第三十話 歴史の多くは、必然以上の偶然の積み重ねにより、綿々と連なっていくものだ
壁に立てかけられた棺が、ゆっくりと横移動する。
現れたのは、魔物の口のように開いた、地下へと続く入り口だ。
秘密の司令室へと続く短い階段を前に、ソディ、バーン、カイの3人は、乱れる息を整えた。
途中までスクーターを飛ばし、一般の党員達は立ち入りが出来ないこの場所までを、全力で走ってきたのだ。
レッド=ムーンテイラー3号の出発時刻は、刻一刻と近づいている。
「滑りやすくなっておりますので、足下にお気を付け下さい」
ソディの冷静な声が忠告する。
壁に挟まれた通路を縦一列に並び、一歩一歩、階段を降りる。
慎重に進む女性の背中を見つめながら、バーンは静かに口を開いた。
「――クラウンフォルト家には、15歳まで生きることはない、と言われた跡取り息子がいた」
「それって……」
薄暗い空間に響いた声に、後ろを歩くカイが息を飲む。
「先天的な病だ。自分の力で歩くことも出来ず、生涯、寝台から出ることは出来なかった」
「その代替を、侯爵は求めたってことですか? それが、リーアさん……」
クローンを作る――という結論に達した時、侯爵夫妻が、凡庸で脆弱な我が子の複製を求めることはなかった。
同じである必要はない。ほとんど人前に出たことのない息子に取って代わる侯爵家の跡取りは、より完璧であればいい。
「『どうせ作るなら完璧な子を』」
そんな残酷な要望を、バーンは叶えた。
「――あの男はそう言った。あの言葉がなけりゃ、リアロクロエのクローンが、『リーア=L=クラウンフォルト』になることは、なかっただろうな」
リーア=L=クラウンフォルトに成り代わる存在が、リアロクロエの複製である必然性は、そこにはなかった。
ただ、いくつかの偶然と狂気が重なり、産み落とされた命が、リーア=リアロクロエだったというだけだ。
「……狂ってる……」
絞り出すように呟いたカイの思考は、ごく健全なものだろう。
だが、どこかで思考の回路の接続を間違えた者同士の邂逅は、不測の化学反応を起こし、一つの確かな結果を生んだ。
それは一つの奇跡であり、偶然であり、運命だ。
だが逆に考えれば――この世の一体どれだけの事象が、必然の元に存在したというのだろう。
目の前で、静かに自動ドアが開く。
「明かりをつけますので、少しお待ちください」
丁寧に断るソディの声を、バーンは聞くともなく聞いていた。
――例えば、3000年前の人類が、この星の『生命が存在できるごく限られた空間』に辿り着いたことに、一体どれだけの必然が作用しただろうか。
その後の繁栄と、今に続く動乱の世相は、なるべくしてなったものか。
歴史の多くは、必然以上の偶然の積み重ねにより、綿々と連なっていくものだ。
そして、それが幸運だったか不運だったかを判断するのは――あるいは必然であったと嘯くのは、最終的には、後の歴史の傍観者たちに過ぎない。
目映い明かりに目が慣れるのを待つと、彼ら紅月人の叡智を集めたような、秘密司令室の景色が舞い戻る。
中は、ティスカの指示によって片づけられたらしい。血の拭き取られた狭い部屋は、まだ所々に染みが残り、いくつものモニターが破壊されたままではあったが、ティスカが死守したというメインコンピューターは無事だった。
遺体は、しかるべきところに安置され、敵味方の区別なく弔われるとのことだ。
『姉様、落ち着いて――いい? 私の言うとおりにやるのよ』
「ええ、分かっているわ。ティスカニア」
無線連絡機から届く声に、ソディが頷く。
正体不明の電脳機器に囲まれ、白く細い指先がパネルの上を滑る。
霊波を持たないバーンとカイは、それらに指示を出す資格すら持たない。
壁面のモニターが、彼女の指令に応え、次々と電子文字を刻んでいく。独自のプログラミング言語で組まれたそれを読み解くことは出来ないが、使用されている文字自体は、明らかに、バーンも知る古代ガイロニア言語を元にしたものだ。
近年、地下遺構が発見されるまで、謎多き古代文明が残した唯一の遺産は、言語であると考えられていた。
人類が創造した最も美しい言語とも言われるガイロニア語は、書き言葉である古代ガイロニア語と、話し言葉としての口語ガイロニア語に分かれる。
この口語ガイロニア語の流れを、最も忠実に汲んだ言語が、現在のノブル語だ。
彼らの言語の持つ表現力と、他の文化と比較しても、飛び抜けて完成された文法形態は、無形の財産として、帝国の滅亡後も、多くの民族に影響を与えた。
そうして口承され、種々の民族の方言として変化を遂げていった口語ガイロニア語とは対照的に、書き言葉としての古代ガイロニア語は、母体となる文明の消失と同時に失われ、現代では専門の考古学研究者のみが解読できる、古代言語のひとつとして、かろうじて現存するばかりだ。
この代替として、別の語派から取り入れられたノブル文語が、ノブル語に照合する書き言葉として、今に伝わっている。
ここで注目すべきは、この〈紅き月〉には、紙がないということだ。
優れた言語と文字を持ちながら、彼らは、それを形あるものに書き記すという作業を必要としないのだ。
この星で、情報を集積し、閲覧する媒体が紙ではなく電脳に完全移行しているという事実は、古代ガイロニア文明の謎に対する、仮説の一つを裏付けるものでもある。
古代ガイロニア文明の全盛期の記録消失は、電脳社会の崩壊によるものであるという説だ。
当時の文明の高さを示す貴重な資料のほとんどは、後世に残ることなく消滅したと、今は考えられている。
書き言葉としての古代ガイロニア語が、後の世に残ることがなかった理由も、ここに起因すると考えれば、つじつまが合う。
「これまで我々は、子供の絵を見て芸術だともてはやしていたに過ぎない」――とは、この説を最初に唱えた考古学者が遺した言葉だ。
現存する資料のほとんどは、電脳時代以前の遺物であるとするこの奇説は、彼が生きていた時代では、あまりにも馬鹿げた夢想だと一蹴された。
その数十年後、これらの異説は、超古代文明の発掘と同時に見直されることになる。
このままのスピードで我々が発展すれば、同様の歴史を、人類は辿ることになるだろう――と、示唆する者も少なくはない。
ぼぅ――と、足下に紅い円陣が浮かび上がり、バーンとカイを取り囲む。
転送式。
「――転送点を、王城の尖塔付近に設定しました。本当によろしいのですね?」
「ああ、頼む」
バーンは頷いた。
この部屋の機器で唯一正体がはっきりしている、操作パネルに嵌め込まれた時計に目をやる。時刻は11時27分。
地球の世界標準時間にして、9月21日16時22分。
――レッド=ムーンテイラー3号出発予定時刻まで、あと2時間38分。
※
リーア=リアロクロエの記憶は、8年前から始まっている。
14歳でこの世を去ったリーア=L=クラウンフォルトの身替わりとして『造られ』たリーアは、培養液の中で成長を促進され、14歳の姿で『生まれ』た。
創造主と名乗った少年と共にいた時間は、実際はわずかなものだった。
クロニクル8号による〈白き月〉着陸計画を最後に、バーン=ローエヴァーは、リーア=リアロクロエをクランフォルト侯爵家に送り出し、自らは古代ガイロニア文明の研究のため、南ディアス大陸西海岸へと下った。
再び出会ったのは、二人が17歳の時だ。
それまでの時間を、リーアは打算と欲にまみれた貴族社会で育った。
14歳で生まれたリーアにとって、それまでに学ぶべき善悪の基準も、人の心の機微も、書物から吸収する知識の一端に過ぎず、身をもって体験し、スポンジのように吸収したのは『人を利用すること』ばかりだった。
利用しなければ利用される。そんな世界で、理由もなく誰かを大切に思うことがあるなんてことを、知る機会はなかった。
義父は、いつしか成長したリーアに欲望を向けるようになった。その裏切りの行為すらも逆手に取り、半ば脅し取るようにして、爵位と実権を手に入れた。
その時点で、一体誰のための『己』なのか、分からなくなっていたのだと思う。
完璧なクランフォルト侯爵家の跡取りを振る舞う反面、心は壊れていった。
そこまでして、本当は何が欲しかったのか――自らが生まれた理由を見失った時、見上げた月の向こうに、あの男の顔が浮かんだ。
結局、初めからそこにしか己の存在価値はないのだと、初心に立ち返った時、リーアはバーン=ローエヴァーを迎えに行った。
――その時、あの男もまた、リーアを必要としていた。地下遺構での発見とその研究成果の利権争いで、多くの研究仲間に裏切られ、行き場を失っていた。
……つまるところどちらも、人を信じることとは無縁の人生を歩んできたのだ。
そんな二人にとって、あの少年の存在は、己の持ち得なかった時代を生きているという点で、とても眩しかったのだろう。
カイ=ライトハーツに対し、この短い時間で特別な信頼を寄せるようになった自分たちの変化を――リーアは、どこか他人事のように分析していた。
何にでも理屈をつけてしまうのは、悪い癖だ。
もっとシンプルに生きられないものだろうかと、リーアはこの旅に出てから、しばしば思うようになった。
「――ほら、口を開けろ」
病人にでもするように口元に差し出された食事を、リーアは顔を背けて拒絶した。両腕は、拘束されたままだ。
一度姿を消したかと思うと、しばらくして王が手ずから持ってきた食事は、決して奇抜な宇宙食というわけではなかった。
何かの動物を肉を焼いたらしいメインディッシュは、地球上でも目にする豚肉のソテーに似ていたし、添えられた緑や赤の野菜も目に馴染む。
「食わないのか? この星で陸獣の肉は貴重だ」
「陸獣?」
「四つ足で陸を歩く家畜のことだ。あとは陸草類。これも生産量が少ない」
どうやら王は、愛する弟に上質な食事を与えようとしているらしい。
地上が不毛の大地で、この地底湖に豊かな生態系が広がっていることを考えると、彼らの主食が魚類や湖草であることは想像がつく。
また紅月人の技術があれば、地下に人工沃土を作り、農園で植物や家畜を生産することも可能だろう。
問題は、種だ。
「その獣や植物は、あなた方の祖先が持ち込んだものですか?」
確信に近い予想に基づいた問いかけに、ロスフランベルカは、艶やかな笑みをひらめかせ答えた。
「そうだ。俺たち守人の一族の祖が、地球から種を持ち込み、この不毛の星に根付かせた。適応できたのは、ごく一部だがな」
古代ガイロニア文明の最盛期、主星から第二衛星へと渡った人類の指導者について、彼は語った。
「この真空の海に巨大な船を出し、あらゆるつがいの動物と人間、植物――文明を持ち込み、紅き月に新たな国を作った。滅亡の淵にいた人類を救った、偉大な王だ。お前にもその血が流れている」
「ふふっ……」
「何がおかしい」
誇らしげな彼の話に、思わず笑ってしまうと、咎められた。
「いえ、あまりにも美しい物語なので、面白くなってしまって」
こうして聞くと、まるで神話かお伽話のようだが、現実はもっと過酷で凄惨な時代だったのだろう。
死と隣り合わせの、開拓と再生の時代。
あらゆる奇跡と、彼ら自身の血と努力によって積み重ねられたこの星の歴史を――もっと知りたくなった。
「ロスフランベルカ」
リーアがその名を呼ぶのは、初めてのことだったかもしれない。
意外そうに見開いた紅い瞳は、思いの外無防備にリーアを覗き込んだ。
「もっと聞かせて下さい」
知るという行為は、どんな美食よりも美酒よりも、甘くかぐわしい。
「そうすれば、私の心変わりも望めるかもしれませんよ?」
「――面白い」
リーアの挑発に、長い睫に縁取られた目が細められた。




