第八話 有能である人間が、必ずしも有能な人間と剃りが合うとは限らない
「リーア=L=クラウンフォルト伯爵」
安定飛行に入り、搭乗員の姿もまばらになり出した頃。固い声に呼ばれ、リーアは振り返った。
コックピットの中央で腕を組み、仁王立ちするのは、ソマル=ハルク。
今回の、紅き月調査隊隊長だ。
元軍人らしい鍛え上げられた肉体は、SSAの宇宙飛行士に転向した今も、衰えてはいない。南部出身らしい、彫りが深く浅黒い顔立ちに、髭を蓄えた容貌からは、実年齢以上の貫禄が滲んでいた。
今ミッション唯一の30代だが、これだけ重要な任務のコマンダーを任されるという意味では、34歳は若い。無論、極度に長いフライトに耐えうる体力面を考慮してのものだろうが、無能な部類の人間でないことは確かだろう。
ただ、有能である人間が、必ずしも有能な人間と剃りが合うとは限らないのだが。
「貴殿に一つ言っておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
言外からにじみ出る高圧的な物言いに、リーアは柔らかな物腰で、しかし毅然と向き直った。
ソマルは、現在はキアローチェ共和国にあるSSA本部に勤務しているが、元は南ディアス大陸の小国サレスナ王国出身の軍人だ。
あの辺りは、特に異能人に対する偏見が強いところで、リーアは初対面の時から、この男の視線に宿る、消し切れない侮蔑の色をくみ取っていた。
「今回の紅き月着陸計画では、大マルクレスト帝国とクラウンフォルト家から、多大な助力を頂いたと聞く。まずは、そのことに感謝を述べよう」
「いえ……」
謝辞から入ったソマルに会釈する。
「マルクレストの覆面女帝にも、どうか感謝の言葉を」
「……機会があれば、伝えておきます」
洒落のつもりか、おどけた物言いにつられることなく、リーアは神妙に答えた。
建国から300年。大マルクレスト帝国の皇帝はただ一人だ。
ただの一度の世代交代もなく、一人の皇帝のもと、着々とその版図を広げてきた強国に、そのあり得ない帝政がまかり通る国の長を、『覆面女帝』と他国は揶揄する。
皇帝は、公の場でも御簾越しにしか御声を賜ることは出来ず、その御姿を拝見できるのは、ごく一部の限られた者だけだ。
どれほど長寿のピュラスタでも、300年を生きる者はいない。皇帝なのだから特別なのだと言われればそれまでだが、証明する手立てもない話は、眉唾として語り継がれる。
マルクレストの実態は、覆面女帝を使った傀儡政権であるという憶測が流れるのも、やむを得ない話だ。
実際のところ、リーア自身も、この最も尊きピュラスタの実在について問われれば、肯とも否とも答えられない。
目に見えないものを信じ続けられるほど、リーアは純粋な精神を持ち合わせていなかった。
「そして、貴殿が今回、この計画の調査隊参加を熱望されたのは、国境なき研究団においてマルクレスト・ピュラスタの代表として、共に紅き月の地を踏む必要性がある、と判断してのことですな?」
「それもありますが、本懐を遂げたまでです。私が宇宙開発において、数年前から取り組みを見せていることは、ご存じのことでしょう。その遙か昔、幼い頃より月への憧れを抱き、同志たるローエヴァー博士の片腕として、宇宙の神秘に立ち向かってきました。今回の調査隊にしても、決して帝国国家代表のお飾りとしてついてきたつもりはありません」
にっこりと微笑む。丁寧な物言いの中に、一歩も引かぬ矜持の高さを見せつけられ、ソマル=ハルクは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「お飾りならお飾りらしく、邪魔をするな」という牽制だったのだろうが、あいにく、黙って頷いてやるほど、大人しい性分はしていない。
「ならば結構。せいぜい、お役に立って頂こう。例え大帝国の有力貴族であっても、この国境なき研究団SSAでは、何の関係もない」
「分かっています。こちらも肩書きがあっては、邪魔で仕方がありません。宇宙の神秘に惹かれる者として、一研究員として、共に人類の未知に挑みましょう」
※
「…………」
そんな冷たい火花を散らす二人の横を、こそこそとカイが通り過ぎた。
触らぬ神に祟りなし、だ。
「うわっ」
早足にコックピットを抜け出したところで、カイは、不自然に扉の前に立ち止まっていた人物にぶつかった。
「マークス?」
鼻を押さえながら顔を上げると、マークス=アルバントが、身を隠すようにしてコックピットを覗いている。
「あ、カ、カイ君っ?」
目に見えて狼狽するマークス。冷静を装うように眼鏡のブリッジを押し上げるが、その奥の若葉色の瞳は、カイの視線を避けるように忙しなく動いた。
明らかに挙動不審だ。
薄栗色の髪を後ろで束ねた青年は、うっすらとそばかす跡の残った頬を掻きながら、なにやら「うー」とか「あー」とか呻いている。
プロファイルによると、身長は一九二センチ。こうやって隣に並び立てば、驚くほどの長身なのだが、いつも自信なさげに背中を丸めているせいで、そんなイメージがない。
宇宙航法士兼搭乗通信士。地球上の管制センターとのパイプ役であり、隊長の補佐であり、同時に操縦士のパートナーでもある。
華やかなポジションではないが、有人飛行ミッションにおいて、非常に重要な役割を担うこの26歳は、帝国外ピュラスタだ。
実のところ、カイは帝国外ピュラスタとまともに接するのは、これが初めての機会だった。
人種を問わないとするSSAでも、帝国外ピュラスタの数は多くない。
彼らの大半は貧民層、流浪層となるため、まともな教育を受けていないのだ。水準以上の知識と技術力を必要とされるSSAの門戸は、あまりにハードルが高い。
ピュラスタといえば貴族というイメージが強いカイにとって、この妙に腰の低い質朴とした異能人は新鮮だった。
同年代で同じヒューストでありながら、常にツンケンとしたエンテなどよりも、よほど付き合いやすい。
「何してるんだい? こんなところで」
「い、いや、別に、何も」
どう見ても何もないという様子ではない。未練がましく、ちらちらと奥を覗く視線を追うと、腰まで届く金髪を流した背中に行き当たった。
「リーアさん……?」
「ち、違う違う違う! 何でもないんだ! じゃあ僕はこれでっ」
その名を出すと、面白いほど飛び上がったマークスが、右手と右足を一緒に出しながら去っていった。
「何なんだ、一体……」
「……また一人犠牲者か」
「うわっ!?」
唐突に背後から聞こえた声に、こちらも飛び上がるカイ。動悸を抑えて振り返ると、宇宙食をスナック菓子のように口に放り込んでいる博士がいた。
「ちょっ……あんた! 何勝手に食料漁ってるんですか! 規定外の量を、規定の時間以外に無断で食べるのは違反ですよ! ちゃんと隊長の許可を取らないと……」
「細けぇこと気にすんなって、リーアみたいになるぞ。これ結構うまいぜ? ココア味で。7年で宇宙食も進化したんだなー」
「ああもう聞いてない……」
壁に頭を打ち付けたくなりながら嘆く。この男の、マットーな人間としてどうかと思う言動を見聞きするたびに、情熱を捧げた7年間を、ものすごい勢いで巻き戻したくなるのだ。
「誰みたいになるですって?」
と、カイが心の映写機のフィルムを泣きながら巻き戻していると、涼やかな声が耳朶を打った。
見ると、ソマルとの会話を終えたらしいリーアが、こちらを向いて立っている。その目が、バーンの手元を見てすいと細められた。
その視線に促されるように、わずかに震えたココア味スナックの袋が、バーンの手をスポンと飛び出した。そのまま、空中をふわりと漂い、リーアの手に収まる。
「船内の宇宙食を、時間外に無断で摂取するのは規定違反ですよ、ローエヴァー博士。それとも、万一トラブルに見舞われ食料不足に陥った時、真っ先に餓死する覚悟がおありですか?」
先ほどカイが言ったのと同じことを、かなり丁寧な口調で、かなりキツイ内容で忠告する。
「その場合は、真っ先にお前とマークスが断食すればいいだけの話だろ。ピュラスタは、人間の3分の1の水分とエネルギー補給でも生きていけるんだからよ」
そう言い返し、すぐさま袋を奪い返す科学者に、ため息をつく助手。
「そうなのか……」と、カイは新しく得た知識に、素直に感心していた。
帝国にいると、ピュラスタは身近に感じるが、実際のところ、貴族階級である彼らとそう頻繁に接触する機会はないので、その実態はカイもよく分かっていない。
ピュラスタは、五感以外の感覚で、同胞を見分けることが出来ると言われている。そのため、彼らは強固なコミュニティを持ち、迫害を受け散り散りになった後も、血を薄めることなく、確実にアイデンティティを保持している。これは、ヒューストにはない能力だ。
ピュラスタの特徴としては、そのような第六感や異能の他、平均寿命がヒューストより長く、老化速度が遅いことや、自然治癒力が高いことなどが知られている。
これらのことから、ピュラスタは一般的に、ヒューストより生命力の強い種族であると認識されている。
ピュラスタの生態が認知される以前は、人間と同じ外見をしながら、不老長寿や異能を持つ彼らは、恐怖と嫌悪、そして嫉妬の対象となりやすく、〈悪魔の民〉として迫害を受けた。
その生命力の強さ故、古く南部強国では奴隷として重宝されたという暗い歴史もある。
現在、北の大帝国に属さぬピュラスタ――南ディアス大陸各地に散在する彼らは、その時代の奴隷制度から脱出し、国を持たず放浪している民の末裔だ。
ピュラスタに対し、カイが知っている知識はこの程度のものだが、バーンの言葉からすると、ほかにも細かい生理的な違いは、多数存在するのだろう。
ピュラスタは進化過程でのヒトの派生、もしくは突然変異とする見方が強いが、宇宙人であるという説が根強く残っているのも、分からないではない。
「バーン=ローエヴァー博士、あまり勝手な真似をされては困りますな」
まったく反省の色のない博士に、追い打ちをかける気難しい声は、ソマル=ハルクのものだ。
「ライトハーツ操縦士、君の任務は彼の護衛でもあるのだろう。今後、このようなことがないように、しっかりと見張っておきたまえ」
さすがにVIPを直接責めるのには遠慮があるのか、カイに小言が向く。
護衛であってお目付役ではない、という心の叫びは、カイの食道辺りまで出かかって、胃に押し戻された。




