第四話 恋なんか蹴り飛ばしてしまうほどの、強い憧れ
その週末、久しぶりに帰省を許されたカイは、吉報を伝えるべく帰路を急いだ。
大マルクレスト帝国の隣国、キアローチェ共和国の国境付近に位置するSSA本部から、帝都にある実家までは、半日ほどの距離だ。
カイは帝国民として生まれ育ったため、己を取り巻く環境が当たり前のものだと思っていたが、国境なき研究団とも呼ばれる非国家的組織、SSAに所属するようになって、少しばかり見方が変わった。
国の在り方に異常も通常もないが、多数派を普通と見なすのならば、帝国の仕組みは明らかに異端だ。
大マルクレスト帝国は、北ディアス大陸の北部を覆う巨大国家だ。
ピュラスタとヒューストと呼ばれる二つ種族が共存し、ピュラスタの女帝により支配される君主国家である。貴族階級は全てピュラスタであり、少数のピュラスタが多数のヒューストを支配することで成り立っている。
ピュラスタとは、南北ディアス大陸に広く分布し、ヒューストと共存社会を形成している異種族だ。
生物学的には、ヒトの亜種と考えられており、原種にあたるヒューストと同じ言語を話し、外見上はほとんど差異がない彼らが種として区別されるのは、多くの生理機能が異なる為である。
ヒューストであるカイにとって、ピュラスタとは『貴族様』であり、やんごとなき身分の方々であるという固定観念が刷り込まれていたが、どうやら帝国の外では、一概にそうとは言えないらしい。
大マルクレスト帝国以南の地域では、主流派がヒューストであることが一般的だ。特に南ディアス大陸では、ヒューストによってピュラスタが迫害を受けた歴史もあり、多くの国では、ピュラスタを差別的に扱う風習が残っている。
ピュラスタとヒューストの明確な違いとしては、まず寿命と加齢、自然治癒能力などが挙げられる。また、彼らはいくつかの点で、ヒューストにはない特殊な能力を有している。
これは異能と呼ばれ、一定範囲内の物体を触れずに動かせる力や、静電気により小さな雷を発生させる力などがよく知られている。
このことから、帝国外では『異能人』と呼ばれることが多いピュラスタだが、ピュラスタが支配階級を占めるマルクレストでは、あまり用いられない。
その生態や能力と同様、彼らの持つ歴史には謎が多い。
正式な記録として残っているのは、今から約300年前、女帝を名乗る異能人ダリアマグナが、各地に散る同胞をまとめ上げ、北の大地に異能人のための国家を作ったのが始まりだ。
一説では、ピュラスタは第二衛星――〈紅き月〉に住む異星人=紅月人であり、300年前に〈紅き月〉が地球に大接近した際、地上に降りてきたとも言われている。
その信憑性はともかく、宇宙人説も含め彼ら異能人のルーツには諸説があり、現在もいくつもの論派が論争を続けているが、いつどこから来たのか、本当のところは誰にも分からない。
「みんなに土産でも買っていくかな」
バスを降り、カイはふらりと下町に出た。
ヒューストで賑わうこの辺りは、毎日のように市場が催され、活きのいい魚や取れたての果実が手に入る。
「そういや、もうすぐアリアの誕生日か。トーマの誕生日も近かったな。あ、このお菓子、確かテントが好きだったヤツだ」
店の前を通るたびに兄弟の顔が思い浮かび、ついつい荷物がかさばる。
カイ自身は、父親が帝国軍でそこそこ名の通った軍人であったという以外は、これといって何もない一般ヒューストの生まれである。兄弟は多く、その長男として振る舞ってきたため、責任感と子供受けには自信がある。
バスを降りた時はまだ明るかったが、気が付けばもう日が暮れかけていた。大マルクレスト帝国は緯度が高いため、日が落ちるのが早い。
「やっべ、帰らないと」
また明日の夜には戻らなければいけないのだ。
人の流れに逆らい早足に進むと、焦りと荷物の多さに邪魔され足がもつれた。さすがにこけるほど鈍い運動神経はしていないが、少しばかりよろけ、すれ違いざま通行人にぶつかってしまう。
「うわっ」
「あぁん? てめぇどこに目ェつけて歩いてんだ?」
すいません、と謝る前に、ガラの悪い声が因縁をつけてくる。
顔を上げると、黒い革ジャケットの男が、鋭い眼光でカイを見下ろしていた。
背中に担いでいる棍は、明らかに凶器だ。
(うわー。チンピラだー)
思わず謝るのも忘れ、一歩後ろに下がってしまう。運が悪いことは重なるもので、その拍子に別の通行人に背中からぶつかった。
「す、すいませ……」
「痛ってー……」
振り返ると、中年の男が妙に大げさな動作で肩を押さえていた。嫌な予感がした。
「てめぇ気ぃつけろコラァ!」
「ひぃっ、す、すいませ……」
案の定、別のチンピラにぶつかってしまったらしい。勢いよく胸ぐらを掴み上げられ、カイは目を回した。相手が腰の低い若者であることに気付いた相手は、パッと手を離し、ぶつかった肩をさすった。
「骨折れちまったよぉぉ。治療費置いてけよおらぁぁ」
「いや、今さっきその腕で胸ぐら掴みあげたんじゃ……」
「おい、チンピラ」
お約束のゆすりに冷静な突っ込みを入れていると、半分忘れかけていた最初のチンピラが口を開いた。これ以上、話をややこしくしないで欲しい。
「こいつは俺に先にぶつかったんだ。先に俺に謝るのが筋ってもんだろ? てめーは後だ」
よく分からない難癖をつける若いチンピラ。
「んだとテメ、誰に向かって口聞いてんだぁ? ああ? ワシはここら一帯を仕切るスクロットファミリーのなぁ」
「スクワットだかシャルロットだが知らねぇが、てめぇこそ誰に向かって口聞いてやがらぁ……あ、おい待て! とりあえず謝ってけやクソガキ!」
どさくさに紛れその場を逃げ出すカイの背中に、無条件で萎縮するような怒声が届いた。
「あー、酷い目にあった……」
あの後、チンピラ達も追ってくる様子は見せず、家まで全力疾走したカイは、ため息とともに荷物を床に落とした。
あんなのがゴロゴロしているとは、しばらく見ない内に帝都も物騒になったものだ。
ピュラスタの女帝による禁欲的な締め付けにより、ヒューストの犯罪が少なく治安が良いことが、この国の良いところであったはずなのだが。
「あーっカイ兄おかえりぃ!」
玄関で下ろした荷物の整理をしていると、幼い声に歓迎された。
「ナタリー。いい子にしてたかー?」
「ナタリーいっつもいい子だよ! トーマ! テント! カイ兄が帰ってきたよー!」
5歳の次女の呼びかけに、わーいという歓声付きで、複数の足音が近づいてくる。
転がるように飛び出してきた3歳児のテントを飛び越え、もうすぐ8歳の誕生日を迎えるトーマが腰にしがみついてきた。
「カイ兄おかえり! ねぇねぇお土産は!?」
「おいお前ー。土産目当てかぁ? 焦んなくても、全員分買ってきてるよ」
「わーい。さすがカイ兄!」
「こらトーマ! テントを押しのけちゃダメでしょ! まだ小さいんだから、怪我でもしたらどうするの」
叱責は、長女のアリアのものだ。今年15歳になる妹は、長男を次男に取られ、ぐずりだす幼い末っ子の身体を抱きしめていた。
「アリア。誕生日おめでとう。って言っても3日後だけど。俺はその日祝えないから、先に祝っとくよ」
そう言って花束を差し出すと、しっかり者の長女の顔が、一気にタコのように茹だった。
「な、何よ! カイ兄が花束なんて似合わない! 気持ちワルッ」
照れ隠しの悪態に苦笑する。
「いつまでそんなところに集まっているんだ」
奥から顔を出した父親に呼ばれ、5人の兄弟は居間へと集まった。
先日正式に辞令をもらった、〈紅き月〉着陸計画宇宙船操縦士への抜擢について報告すると、兄弟と父親は素直に喜んだ。特に調子者のトーマなど、明日にはクラス中に吹聴する気満々だ。まだ極秘事項だから、と釘を刺すが、効果はないだろう。
一人母だけが、浮かない顔を見せた。
「でも、危険なんじゃないの? 〈紅き月〉には、まだ誰も行ったことがないんでしょう?」
「誰かが行かなければ、いつまでたっても未踏の地のままだよ、母さん。10年前の〈白き月〉着陸計画の時、家族全員で感動しただろ。トーマ達は、まだ生まれてなかったけど……今度は、俺があの感動を与える立場になれる。危険なんて百も承知だ。危険だからこそ、俺が博士の護衛もかねて選ばれたんだ。そういう意味では、危険なことにすら感謝してる」
説得すると、「まあ、あなたが選んだ道だから」と不承不承頷いた。その細い肩を、なだめるように父親が叩く。
「こいつは言い出したら聞かないからな。心配するだけ無駄だ。何、大丈夫だ。こいつは言い出したら聞かないが、言ったことは必ず実現する男だ。俺が苦労して入学させた士官学校を飛び出したときは、本気でぶん殴ってやろうかと思ったが、今こうしてこいつは、胸を張って俺たちの前にいる。それが答えだ」
「父さん……ありがとう」
12歳で名門と呼ばれる帝国士官学校に入学したカイは、当時からくすぶっていた宇宙への憧れから空軍を希望した。2年間で一般教養から専門教育、戦闘訓練、戦闘機操縦訓練までを受け、主席での卒業は確実と目されていた。
父親仕込みの戦闘技術が高く評価され、帝国陸軍からも声がかかっていた中で、14歳の時、SSAの操縦士募集を知った。
一も二もなく応募し、選抜試験を最年少最高成績で合格したカイは、帝国空軍パイロットの内定を蹴り、自主退学の道を選んでSSAに入所したのだ。
自身の為し得なかった夢を息子に託した父は、カイが帝国軍で出世の道を歩むことを期待していた。
幼い頃からカイに、徹底的に軍隊仕込みの戦闘技術を叩き込んだ父は、「俺より偉くなれ」と口癖のように言っていた。帝国士官学校の卒業は、そのための必要条件だった。
だが、そんな彼の悲願を裏切ったカイの選択を、文句を言いながらも尊重してくれた父親は、今思えばいつも息子の味方だったのだ。
そしてその夜、アリアとトーマの早めの誕生日会が催され、翌日、日が暮れるまで家族と過ごしたカイは、荷物をまとめ家を出た。
「待って、カイ兄。送ってく」
「いいよ、アリア。帰りが危ない。この時間から女の子を歩かせられるか」
バス乗り場へ向かおうとするカイを引き留めた妹が、「じゃあそこの通りまで」と譲歩する。
昨日の市場での一件もあるし、だだをこねられても連れて行かないと決心していたカイだったが、意外にあっさりと相手が引いたことに、拍子抜けした。
負けん気ばかり強い、聞く耳を持たない子供だったのに、少しは大人になったということだろうか。
約束の通りに辿り着き、立ち止まった少女の頭を昔のように撫で、小柄な身体を引き寄せる。
「ありがとうアリア。行ってくる」
「カイ兄……ちゃんと帰ってきてね」
不安そうに言ったアリアに少し驚く。皆の前で報告したときは、ただ兄の朗報に喜んでいただけのように見えたのに。
「カイ兄がすごくうれしそうだったから、私もうれしい。〈紅き月〉に行くことも、ローエヴァー博士のサポートも、全部カイ兄がずっと夢見てたことだから。本当に叶って、すごくうれしいし、誇りなの。でも……やっぱり、こわい……」
母の懸念どおり、今回の計画が危険なものであることに変わりはない。
未知の生命体に遭遇する危険自体は可能性の低いものの、その特殊な軌道故調査の手が届きにくい紅き月の不確定要素や、従来の第一衛星への飛行より大幅に伸びる移動距離、長期間長距離に渡る有人飛行自体のリスク等、不安要素を探せば枚挙にいとまがない。
しかしそれは、10年前の〈白き月〉着陸計画の時にも確実に、あるいは今以上にあった不安でもあり、未知の扉を開く時には、必ず背負わなければならないリスクだ。
希望者が多く、なかなか許可の取れないこの週末の帰省を許されたのも、戻ってこられる保証のない任務に就く前に、親兄弟に顔を見せておけという上官の配慮であることも、予想はついた。
「俺は、本当に幸せ者だな」
大丈夫だよ、とか、必ず戻ってくる、とか、言ってやるべき言葉は百ほど浮かんだが、カイの口から漏れたのは、そのどれでもなかった。
尊敬できる両親。愛し愛される兄弟。大切な友人。夢を見ることも叶えることも許された環境。
小さな日常の不満を挙げるのも申し訳なくなるほど、恵まれた己の身に、知らず目頭が熱くなる。
「アリア、お前も幸せになれよ」
その言葉をどう受け取ったのか、少女の顔が泣き笑いに歪んだ。ごまかすように、すぐに明るい笑顔を見せる。
「楽しみね、ローエヴァー博士。なんたってカイ兄の初恋だもんね」
「初恋~?」
当たり前のようにとんでもないことを言った妹に肩をこかす。
「だってそうでしょ? 7年間ずっと、ローエヴァー博士のことばかり考えてるって言ってたじゃない。カイ兄が、そんな風に誰かに夢中になるのなんて、他に見たことないわ」
「それはそうだけど……」
とはいえ、それを恋と言われるのは抵抗がある。もちろん性別のこともそうだし、そんな身近で日常的な言葉で表せるものではない。
(なんだろう、もっと……)
恋なんか蹴り飛ばしてしまうほどの、強い憧れ。
※
「お前のは、信奉って言うんだよ」
「信奉~?」
「そ、むしろ信仰? バーン=ローエヴァー教みたいな」
宇宙科学研究開発局(SSA)宿舎食堂。
向かいで朝食を頬張っていた操縦士仲間、シン=クロースナーが肩をすくめた。
「たった一瞬見ただけの人間に惚れ込んで、記録上の情報だけかき集めて理想像作ってるんだから、それを信奉と言わずしてなんと言うよ」
「理想像……っていうけど、ローエヴァー博士が残した功績は――」
「はいはい、稀代の天才科学者が、どれだけ俺たちの生活や宇宙研究に貢献してるかは、言われなくても知ってるよ。でも、お前の場合はアレだろ。外見や中身まで完璧超人だと思い込んでるだろ」
「そういうわけじゃ……」
否定しようとするが、後が続かない。
現実主義者な親友は、憧れの人との対面を目前にしたカイに対し、ある種の心配をしているらしい。
「要するにあんまり期待し過ぎると、現実に直面したとき、幻想が崩れたお前がどうにかなんないか心配してんの」
そう言う友人の懸念は分からないでもないが、ことローエヴァー博士に関しては、そんな心配は不要だ、とカイは思っている。
かの天才の姿が映像で流れたのは、生放送でのほんの一瞬だけだ。その後SSAから提供され、繰り返し放映された、クロニクル8号搭乗員の帰還映像に、彼の姿はなかった。
この7年の間に、博士が打ち立てた業績は全て把握している。それこそ星の数ほどある、名誉ある受賞記事も完璧にスクラップしているが、どうしても姿を見ることは叶わなかった。
叶わないからこそ、余計に思いが募るのかもしれない。
聞くところによると、ローエヴァー博士は酷く露出を嫌い、滅多に公衆の面前に姿を現すこともないという。中にはその正体すら怪しむ者もいるくらいで、ミステリアスのベールに包まれた存在なのだ。
しかしカイの脳裏には、未だ色褪せないその映像が焼き付いていた。少女と見紛うような白皙を曇らせ、月との別れを惜しむその姿が。
黙り込んでしまったカイに対し、シンは肩をすくめて笑ってみせた。
「ま、とりあえず今日だろ? せいぜい期待し過ぎない程度に期待しとけば。緊張しすぎてヘマすんなよ?」




