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過去

 私は下手に外出できない。しかし、買い物をするには外に出る必要がある――

 なので私は、いくらかの新鮮な食材をアシュレイさんに買ってきてもらうことにした。


 お金の出処は当然私ではないわけで、少し心苦しくもあったものの、アシュレイさんは快くこれを承諾してくれた。

「……金は気にするな。ふたりで十年ほど食っていけるだけの貯蓄はある」とのこと。

 働いていないのにどこからそんなお金が……と思ったが、アシュレイさんの力を考えればそれほど不思議でもなかった。


「……うん。汚れ、だいぶ落ちたかな……」


 アシュレイさんが外に出ている間に掃除・洗濯の続きをする。

 浴槽の炭酸水に放り込んでおいた服は、明日の朝から干しておけばいい感じに乾きそう。

 そういえば私の服はどうしよう、と思う。一日ドタバタして結構汗をかいてしまったのだけれど、もちろん着替えは持っていない。


 アシュレイさんの服を借りようにも、私の体格はアシュレイさんとまるで合っていない。

 大家さんも言うに及ばずで、彼女の背は私よりもだいぶ高かった。


 その時、入口の扉がガチャリと音を立てた。


「……あ……おかえりなさい」

「……あぁ、ただいま」


 突然の物音で跳ね上がった胸の動悸が、アシュレイさんの気だるげな声で緩やかに鎮まる。

 彼は両手いっぱいになるほどの食材やらなにやら、たくさんの荷物をぶら下げていた。


「……頼まれたものは全部買っておいた。……こっちだ」

「あ、ありがとうございます…………なにか荷物多くないですか?」

「……こっちは酒だ」


 アシュレイさんの真顔の一言に度肝を抜かれる。

 なにせ酒瓶の入った袋で片手がすっかり埋まっていたのだから。


「お酒……」

「……お前がいるんなら、あまり外で飲むのも良くないだろう」

「……飲むのが前提ですか……?」

「薬みたいなもんだ」


 アシュレイさんは台所にドカッと酒瓶の山を置く。

 薬とは言うけれど、傍目に見るとだいぶアシュレイさんを毒しているような気がする。

 なんというか、お酒を抜きにすれば十年分の貯蓄が十五年分くらいに伸びそうな勢いだった。


 ……ひとりにされるのは少し怖い。それが夜となればなおさらで、だからアシュレイさんの気遣いはありがたくもある。

 どうしてそこまでお酒の沼にはまり込んでいるのか気がかりではあるけれど。


 ――――ともあれ、まずは夕飯の支度。

 足の早いやつは先に使ってしまおう、ということで、今日はクリームシチューに決めた。

 私は台所に立って下ごしらえを始める。


「……料理。できるのか」

「あ……はい。奴隷全員の煮炊き係を担当してましたので……」


 あれは大変な肉体労働だった。十人分くらいの量を想定して鍋を振らないといけない。絶対に力のある男の人がやった方がいいと思う。

 などと振り返れば、二人分の調理くらいは簡単だった――他にやることもないし。


「……なんというか、何から何までやらせるのは非常に申し訳ない気持ちになるな」

「……アシュレイさんは、ご飯いつもどうされてました……?」

「生野菜をかじったり」

「生の」

「焼いた野菜をかじったり」

「……かじる以外ないんですか」

「溶かしたチーズをつけてかじったりしていた」

「んんんんッ……」


 文明的なそうでないような進歩。

 アシュレイさんの顔色が良くないのも納得だった。


「……うさぎじゃないんですから」

「あとは酒場で何かつまむくらいだが……」

「……外では食べられてたんです?」

「野菜スティックとか」

「野菜から離れてください」


 しっかりした食事から程遠い要素ばかりが出力されるのはなんなのだろう……。

 食糧事情だけなら奴隷のほうがマシなくらいだった。そうでなければ身体が保たないからだけれど。


「……パンくらいはたまに食べるが」

「たまにですか」

「……肉は、だめだ。焼いた肉は、あまり好かない」

「煮たのなら大丈夫です?」

「……それなら、まぁ」


 好みが先にわかったのは幸いだった。鶏肉は煮込むつもりだったしちょうどいい。

 暖炉の火にかけた寸胴鍋を上げ、沸騰したお湯の中にちょうどよく切った鶏もも肉を丸ごと放り込む。


「……これを煮るのか?」

「あ……いえ、これはこのまま余熱で火を通します。ゆっくり火を通したほうが柔らかくなって、臭いも少しは抑えられると思うので……」

「……これで煮えるのか」


 アシュレイさんは放置中の鍋を真剣そうな表情で見つめている。

 私はその間にたまねぎ、にんじん、ブロッコリーなどをざくざくと切って別の鍋に入れる。

 鍋ごと野菜を熱したあと、水、牛乳、生クリーム、小麦粉を適量追加して暖炉の火でくつくつと煮込む。鶏肉は後から入れる算段だった。


 ――それからおよそ一時間後。


「……懐かしい匂いだ」

「……懐かしい、です?」

「ああ。……こういう飯は、暫く振りだ」


 アシュレイさんは少し落ち着いた感じの声でつぶやく。

 ……この人は、昔、何をしていたんだろう。

 昔というほど年を重ねているようにも見えないけれど、アシュレイさんの雰囲気は、年相応の青年という感じにはとても見えない。


 だいぶ温度が下がった鍋から鶏肉を引き上げ、ざく切りにして、煮立てている最中のシチュー鍋に全て投入する。

 そこから三分も煮詰めればクリームシチューの完成である。


 ふたり分のお皿にシチューをよそってテーブルに並べる。

 匂い立つ濃厚な乳脂肪分の香り。

 アシュレイさんはやや腰が重い様子ながらも大人しく席に着いた。


「……ありがとう、世話をかける。……無理にやってくれんでもいいんだぞ」

「……でも、自分ではやらないでしょう?」

「是非もないな……」

「……私が好きでやってること、でもありますから。……いらないなら、いいんです」

「……いや、いただくよ。恵みに感謝を」


 アシュレイさんは食前の祈りとともに匙を手に取り、シチューに口をつける。

 瞬間、その表情がほんの少し緩んだように見えた。


「……美味いな」

「……本当ですか? 良かったです……えっと、あの、お肉は」

「あぁ、食える。……美味いな。これは美味い」


 アシュレイさんはそのまま手を止めないでお皿の半分ほどを空けてしまう。

 お昼のパイにはほとんど手を付けてすらいなかったし、空腹なのは当然だった。

 私も食前の祈りを捧げて食べ始める。

 誰に咎められることも、誰にぶたれる心配もない中での食事は、いつもよりずっと美味しく感じられた。

 

「……アシュレイさん」

「どうした」

「……ひとつ、聞いてもいいですか?」

「俺にわかることなら、だが」


 私は一度食事の手を止め、浮かんでいた疑問を口にする。

 ――聞くべきではないのかもしれない、と思いながら。


「……アシュレイさんは、何をなさっていたんですか……?」

「気になるか」

「……は、はい」


 予想に反して、アシュレイさんは少しも表情を変えなかった。

 それは動搖をあえて隠しているようにも見える。


「……不安はわかる。……素性の知れん男と同居というのは、あまり気が進まんだろう」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「……まぁ、それはどっちでも構わん。……いずれにせよ、おまえは知らない方が良い。俺も進んで言いたいことじゃない」

「……ご、ごめんなさい」

「謝るようなことじゃない。……が」


 アシュレイさんはお皿をほとんど空にしたところで眉間に皺を寄せる。

 まるで何かを悩んでいるかのような表情。


「強いていうなら俺は……おまえと似たような境遇だ」

「……え?」


 ……似ている?

 私は思わず首を傾げる。

 アシュレイさんの生活はめちゃくちゃではあるけれど、ある意味、それが許される境遇ということでもある。

 奴隷として、自由なんてまるで無かった私とはひとつも似ていないのではないか。


「……言葉が足りなかったな。お前といっても、今のお前……つまり……誰にも見つかりたくない境遇、ってことだ」

「誰かから、逃げているところ……ということ、ですか……?」

「……そう、そんなところだ。要するに俺は、この街まで逃げてきた……過去の自分から。過去に関わった誰とも関わりたくはないし……関わってこられるのも、ごめんだ」


 アシュレイさんはそう言ってお皿を空にする。

 その言葉でひとつ、合点がいった。

 アシュレイさんはすごい力を持っているのに、どうしてこんな片田舎に収まっているのか――それはつまり、こんな片田舎だからこそなのだ。


「……わかりました。もう、聞かないです」

「必要に迫られれば必ず話す。……それで許してくれ」


 美味かった、ご馳走さん――と言ってアシュレイさんは食後の祈りを捧げた。

 

「……一杯だけですか」

「ずっとろくに食ってなかったしな……胃が縮んでるんじゃねえかな……」

「……なら、ちょっとずつ慣らしていきませんと」

「人の心配してないで自分が大きくなることを考えろ」

「そ、そんなにちいさくな……あああー!?」


 アシュレイさんは立ち上がるやいなや、私の髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。

 まるっきり子供扱いそのものだった。

 アシュレイさんは仏頂面にかすかな笑みを浮かべ、台所のほうへ歩いていく。


 私がそのまま食べ続けていると、アシュレイさんはおもむろに酒瓶を引っ張り出してくる。

 ……一日にどれだけ飲んでいるのだろう。まずはそれを把握したほうが良い気がする。


「また飲むんですか」

「……酒無しだと寝付けん」

「……それは、言葉通りの意味です……?」

「残念ながらその通りだ。強ければ強いほど良い。よく効くからな」

「……好きで飲んでる方がまだ幾分かマシでした」

「俺も全くそう思う」


 寝付きが極端に悪い、という病気は聞いたことがあるけれど……その治療法、となるとちょっと聞いたことがない。

 ごちそうさまでした、と私は食後の祈りを捧げてお皿を重ねる。


「……片付けくらいはやる、置いといてくれ」とアシュレイさんは酒瓶を傾けながら言う。

 その顔にはいまだ酔いの欠片もうかがえない。

 アシュレイさんは私を頭の天辺から足の爪先まで眺め、ふと言った。


「……服が要るな」

「は、はい。……その、替えが無いもので……」

「……俺のお下がりってのも嫌だろうしな。大きさも合わん」

「……い、いやではないですが……」


 奴隷の衣服は古着や、古着を仕立て直したものを着るのが当たり前だった。

 私が今着させられているワンピースは例外中の例外――つまり、商品を着飾らせるための一張羅である。


「いや、いい。貧乏くさいのは無しだ……新しく仕立てよう」

「……大丈夫なんですか……?」

「子どもが懐具合の心配なんぞするな。……そんなに金がないように見えるか?」

「なさそうです」


 私は素直に頷く。

 この部屋は結構な広さだけれど、アシュレイさんの暮らしぶりのひどさで全てが台無しだった。

 アシュレイさんは酒瓶から口を離し、おもむろに部屋の隅の衣裳箱を探り始める。

 その中から取り出されたのは、掌大ほどにぽっこりと膨らんだ茶革の袋。


「……それは……?」

「貯金だ」


 アシュレイさんは口を結んだ紐をほどき、袋を反対向きにひっくり返した。

 中に詰められていたものがじゃらじゃらと音を立ててテーブルの上に溢れ出る。


「……アシュレイさん」

「なんだ」

「……悪いことで稼いだお金じゃないですよね……?」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「教えてくれないじゃないですか」

「……すまん」


 アシュレイさんはすこぶる申し訳なさそうにくしゃくしゃと銀の髪を掻く。

 今は強いて聞かないけれど、どうしても気にはなった。

 なにせテーブルの上には金貨、貴金属、きらびやかな装飾品などが小さな山を作っていたのだから。


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