは全員、全身を固まらせた。

強制的に、体の動作を制限されて。


……そして、その硬直した身体に、その覚えのある感覚(・・・・・・・)に、剣兵たちの間に動揺が走る。


そう、あのときだ。

レキストラウスの何度目かの逃走。あと少しで捕縛できるというところで、妙な魔導師が現れたとき。


あのとき、ごく自然に(・・・・・)、全員が獣から目を離した。

あのとき、ごく自然に、強制的に、全員が獣から目を離した。


戦況が優勢だったとはいえ、突然かけられた声だったとはいえ、あの緊迫した状況で、あそこまで完全に、標的から意識をそらすはずもないのだ、本来なら。


つまり、あれは。


そこまで思い至った剣兵たちの背筋に――ぞっと悪寒が走る。


そんな彼らの動揺などどこ吹く風。

どっこいしょ、とエンテは億劫そうに獣の横に座りこんで、


「話をしようか」


と皆に告げた。


「怖がってるのはお互い様。そんな風に血相変えて剣先向けて追ってきた相手に、言われたとおりに大人しく立ち止まるバカなんていると思う?」


その意味するところに気づいた獣が、とっさに身じろぎして、


「大丈夫。根本的に助けるって約束しただろう?」


エンテがそっとささやいた。


「元々この子には人間に危害を加えようとか、人家を荒らそうとか、そういう野蛮な発想はないんだよ。森で静かに暮らしたかっただけ。ちょっと力が強いだけ。牢に閉じ込められるのが嫌なだけ。ねえ、レキ。だよね?」


エンテのほうを見つめ、コクリとうなずく獣。


「……じ、人語を、解すのか」


追い回していた何人かが、呆然と呟く。

レキはむっとして口を開いた。


「……問答無用で攻撃してきたのは、そっちのくせに」


そう流暢に呟く獣に、人間たちは驚いてどよめく。

くつくつと音が聞こえて、不安そうに顔を向ける獣。エンテが「してやったり」といった顔で笑っていた。


「さて、もう一度問いますけど――老師長、剣兵隊長。この獣、私が飼ってもいいですよね?」


黙して顔を見合わせる二人からさっさと目線を外して、エンテは獣の名を呼んだ。獣のあたたかな背中に手を置いて。


「案ずることはないよ。キミと私は似たようなものだし。違いがあるとしたら――私のほうが、ちょっとだけ要領よく市井に紛れ込んだ、っていうだけだよ」


獣の鼻先に顔を近づけて、穏やかな笑顔でささやく。


「あと、私のほうが、ちょっと(・・・・)強いかな?」


そう言って――


小指の先に灯した小さな白い光を、指で弾いて外に飛ばす。


それだけで――崩れかけていた東西の尖塔が跡形もなく崩落し、その奥に広がる広大な緑が、一気に火の海に包まれた。


前時代からの歴史的建造物である神聖な塔と、本国の肥沃さの象徴でもある王族領の森林が、だ。


「――ね?」


ただの砂山と化した尖塔と、ごうごうと燃え盛る森を背景に、魔導師は気障(キザ)なウインクをひとつ。

ゆったりとした蒼い衣を爆風になびかせ、にんまりと笑った。


……いきなり人為的に引き起こされた天変地異レベルの惨状に、呆然と立ちつくす、その場の全員を置き去りにして。


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