(7)牽制
セイヤたちの傍からジェラール王子が去って行くと、それまで周囲に集まっていた人垣がさっと崩れた。
何とも分かり易い光景にセイヤは内心で苦笑していたが、勿論、それを表に出すようなことはしない。
それに、王子と交友を持とうとしていた者たちは減ったが、変わらずセイヤを狙っている者もいる。
変な弱みは見せない方が吉なのだ。
セイヤの周囲に残った者たちの妙な緊張感がある中で、セイヤたちはのんびりと会話をしていた。
すると、王子が去ってからさほどもせずに、すぐに誰かと分かる声が聞こえて来た。
「ほら。やっぱりここにいた!」
「だから! あんまり騒がしくしたら駄目だって!」
既に顔を見なくてもその声とやり取りだけで誰だかが分かる。
セイヤは、近寄って来たキティとイアンに同じように歩み寄ってから右手を上げた。
「ふたりとも、お知り合いへのご挨拶は終えたのですか?」
「はい。終わりました」
「そうね。知り合いといっても、私たちはさほど多くはないから」
素の調子で耳の痛いことを言ってきたキティに、セイヤは「そうですか」とだけ返した。
自分の後ろで、約二名ほどがなにやら密やかに話している気配がしたが、それは気にしないことにする。
セイヤは、後ろの二人から余計な突っ込みを受けないうちに、露骨な話題転換を図ることにした。
「ところで、二人の正装は初めて見ますが、似合っていますね」
「そ、そうかな? 誰かさんには『豚に真珠』とか言われたけれど?」
「わっ、ちょっ!? キティ!? いつの話さ、それ?」
クリステルとエリーナからの鋭い視線をもらったイアンが、慌てた様子で右手を振った。
「ん~? 大体六歳ぐらいの時?」
キティがあっさりとそう暴露すると、イアンはガクリと項垂れて、セイヤたちは我慢しきれないようにくすくすと笑い出した。
確かに、そんなに過去のことを持ち出されては、イアンが気の毒だと言えるだろう。
もっとも、いつまで経っても同じようなことを言われ続けるだろうという予測もできるが。
キティとイアンが加わったことによって、王子がいた時とは全く違った空気になった。
それを見計らって周囲にいた者が動くかとセイヤが思ったときに、また別の人物から声が掛けられた。
「セイヤ、楽しくやっているか?」
「……ジェフリー兄上、今更登場ですか?」
少しばかり呆れたように言ったセイヤに、ジェフリーは少し慌てて胸元を指した。
「お、おまっ!? ――これを見ろ、これを!」
そう言って胸元を指したジェフリーに、セイヤは小さく首を傾げる。
「確か、姉上からダメ出しを喰らって変えることになった胸飾りですよね?」
「………………お前、わざとやっているだろう?」
ガクリと首を落としたジェフリーに、セイヤはニコリと笑顔を見せた。
「勿論です」
「きっぱりと言いやがったな。お前、一体俺になんの恨みがあるんだよ」
「いえ、特にはありませんね」
セイヤが軽い調子でそう返すと、ジェフリーを除いた他の面々から笑い声が聞こえて来た。
ジェフリーが必死になってセイヤに示していたのは、歓迎パーティの執行委員であることを証明する飾りだ。
学園に入って早いうちから騎士(見習い)としての実力を示していたジェフリーは、周囲の推薦もあって執行委員の一人として働いているのである。
勿論セイヤも事前にエリーナから話を聞いていたので、そのことは知っている。
今の会話は、ジェフリーをからかうためと、場を和ませるためのものなのだ。
セイヤも笑いに加わったの見て、ジェフリーはため息をついた。
「ハア。そんなことばっかりやっていたら、クリステル様に嫌われるのじゃない?」
「大丈夫です。こんなことをするのは、ジェフリー兄上だけですから」
「なんだよ。のろけかよ。しかも、俺にはするのかよ」
ジェフリーは、再度深々とため息をつきながらそう言ったが、それに反応したのはセイヤではなく、なぜかクリステルだった。
「あら、セイヤ。のろけなのですか?」
妙に嬉しそうな顔で言ってきたクリステルに、セイヤは少しだけ首を傾げた。
「どうなのでしょう? 少なくとも私は大丈夫だと思っていますが?」
「あら。勿論、大丈夫ですよ。そんなことで嫌ったりはしません」
何故だか盛大に甘くなってきたふたりの雰囲気に、エリーナとジェフリーは、げんなりとした表情になり、キティとイアンは戸惑ったような表情を浮かべた。
セイヤとクリステルがこんなことを言い出したのは、単にジェフリーをからかうためだけではない。
先ほどから、どうセイヤに話しかけてこようかと検討している周囲の者たちへの牽制も含めているのだ。
勿論、その対象は、セイヤに仕掛けようとしているドレスを着込んでいる令嬢たちだ。
ここでセイヤとクリステルがそれらしいことを言っておけば、ここで話を聞いていた者たちが、あることないことを噂として広めてくれるだろう。
それは、セイヤを狙っている令嬢たちに、一定の効果をもたらすことになる。
自分たちのライバルが、公爵令嬢だとわかれば、ある程度の常識のある者は身を引くことを考えるだろう。
全てではないにしろ、セイヤにとっては、少しでも対応が楽になればいいのである。
自分の狙いを知りながら、きっちりと話題に乗ってくれるクリステルに心地よさを感じながら、セイヤは話を続けた。
「そうですか。それはありがとうございます。――ところで、兄上はずっとここにいてもいいのですか?」
「ああ、俺の役目は問題が起きたときに、それを止める役目だからな」
ジェフリーの執行役員としての役目は、会場警備という名目になっている。
そのため、何かが起こるまでは出番がないのだ。
それに、ジェフリーがセイヤの傍にいるのは、きちんとその役目に沿っているともいえるのだ。
「セイヤの傍にいれば、役目を果たせる機会もあるだろうさ」
「へー。それは、私が何か騒動を起こすということでしょうか?」
ジト目でそう言ってきたセイヤに、ジェフリーは慌てて右手を振った。
「い、いや。そういうわけじゃないぞ? ただ、今のセイヤは花にある蜜みたいなものだからな……って、あれ? フォローになって――」
「――いると思いますか?」
据わった目で自分を見て来たセイヤに、ジェフリーはついと視線をずらして誤魔化した。
それを見たセイヤは、ため息をついてから続けた。
「まあいいです。それと、兄上は今度訓練に付き合ってくださいね」
「げっ!? ま、またかよ? 失敗した!」
わざとなのか敢えてなのか、当人たちにとってもよくわからない調子で繰り広げられる漫才もどきに、クリステルたちは笑いをこらえている。
たとえこのやり取りが、周囲にとっての牽制であったとしても、自分たちにとっては関係ないことなのだ。
結局、その後はセイヤの同級生となる何人かが短い挨拶に来ただけで、騒動のようなものは起きなかった。
これは、ジェフリーの予想が外れたというよりも、牽制が役に立ったと考えるべきだろう。
セイヤの噂がある程度の流れている影響もあって、最初の対応を間違えるとあっさりと見放されるということも知られているのだ。
そのお陰でセイヤは、歓迎パーティを十分に楽しむことが出来た。
ただし、やはりというべきか、当然というべきか、周囲がそんな状況なので、新たな友達を作るという密かなセイヤの野望は、果たされないままなのであった。
うーむ。なぜかジェフリーがいじられキャラに。
こんなお兄様ではないのですよ? 本来は。




