(9)帰還と報告
クリステルとネネが、スラム街を離れて屋敷方面に向かうことを確認したセイヤは、内心でホッとため息をついた。
「助かりました。さすがに騒ぎを起こされては対処しないわけにはいきませんからね」
クリステルもそうだが、ネネに関してはすでにその実力を疑っていない。
そのため、スラム街の食い詰めた者たちに囲まれてもクリステルがやばいことにはならないとはわかっているが、さすがに殺傷沙汰になってしまえば隠すことが不可能になる。
いくらスラム街でも事件が起これば街の警備兵はやって来るし、騒ぎを起こした本人が公爵令嬢の侍女とばれれば、報告がマグスにまで上がるだろう。
そうなってしまうと、いくらマグスといえどもみ消すわけにはいかなくなる。
当然その報告は、王都にまで行くことになる。
それを王都の人間がどう扱うかまでは感知するところではないが、少なくとも辺境伯家の記録には残ってしまうのだ。
これが、クリステルの実家である公爵家の領地で起こったことなら当主本人がもみ消すことも可能だが、他家の領地で騒ぎを起こせばそうはいかない。
まあ、だからといってクリステルの経歴に傷がつくわけではないが、十一歳の少女が侍女を一人だけ連れて、スラム街でなにをやっていたのかという誹りを受けたりするだろう。
それは、セルマイヤー家にとってもプルホヴァー家にとっても、良くない結果を生むことになる。
だからこそ、セイヤとしては、何事もなく無事に終わってホッとしたというところだった。
「それにしても、アヒムとボーナがなにを話していたかはわかりませんが、あとで褒めてあげましょうか」
その思考はどう考えても年上を相手にしている八歳の思考ではないが、そんなことはセイヤにとっては些細なことだ。
セイヤは姿を消しながら様子を見ていたが、四人の会話が聞こえるところまで近づくことは避けていた。
いくら姿や音が消せる魔法といっても、人の気配まで消しているかは分からなかったためだ。
ネネほどの熟練者であれば、あるいは気配でばれるかと考えて、近付くのを控えていたのである。
そんなことよりも、クリステルとネネに疑われないように、先に屋敷に戻らなくてはならない。
きちんとふたりが屋敷に向かっていることを確認しながら、セイヤは姿を消したまま屋敷へと戻るのであった。
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クリステルとネネが屋敷に戻ってきたことを確認したセイヤは、何食わぬ顔で書斎の扉を開けて、ちょうど廊下を歩いていたふたりと顔を合わせた。
「あら、セイヤ。こちらの部屋で何を?」
無断で外出していたとは欠片も匂わせずに、クリステルがセイヤにそう聞いていた。
セイヤも何も気づかなかったふりをしながら、閉じかけていた扉をあけながら、
「ここは我が家の書斎になのです。本を読んでいたのですよ」
「そうですか」
ニコリと笑みを浮かべながら答えたセイヤに、クリステルも同じように微笑みながら頷いた。
本来であれば、ここでお互いに頭を下げてお別れとなるところなのだが、セイヤはふと気になること見つけて、ついそれを口にしてしまった。
「クリステル様、何かございましたか? 顔色が優れないようですが……」
「えっ!?」
心配性な視線を向けて来たセイヤに、クリステルや驚きの顔になって、思わず右手を頬に当ててネネを見た。
だが、見られたネネも首を左右に振っている。
「いえ、申し訳ございません。私には特に変化があるようには見えないのですが……」
信頼する侍女の返答に、ネネはホッとした表情になって、セイヤを見た。
「嫌ですね、セイヤ。私が体調を悪くしていることなどございませんよ」
そう答えながらクリステルは、内心でドキドキしていた。
それを顔に出さずに済んでいたのは、まさしく淑女教育の賜物である。
父に言われて嫌々ながら受けていた授業だったが、この時ばかりは感謝していた。
なにしろ、セイヤに言われたことは図星だったのだ。
先ほど、スラム街を見に行ったときに、子供たちと話をしてネネが気付けたことに、自分が気付けなかったことが悔しかったのである。
体調が悪くなっているわけではなく、わずかに気落ちしていただけなのだが、まさかそれをセイヤに気付かれるとは思っていなかった。
しかも、小さいころから一緒にいるネネは気付いていなかったのにだ。
小さく笑みを浮かべて自分を見てくるクリステルに、セイヤは一度小さく首を傾げてから頭を下げた。
「そうでしたか。大変失礼なことをして、申し訳ございませんでした」
「いいえ。お気になさらずに。私のことを心配してくださったのですよね?」
「そうですが……余計なお世話だったようですね」
そう返しながら恥ずかしそうな顔になったセイヤに、クリステルは首を左右に振った。
「いいえ、とんでもありません! ……嬉しかったですよ」
「えっ?」
最後に付け加えられた言葉に驚いたセイヤは、思わずクリステルの顔をまじまじと見てしまった。
その視線を微笑みながら受け取ったクリステルは、セイヤをそのままの状態にして「それでは失礼します」と声をかけてから、用意された部屋へと戻って行った。
そして、その場に残されたセイヤといえば……、
「どういうことでしょうね?」
意味が分からずに首を傾げながら、父がいるはずの執務室へと向かうのであった。
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「父上、戻りました」
「入りなさい」
セイヤが執務室のドアをノックすると、部屋の中からマグスの声が聞こえて来た。
書類から顔を上げてセイヤの顔を確認したマグスは、どことなく安堵の顔になってから続けた。
「どうやら、何事もなく無事に戻ったようだな」
「無事は無事ですがね……」
肩をすくめながら曖昧な答えを返してきたセイヤに、マグスは眉をひそめた。
「……全部報告してくれ」
元からそのつもりだったセイヤは、最初から最後まで自分が見て来たことをマグスに話し始めた。
屋敷に戻ってきて、いまいる執務室に向かうまでの話をしたセイヤは、最後にこう付け加えた。
「――――というわけです。一体、どういうことなんでしょうね?」
先ほどと同じようなことを言ったセイヤに、マグスは一瞬驚きで目を見開いて、すぐにクツクツと笑い始めた。
「なんだ。お前はわかっていないのか。意外なところで経験不足だったな」
「……父上はわかっているのですか?」
「それはな……ああいや、やめておこう。こういうことは、下手に外野が騒がないほうが良いからな」
「はあ……」
ひとり納得して頷いているマグスに、セイヤは曖昧に頷くことしかできなかった。
少しだけ親の目線でセイヤを見ていたマグスだったが、すぐに真面目な表情に変えた。
「それにしても、いきなりスラム街か……。一体どんな会話をしていたんだろうな?」
「さすがに時間が無かったので、話の内容までは聞けていませんよ? 必要であれば、聞いてくることはできるでしょうが」
マグスは、セイヤがスラム街に知り合いを作っていることを知っているが、具体的に誰であるかまでは知らない。
先ほどのセイヤの説明も、アヒムとボーナの名前についてはぼかして話しているので、まさかセイヤの知り合いだとは考えていないのだ。
「いや。時間があればそうしてもらいたいところだが、いまは無理だろう?」
「そうしてくれると助かります」
なにせ、こうしてふたりが話し合いをすることになっている張本人は、まだ数日セルマイヤー家に宿泊することになっている。
セイヤであれば、ちょいと屋敷を抜け出して話を聞いてくることも可能だが、ネネという実力者がいる限りは、いますぐに不用意なことはしたくはない。
結局セイヤは、昼間の話を聞くために、夜食が終わってから姿を消しながらアヒムとボーナを捜しに街に出ることになるのであった。
セイヤは主人公的鈍さは持っていませんが、相手が十一歳で対象外のため気付けていないだけですw
ついでに、八歳としての感覚も強いので、そういう方面には疎くなっています。




