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旧友

 目が覚めた瞬間、私はかすかな違和感を覚えた。

 暖炉の火が弾ける音はすでに無い。

 なのに視界の端にはちいさな灯りがゆらゆらと揺れている。


 ほの暗い天井が目に映る。窓の外はまだ暗く、真夜中にうっかり起きてしまったのだとわかる。

 ――――アシュレイさんがまだ寝付けていないのだろうか。

 と、私が考えたその時。


「久しいな、アッシュ。こんな田舎町で本当におまえを見つけるとは思いも寄らなかったぞ」

「……その名前で呼ぶな。レクス」

「これは失敬」


 どくん、と胸の鼓動が高く跳ねる。

 アシュレイさんの声と、全く知らない男の人の声。

 レクス、とアシュレイさんが呼んだからには旧知の仲なのだろう。

 いつもと変わらないアシュレイさんとは裏腹、彼の口調はどこか親しげに聞こえる。


 ――しかし、私には何よりも〝アッシュ〟という呼び名が引っ掛かった。


「……ん、ぅ……」


 私は寝返りを打つふりをしてテーブルの方に視線を向ける。羽毛布団をかき寄せ、顔を半分以上隠す。

 そのまま薄目を開けて見れば、アシュレイさんと向かい合って座るひとりの男の人の姿が見えた。

 ろうそくの火に照らし出された金色の髪は目にも鮮やか。碧色の瞳が私のほうをちらっと一瞥する。

 年齢はアシュレイさんと同じくらいか少し上で、紋章付きの立派な軍服を身に着けている。彫りの深い端正な顔立ち、薄褐色の肌、そしてがっちりとした体格が印象的だった。


「かわいらしいお嬢さんだな」

「……起こすなよ。起こしたら即刻おまえを叩き出す」

「ハハハ、これは恐ろしい。おまえの奥方か?」

「……そうじゃない。詮索も無しだ」


 奥方、という言葉に顔が紅潮していくのを感じる。

 ――って、ちょっと、だめだって。

 寝たふりしてなきゃいけないのに。


「――ずいぶん顔が赤いようだが?」

「……昨日から微熱気味でな。治りかけたところにおまえが来た」

「それは失敬」


 反射的に目を瞑る。目を閉じていてもアシュレイさんの足音はわかる。

 アシュレイさんの気配が、匂いが、体温が近づいて――私の額に、大きな手がぴとりとあてがわれた。

 いつもより少し冷たく感じるアシュレイさんの掌。

 というか、どう考えても私が熱いせいだった。


「どうだね、容態は?」

「……いや。大丈夫そうだ」

「それは重畳」


 アシュレイさんが離れていく足音。

 危なかった。胸元に触れられていたら一発で起きているのがバレただろう。

 ……やっぱり、盗み聞きは良くないかも。

 罪悪感がじわりとこみ上げるが、アシュレイさんのことを知りたいという気持ちには勝てなかった。


「……それで。中将閣下がこの田舎くんだりに何の用だ」

「そう邪険にしてくれるな。かつては共に戦った仲だろう?」

「……どこから嗅ぎ付けた?」

「独自の情報網というやつだ。おまえもずっと閉じこもっているわけではないだろう」

「……そうか」


 中将閣下――と言うのは比喩でもなんでも無さそうだった。

 軍の偉い人にしてはすごく若く見える。

 会話内容から察するに、彼はアシュレイさんの古い戦友ということだろうか。


「田舎くんだり、と言うならお前の方こそだろう。凱旋式にも出ないやつがあるか?」

「……俺のようなやつが疎まれるのは分かりきっている。事が済んだら用済みだ」

「言いたいことはわからんでもないがな。おまえほどの力の持ち主がこんなところで腐っているのはあまりに勿体ない」

「……何が言いたい」

「王都に戻るつもりは無いか?」

「……政争に巻き込まれるのはごめんだ」


 どくん、とひときわ高く胸の鼓動が跳ねたのも束の間。

 アシュレイさんは一拍の間も置かずに応じていた。


「当時おまえに妨害工作を行った連中はあらかた処罰を受けている。それでは不満か?」

「……そこに俺がのこのこと出ていけばどうなる? 報復の良い的じゃないか」

「そうとは限らんさ。このままでは恩に報いることもできんだろ」

「……おまえは相変わらず楽観的だな、レクス」

「おまえが特別に悲観的なんだ、アッシュ」

「……だから、その呼び名は止めろと」


〝アッシュ〟という名前は私も耳にしたことがあった。

 アシュレイさんと出会うずっと前から。

 それも、何回も。


「何を厭う? ――〝勇者〟アッシュの名を知らんやつは王国にあるまい。魔王を討伐せしめた最大の功労者の名前だ。それこそ引く手は数多あるほどだぞ?」

「……戦に駆り出されるのはもう充分だ。……領地も無い騎士の三男坊には荷が勝ちすぎる」

「ああ、そのことだがな――おまえの家は子爵に格上げだ。領地も封ぜられたぞ」

「そうか。……なら、報恩とやらはそれで済まされたようなもんだろう」

「おまえは欲がなさすぎる。……いや、不信感が強すぎるのか?」


 アッシュ――それは魔王を討ち果たした〝勇者〟の名前。

 アシュレイさんがその人なのだとしたら、あの超人的な力にも説明がつく。

 私の奴隷印や傷を簡単に消してしまったことも――大勢の人たちをあっという間に殺してしまったことも。


「まぁ、おまえがそれを望むならそれでも良いがな。もし気が変わったらこの宿を訪ねてくれ。しばらくはこの街に滞在しているはずだ」

「……他の用件のついで、というところか?」

「本当におまえがこんなところにいるのか半信半疑だったからな――それに、今のおまえの居場所を喧伝したいわけでもない」


 レクスさんはアシュレイさんに朗らかな笑みを向けて立ち上がった。


「気遣いは、ありがたく受け取っておく」

「昔馴染みの(よしみ)ってやつだ。……これは友としての忠告だが、あの子を泣かすなよ?」

「……そうしたいとは思っている」

「そこは自信を持って言ってくれ」

「……人を幸せにするのは魔王を討つより難しいな」

「おまえが言うと冗談に聞こえないぞ」


 アシュレイさんとレクスさんが笑い声を交わす。

 玄関口へと足音が遠退き、扉が開く音がした。


「ではな。良い返事を期待している」

「……一応、話し合わせてはもらう」


 扉が閉じる。

 部屋の中に静寂が満ちる。


「……ぅぅ」


 視線が無いうちに寝返りを打って考え込む。

 考えるべきことが多すぎた。

 思えば、アシュレイさんは〝勇者〟を〝腕利きの殺し屋〟と評していた。

 あれは自分のことを言っていたのだとすれば合点がいく。

 アシュレイさんが昔のことを語らないのも、『荷が勝ちすぎる』と言った通り、〝勇者〟の名が重荷だからだろう。


 アシュレイさんは報奨や名誉、あるいは地位と引き換えにその重荷を捨てた。

 だから、レクスさん――昔の仲間からの誘いも断ったのだろう。

 誘いに乗れば名誉や地位を得られるかもしれないが、それは同時に〝勇者〟という重荷を背負わなければならないことを意味する。

 

 その時、室内をほの明るく照らすろうそくの火が吹き消された。

 かすかな足音のあと、私のすぐ後ろにアシュレイさんがいるのを感じる。

 

「……起きているか」


 はい、と思わず答えかけたところをなんとか自制。

 もしかして最初から全て見抜かれていたとか。

 アシュレイさんの洞察力ならありえるような気もする。


「……一緒に暮らしたい、と言ってくれたんだ。残るにしても、この町を出るにしても、放り出すような真似はしない」


 どくん、と胸の鼓動が高鳴る。

 アシュレイさんは私に語りかけているようでも、独白のようにも聞こえた。

 起きていると知ってあえてそう言っているのか、私には判断しようもない。

 アシュレイさんは私の枕元をそぉっと離れ、ぎしりと椅子の脚を軋ませた。


 ――――アシュレイさんこそは、かの名高き〝勇者〟だった、と。

 そうわかっても、私のアシュレイさんへの印象はあまり変わらなかった。

 理由もなく殺生を重ねる人ではない、という予想を違えなかったからだろうか。

 大切なのは今後のこと。

 アシュレイさんはどうしたいと考えているのか――そのことばかりを考えながら、私はもう一度眠りについた。


 *


「……この町を、ですか?」


 アシュレイさんとの話し合いは思いのほかすぐだった。

 風邪もすっかり完治した後日の昼。

 残っていた麦粥とスープを一緒に頂いている時、アシュレイさんはおもむろに切り出したのだ。

『この町を出る気はないか』、と。


「ああ。……正直、アルファーノ・ファミリーの網を甘く見ていた。ああもあっさり目を付けられたのが偶然とも思えん」

「それならいっそ町を出たほうが良い……ということでしょうか」

「そういうことだ。……連中の力が及ぶのは、この町の中だけだからな」

「……他の町に行くのって、大変じゃないんですか?」

「一時的にはな。しかしまぁ、年がら年中見張られたり追われたりするよりは余程いい」

「……私としては、特に断る理由もないです」


 こくり、と頷いてみせる。

 アシュレイさんは思っていたよりも転居に積極的だった。

 ――この町を離れるにしても、それは〝勇者〟の名を捨てたままでもできる、ということ。


「……でも、その、アシュレイさんは良いんでしょうか。私の都合なわけですし……」

「俺のことはいい。……この町に特別思い入れがあるわけでもなし、しがらみがあるわけでもなし、手につける職もなし」

「最後のははっきりと言わないでください」

「すまん。……それも先で探さんとならんな」


 アシュレイさんはどこか神妙につぶやく。

 ともあれ、町を離れるにあたって仕事がないことが前向きに働いていることは否めない。

 私はスープのお皿を空にしたあと、一番気がかりなことを尋ねた。


「行くあてはあるんでしょうか。……私はここ以外、どういう町があるかも知らないですし」

「……そうか、そうだな。伝手がある場所で言うなら王都だ。治安の良さで言うなら間違いない」


 先日の口振りからして、アシュレイさん自身は王都行きにあまり気が進まないはずだ。

〝勇者〟としてのアシュレイさんを知る人が少なくないからだろう。

 でも、今はそんな雰囲気を毛ほども感じさせなかった。


「伝手……ですか?」

「昔馴染みが王都にいてな――――ああ、くそ、面倒だ。クラリッサ、あまり真に受けないで聞いてくれるか」

「……は、はい。なんでしょう」


 私は思わず姿勢を正す。

 続く言葉は予想できたが、それでも真剣にならざるを得なかった。


「元々、俺はアッシュという名前だった。世間じゃ〝勇者〟だのと呼ばれているらしい。……で、今はわけあってアシュレイを名乗っている」


 不本意ながら、と言わんばかりの渋面を浮かべてアシュレイさんは言う。

 青い瞳がかすかな戸惑いに揺れている。

 もう私はそのことを知っていた。

 でも、アシュレイさんが自らそう伝えてくれたことには、何らかの意味があるような気がした。


「……アシュレイさん」

「……なんだ」

「アッシュさんか、アシュレイさんか、どうお呼びすれば良いんでしょう……」

「何のためらいもなく信じるな」

「は、はい……」


 もしいきなり言われたらどうだっただろう。

 やっぱり信じただろうか――いや流石にそれは、と思っただろうか。

 確証がある今の私には知るべくもなかった。


「アシュレイでいい。……とにかく、そういうわけで少しは伝手がある」

「……でも、良いんですか? アシュレイさんも、あえて王都から離れられていたわけですし」

「俺の立場上、近くにいれば厄介事に巻き込まれる可能性もある。……その手の揉め事を避けて移住できるなら好都合だが」

「……虫がいい話、と言われそうですね……」

「そうだな。……だから、俺としては別の場所を探すのが望ましくはある」


 魔王討伐を果たして姿を消した唯一無二の存在――〝勇者〟。

 その所在が明らかになれば、快く思わない人たちに命を狙われることもあるだろう。

 つまり私がこの町に留まることと、アシュレイさんが王都に留まることは、似通った問題を内包しているわけだ。


「今すぐ決めるつもりはない。もう少し情報を集めるつもりだ」

「……わ、わかりました」

「放浪の旅、というのも楽じゃあない。……見聞を広めるには悪くないが」


 思えば、アシュレイさんがこの町に辿り着くまでには紆余曲折の日々があったのだろう。

 ――私が足手まといになれば、もっと大変な旅になるかもしれない。


「……考えてみます。どれも楽では無さそうですが」

「そのための情報収集だ。……早いのに越したことはないが、ひとまず時間はある」


 アシュレイさんはそう言って微笑む。

 楽な道ではない。でも、他の誰かに強いられるように隠居しているよりはずっと良い。


「すまんな。苦労ばかりかける」

「い、いえ。……我がままを言ったのは私のほうですから」


 一緒に暮らしたい、と言ったことに応えようとしてくれていることがわかるから。

 その過程がどのようなものになろうとも、きっと、後悔はしないと思った。


「我がままと言うな。……自分の望みを卑下するもんじゃない」

「……でも」

「何も俺でなくても良いだろうと思うが」

「自分で言ってすぐに自分を卑下しないでください」

「……お互い様ということで手打ちにしよう」

「はい」


 大真面目な顔で頷きを交わし――そのおかしさに、私とアシュレイさんは思わず笑いあった。



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