(2)王都散策(事件なし)
「ウーム……」
セイヤはあてがわれた部屋で、腕を組みながら唸っていた。
部屋の中には、侍女であるエーヴァしかいない。
「随分とお悩みのようですね」
エーヴァがそう声を掛けると、セイヤはコクリと頷いた。
「それは悩みますよ。あれだけ厭味ったらしかったリゼ母上の口撃が無くなっているのですから」
正確にはお小言が無くなっているわけではない。
ただしそれは、あくまでも貴族としての行儀作法に対する注意なので、反論すれば逆にこちらが足元をすくわれる類のものだ。
特にセイヤとマリーは、貴族の子として何年か後には学園に通わなければならないので、必要な注意ともいえる。
ただし、セイヤは貴族としての振る舞いも叩き込まれているので、エーヴァから注意されることも少ない。
それが逆に、セイヤの悩みの種となっているのだ。
エーヴァ以外は誰もいないために、暴言ととられかねない台詞を堂々と言ったセイヤに、
「そうかもしれませんが、リゼ様も当主様の言葉を聞いて心を入れ替えたのかもしれませんよ?」
「……エーヴァ。そういう台詞は、せめて多少は心を込めて言いましょうか」
思いっきり棒読み状態で言ってきたエーヴァに、セイヤはジト目を向けて返答した。
今までのリゼの言動から、エーヴァもそんなことはあり得ないと考えているのだ。
と、本人が聞けば激怒しそうなことを話している主従だったが、実はこの会話は中らずと雖も遠からずと言ったところだ。
ただし、実際にはもう少し込み入った事情がある。
それは、以前セルマイヤー辺境伯家に、公爵家の三女であるクリステルが訪れた際、その公爵令嬢がセイヤのことを気に入ったようだというような文面をマグスが書いて送ったのだ。
勿論、それだけでリゼは、気のせいではと信用したりはしなかった。
だが、学園に通うようになったエリーナが、たびたび王都の屋敷にクリステルを連れて来るような仲になり、それとなく話を振ってみれば、本当にその通りだということがわかったのだ。
流石に公爵令嬢が気に入っている相手をこき下ろすわけにはいかない。
セイヤは後々学園に通うのはわかり切っているので、そのときにクリステルとさらに仲良くなれば、どう転ぶか分からないのだ。
こうして、実に貴族らしい思考の元、リゼはセイヤとマリーに対する態度を改めたのである。
もっとも、その分は元傭兵であるアネッサに嫌味が飛ぶようになったのだが、当人がまったく気にしていないので、ある意味では平和的(?)に解決したと言える……かもしれない。
そんな裏事情が出ているとはつゆとも知らず、セイヤとエーヴァは頭を悩ませていたが、いつまでもそんなことをしている暇はなかった。
洗礼の儀まではまだ数日の日数があるのだが、せっかくの王都訪問ということで、ふたりでいろいろと計画を立てているのだ。
「……まあ、リゼ母上のことはいつまで考えていてもしたありません。いまは、計画通りにことを進めましょうか」
「畏まりました」
セイヤの言葉に、エーヴァはスッと頭を下げた。
なんとも大げさな言い方をしているが、実際には大した計画ではない。
ふたり揃って目立たない格好に着替えたうえで、王都散策に洒落込もうと考えているのである。
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そこそこ儲けを出している商人の子供とそのお付き、という感じに身を扮したセイヤとエーヴァは、無事に屋敷から抜け出すことに成功して王都の散策をしていた。
「おや、エーヴァ。あそこの屋台のものもなかなか美味しそうですよ?」
「確かにそうですね。ですが、せめてその手にある串焼きを処理してから、他の物を購入してください」
以外にセイヤが食い意地を張っていることを知っているエーヴァは、冷静にそう言い返してきた。
それに対して、セイヤは面白くなさそうな顔になって鼻を鳴らしたが、言葉に出して反論することはなかった。
これに関しては、自分に分が悪いとこれまでの人生でよくわかっているのである。
セイヤが提案した王都散策だが、エーヴァがその行動を見ている限りでは、ただ単に屋台を物色しているようにしか見えなかった。
ただしエーヴァは、セイヤがそれだけを目的に、こんなことをしているとは考えていない。
セイヤが屋台巡りをすると言ったときには、食文化はその国の文明の度合いを計るには最適とか力説していたが、そんなことはほんの少ししか信用していなかった。
実際にはセイヤは、心の底からそう考えて言っていたのだが、いかんせんこの辺りではそもそも食文化という言葉すら無いような状態なので、それも致し方なしである。
そう言ったときのセイヤも、無理に理解させようとはしていなかったのだが。
そんな事情がありつつ、セイヤは屋台を冷やかしては目に付いた店に入ったりと、午後の王都散策を楽しんでいた。
途中で厄介な輩に絡まれるという事件も発生することなく、無事に屋敷に近付いてきたセイヤだったが、不意に足を止めた。
「……おっと」
「セイヤ様?」
楽しそうに進めていた歩みが止まれば、エーヴァも異変に気付く。
「いや、屋敷の外に、ちょっとした厄介が……」
最後はわざと言葉を濁したセイヤだったが、それでも十分にエーヴァには伝わった。
セイヤの不在に気付いたリゼが、わざわざ外で待ち構えているのだ。
セイヤがそのことに気付いたのは、屋敷からそれなりに離れている場所なので、セイヤたちが戻ってきたことは、警備をしている者たちも気付いていない。
いまから姿を消して屋敷に戻ってしまえば、誤魔化すことも可能だろう。
「……どうされますか?」
魔法で姿を消せることを知っているエーヴァがそう聞いてきたが、セイヤは首を左右に振った。
「いや、やめておきましょう。リゼ母上も馬鹿ではないから、何事もなく姿を出せば疑われる要因になりますからね」
どこどこに籠っていましたと言い訳したとしても、そこはきちんと探したと言われれば、言い訳ができない。
アネッサやマリーの部屋に匿ってもらっていたと言っても、たとえ納得する様子は見せても、何かがあると思われてしまう可能性がある。
いまは少しでも魔法を匂わせるようなことはしたくないのだ。
それならば、ふたりで屋敷を出て行ったと思ってもらったほうがましである。
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屋敷を抜け出したことはバレるのは仕方ないが、今着ている服装は多少問題がある。
仮にも辺境伯の息子が、商人のような恰好をしていれば、間違いなくリゼはそこを責めてくるだろう。
というわけで、隠れるのに最適な場所を見つけて着替えを済ませたセイヤとエーヴァは、何食わぬ顔で屋敷の門へと近付いて行った。
「あっ! セイヤ様!? 一体、どちらへいらしていたのですか!?」
いきなり門番からそう声を掛けられたが、セイヤはちょっとしたいたずら小僧のような顔になって答えた。
「いえ。なんだか、うまく屋敷を抜け出したので、そのまま王都の散策をしていました」
「……そうですか」
そんな簡単に抜け出せては困る立場にいる門番は、困ったような顔になりながらそれだけを言った。
あるいは、屋敷の警備をしていた者たちは、もうすでにリゼに怒られているのかもしれない。
ただし、魔法という裏技を使ったとはいえ、セイヤが簡単に抜け出せたのには変わりない。
彼女からの叱責は、甘んじて受けてもらうことにしたセイヤであった。
セイヤは、魔法を使えば簡単に抜け出せるので使っていますが、実は魔法を使わなくても抜け出せるくらいの実力はあります。
ただ、エーヴァも連れていて面倒なので、魔法を使っただけですw




