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奴隷印

「もういいぞ。顔上げろ」

「……は、はい」


 私は言われた通りに顔を上げる。

 港からはそう遠く離れていない。

 目の前にあったのは石造りの集合住宅(アパルトメント)。潮風に晒されているせいか、建物の端々が欠けている。


 一階から二階への階段を上がる時、ふと下から女性の声が聞こえた。


「アシュレイさん、また飲んでこられたのですか?」

「……あー」


 アシュレイさんが面倒くさそうな声を上げて振り返る。

 私も釣られて見ると、そこには二十代か三十代かくらいの女性がいた。

 金髪に青い目。背がすらりと高くて上品な印象を受ける。


「自堕落な生活ばかりしてないで、少しはまともに……」

「家賃は先の分までちゃんと入れてるだろう。問題あるか」

「先が心配だからです。もし部屋の染みにでもなられたら……って、おまけに今日は女連れですか!?」


 女の人は私の姿を見て目を剥く。

 女性連れは珍しいのだろうか、とアシュレイさんを見て思う。


「あー……今は急いでるんだ、放っておいてくれ」

「うちは連れ込み宿じゃないんですからね! ちゃんと静かにしてくださいよ……って、ちゃんと話を聞いてください!!」


 アシュレイさんは私の手を引いてさっさと歩いていってしまう。女の人の声が遠ざかる。


「……あ、あの、いいんですか?」

「いつものことだ」

「……いつも怒られてるんです?」

「あー……まぁ、そういうことになる」


 ……もしかすると、アシュレイさんは結構だめな人なのだろうか。

 でも、咄嗟の機転で私を助けてくれたのも事実だった。


 アシュレイさんは気にかけた様子もなく扉のひとつを開けて部屋に入る。私はその後をついていく。

 部屋の中は真っ暗。つまり、アシュレイさんは独り暮らしのようだった。


「薪どこやったかな……」


 ……明かりをつけることも珍しいのだろうか。

 さほど広くもない部屋を三分ほど一緒に探したあと、私は薪入れが本の山に埋もれているのを発見した。


「でかした、クラリッサ。そいつだ」

「……い、いえ」


 薪を見つけただけで褒められるとは思わなかった……。

 アシュレイさんは薪を暖炉に放り込み、その方向に手のひらをかざす。

 と、詠唱もなくただそれだけで暖炉に明るい火が燃え上がった。


 ――――魔法だ。


 私は驚きのあまりに声も出ない。

 魔法を使える人なんて何万人にひとり……それくらい凄いことなのに。

 魔法を使えるだけで王都に士官できたりするらしいのに……どうしてこの人は、片田舎の港町なんかで飲んだくれてるんだろう。


「適当に座ってくれ……って、あー、座る場所が無いな。ちょっと待て、今空ける」


 アシュレイさんの言うとおり、床は服とか本とか酒瓶とかで埋もれている。

 本を読めるということは、頭も良さそうだけれど……本当にこの人は何なのだろう。

 アシュレイさんは物を適当に隅っこに寄せ、私に座るよう促す。


「よし。まずは、一旦服を脱いでくれないか」

「…………え?」

「……あぁ、すまん、言い方が悪かった。奴隷印を見えるようにしてくれ。別に脱がなくてもいい」

「……は、はい」


 びっくりした。また逃げなきゃいけないのかと思った。

 私の奴隷印は背中にある。それがどういうものなのか、私自身もはっきりと見たことはない。

 ともあれ、私が着ているのはワンピースなので、どのみちほとんど脱がないとだめだった。


「……ちょ、ちょっと待っててくれますか」

「ああ、わかった」


 アシュレイさんは私から視線を外すようにそっぽを向く。

 私はスカートの裾をたくし上げ、背中の印がはっきりと見えるように背を向けた。


「……これで、見えますか……?」

「問題ない」


 アシュレイさんはそう言って私の背中にぴたりと手を当てる。

 大きくて、少しがさがさとした男の人の無骨な手。


「……っ、あ、あつ……っ!?」


 次の瞬間、背中がまるで燃えるみたいに熱を帯びる。

 

「悪いが我慢してくれ。こいつは今夜中にやっとかなきゃならん」

「っ……は、はいっ……」


 熱いけれど、我慢できないほどではない。

 本当に燃えているわけではないようだった。

 お仕置きに焼きごてを当てられた時とは全く違う感覚。

 じんじんと疼くような熱が背中の中心から広がり、そしてゆっくりと収まっていく。


「……もういいぞ」

「え、あ……あの、なにを……?」


 アシュレイさんがゆっくりと手を引いていく。

 私は何が起こったかもわからずに困惑する。

 ――今のたった一瞬で、いったい何ができるというのか。


「印を消した。これで追われることはない」

「……えっ……?」

「……家まで探しに来られるのはごめんだ。だから今のうちに済ませておく必要があった」


 ――そんな、うそ。

 素直に喜ぼうにも、あまりにも突然で急激な変化を私は受け止めきれなかった。

 アシュレイさんはなんでもないことのように言って服の裾を引き――はたと手を止める。


「……ど、どうか……?」

「傷がひでえな」

「……ぁ……は、はい」


 何が何やらわからないまま頷く。

 自分では見えないけれど、背中を鞭打たれた傷は少なくないと思う。

 古い傷なんかはもう痕になってしまっているだろう。

 見ることもなければ見られることもなく、意識することも少ないけれど……見られていると思うと、少し恥ずかしい気持ちがこみ上げてくる。


「……ぁ、あの……あんまり、は」

「消すか」

「……え?」

「痕。無いに越したことは……いや、どうだろうな。どうする」


 アシュレイさんはまるでなんでもないことのように言う。


「……できるんですか……?」

「まぁ、多分、できる」

「……大変だったり、しないんです……?」

「いや別に。まぁすぐ……一分かそこら……じっとしてくれればいい。どうする」


 消したいか、どうかで言ったら……そんなこと考えもしなかったから、わからない。

 だって、消せるはずもないと思っていたのだから。

 だから私は、消したいというよりは……本当にそんなことができるのか、ということが気にかかっていた。


「……じゃあ、あの……お願い、してもいいですか……?」

「……わかった。ちょっとだけ待て」


 アシュレイさんはまた私の服を搔き上げ、手のひらをかざす。

 ただそれだけ。

 一瞬後、背中が何か暖かいような感覚に包まれる。痛くも熱くもない、気持ちが安らぐような……ちょうどいい距離から暖炉の火を感じるような暖かさ。

 一分か二分か。

 特に気にもならない時間のあと、アシュレイさんはすっと手を引き、ワンピースを下まで引き下げた。


「これでお終いだ」

「……も、もう……です、か?」

「ああ。……自分だとわからんか……まぁいい。とにかく、奴隷印は消した。しばらくはここにいろ……好きにしていい」

「……しばらく、って……?」

「あぁ? ……あーそうか……」


 やっぱり、いずれは出て行くことになるのだろうか。

 アシュレイさんはがしがしと頭を掻きながら言う。


「別に……追い出す気はない。出て行きたくなったら……そうだな、食い扶持を見つけるか、嫁ぎ先でも見つかりゃいいが……」


 アシュレイさんは立ち上がり、台所をごそごそと漁る。

 持ってきたのは透明な液体が入った大瓶……おそらく、お酒だった。


「俺なんかがどうこう言えることじゃないし……こっから先の世話は焼けん……俺なんかより他の誰かが預かった方がいいんだろうが……」

「……い、いえ、そんなこと……ないです。印まで、消してくれて……ありがとう、ございます」


 驚いてばかりですっかりお礼を言うのを忘れていた。

 ぐぐっと頭を下げると、アシュレイさんは苦笑しつつ、酒瓶の栓をきゅぽんっと開けた。


「……たまたまできることを、やっただけだ。気にするな」


 アシュレイさんはごくごく自然に酒瓶をらっぱ飲みする。

 ……話しながら流れるように飲んでる……。


「家の中では好きにして良い……が、ひとりでは極力出歩くな」

「……あぶないから……です、か?」

「そうだ。……アルファーノの情婦にされかけてたとか言ってたな」

「……たぶん、ですが……」

「しばらくは……いや、この辺一帯を歩く時は常に警戒しろ。もし見つかったらまた追手が付く……特に港には近づくな」


 アシュレイさんは水でも飲むようにお酒を減らしながら言う。


「港、ですか?」

「港一帯はあいつらの庭だ。おまえが海に出たら追えなくなるからな、見張りも厳重のはずだ……」

「……わかりました」


 今も逃げ切れたというわけでは決して無く……一時的に隠れられているだけ、と肝に銘じておく。

 

「寝る時はそこのベッド使え」

「……あ、あの……それだと、アシュレイさんは……?」

「え? ……あー……ソファかどっか、適当で良い」


 提案はすごくありがたい。けれど、何かにつけてアシュレイさんが投げやりなのは気になった。

 すごい力を持っているのに、その自暴自棄な雰囲気とはどこか不釣り合いに思える。


「そ、それは……悪い、です。私なんかが、ベッドで……」

「……ふー……」


 アシュレイさんがぴくり、と眉を震わせてため息を吐く。


 ――――また、殴られるのだろうか。


 違う。彼はそんなことをする人ではない。そうわかっているはずなのに、身体が無意識に縮こまる。何度も何度も何度も何度も殴られた記憶が堂々巡りする。

 アシュレイさんは、お酒を持っていないほうの手を伸ばして――


「……めんどくせえ。ほら」

「っ、あわっ……!?」


 服の襟をひっつかまれる。

 私は首を持たれた猫みたいにぶらんと宙吊りにされていた。


「……つべこべ言ってねえで寝ろ。子どもが遠慮なんかしてんな」

「あ、うわッ!?」


 アシュレイさんの手がベッドの上で私を離す。私はあえなくベッドの上に投げ出された。

 少しお酒の臭いが染み付いてるのを除いては清潔なベッド。クッションが効いていてシーツも柔らかい。


「普段からベッド使ってねえしな」

「……じゃ、じゃあ、いつもはどこで……?」

「……どこといっても……まぁ……床とか……」


 アシュレイさんはそう言ってぐびぐびとお酒を飲みながら暖炉の前に戻る。

 ……助けてくれた人に失礼ではあるけれど、彼を叱りつけた女の人の気持ちもわかってしまった。

 大人しくベッドに身を委ねると、急激に眠気が押し寄せてくる。少しお腹も空いていたけれど眠気には抗えなかった。


「……あ、あの……」

「……なんだ」


 私の声に、アシュレイさんはゆっくりと振り返る。

 近くにいたら臭うほど強いお酒を飲んでいる割には平静に見える――となると、赤ら顔になるまでどれだけ飲んだのだろう。


「……今日は、ありがとうございます。おやすみなさい」

「……あぁ、おやすみ」


 ……すごいのに、ひどく自堕落な人。投げやりだけれど優しい人。

 私は安堵して毛布に潜り込み、そのままあっという間もなく眠りについた。

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