(1)婚約
唯一引っかかっていた懸念が取り除かれたセイヤは、きちんとクリステルに確認を取ってから、その日のうちにマグスの元へ訪ねた。
マグスたちは、他の子の儀式などが残っているため、まだ領地には帰っていないので、セイヤはそのまま歩きで学園から屋敷へと戻った。
そして、セイヤは挨拶もそこそこに本題を切り出した。
「クリステル嬢との婚約ですが、正式にお受けしてください」
「それは構わないが……いいのか? もう少し待つのではなかったか?」
セイヤが公爵令嬢であるクリステルと婚約すること自体は、領地にとっては悪いことではない。
マグスとしても反対する理由はないので、セイヤの申し出を否定することはなかった。
今まで保留にしていたのは、あくまでもセイヤの都合なのだ。
少しだけ驚いた顔になるマグスに、セイヤは首を左右に振った。
「のんびりしていられる状況ではなくなりましたから」
「……何があった?」
わざと曖昧な言い方をしたセイヤだったが、これで気付かないマグスではない。
眉をひそめて聞いて来たマグスに、セイヤは昼間にあったことを話した。
セイヤから話を聞き終えたマグスは、眉をひそめたまま腕を組んだ。
「何というか…………モテモテじゃないか、セイヤ」
「勘弁してください。先ほどそれでエリーナ姉上とクリステル様につつかれたばかりなんですから」
自分がいかに色恋方面に弱いかを自覚させられたばかりなので、マグスの遠回しな言い方にもしっかりと気付けた。
この場合は、裏がある可能性があると忠告してきているのだ。
マグスは、自分の罠にセイヤが引っかからなかったことに少しだけ関心をして、すぐにニヤリとした表情になった。
「なんだ。もう尻に敷かれているのか?」
そう言われたセイヤは、とっさに否定しようとして、すぐに思い直した。
ここでマグスの思惑に乗る必要はないと判断できるだけの冷静さ(?)は残っている。
「安心してください。父上のシェリル母上に対するほどではありませんから」
「お、おまっ! いま、ここで、そう返すか!?」
途端に狼狽え始めたマグスに、セイヤは先ほどのお返しにニヤリとした笑みを浮かべた。
セイヤのその顔を見て、マグスはため息をついた。
この件で話をしても敵わないと自覚しているのだ。
「まあ、とにかく、先方には話を通しておこう。せっかく私も王都にいるのだし、ちょうどいいだろう」
クリステルの父親であるヘンリーは、王国の重鎮の一人であるので、普段は王都にいる。
領地の経営は、基本的に代官任せで、逆にマグスは領主ではあるが、王国の役職には着いていないので、普段は領地にいるのだ。
そのため、両者が直接対面できる機会などそうそうないので、マグスが言った通りタイミング的には丁度よかったのだ。
すぐに動くと言ってきたマグスに、セイヤは丁寧に頭を下げた。
「お手数をお掛けします」
「いや、これは私がするべきことだからな。そんなことをされる覚えはない」
マグスはそう答えながらセイヤに向かってひらひらと右手を振った。
これは別に謙遜でもなんでもなく、ごく当たり前のことだ。
親が婚約などを整えることが多い社会なので、親が自ら動くのがごく当然のこととされているのである。
マグスの答えを聞いたセイヤは、これ以上お礼を言っても意味がないと理解して、これで話は終わりだと言って部屋を退出した。
今日の用事は全て終わったので、あとは寮に帰ってゆっくりするだけなのだ。
一方、セイヤが部屋から出て行くのを見送ったマグスは、ドアを見ながら一度だけため息をついて、机の引き出しから便箋を一枚取り出した。
これからヘンリー当てに手紙を書いて、面会の場を整えてもらうように打診するのである。
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セイヤが正式に婚約を受けるとマグスに宣言した二日後。
マグスはその日、王城の中にいた。
用件は勿論、セイヤとクリステルの婚約について、ヘンリーと話をするために来たのだ。
マグスとしてはもう少し時間がかかると考えていたのだが、予想以上にヘンリーからの返答が早かった。
セイヤが動くのと同時に、クリステルも動いていたのだろうとマグスは考えていたが、それは間違っていなかった。
セイヤが生徒会室を出て屋敷に向かうのを見送ったクリステルは、自分もとばかりにその日のうちにヘンリーに話をしたのだ。
そのため、ヘンリーも時間を空けることなく、マグスに返事ができたのだ。
実際には、クリステルが話をした際に、少しばかり親子の間で揉めていたりするのだが、それはマグスが知らなくていい家族のやり取りである。
とにかく、きちんとした手続きを経てヘンリーの前に来たマグスは、男親の礼儀として先に頭を下げた。
「このたびはお話を受けていただき感謝しております」
「こちらこそ、感謝します」
まずは定型の挨拶を交わしたマグスは、ヘンリーに勧められるままにソファへと腰かけた。
勧めたヘンリーは対面に座っている。
型通りの挨拶をしてしまえば、あとは国の重鎮と一領主である。
身分のままにヘンリーから話を切り出した。
「それにしても、其方も中々に苦労しているようだね」
「いえ。そんなことはございません。――と、言いたいところですが、お互い様でしょうと返しておきます」
受け取り方によっては失礼に当たるようなマグスの言葉だったが、ヘンリーは少しだけ楽しそうに目を細めた。
「ハハ。まったくだよ。いつの間にやら相手を見つけて来たと思ったら、その相手が世間を賑わす麒麟児と来たものだ。私でなくとも驚くと思うよ」
むしろ、ヘンリーだったからこそその程度の衝撃で済んだとも言えるだろう。
もしこれが、ごく普通の貴族であれば、心臓が飛び出るほど驚いていたかもしれない。
息子のことを揶揄されたのか、それとも褒められたのか、微妙に判断が付かなかったマグスは、敢えて別の話題に話を逸らした。
「話は変わりますが、キルスターについてはどうお考えでしょう?」
そのマグスの問いに、ヘンリーはピクリと眉を動かした。
「ふむ。随分と曖昧な聞き方だね。……と、言いたいところだが、其方も無関係とはいえないからね。話せることは話すよ」
そう前置きをしたヘンリーは、マグスに自分が今のところ掴んでいる情報を話し出した。
勿論、話をするのはセイヤとクリステルに関係することで、そのほかの余計な情報は話さない。
マグスもそれは望んでいないのだ。
「――といっても、話せることはほとんどないのだけれどね。少なくとも私が掴んでいる限りでは、今回の面会については、全く誰も知らなかった。なにしろ、当日に王女自身が王子に打診したということだからね」
「なるほど。……王女の勇み足、といいたいところですが、その確証もないという所ですか」
そうマグスが指摘した通り、未だ王国側は、レティティアが何を意図して動いたのか、掴みきれていなかった。
誰かの指示があったのか、それとも王女の単独犯なのかもだ。
それくらいに唐突過ぎる動きで、国内の情報機関も全く兆候すら掴んでいなかったのである。
「何をやっているんだと言いたいところだけれど、こればかりは責めても仕方ないかな」
一応重鎮の一人として国の機関を庇ったヘンリーに、マグスは具体的には何も言わずに、ただ肩を竦めるだけで済ませるのであった。
とにかく、セイヤとクリステルの婚約は、両者の親が合意することで正式に調うこととなった。
これで、表向きにも二人が連れ立って歩くことも、なんの問題もなくなったのである。
これで人目もはばからずにいちゃつくことが出来るようになりました。(違)
クリステルにとっては一安心、と言いたいところですが、残念ながらそうはいきません。
むしろ、これからが本番という話も……。(え




