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商隊護衛任務

作者: 玲輝

中世ファンタジーものです。以前同人誌向けに試しに書いてみたものですが、同人誌企画が流れてしまったため、一般公開してみます。

読みきりの短編です。

『商隊護衛任務』


登場人物


アーサイ    死の国の皇子。普段は人間の姿をしている。夜になると力を発揮できる。

        死徒  腐敗竜・死神・その他


レイアス    人間の傭兵。アーサイのパートナー。剣の達人。アーサイの正体を知っている。


アリサ     人間の傭兵。「氷の腕」を持つ。アーサイをしたっている。


御影      斥候。アーサイを影で支える。隠密行動に優れている。


ユーヴァー   「夢幻の心臓」を持っており死なない。戦乱の影には常にユーヴァーの姿がある。


チャム・カック 貿易商人。謎の品物を運んでいる。太っちょで意地汚い。



【導入】


 カメリヤードという国にウェイマスという町があり、その町に1つの大きな宿があった。その宿の名は『白熊亭』。この宿屋の主人は冒険の斡旋をしていることで知られており、町の内外からはさまざまな冒険家たちが、富と名声を夢見てこの『白熊亭』に集まってくる。

 アーサイもそんな冒険家たちの一人である。彼は宿に出入りしているうち、いつのまにか常連になってしまい、剣士であるレイアスと女戦士のアリサと知り合い、冒険を共にするようになった。

 ある日、高額の依頼が『白熊亭』に舞い込んできた。それは隣国のアストラットの豪商として知られる貿易商人、チャム・カックからの依頼であった。依頼の内容はある品物を輸送する際の商隊護衛の任務であった。彼らにとって品物を輸送するということは命がけのことである。何故なら、町の外へ出るとどんな危険が待ち受けているか分らない。町の外には、山賊や野伏、夜になると恐ろしいモンスターも現れるからだ。

 キャラバン隊の一行はアストラットの首都ウィンザーを出て、ロンジノースのキングスリンへ向かう街道を北上していった。夜になると一行は、安全な場所にキャンプを張った。そして三日目の深夜、ルートンとサドバリーをむすぶ街道で、キャラバン隊は恐ろしい危機に遭遇しようとしていた……。



【本編】


 深夜にしてはかなり明るい夜であった。雲一つない夜空には眩しいほどにまん丸い満月が、アーサイ達を照らし出していた。キャラバン隊は街道から少し離れた林の間にキャンプを張った。夜になると、町の外には太陽の光を嫌う化け物どもが徘徊する。そのため日が落ちると旅人は、化け物どもに遭遇しないように怯えながら、恐怖の一夜を過ごさなければならない。

 風はほとんどなく静かだった。聞こえるのは、周りにいる連中の寝息の音と、歩き回る見張りの足音ぐらいだ。アーサイは自ら見張りをかってでた。チャム・カックの側近も交代で見張りに就いているのだが、アーサイは彼らを信用しなかった。何時、寝首を掻かれるかも分からないからだ。そして何よりもアーサイは、この旅にいやな予感を感じていた。一緒に依頼を受けたレイアスは、そんな心配はただの取り越し苦労だと聞き流していたのだが……。

 アーサイは深呼吸をして気分を落ち着け、キャラバンの商隊に目をやった。幌付きの馬車が2台、一列に並んでおり、それぞれ馬が2頭ずつ繋がれている。先頭の馬車にはチャム・カックが乗っており、もう1台には品物が積まれている。ところが、その品物の中身は極秘となっており、アーサイ達は何を運んでいるのかを知らされていない。普通、このような護衛の依頼を受けるときは、その品の内容で報酬額を交渉する。しかし、今回に限っては品物の内容は極秘となっていて、その代わり、報酬額は破格に高かった。レイアスは能天気に喜んで引き受けたが、アーサイとアリサは、レイアスに説得され無理矢理に連れて来られたといった具合だ。『白熊亭』にいた他の冒険者たちは、依頼主がチャム・カックというだけで誰も引き受けるものはなかった。豪商チャム・カックは悪い評判ばかり噂されていたからだ。

 あやしい点はもうひとつあった。商隊の旅にしては、いやに護衛の数が多いのだ。チャム・カック本人のほかに彼の側近が二人、そして傭兵の戦士が四人、さらにロングボウを持った弓兵が二十人もいる。そして最後にアーサイとレイアス、アリサ。総勢三十人だ。ただの品物の輸送にしてはあきらかに多すぎる人数だ。アーサイは、チャム・カックがなにかただならぬ物を運んでいる気がしてならなかった。

風がやんだ。あまりにも静かだ。風と共に、動物たちや虫たちの鳴き声も消えた。あらゆる生命が何か得体の知れないものに怯えるかのように押し黙った。アーサイは感じていた。彼の持つ人間のものではない能力が危機を告げていた。敵がもうすぐそばまで来ていると。

 考え事をしていたアーサイの背後に、音もなく姿を現したのは、御影だった。「すでに何者かに囲まれております」

 アーサイは別段驚きもせずに御影に目をやった。御影は闇夜の行動に優れている。全身黒ずくめの服に身をまとっている。彼は、いち早く敵の存在を察知し、素早く偵察していた。

「敵は何人だ?」アーサイは御影に問いかけた。「およそ百人。すべて騎兵でございます。残念ながら逃げ道は塞がれております」

 アーサイの予感は的中した。百騎の騎兵といえば、およそ小規模な軍隊に等しい。敵はわれわれ相手に戦争をはじめる気だろうか。目的は、アーサイ達には知らされていない謎の品物であろうことは容易に想像がついた。

「やはり、乗った船は泥舟だったか」

「レイアスにとっては、楽しいパーティの始まりでしょうな」御影は皮肉った。「後ろから援護しましょう」


 すぐに林の暗闇の中に敵の影がぼうと見えはじめた。やつらは一斉にたいまつに火をともし、その存在を明らかにした。全員黒い馬に騎乗しており、夜の闇に溶け込むように黒っぽい鎧を身にまとっている。さながら統制の取れた軍隊のようだ。味方の見張りはやっと危急の事態に気付き、あわてて警戒の声を張り上げた。

「いったいなんの騒ぎかね」騒ぎに飛び起きたレイアスは、眠そうに目を擦りながらアーサイのところに歩いてきた。

「どうやら、お客さんのお出ましのようだよ」

 レイアスはアーサイの冒険仲間だ。たびたび冒険を供にして、幾多の危機を脱してきた。アーサイは彼をもっとも信頼している。そして、彼は唯一、アーサイの正体を知っている人間であった。

「見張りは寝ぼけていたのかい?」レイアスがアーサイに問い掛ける。「ふふっ。そうかもな。彼らはずっと我々をつけていたようだな」レイアスはそれを聞いてがっくりと肩を落とした。


 商隊の動きが慌しくなってきた。チャム・カックの側近が戦闘配備を指示する。敵はキャラバンを中心にすでにまわりをぐるりと取り囲んでいた。味方は馬車を守るように配置され、各々の武器を構えて合図を待った。アーサイたちも、馬車の左舷の配置についた。

 アリサもすでにアーサイたちと合流していた。「こんな夜更けに、嫌になっちゃうわね」

「ああ、まったくだ」レイアスが相づちを打つ。

 アリサも白熊亭の冒険仲間だ。女性であるが、彼女はそこいらにいる傭兵よりも恐ろしい存在であった。なぜなら、彼女には恐ろしい特殊能力が備わっていた。『氷の手』の持ち主。右手で触ったものはどんなものでも瞬時にして氷らすことができるのである。ウェイマスの傭兵達の間で『氷のアリサ』を知らぬ者はいない。

「しかし、奇襲を仕掛けてこないとはよっぽど自信があるんだろうなあ。こっちは安眠を妨害されて気が立っているんだ。どこからでもかかってきやがれ!」レイアスは愛用の剣に手をかけながら言った。アリサも愛用の細身の剣を抜いた。御影はいつの間にか闇に消えていた。彼のもっとも得意とする戦法は闇夜の暗殺である。常にアーサイ達を見えないところからサポートしてくれているのだ。


 あたりは再び静寂に包まれた。重苦しいほどの緊張が彼らを追い詰める。敵味方の持つたいまつの炎だけが、ちらちらと不気味に舞い踊っている。味方の数は三十人いるが、敵は百人もいる。しかも敵は全員騎乗しているが、こちらは徒歩だ。普通に考えて勝ち目はない。アーサイは冷静に戦況を分析してみた。こちらには弓兵が二十人いる。敵の突撃の前に弓を射れば何とか五分五分に持ち込める可能性もありえる。敵が百戦錬磨の戦士でなければの話だが……。

 その時、敵陣から声が上がった。「おとなしく、降伏せよ。そして、積荷を我々によこすのだ。さすればおまえ達の命は助けてやろう」

 その声を聞いてアーサイの背中に悪寒が走った。聞き覚えのある声。「まさか! やつが――」必死に声の主を探したが、暗くて検討がつかなかった。

「どうした? アーサイ。お友達がいるのか」レイアスは敵から目を離さずに冗談を言った。アーサイはそれには答えなかった。アリサは不安げに彼の顔をちらりと覗きこんだ。

 チャム・カックは馬車の幌から顔だけを出して返事をした。「おまえ達にくれてやるものは何もないわい。とっとと消えうせろ!」そして、幌の中に顔を引っ込めると、「死んでも防ぐんじゃ。おまえ達には高い報酬を払っているんだからな!」と味方に吐き捨てるように怒鳴りつけた。


 低い角笛の音が響きわたった。敵の攻撃合図だ。一斉にぐるりを取り囲んだ騎兵が怒涛のごとく突進してきた。

「レイアス、アリサ、離れるなよ」アーサイはそう言って剣を身構えた。ちらりと味方を見ると、なぜか弓兵はすべて剣を身構えているではないか。

「なぜ、弓を射ない!」アーサイは怒声を発した。しかし、チャム・カックの側近は彼の言葉を無視した。

 アーサイが考える暇もなく、あっという間に敵は自陣に入り込み乱戦となった。最初の突撃で味方の数人の首が宙を舞った。アーサイは確実に敵の攻撃を受け流し、ダメージを与えていく。レイアスも剣の腕ではアーサイに負けてはいない。彼はウェイマスで最も優れた剣士と評判である。その評判どおり、彼は余裕で敵を一人づつ確実に倒していった。アリサは素早い身のこなしで敵の懐に入り込み、右手で相手の腕を掴んだ。と同時に、パリンという音がして敵の腕をもぎ取っていく。彼女は瞬間的に相手の腕を凍らせてその部位を切断する。端から見ると何とも恐ろしい光景である。腕をもぎ取られた敵は痛みもなく、何が起こったのか理解できないまま立ちつくしていた。

 あたりは一瞬にして、泥沼の戦場と化した。味方の軍は必死に馬車とチャム・カックを守った。中でもアーサイとレイアスの活躍はめざましいものがあった。アリサは素早く立ち回り二人を援護する。

「手ごたえのない奴等だぜ!」レイアスは半ば興奮気味にアーサイに言った。

 その時、レイアスの前にひときわ大きな馬影が立ちはだかった。レイアスはその影に恐ろしいほどの殺気を感じ取り、後ろに飛びずさった。その馬に乗った男は、全身漆黒の鎧を身にまとっており、仮面の付いた兜を被っていた。手には、明らかに通常の剣よりも大きな両手持ちの剣が握られていた。レイアスはその人物に今まで感じた事のない恐怖感を覚えた。

「なかなかやるではないか、貴様たち」男は、ゆっくりと馬から降りて、地面に足をついた。

「自分から馬を降りるなんて上等じゃないか、おまえは何者だ!」レイアスは自らの戦意を奮い立たせるように言った。

「貴様ら虫けらに名乗る名はない。たかが、傭兵稼業として同行しているのだろうが、無駄なことだ。さっさと逃げ去るがよい」男はゆっくりとレイアスのほうに歩みよりながら言った。

 アーサイはその声を聞いて、再び背中に悪寒が走るのを感じた。やはり、そうだと彼は確信した。この男は、アーサイが捜し求めていた男。この男を葬るためにアーサイは人間の世界にやってきたのだ。そして、宿命が二人をこの場所で遭遇させた。

「ユーヴァーだな!」アーサイは力をこめて言い放った。

「おや? 俺の名を知っているおまえは、いったい誰だ」ユーヴァーは少し驚いた様子を見せた。そして、まじまじとアーサイの顔を見ると、「そうか、おまえか。こんなところで遭うとは、偶然か。いや、これは偶然ではなく、神が定めたもうた宿命に違いない」どうやらユーヴァーの方もアーサイを知っているようだ。

「ちょっと待ちな。おまえの相手はこっちにいるぜ!」二人の会話を聞いていたレイアスはユーヴァーに不意打ちをかけた。

「まて、レイアス!」アーサイが叫んだが、遅かった。レイアスの素早い剣がふかぶかとユーヴァーの心臓を貫いていた。一瞬二人の動きが止まった。アーサイにとって、その瞬間は異様に長く感じられた。しかし、ユーヴァーは倒れなかった。それどころか、仮面の下でにやりと笑ったような気がした。

「無駄だ、若造。わたしに剣は無力だ」ユーヴァーは拳でレイアスの突き刺さった剣を叩き割り、心臓に刺さった剣先を抜き去った。そして、その剣の破片を放り投げると手に持った巨大な剣で痛烈な一撃をレイアスにお見舞いした。レイアスは腕でガードしたが、その衝撃の強さに耐え切れず、吹き飛ばされた。レイアスは後ろの大木に頭を打ちつけ、そのまま意識を失った。

「レイアス!」アーサイは駆け寄ろうとしたが、間をユーヴァーが遮った。

「手間が省けた。ここでおまえをあの世へ送り返してやるぞ!」ユーヴァーはアーサイめがけて突進してきた。

 アリサは素早く気絶したレイアスの元へ駆け寄った。「レイアスはまかせて。アーサイ」そこへ御影も姿を現した。

 アーサイはユーヴァーに向き直ると、剣を構えなおした。「おまえの野望、そして、その『夢幻の心臓』を打ち砕いてやるぞ!」

ユーヴァーの特殊能力、それは『夢幻の心臓』。彼は傷を負って死ぬことはない。たとえ、その心臓に剣が突き刺さってもユーヴァーは死なない。その傷は瞬間的に回復する。彼が生まれつきこの能力を身につけていたのかどうかは定かではない。しかし、人間が不死の能力を持つことは、アーサイにとっては許しがたいことであった。アーサイは『夢幻の心臓』を消し去るためにこの世界に入り込み、ずっとユーヴァーを探しつづけていた。

 アーサイとユーヴァ−の剣が交わった。眩しいほどの火花が散り、すさまじい衝撃が全身を貫く。ユーヴァ−は次々と剣を繰り出してくる。アーサイはそれを防ぐことで精一杯だった。

次の瞬間、アーサイは樹の根に足をとられてしまい、仰向けに倒れた。「しまった!」その隙を逃さず、ユーヴァ−は彼の首をはねようと、剣を振りかぶった。「さあ、おしまいだ。死の国へ帰るんだな。皇子よ!」

ところが、今まさにその剣が振り下ろされようとした瞬間、異変が起こった。満月の月明かりが遮られ、あたりが一瞬暗闇になった。上空を何か大きな物体が通り過ぎたのだ。その場にいた人々は全員、動きを止めた。一陣の突風が巻き起こり、金属が擦り合わされたような獣の鳴き声が響き渡った。その耳障りな声は、人々の全身を駆け巡り、恐怖のどん底に叩き落とした。

「ド、ドラゴンだ!」誰かが叫んだ。上空を見上げると一匹のドラゴンが空中を旋回している。そして再び、こちらに向かって進路をとった。

ドラゴン。世界で最も忌み嫌われ、最も邪悪な存在。そして最強の生命体。ドラゴンを見たものはほとんどおらず、この獣に太刀打ちできる人間もいない。人間にとってドラゴンとはすなわち死を意味するのだ。戦場はパニックになった。敵は襲撃どころではなくなり、あたふたと逃げまどい、味方も任務を忘れて、我さきにと逃げ出しはじめた。

「う、うろたえるな。弓兵! 配置につけ!」チャム・カックの側近が何とか弓兵を呼び止め、弓の準備を急がせる。もはや、生き残っているのは10人ほどであった。

 ユーヴァ−も例外ではなく、上空のドラゴンに目を奪われ、剣の動きを止めてしまった。その隙を狙って、御影がユーヴァーめがけてナイフを投げた。ナイフは回転しながらユーヴァーの心臓に突き刺さった。アーサイもその瞬間を見逃さなかった。全身の力をこめて剣を振りぬき、ユーヴァ−の片足を切断した。ユーヴァ−はバランスを崩し、地面に倒れ伏した。

アーサイは素早く立ち上がると、空を見上げた。「そうか、あの弓兵どもはドラゴンの攻撃に備えていたのか。だからロングボウを装備していたんだ」しかしなぜ、ドラゴンが我々を襲う必要があるんだ? ドラゴンは中央大山脈の北方に生息しているはずだ。こんなところまで南下してくるなんて考えられない。だが、少なくともチャム・カックはドラゴンがくることを知っていた。例の輸送品に何かドラゴンに関係のあるものが隠されているに違いない。そして、ユーヴァ−もそれを狙っている。アーサイはここで一つの結論に達した。「まさか、そんな!」

 上空のドラゴンは旋回し、まっすぐこちらへ向かって滑空してくる。弓兵は矢をつがえると息を殺して合図を待つ。「まだだ、もっと引き寄せるんだ」

 ドラゴンの姿は見る見る大きくなっていく。その恐ろしいまでの巨大な姿に弓兵たちはがたがたと震え始め、口々に祈りの言葉をつぶやき始めた。ドラゴンはすぐそこまで近づいてきた。予想以上に大きな体が彼らの視界を遮る。そして、ドラゴンがロングボウの射程距離に入った瞬間「今だ! 撃て!」と合図がかかった。

 だが、矢が発射されることはなかった。ドラゴンは一瞬早く弓兵部隊に炎を吐き、戦場を昼間のように明るくした。チャム・カックの側近と弓兵はあっという間に灰と化した。

アーサイと御影はレイアスを抱え、安全な樹の陰に移動させた。

「いったい何が起こっているの?」アリサが困惑しながら言った。

「どうやら、チャム・カックはとんでもないものを手に入れたようだ」アーサイが答える。「ドラゴンがわざわざ取り戻しに来るほどのものだ」

「まさか、ドラゴンの財宝ってわけ?」アリサがいぶかしげに言う。

「卵だよ。やつはドラゴンの卵を奪ったんだ」

ドラゴンの卵は大変貴重なものとして扱われていた。その卵を食べると寿命が千年延びると言い伝えられており、あらゆる王侯貴族が欲しがった。また、生まれたてのドラゴンを手なずければ数千人もの軍隊に匹敵する戦力になる。つまり、商人にとってはこれ以上高価なものは無いという代物なのだ。

それを聞いて御影がそっと口を開いた。「わずか一週間ほど前、謎の旅団が大山脈に入ったという噂を耳にしております。おそらく、彼らの仕業に間違いないでしょう」

「じゃあ、あのドラゴンはその卵の母親なのね」アリサの顔が一瞬曇った。彼女も同姓として何か感じ入るものがあったのだろうか。

「ドラゴンの卵を奪うなんて、正気の沙汰ではない。以前、ワールズの人間がドラゴンの卵を奪いに出かけたが、その場で焼き殺され、そのうえ、怒ったドラゴンが近くの町を一つ滅ぼしたという話を聞いたことがある」アーサイが厳しい口調で言った。「触れてはならんものなのだ」


けたたましい馬の嘶きと共に馬車が一台動き出した。「チャム・カックめ、逃げる気だな」アーサイが追いかけようとした時、目の前にまたもやユーヴァ−が立ちふさがった。「まだ終わっちゃいないぜ。皇子様よ」驚いたことにユーヴァーの足は元通りにくっついている。「誰も、俺を傷つけることはできない。この体を破壊することはできないのだ」

「アーサイ! ドラゴンの卵は私に任せて」アリサはそう言うなり、そばにいた馬に跨り、チャム・カックの馬車を追いかけた。

 ドラゴンは残った馬車をしばらく物色したが、お目当てのものが無いのを確認すると、視線を走り去る馬車に向けた。そしてゆっくりと翼を羽ばたかせて上昇していった。

「御影! アリサを援護してくれ。ここは俺一人で充分だ」御影はその言葉の真意をすぐさま感じ取り、アリサの後を追いかけた。

「これで邪魔者は消えたわけだ。一対一で心ゆくまで楽しもうじゃないか」ユーヴァ−はゆっくりとアーサイに詰め寄ってくる。「もうドラゴンの卵なんてどうでもよいわ。ここでおまえを切り刻んでやるぞ」

「残念だが、楽しんでいる時間は無い。俺一人ではどうやらおまえに勝てはしないようだ。誰もいなくなったところで本気を出すとしよう」

 ユーヴァーの背後の空間に闇が現れた。その闇は煙のようにゆらゆらと揺らめき、ある一つの形を作り始めた。その漆黒の闇が形作ったものは、一振りの大きな鎌をかかえた骸骨のようなものだった。それは黒色のぼろぼろのローブをまとった姿で現れた。人間の体格よりひとまわり大きく、空中に浮いていた。死神の足元からは、どろどろの液体がぽたぽたと雫を垂らしている。ユーヴァ−はその死神を見て後ずさった。その姿はまさにこの世のものではない、形容しがたい恐ろしい姿だった。

「きさま、死徒を召喚したな! 死の国の恐ろしい番人を!」

 アーサイの正体。それは、死の国の皇子。ハデス・イム・ク・デーモン大王の息子。彼は幾つかの使命を帯びて人間の世界に降り立っている。『夢幻の心臓』を持つユーヴァ―を抹殺することも使命の一つとなっていた。アーサイは夜になるとその力を発揮することができ、地獄の死徒を召喚することができる。

召喚したしもべは『死の番人』。死者の回廊の13番目を守る番人。「我がしもべ『死の番人』よ、ユーヴァ−の魂を連れ去るがよい」アーサイが命令すると、死神は目を光らせてこくりとうなずいた。そして鎌を構えなおし、恐ろしいスピードでユーヴァ−の首をはねあげた。ユーヴァーは身動き一つできずにその場に息絶えた。

アーサイはホッと息をなでおろした。『死の番人』は仕事を終えると、煙のように掻き消えていった。「さて、次はドラゴンだな……」アーサイは休む間も無く、走り出した。


なぜこんな事になってしまったんだろうとアリサは思った。なぜ、ドラゴンの卵を追いかけてしまったのか自分でも解らなかった。後ろにはチャム・カックの馬車が残骸になって燃えていた。その傍らにチャム・カックの黒焦げの死体が転がっている。ドラゴンは恐ろしいスピードで馬車を追いかけ、アリサをあっという間に抜き去り、容赦なくチャム・カックの馬車に炎をあびせた。馬車はそのまま路肩に滑り落ちバラバラになった。ドラゴンはそのまま飛び去り、急旋回を始めた。アリサが燃えさかる馬車にたどり着いたとき、例の品物が彼女の前に転がっていた。卵の表面はクリーム色をしておりざらざらしている。殻はかなり硬いようで傷一つついていない。大きさは人の拳よりやや大きいぐらいだ。これが、ドラゴンの卵? こんな小さなものが、あんなに恐ろしい化け物になるの? アリサは不思議でならなかった。

アリサの目の前にそのドラゴンは舞い降りてきた。ドラゴンとの距離はおよそ30フィート。ドラゴンはじっと身動き一つせずにアリサを睨みつけている。その喉からは、まるで谷底から吹き出てくる溶岩の轟音のような音を響かせて、アリサを威嚇している。アリサは全身から大量の汗を吹き出している。恐怖と絶望感がピークに達していた。

いま、彼女の手にはドラゴンの卵がある。アリサの心臓は、今までにないほど早く鼓動している。ここで戦っても、逃げても間違いなく殺されるであろう。ドラゴンの目はまるで獲物を捕らえたかのように、アリサをじっと睨み続けている。アリサも目をそらさなかった。ドラゴンは心の恐怖を感じ取ると、迷わず襲ってくるだろう。アリサの心は恐怖で張り裂けそうであったが、それを感じさせぬようにドラゴンを睨みつけた。

やがてアリサは覚悟を決めると、後ろに待機していた御影に手を出さないでねと言って、ドラゴンに近づいていった。ドラゴンに卵を返すために!

御影はすぐさま、アリサを救出できるように、ドラゴンの一挙手一投足を見張った。

アリサは、ゆっくりと一歩ずつドラゴンを刺激しないように近づいていく。アリサの心には一つの確信があった。どんな生命でも、我が子にかける思いは同じであると。ドラゴンはわざわざ中央大山脈からたった一つの卵を取り返すためにチャム・カックを追いかけてきた。このまま無事に卵を返せば、何もせずに巣に帰っていってくれるであろう。もし、アリサの思惑が間違っていれば、死の洗礼を受けることになるが、アリサはそれでもいいと思った。自分のとった行動は間違っていない。彼女は幾多の戦場で子を失った母親の叫びを聞いている。彼女にはその叫びが堪えられなかった。子を持つ母親は人間だけではない。アリサは無意識のうちに、心の内にしまい込んだ母性に身を委ねていた。わたしも女なんだと、アリサはあらためて思い知った。

案の定、ドラゴンは攻撃してこない。近づくアリサを睨みつけてはいるが、襲ってくることはなかった。アリサはドラゴンの鼻先の地面にゆっくりとしゃがみこみ、卵を置いた。そして、ゆっくりと後退していく。

ドラゴンはアリサが充分下がったところを見ると、卵を手でゆっくりと掴み、再び体を起こし、アリサを見つめた。そのまま、背中の大きな翼をはためかせて、ゆっくりと上昇していった。

その時、アリサの頭の中にどこからか声のようなものが聞こえてきた。『そなたの勇気に敬意を払おう。友に感謝せよ』アリサは一瞬戸惑ったが、はっと後ろを振り返った。心配そうに武器を構える御影の後ろに、アーサイが立っていた。そして、その後ろになんと、腐ったもう一匹のドラゴンがいるではないか! アリサが驚いて瞬きした瞬間。その腐ったドラゴンは影も形もなく消えてしまった。

母親ドラゴンは飛び去っていった。

アリサはへなへなとその場に崩れ落ちた。さっき見た腐ったドラゴンは幻覚だと、彼女はすぐに解釈した。ドラゴンと対峙した恐怖が投影されたのだと結論付けた。しかし、実際はそうではなかった。アーサイはもう一つの死徒『腐敗竜』を召喚していたのだ。母親ドラゴンはアリサたちの後ろにいる脅威に困惑していた。そして、『腐敗竜』が威嚇する中、母親ドラゴンはアリサの交渉を受け入れざるおえなかったのだ。

アリサはしばらく放心状態であったが、アーサイと御影の顔を見ると、やっとその顔に笑みが戻った。あの声は、母親ドラゴンの声だとアリサは思った。『友に感謝せよ』大切な友がいたから、今の自分がある。アリサはあらためてドラゴンの言葉をかみしめた。「もちろん、友に感謝しているわ」


かくして、アーサイたちの任務は終了した。チャム・カックを護衛するという任務は失敗に終わったが、ドラゴンの来襲など予想外で、任務を成功させることは到底不可能に近かった。例の野党どもの正体は結局解らずじまいであった。そして、ユーヴァーの死体も消えてなくなっていた。レイアスは気を失っただけで、命に別状はなかった。

この冒険談は、またたく間にカメリヤードの国中へと広まった。アーサイたちはウェイマスの町で英雄のようにもてはやされた。当然、宿屋『白熊亭』では、連日のように冒険者達の語り草になっていた。レイアスの戦果についてはやや脚色され、謎の強盗団の魔術師を倒したということになっていたが……。

アーサイ、レイアス、アリサ、御影はこの冒険のおかげでより一層の絆を深めた。しかしながら、アーサイたちの名が国中に知れ渡ってしまったことが、次なる冒険への引き金になっていったのである。



END


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