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ダブルムーン・クライシス  作者: 夜月猫人
第五部 紅き月の王
32/38

第三十二話 未知に対する挑戦とは常に、真実に近づく一歩である


 そのスクリーンからは、地球が見えた。

 周回軌道に人工衛星を飛ばしているのだろう。ベッドから見える、正面の白い壁に映される宇宙空間の中央には、青と緑で象られた美しい母星が映っていた。


 この星の文化レベルは掴みにくいが、人類の発祥の経緯からいっても、地球と同じ順序で文明が発達しているとは考えにくい。そのため、地球人から見るとかなりバランスが悪いように見える。

 衣服や調度、生活様式などはどこか前時代的であるのに比べ、科学技術の水準が著しく高い点などは、その典型だろう。

 ハイテクノロジーと古代文明のノスタルジーが混在したこの世界について、その短時間に、ロスフランベルカは多くのことを語った。

 まるで言葉を交わすことに枯渇していたかのように、彼自身が弟と信じる相手に語らう姿は、 無邪気とすら映った。

 リーアはその会話の端々から、ロスフランベルカが、決して愚昧な王ではないことを感じ取っていた。


 この地下国家の王に課せられる使命は、地球上の国家指導者たちとは大きく異なるものだ。

 資源も空間も限定された国家において、いかにして永続的な繁栄を維持するかという命題は、多くの部分で先見性と忍耐力を要する困難であることは、想像に難くない。

 細い綱の張られた道を選び渡るような政道を、彼は300年間、たった一人で進んできた。それも、第二守人派(ツァーリ・ノア)という不満分子を身の内に抱えながら。

 その成果は、美しく調和のとれた街並みからも推して知るべしであろう。

 だからこそ、余計に不自然に浮かび上がる。国家の安定を犠牲にしてまで、第二守人(ノア)を幽閉し続けたという事実が。


 少し席を外すと言って、部屋を後にしたロスフランベルカは、一人残される弟への慰めのつもりか、壁一面に地球の映像を流して去っていった。

 見張りの兵一人つけていかなかったのは、油断か、余裕か――何にせよ、常に脱出の機会をうかがっているリーアからすれば、好都合だった。

 だが――


「白き月が……接近している……」


 地球から見るよりも、はるかに近くに、馴染み深い第一衛星が見えた。

 レッドムーン=テイラー3号は、第一衛星が第二衛星に大接近(アプローチ)する前に、この星から脱出しなければならない。


(バーン……)


 彼は無事だろうか。

 カイがいる限り、優先順位を間違えるようなことはないはずだが、リーアの奪還が時間的に不可能になった場合、潔く撤退を決断できるかだ。


(最悪、ロスフランベルカとの交渉を視野に入れる必要があるかもしれませんね……)


 幸い、交渉のカードはこちらにある。だが、テーブルに載せるには、相手の目的を理解しておく必要があった。 


 リーン……リーン……


 独特の音を立て、時計が鳴る。長針と短針が重なり合い、頂点を指していた。


「諦めはついたか?」


 小さくため息をこぼすと、不遜な声が届いた。


「入るときはノックぐらいして下さい」


 転送を自在に操る男は、神出鬼没だ。

 リーアも同じ異能を使えるはずなので、何度か試そうとしたが、失敗に終わった。

 長い間、リーアの元個体――リアロクロエを捕らえていたという手錠には、霊気(マルス)を抑制する霊式が組み込まれているらしい。


「捕虜に、そこまで気を遣う必要はないだろう?」

「だったら、この立派なベッドも必要ないでしょう」

「大切な弟を、冷たい床に寝かせるわけにはいかない」

「手錠は」

「お前を繋ぎ止めておくのに必要だ」

「…………」


 らちがあかない。リーアは、先ほどより大きくため息をついた。


「目的は何ですか?」

「ん?」

「私を生かしておく目的です。私が生きている限り、第二守人(ノア)の臣民は、あなたに立ち向かい続けますよ。私を監禁していることなど知れたら、黙ってはいないでしょう。少ない国民同士で、また命を削り合うおつもりですか?」


 本能だ――とロスフランベルカは言った。

 彼ら紅き月の民にとって、自らの導き手たる守人に従うことは、その身に宿る霊気(マルス)に導かれし本能なのだと。 

 アレクのように理性で本能に抗うことも出来るが、多くの者は、その霊波(マルスタ)の呼び声に身を委ね、自らの主に付き従うことに疑問を覚えることはない。


 それは本能であり――同時に、信仰だ。

 本能と信仰が同じ方向を指し示した時ほど、人が強く、そして盲目になれる瞬間はない。

 ならば、彼らの間に解決策など存在するはずもない――例えその先に在るのが滅びだとしても、彼らは争い続ける。それこそ、どちらかの王が斃れるまでは。


「我が国の先行きを心配してくれて、感謝しよう。だが、俺がそのことを憂慮するなら、300年前にお前を捕らえた時に、とっくに始末していると思わないか?」


 そう――その点が、リーアにとって最も不可解な部分だった。

 この男は300年前、3人の守人での王座争いを制したときも、捕らえた第二守人(ノア)を監禁し、傍に置き続けたのだ。

 その時、さっさと殺していれば、こんなにも長い間、国が二つに割れて争うことなどなかったかもしれない。


 スプリングが軋んだ。ロスフランベルカがベッドに腰掛けたのだ。

 鷹揚な仕草で、こちらを覗き込んできた男の長い髪が、白いシーツに流れ落ちる。

 綺麗だ、とリーアは思った。鮮烈な赤が、白によく映える。

 ふいにリアロクロエ――自分の元個体なる人物も、生きていればこんな姿をしていたのだろう、とリーアは想像した。

 バーン=ローエヴァーが、禁忌を犯してまで再生した地球外生命体。

 そこにあったのは、ただ純粋な知的好奇心と、研究欲だけだったのだろうか。

 そもそも他人というものに関心を抱かない男が、自分の手で取り戻そうとした存在がどんなものだったのか、興味が湧いた。


「兄が弟を失いたくないと思うことに、理由が必要か?」


 手近にあった髪の一房をくるりと指に巻き、遊ぶように引っ張りながら、ロスフランベルカが聞いてくる。


「……触らないで下さい」


 軽い痛みと不快に、リーアは眉を顰めた。


「生まれ変わって、親兄弟の愛すら忘れたか。アレスクロディエが、お前は人造人間(クローン)だと言っていたな。親兄弟などいるわけもない、人形同然のお前では、愛という言葉すら分からないか」

「触らないで下さいと……」


 嫌がるリーアを煽るように顔に触れ、親指の腹で唇をなぞる。その指に、半ば本気で噛みついてやろうかと思いつつ睨みつけると、やはりロスフランベルカは愉快そうに笑った。


「俺はお前を愛しているぞ、リアロクロエ」

「だから、私はリアロクロエではありません」

「いいや、お前はリアロクロエだ。この霊波(マルスタ)――忘れようもない。血を分けた俺の弟。俺のリアロクロエ」


 硬質な輝きを持つ紅玉に、優しさと親しみが宿る。

 リーアは小さく息をつき、否定するのをやめた。視覚的情報より霊気(マルス)の波動が、個体識別上重要な要素(ファクター)となるのであれば、それは彼らの生態上のルールであり、覆すことは難しい。


「そんなに理由が欲しいというなら、一つ教えてやろう」


 思いついたようにそう言って、ロスフランベルカがにじり寄ってくる。半分膝の上に乗られて、重たい。兄弟のスキンシップだというが、相手を兄とも思っていないリーアにとっては、迷惑なだけだ。


「お前が、俺から離れたくないと言ったんだ」


 ふいに紅の瞳が細められる。


「俺の傍にいたいと言ったのは、お前だ。リアロクロエ」

「……あなたとリアロクロエは、王座を争っていたのでは?」

「臣民がそれを望む。当人の意志にかかわらず、守人は王とならねばならない義務がある。……たまたま一つの王座に、三人の守人が現れただけだ」

「リアロクロエは、あなたと争うのを望まなかった?」

「そうだな……馬鹿な父親が、霊核(マルクレンタ)を三つに割らなければ――あいつが守人に選ばれなければ、俺を支える側に回ることを望んだだろうな」


 そう言ったロスフランベルカが、皮肉な笑みを浮かべる。会ったこともない己の分身がその姿に重なり、リーアは無意識に瞳の力を弱めた。

 第二守人(ノア)リアロクロエ――自分と同じ遺伝子情報を持つ紅月人が、ひどく哀れに思えたのだ。

 望まない王位争いに巻き込まれ、兄弟で殺し合い、実の兄に監禁され、逃げ延びた先の星では、死よりも辛い屈辱的な生を強制された、もう一人の自分。


 彼は、月に帰りたかったのではないだろうか。

 自分が月に固執した理由は、遺伝子レベルで刻み込まれたリアロクロエの悲願であり、果たせなかった夢を、己が受け継いでいるのではないかと――クローンと元個体(オリジナル)の感情と記憶の共有という、未解明の可能性を思う。


 この星に来て、二度――最初に導きの光に衝突した時と、バーンが殺されそうになった時だ――リーアは、その可能性を示唆する現象に襲われた。

 頭の中で、誰かが叫ぶような声が聞こえて……自分で、意識も抑制も出来ない力に飲み込まれる感覚。駆け巡る見知らぬ記憶に感情が掻き乱され、混乱する。地球では、一度もなかったことだ。


(……あれが、リアロクロエの残滓だとしたら――)


 一般的に、人間の記憶は脳に依存していると考えられているが、実際のところ、そのメカニズムの多くは謎に満ちている。現代の生理学の理屈だけでは説明しきれない事象も、存在するのは確かだ。

 これまでリーアは、元個体とクローンは、同じ遺伝子情報で構成されただけの、全く別物であると割り切っていたつもりだった。

 だがもし、遺伝子レベルで元個体の生前の記憶や人格を保持しているのだとしたら――


(――今ここにいる『私』とは、何なのでしょう)


 唐突に、自分の名前すらなくしてしまった気がして、リーアは、無重力空間に放り出されたような浮遊感を覚えた。

 14歳で死んだ『リーア=L=クラウンフォルト』の後を継いだリーアには、それより前の過去はない。

 縁もゆかりもない他人の名を借り、偽りの過去を背負って、与えられた役割を生きる己と――その遺伝子に染みこんだ、『リアロクロエ』としての人生。

 どちらが、『本物』なのだろう。

 これまで自己を形作ってきた価値観の根底が、今また揺さぶられようとしている。

 だが、それ以上に――

 己の中にいるかもしれない『誰か』を、抱きしめたいと思った。


「お前、自分の本体(オリジナル)に同情しているだろう?」


 見透かされ、リーアは無理矢理な笑みを作った。


「ええ、それにあなたにも……」


 愛する兄弟と争い、離別し、多くの臣民に血を流させることになったこの不遜な王も、またある意味、マルクレンタの被害者なのだ。


「そんなことを言っていると、帰れなくなるぞ?」

「帰す気など、端からないのでしょう?」

「当然」


 なぜか上機嫌に言い切った男に、何度目かのため息をつく。この王様は、本気で300年ぶりの弟(クローン)とのスキンシップを楽しんでいるのかもしれない。

 自分と同じ顔の男に抱きつかれる不条理な現状から、思考を引き離す。排除できないストレッサーへの対処としては、この方法が有効だ。


 代わりに、リーアは考えた。この国と、この国の王について。

 マルクレンタとは、バーンの言葉を借りるならば、ある特殊な状況下で、霊気(マルス)が凝結した物質だ。その物質が、まるで超越した意思のあるもののように、ある一族の中から一人の守人を選ぶ――

 この不可思議なシステムは、マルクレンタの分割という『変化』が起こるまで、実に有効に機能していたと言っていい。事実、彼らは3000年に渡って、一つの国家形態を存続するという偉業を成し遂げた。


 これについて、ロスフランベルカを含め紅月人たちは、神聖なる霊核の導きをありのままに受け止めているようだが、はたして、そこに至るまでのプロセスを、ただの奇跡の積み重ねと捉えていいのだろうか。

 確かに、霊気(マルス)とマルクレンタの発見は、彼らにとって奇跡だった。だが、そこで彼らが獲得した希有な社会性行動は、本当にマルクレンタの導きによって与えられたものなのか。


 リーアは、この世のすべての事象が、人間の既知によって証明できるものではないことを受け止めている。だが同時に、生命が持つ恐るべき進化の力と、それにまつわる遺伝子と細胞の知性を知っていた。

 淘汰と選択、そして適応。

 ピュラスタの特徴である長寿や自然治癒能力の高さは、おそらくは地球から来た彼らが、〈紅き月〉の過酷な生存環境に適応した結果だろう。

 地球でもピュラスタは、生命力が強い反面、ヒューストに比べ繁殖力が弱い傾向にあることが指摘されるが、それも、限定された空間での爆発的な人口増加が、彼らの生態系に打撃を与える危険性が高いからだと考えられる。

 ならば同様に、こうは考えられないか。


 マルクレンタと守人、臣民の特殊な階層制度と、それによる繁栄は、聖なる石によって与えられた奇跡などではなく、彼ら自身がマルクレンタを利用して、再構築した進化の結果である――と。

 これについて、確かな証明を得ることは、おそらく出来ない。だが、未知に対する挑戦とは常に、真実に近づく一歩であることには違いない。


 そして――それが箱舟から降りた人類の、生き残りを賭けた進化の結果であると仮定して――獲得した習性が、彼らのヒトとしての自由と自立を抑圧しているという側面も――リーアは、この星で過ごした短い時間の中で、確かに感じ取っていた。


 石のお告げに支配され、守人の名の下に身を投げ出していく臣民たちの生き様は、現代の地球に生まれ育ったリーアには、あまりにも哀しく映る。

 連綿と続いた安寧の時代が崩れ、その強固なシステムの問題点が曝け出された形になった今――彼は何を思うのだろうか。


 マルクレンタに選ばれた、この時代の王は。


(ロスフランベルカ……あなたは――)


 彼の肩越しに見える白い月は、やはり徐々に近づいているように見えた。


 ――第二衛星時間12時00分。


 レッドムーン=テイラー3号発射まで、あと2時間5分。


 大接近まで、あと2時間30分。







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