交歓
「3年5組の皆さんに、悲しいお知らせがあります」
いつも通りの放課後、教卓の前に立つ担任のおじさんが声を震わせながらクラスひとりひとりの顔を確認するように見渡す。一瞬にして教室に漂った緊張感に俺は嫌悪感を覚えた。この感覚だ。両親を事故で無くした俺にはわかる。この緊張感はきっと……誰かに不幸が来たんだ。
「森本結衣さんですが、今日から長い期間の入院をします。もしかしたら卒業式まで来れないかもしれません」
クラスがまた騒ぎ出す。
「おい優斗聞いたか!?」
後ろの席の河村が躊躇なく俺の肩をバンバン叩く。
「痛いって! 聞いてたし!」
肩の上に乗っていた手を払うと河村は無邪気に、ははっと笑った。
河村は本当に明るいなと思った。この前のクリスマスでうちのクラスメイトがひとり交通事故で死んだ。そいつの葬式でも河村は涙を堪え、みんなを励ましていた。その明るさこそが皆の癒しなんだと知った。
「森本ってあの夜色さんと仲良い人か!?」
「え、あ、うん」
夜色さんの名前が出て少し動揺してしまう。
「……あ、そういえば優斗、お前夜色さんに今日告るって言ってたよな」
河村に言われ顔が熱くなる感覚がした。
「お、覚えてたんだ河村」
「優斗、昨日それしか言ってなかったからな!」
河村が大口を開け笑う。
そう、俺は今日夜色さんに告白する。
夜色さんの第一印象は素直に『美人』だった。もともと中学一年生のときから可愛い子がいる、と騒がれていたが、正直そこまで興味がなかった。しかし、三年生になりクラスが同じになると、驚くほど綺麗で驚いたのを覚えている。
常ににこにこ微笑んでいて不思議なオーラも出ているがそこも彼女の長所なのかもしれない。
「頑張れよ優斗!」
「あ、ありがとう」
河村が友達で良かったと心から思った。
「これで話は終わりです、皆さん速やかに下校してください」
担任はそそくさと教室から立ち去ってしまった。
取り残されたクラスメイトは皆、もちろん森本さんの話をしていた。
「夜色ちゃん大丈夫ー?」
女子特有の甲高い声が聞こえ、反射的に振り返ると夜色さんを女子が囲んでいた。
「森本さんと仲良かったのにね」
「森本さんも夜色ちゃんもかわいそう」
「心配ありがとう」
こんな時でも笑っていられるなんて……強いんだな夜色さん。
「優斗も励まして来いよ!」
河村がニヤニヤしながらからかう。
「うるさいな!」
と怒鳴ると、わー怒られたー、と河村が泣いた真似をして見せた。
「ここだけの話、森本さん、癌で、ドナー待ちらしいよ」
思っていたよりも悪かった事態に、教室が静まり返った。今さっきまで笑っていた河村も真っ青な顔をして口を開けていた。
「そうなんだ、教えてくれてありがとう、私もう帰るね」
静寂を破ったのは夜色さんの声だった。
皆の視線が夜色さんに集まるころには夜色さんはもう教室を出ていた。夜色さんが教室を出るのと同時に女子たちは一斉に悲鳴をあげる。
「ちょっと! 急にそんなこと言われたら夜色ちゃん困るに決まってるでしょ!?」
「どうしよう……悪気はなかったんだけど!」
「夜色ちゃん怒っていたらどうしよう!」
森本さんが癌だと打ち明けた女子は涙目をしながら震える手で口元を覆っていた。
「何してんだ優斗、早くしないと夜色さん帰っちまうぞ!」
河村が俺の手を強く引っ張る。
さすがに夜色さんも仲の良い友達が癌だと知った後に告白されるなんて望んでいないだろう。
「俺、今日はやめておくよ、このタイミングで言うのも悪いし……」
「このタイミングだからこそだろ!」
またからかってるのか、と思い顔を上げると河村の表情は真剣そのものだった。河村の目は真っ直ぐ俺だけを見ていた。
「励まして来いって言っただろ?」
「……え」
そうか、河村は俺が後悔しないように言ってくれてるのか……。
「ありがとう河村、俺言ってくる」
河村の表情は筋肉が解れたように白い歯を見せ満面の笑みを浮かべた。
教室の扉を勢いよく開き、生徒玄関へ続く階段を下りる。階段の踊り場に設置された大きな窓からは夕日が差し込んでいて光の筋ができていた。
2階に下りたところで、艶のある黒い長髪を揺らしながら階段を下りている夜色さんに遭遇した。
「夜色さん! 待って!」
放課後の廊下に俺の声が響き渡る。振り向いた夜色さんは普段通り優しげな笑みを浮かべていた。
「なに? 優斗君」
「……あ」
初めて名前を呼ばれた気がした。
「あのさ夜色さん、残念だったね……森本さんのこと」
「え?」
夜色さんは口角を下げることなく不思議そうに首を傾げた。
「癌……だったんだよね、ドナー待ちの」
「うん、そうらしいね」
落ち込んでいると思っていた夜色さんは、あっさりと返答をした。途端に励まそうとしていた俺の立場が無くなった気がした。
「あ、それで、今言うのも変だけどさ……その」
気持ちを伝える次の言葉が口から出て来ず、もうちょっと告白の言葉を考えてくれば良かったと激しく後悔をした。
「何?」
俯いていた俺の顔を夜色さんが覗き込む。動機が止まらない。よく漫画やテレビで『心臓が飛び出そうだ』と表現されるがその通りだと思った。
拳をぎゅっと握り覚悟を決める。
「俺、夜色さんのことが、気になってるんだ……けど」
やっとの思いで伝えた気持ち、恥ずかしくて夜色さんの顔が見れなかった。
「あぁ、好きってことでいいのかな?」
思わず夜色さんの顔を二度見する。迷いなく言った夜色さんの言動に耳を疑った。女子はこういう時、戸惑うだの焦るだの照れるだのするものだと思っていたが、夜色さんの場合は特別なのか何を考えているのか、そもそも喜んでいるかもわからなかった。
「うん、そ、そういうこと」
夜色さんより照れている俺はなんだか自分が格好悪く思えた。
「あ」
「え?」
何かを思い出したかのように夜色さんは指をパチンと鳴らし、いつもより更ににっこりと笑い、俺をじっくりと見つめた。
「何でもないよ、ところで優斗君ってさ、両親いないって本当?」
「え?」
想定外の質問に頭が真っ白になる。
「そっか、やっぱりいないんだね、施設にいるの?」
「い、いや今は一人暮らし」
なんで告白中にこんな質問をしてくるのだろう。意図が全く読めない。以前クラスの男子に『変人』と呼ばれていたのを耳にしたことがあるが、ここまでとは思わなかった。こんな告白だったって河村に話したら絶対に爆笑されるよな。
「優斗君は持病とかさ、持ってないよね? 心臓が悪いとか肝臓が悪いとか」
「じ、持病? 別にどこも悪くないけど……」
「ふーん、じゃあ今日の放課後どっか遊びに行かない?」
「え!?」
今、遊びに誘われたよな? 聞き間違いじゃないよな? もしかしてこれってデートなのか!?
「い、いいの!? 夜色さん!」
「うん、早く行こう? 連れて行きたい場所があるんだ」
夜色さんは俺の腕に手を回して、大切なものを見るような目で俺を見つめる。
「夜色さん、つまりこれって告白の返事は、OKって……こと?」
夜色さんは返事をする代わりに優しく微笑む。う、嬉しい……! まさかOKをもらった挙句デートにまで行けるなんて! 家に帰ったら河村に自慢してやろう。
「じゃあ、さっそくついてきてくれる?」
俺の腕をつかむ夜色さんが楽しそうに話しかけてくる。
「うん!」
ふと足元を見ると、夕日と反対に位置する俺の長い影が夜色さんの足にまでかかっていた。もうそろそろ暗くなっちゃうな……。
俺と夜色さんは一緒に学校を出た。
夜色さんと学校を出て、何時間たったのかわからない。夜色さんとどこに行って何をしていたかも全く思い出せない。何も見えないし、聞こえない。五感のうち機能しているのは、『寒い』『痛い』という感覚を伝えてくる触覚だけ。身体は無いのに、意識だけがある、そんな感覚だ。
今俺はどうなっているんだ? 今まで夜色さんと何してたんだ? 俺に残されたのは夜色さんと学校を出てどこかに行ったという思いでひとつ。
俺は携帯を見る。メールは今日も来ていないみたいだ。
「河村! ホームルーム中に携帯を出すな! 没収するぞ!」
先生がガラガラの声を張り上げる。
「すみませーん」
だるそうに謝り、急いで携帯をカバンの中に突っ込むと、クラスの皆がクスクスと笑う。その中に皆につられて笑う夜色さんもいた。
「今日の欠席者は……優斗だけだな」
先生は健康観察を見ながら優斗の席を指差す。優斗の名前を聞いた途端、また胸が絞められたように苦しくなる。クラスのみんなも暗い表情をして黙り込む。
優斗は夜色さんに告白した日、俺にメールで『夜色さんとデート!』と数時間後に『どうしよう夜道で不良に絡まれた』と送ってきた。次の日、学校でいろいろ話を聞こうとしたが優斗は無断欠席で学校に来なかった。2日目も無断欠席でさすがにおかしいと感じた俺は先生と一緒に優斗の家に行ったものの、優斗がこの2日間全く出入りしていないことがわかった。
失踪してもう2週間が経つ。警察は優斗君からのメールにある不良が、優斗君の失踪に関わっているのではないかと捜査を進めていて、クラスの皆や先生も不良が怪しいと言うが、俺は違うと思っている。理由や根拠は一切ないが、夜色さんが怪しいと今でも思っている。
「あ、そうそうお前らにいい報告がひとつある」
先生の顔が晴れる。皆は興味深々そうに目を見開いて先生を見つめる。
「森本さん、入って」
「はーい!」
先生が教室の扉に向かって手招きをすると、どこに隠れていたのか森本さんが勢いよく廊下から出てくる。
「退院したよ!」
森本さんの一言に驚きの表情を見せる皆に森本さんは面白そうにピースサインをした。女子は歓喜の叫び声をあげながら席を離れ森本さんの周りを囲む。
「結衣ちゃん、退院おめでとう」
夜色さんは嬉しそうに笑って森本さんの隣に駆け寄る。
「心配してくれてありがとう! 夜色ちゃん!」
森本さんと夜色さんは手を取り合って喜んでいた。皆はお祭り騒ぎで森本さんの退院を喜ぶ。……この幸せな雰囲気に包まれた教室を優斗と一緒に笑いながら見たかったな。優斗の笑う顔が頭に浮かぶ。俺の目からは涙が流れていた。
「退院おめでとう優斗君」
夜色さんが小さくそう呟いた気がした。驚いて正面を見ると夜色さんは本当に楽しそうに森本さんと喋っていた。