虫の教室
夏のホラー用の怪談です。
グロ要素があるので、苦手な方はご遠慮下さい。
小説家になろう、による夏のホラーに参加するために、今まで見聞きしたものの中でも、形にしないようにしていたものを吐きだすことにする。
学校という場所にまつわる話である。
実話を基にしているが、かなり脚色をしていることを先に明記しておく。
◆
怪談を集めていると様々な人から話を聞く。
そうしていると、あと一歩というのを感じることがある。
実話怪談で業界に偉大な功績を今も積み上げ続けている平山夢明先生も仰っているが、踏みとどまるラインというものがあって、ある一定の場所以上に踏み込むには狂人の素養が必要となる。
筆者は怪談のために狂人になれなかった。
見るとまずいタイプの怪異には何種類かある。
筆者が特に相性が悪いと感じているのが小人だ。そして、最も相性の良いものが女怪の類である。
その話を聞いたのは、クリスマスを控えたキタのゲイバーでのことである。
友人の祝いのため、シャンパンを開けてゲイバーで盛り上がっていた時の話だ。
「怖い話、好きなんですか?」
と、問いかけてきたのが、新谷氏である。彫の深い顔立ちの、驚くほどのハンサムで、筆者の一言目は「めっちゃ男前ですね」であった。
ゲイの友人と飲みにきたとのことで、新谷氏はノンケの男性である。
気が合ったこともあり、彼の友人や筆者の友人も交えて、遊びに行く仲になった。
新谷氏は恋を患っていた。
古い携帯のメモリに彼の告白を記録した会話の録音が残っていたので、多少細部は変えてそのまま下記に記す。
いやね、そんなにスゴい話じゃないんです。
芸能人のIさんの人形みたいなスゴいの期待されたら困るんですけど、ああ大丈夫ですか。はい、そんなにスゴくないんです。
あのSという土地のことです。ああ、ご存じ、ああ、そうなんですか。ええ、その近くのことです。
(雑音にてしばらく聞き取れない)
そんなことがあって、あの土地は少しおかしいんですよ。まあ住んでるもんからしたら、普通のことなんで気にもとめないんですけど。ええ、そんなもんなんですよ。
僕の通っていた学校もそこにあったんです。変なことなんてしょっちゅうですよ。帰りに教室の窓から手を振ってくる知らない子供とか。ええ、すごい笑顔で。「あいつだ」っていって、みんな無視するんです。そうしないと、家にまできちゃうんで。大人は気づいてたんですかね? どうでしょう。今となったら聞けないでしょ、そういうこと?
ええ、大人になったってことなんでしょうねぇ。
いやね、うん、僕が捜してるのは、女の子なんですよ。ほら、昔の、昭和のアニメのヒロインみたいな服を着ててね。顔は、わかんないんです。でもほら、頭がなかったんで。ええ、びっくりしましたよ。
首なしなんですけど、それ以外は普通の女の子ですよ。
学校にね、夏休みの宿題に必要なの置いてきちゃって、それで取りにいったら曲り角でばったり行き会ったんですよ。ぶつかったりはしてないですけどね、もうね、驚いて口を開けてたら、お化けの彼女はサっと走っていっちゃって、スカートの裾が広がって、アニメのヒロインみたいでしたよ。
ああ、うん、それだけなんですけどね。私ね、元教師なんです。
高校生の時に、学校曲がり角でまた頭の無いあの子を見たんですよ。学校にね、いるんです。小学校でも中学でも、高校でも。大学にはいないんですよ。夜の学校に忍び込んで、何回かちらっと、多分、あの子のはずです。
ああ、別のもたくさんいますよ。トイレの花子さん? でしたっけ。アレもいますよ。アレって、そんなに可愛いもんじゃないですよ。なんていうかね、臭いんですよ。基本ドロドロで、詰まったトイレの中身みたいな、キレイなもんじゃないですよ。
えっ、ピアノとかモーツァルトの絵とか。
ああ、あんなの暗いと分からないですし、興味ないですね。学校は人の形したものばっかりです。だいたいは僕に気づかずにうろうろしてたりするだけです。あとは、ただ歩いてるだけとか。最初は怖くて逃げたりしましたけど、慣れたら別に。ははは、怖いは怖いですけど、慣れますねぇ。
(雑音、黒板をひっかくような音が入っている)
筆者「地元の学校にはいったんですか?」
……あれ、なんで思いつかなかったかな。行ってないですよ。てっきり、あの子は学校から学校を渡り歩いてるような気がしてて。灯台下暗しですね。
行ってみますよ、今度。ああ、一緒にいかないですか。慣れてますから。警備甘いとこも知っていますよ。
丁重にお断りしておいた。
◆
友人付き合いを始めて半年ほどしたある時、新谷氏は、すごい発見をしたので聞いて欲しいと興奮した様子で筆者に電話をくれた。
嫌な予感はしていたが、会いに行った。
東成区のさびれた駅前の喫茶店である。
新谷氏は爽やかな好青年風の格好をしていた。対する筆者はスカジャンのオッサンである。周りの目が痛い。
「スカジャン、カッコイイですね」
「せやろ。めっちゃ高かってんでコレ」
和柄はチンピラだけが着るものではないと断言したい。
喫茶店は関西地方で展開するフランチャイズの店で、初めて入ったがコーヒーは美味しかった。
「あの子に会う方法、考えたんです」
「そらまたどういうことですか」
「いやね、部屋の中に学校を作るんですよ。よかったら見てもらえませんか?」
と、言われて筆者は新谷氏の車に乗って、彼の家へ向かった。
車で走ること二時間。
すっかり夕暮れになるころについたのは、兵庫県の山奥の一軒家だった。
「ええとこに住んでますね」
「自然がたくさんで、まあ田舎なんですけどね」
新谷氏の持家というのは、築30年以上の家屋だった。山の中にぽつんと一軒家がある姿は、なんというか不気味だ。
中に案内されて、まず感じたのは塗料の匂いだった。間違っても家の匂いではない。
「こちらです」
「はい」
そこは、部屋というより作業場だった。様々な工具や板切れ、塗料、数式の描かれたホワイトボード。真ん中に大きめの作業机が置いてある。
作業机には見事なものがあった。
学校の教室のミニチュアである。
教室を上から見下ろす形でのジオラマだった。椅子や机などが、手のひらサイズで精巧に造られている。
「凄いですね、これ」
「パーツとかは売ってるんで大したことないですけど、細かいとこは自分で作りました」
「でも、これでどうするんですか?」
「学校の条件を満たせれば、出てくれるんですよ」
新谷氏はニコニコと笑いながら言う。
「じゃあ、このジオラマで出るんですか?」
「いや、これだと模型なんで、ちょっと待ってて下さいね」
新谷氏は隣室へ行って、籠をとってきた。虫かごだ。
「これが、生徒で、教員免許もありますから、僕が教師です」
筆者は言葉を失って、「え、どういうこと?」と聞き返すこともできなかった。というよりも、「あ、こいつ本格的にイカレたのか」という驚きが大きかった。
新谷氏は、様々な虫の幼虫、つまりは芋虫を虫かごから取り出して、教室に並べていく。
「この子たちは、幼虫でしょ。やっぱり子供ですから、条件を満たすとなるとこうでしょう」
自慢げに言う。
頭のネジが外れると、こういう『自分の理論』に疑いを持たない。
「動物は暴れますから、学級崩壊ですよ。ハハハ、ネズミは小さくても大人ですしね。職業訓練校ではダメですよ」
二十匹ほどの芋虫の蠢く教室が出来上がると、新谷氏はホワイトボードを持ってきて、授業を始めた。
生徒に言い聞かせるように、時折、芋虫に注意をしながら連立方程式の授業を行う。
芋虫たちは自由に這い回る。仕切りのついたミニチュアの教室からは、どれだけのたくっても出られない。
眩暈がした。
狂人に相対した時の正解というものがある。まずは逃げる。それができないなら無視。絡んできたら、暴力。しかしながら、こういう形で狂ってしまったものは、刺激を与えても意味が無い。論戦に持ち込まれるだけだ。
おとなしく、彼の授業を45分ほど聞くハメになった。
「今日の授業はおしまいです、礼」
と、いささか芝居がかった動作で締めた新谷氏は、照れ笑いを浮かべて筆者に向き直った。
「授業の後は下校ですよ」
新谷氏は虫かごに、名前を呼びながら芋虫を入れていく。
下校風景に嘔吐しそうになった。
「アフターファイブです。近くに美味いラーメン屋があるんで、いきましょう」
ラーメンは喉を通らなかった。一応食べはしたが、味はまるで分からなかった。
「あとは宿直ですよ。僕は警備員みたいなものです。一時間おきに見にいくんですけど、何かいる時があれます。残念ながら、あの子じゃないんですけどね」
「いやあ、面白いですね。参考になりました。また、何かあったら教えて下さい」
「人に見てもらうと自信がつきましたよ。もしよかったら、用務員さんとして、僕の学校に参加しませんか? 考えといて下さいね。それじゃあ、また」
新谷氏には電車で帰ると言って、田舎の駅前で別れた。
車が走り去ってから、ふぅぅ、と大きくため息をついた。泊まっていけなどと言われそうで、怖くて仕方なかったのだ。
電車を乗りついで大阪へ戻り、ひどく気分が悪いので酒を飲んだ。あまり酔えなかった。
◆
新谷氏からは時折メールが届いた。
学校は順調に規模を増していき、今は体育館とプール、保健室を建造してよりリアルになったとのことだ。だが、やはり本来の学校よりも、出現率が低い。
新谷氏には適当にメールを返した。
学校の再現について何が必要か試行錯誤を繰り返し、新谷氏は卒業生が必要になるとの結論に達したらしい。芋虫が蝶か蛾になるのを卒業した扱いにすると、メールにはあった。適当に返事を返す。
このようなことが数年前にあり、新谷氏とは少しずつ疎遠になった。
実を言えば、彼を観察していれば確実に怪異に遭遇できるという確信があった。しかし、同時にそれに巻き込まれるであろうとも確信していた。
ある時、当時住んでいた部屋の窓に異様にたくさんの蛾や蝶が集まっていた。何かの偶然かもしれないが、空恐ろしくなって、筆者はメールアドレスを変更した。
新谷氏の顛末は、下記に記す。
◆
新谷氏の学校増築は半年ほどでピークを過ぎた。後は、余分なものを追加する作業となってしまう。
学校に必要なもの、設備と生徒、そして教師もいる。
あとは伝統だと、思い至った。
今の生徒たちが羽化すれば第一期卒業生である。
これではいくらやっても時間がかかる。
サイクルを早くしたい。
第二期からは、ウジ虫を使うことにした。
学校は吐き気を催す様相を呈した。
新谷氏の学校にはいろいろなものが現れた。
夜の見回りでは、平安時代の姫のようなものが、学校をじっと見下ろしていた。垂れ下がる黒髪で顔は見えない。が、新谷氏の気配を感じたのか、見ているとスッと消えた。
また、ある時は仏教の地獄絵でおなじみの餓鬼が走り回っていることもあった。
どうにも、違う。あの子はいつになったら来てくれるのか。
夜中、笛の音や太鼓の音が響くことも増えた。夜の学校ではよく体験していた怪異のため、新谷氏は「そろそろだ」と日々何かが近づいているのを感じていた。
第三期生。第四期生。
さなぎになった段階で卒業。穴に入れて、熱湯をかける。後は石灰を撒いてから埋める。
第五期生。第七期生。
第十一期生。第二四期生。
第三十期生。
ベテラン教師となった新谷氏は、そろそろ三一期生も卒業かと授業をしながら思った。
夜半の見回りで、ついにその子を見つけた。
ドン、と突き飛ばされ、尻もちをつく。大きな水風船をぶつけられたような衝撃だった。
頭の無い女の子が新谷氏を見下ろす。
見つめ合っていた。
頭の部分に真っ黒のモヤのようなものがあった。
「あ、これダメだ」
新谷氏からそんな言葉が漏れた。自分でもなんでそんな言葉が出たのか分からない。
黒いモヤは、何か恐ろしいものに繋がっている気がした。
新谷氏の記憶はそこで途切れる。
気が付くと朝だった。
ひどい吐き気がして我慢できず、その場で嘔吐する。吐瀉物の中には、見慣れた生徒たち、ウジ虫が這い回っていた。。
そこから病院で胃洗浄を受けた後まで、記憶が飛んでいる。
その後、家は不動産屋に二束三文で売り払った。辺鄙な場所ということもあり、借り手のつかない空家のまま半年以上が経ち、ある時、不審火で燃えてしまったという。
◆
久しぶりに会った新谷氏は、一時期よりかなり回復した様子だった。
まだ病院には通っているが、今は学校など見たくもないとのことだ。
「あの時は、どうかしてましたよね」
大阪の中心地、ミナミのファミリーレストランで話している。人が多い都会を新谷氏は再会場所に指定していた。
新谷氏は煙草を矢継早に吸う。一日三箱は吸っているとのことだ。
「煙草、やるようなったんやね」
「もう教師じゃないですから」
「やっぱり、幽霊とかおっかけるんは危ないみたいやなあ」
「海老さん、もうやめといた方がいいですよ。あいつらにね、一回目をつけられたら、ずっと追っかけてきますから」
弱弱しい笑いを新谷氏は浮かべた。
「あれから、頭の方が追っかけてきます。しつこい女ですよ」
手にはたくさんの数珠。お守りは肌身離さない。あまり、効果は無い。
新谷氏と共に店を出る。
別れ際、歩道で立ちすくむ新谷氏。視線は足元にあった。
「どないしたん?」
「ほら、また追ってきたんです」
見れば、植え込みから迷い出たものか、道に芋虫がのたくっている。
新谷氏は、芋虫を念入りに踏みつぶした。靴底でペーストにして、唾を吐く。
新谷氏とは、その後会っていない。
携帯電話は繋がらなくなっていた。小説という形で掲載する許可は頂いている。
新谷氏の行いが「良くないこと」ではあったのは間違いない。
あの時、新谷氏の学校で用務員になっていたら、筆者はどんな目にあっていたのだろう。
助かったという気もするが、惜しいことをしたという気持ちも少しある。