第二十九話 後悔は、先に対する参考資料でしかない
バーンたちが西門に戻ると、そこに倒れていたのは、銀髪の女性ただ一人だった。
累々と転がっていたはずの兵隊の死体は、全て撤去されていた。
残された血の跡だけが、そこが戦場であったことを物語る。
「ソディ! おいソディ! 無事か!?」
辺りに衛兵の目がない事を確認し、バーンはソディを抱き起して、軽く頬を叩いた。
バーンとカイが選んだ道は、いわゆる「ハズレ」だった。
逃亡を図ったとおぼしき第二守人派の死体を道しるべに追った先に、アレクの姿はなかった。
それどころか、後から追いかけてきた王国軍に袋小路に追い込まれた二人は、命からがら城内を脱出したのだ。
だが、戻ってきた場所にいたのは、ソディだけだった。
考えうる限りで最悪のシナリオが、バーンの脳裏を過ぎる。
その腕の中で、長い睫に縁取られた青銀色の瞳が、ゆっくりと開いた。
「リーア様……!」
目の覚めたソディが開口一番、その名を口にし、すがるようにバーンの腕を掴む。
「リーア様が、アレスクロディエ様に……! 申し訳ありません! わたくしは……こんなことになるとは……」
「落ち着け。詳しく話せ。リーアは無事なのか?」
肩を掴み、問いただすバーンに、ソディは二度深呼吸をしてから、詳細を話し出した。
アレクの裏切りと目的。そして、リーア自身が語った彼の過去――
「――ならアレクは、リーアの正体を知っちまったってことか……」
「そんな……じゃあリーアさんは……!」
苦々しく吐き出したバーンの声に、カイが色をなくす。
リーアが守人ではなく、その複製だと知った今、アレクは彼を生かしておくだろうか。
二人の懸念に対し、しかしソディは首を横に振った。
「リーア様は生きておられます。少なくとも、今は」
「霊波か?」
「はい。まごうことなき我らが第二守人の霊波――リーア様は今、確かにこの城のどこかにおられます」
見上げる王城の尖塔が、限りある天に突き刺さるかのようにそびえている。
「この城のどこか、か……」
「なら、早く助け出さないと!」
「待て、カイ」
急くカイを、バーンは静かに引き留めた。
アレクの裏切りという可能性を、バーン自身、考えていなかったわけではない。ただ、紅月人の行動原則が理解できない以上、守人に離反するという行為に、どれだけ可能性があるのか、自信はなかった。
結局、みすみすリーアを王国軍の手に渡してしまった。これは、バーンの手落ちだ。
唯一の救いは、その場で殺されずに済んだということくらいか。
「ここは一旦引く。この先で待機している奴らと合流して、無線連絡機でティスカと連絡を取る」
「そんな……!」
カイが不安そうな目で縋ってくる。放っておくと、自分一人でも乗り込むと言いかねない顔だ。
「落ち着け。立て続けの奇襲で、警備が厳重になっているだろう城内に、まともに潜り込むのは得策じゃない」
押し黙り、耳を傾けるカイの顔色は青ざめていた。焦燥と動揺。逆境に強いこの少年が、珍しく理性を失っている。
家族にも友人にも恵まれて育った彼にとって、これほどまでの裏切りは、初めての経験だろう。
「カイ、落ち込んでる暇はねぇぞ。何しろ、時間も人手もねぇ。アタマ使って攻略していかねぇと、すぐにゲームオーバーだ」
後悔は、先に対する参考資料でしかない。バーンは、すぐに次のマスに駒を進めた。
もとより、リーアを諦めるつもりなど毛頭ない。
だが、戦局は圧倒的に不利だ。タイムリミットも迫っている。
「わたくしがやります……!」
いち早くバーンの作戦を察したらしいソディが、血の気のない顔で立ち上がる。意志の強い目には、頑なな決意が表れていた。
「そうだな、あんたの力が必要だ。俺たちじゃあいつは動かせねぇ」
バーンは頷いた。ソディが、毅然と踵を返す。
「行きましょう。ティスカニアと連絡が取れれば、わたくしの力でもお役に立てるはず」
「ソディ、君は大丈夫? その……リーアさんのことは……」
だが反対に、カイが心配そうに、その背に声をかけた。
夫であるアレスクロディエの裏切り――そして何より、彼女は、リーアがリアロクロエのクローンであるという告白を、目の前で聞いているはずだ。
その衝撃は、いかほどのものか。身命を捧ぐ神を持たないバーン達では、推し量ることすらできない。
「――リーア様は、わたくしたちのために、もう一度この地へ戻ってきて下さった」
カイの気遣いに、ソディは背を向けたまま応えた。両手を胸の前で組み、いつか聞いた祈りの言葉を口にする。
「――主よ、栄光の王よ、苦難の時を超え、我らの前に再び現れ給え。御心を知らせ給え。あなたの忠実なる僕を救い給え――」
マークスが告げた放浪の民に伝わる伝承と、紅月人が口にする祈りはよく似ていたが、決定的に違うのは、そこに『300年』という区切りが含まれているか否かだ。そして、『約束の地』という言葉。
おそらく放浪の民は、第二守人と共に地球に落ち延びた臣民の末裔だ。
地上に降りた彼らは、遙か遠く輝く母なる月が、地球に近づく日を待ちわび、指折り数えて祈ったのだろう。
それが、300年。『約束の地』は、この紅き月の国――
「あの方は、我々の祈りを聞き届けて下さった――それ以外に、何を望むことがございましょう」
「ソディ……」
「……目の前で守人を奪われた失態は、この命をもってしても、償えるものではありません。ですが、わたくしには、アレスクロディエ様の妻として、第二守人の臣民として、己の成すべき事を果たす義務があります」
理性的に決意を述べる華奢な後ろ姿は、いっそ健気にすら映った。
「……いいぜ、そういう美人は嫌いじゃない。あんたの力は、役に立つ――行こう」
細い肩に手を置き、バーンが力強く促す。ソディが小さく頷き、しっかりとした足取りで歩み始めた。
二人の背を、カイが追う。
「――転送霊式ですか」
「ああ、急がば回れってな」
神妙に呟くカイに頷く。逸る気を抑え、バーンはそびえ立つ王城を見上げた。
天にも届きそうな、高い塔を睨む。
「囚われのお姫様の居場所なら、ソコって相場が決まってるからな」
※
金属の擦れる音が鼓膜に届き、意識が覚醒する。
リーアが目を覚ました場所は、白い壁に囲まれた一室だった。
天蓋付きの大きなベッドに、両手を手錠で拘束され、繋がれていた。
「なっ……」
思わず身を起こそうとして藻掻くが、短い鎖に引っ張られて、あっけなく背から倒れ込む。
無駄にクッションの効いたベッドの上で、鎖が無情な音を立てた。
首を巡らせ、改めて自分の置かれた状況を確認する。
末端に痺れは残っていたが、身体に外傷らしい外傷はなかった。最後に撃たれたのは、ショックガンの類だったらしい。
アレクに気絶させられ、ここに囚われたのだろう。
ソディのことが気にかかったが、なんとなく、あの男も己の妻には、あれ以上手荒な真似はしないのではないかと思った。
彼は決して、理性を失った暴漢などではない。国の未来を思い、決断した結果が、あの裏切りだったのだ。
リーアが囚われた一室は、貴賓室級の、豪奢な調度の部屋だった。鎖に繋がれている以外、扱いは悪くない。目が覚めて、牢獄でなかったことに感謝するべきだろうか。それとも……
「目が覚めたか」
思考を中断した声に、リーアはハッと顔を上げた。
いつの間にかベッドの前に立っていたのは、目の覚めるような赤い髪を流した男だ。
「久しぶりだな、我が弟」
見れば見るほど、顔の造作は似ている。しかし、そこに浮かぶ表情は傲岸不遜で、リーアにはない王者の威厳があった。
赤は、この星では特別な意味を持つ。守人の一族しか持つことを許されない神聖な色だと、アレクが言っていた。
王国軍の白と、王の赤を基調とした衣装は――この国を統べる守人の証だ。
「ようやく二人きりになれた」
「人違いです。残念ながら私は、あなたの弟ではありません」
「違うな。お前がマルクレンタの加護を受ける限り、お前は俺の分身だ」
「でしたら、熨斗つけてお返ししますよ。こんなもの」
冷ややかに拒絶するリーアに、王――ロスフランベルカは片眉を吊り上げた。
「おもしろいな」
言って、傍らに近づいてきた男の手が顎に触れる。それを、リーアは顔を振って払った。
「気安く触らないでいただけますか。あなたに対して、肉親の情など一片たりとも持ち合わせておりませんので」
睨みつける。男は、さも愉快そうに唇を歪めただけだった。
「昔はあんなにかわいげがあったのに、随分と生意気になったものだ」
「だから、私は……」
「躾け直してやらないとな」
ロスフランベルカがベッドに膝を乗り上げ、逃げたリーアの身体を捕らえた。握り潰しそうな握力で顎を捕まれ、ギリギリのところで悲鳴を堪える。
自分と同じ顔の脅しに、屈するつもりはない。
リーアがきつく睨み返すと、沈黙が、絡み合う視線の狭間に落ちた。
「……なぜ、私を殺さないのですか?」
「死にたいのか?」
「いいえ、全く。ただ客観的に見て、それが、この星を救う最善の方法と感じたまでです」
アレクの行動の真意を知って、善悪はどうであれ、リーアは、それがある意味で賢い選択だと感じていた。
300年を超える、この星の争いをなくすためには、どうするべきか。
女王蜂を頂点に組織化された国の、穏やかな均衡を崩したのは、第二守人の存在だ。
否、とっくに第二守人は死んでいるのに、リーアが存在することで、臣民は待ち続ける。
民は疲弊し、星は荒れ続ける。
もとより、それほど体力のある国ではない。このままでは、滅びの一途を辿るだけだ。
「勿論、私はこの星の行く末よりも、自身の命のほうが惜しいので、最大限抵抗はさせていただきますが」
目一杯の嫌みを込めて笑顔を作る――が、紅玉の双眸は揺らぎもしない。ともすれば吸い込まれそうな引力に抗い、リーアは相手を見返した。
「ああ、それか……」
――あなたを殺してしまえば、第一守人の臣民が解放され、抗争もなくなるかもしれませんね。
リーアは、続けようとした言葉を飲み込んだ。
そうなると、どうなるのだろう。
第三守人はこの星にはおらず、リーアも地球に帰れば、指導者を失ったこの星の住民達は、これから、どんな生き方をしていくことになるのだろうか。
それはとても興味深く、また残酷な『自立』だと感じた。
それは神を信じる者が、神を失うのと同意語――否、それ以上に実質的な喪失感と、未来への絶望を味わうに違いないのだから。
リーン……リーン……
突然、金属が打ち響くような、高く澄んだ音が聞こえ、リーアは見える範囲で、音の正体を探した。
部屋の隅の天井際で、地球と同じ六十進法で動いているらしい掛け時計の針が、10時を指していた。
現在地球で一般的に使われている、六十進法の時間単位の起源は、約5000年前に遡り、海を渡り〈砂時計の大陸〉にも伝えられた。その影響を受けた古代ガイロニア文明の流れを汲むこの星で、同様の時間単位が残っていても、不思議はない。
レッド=ムーンテイラー3号を離れ、紅き月の国に戻ってから、すでに8時間が経過していることになる。
「私と共にいた地球人は、無事なのでしょうね」
「地球人……? ああ、あの2人組か」
リーアの無粋な確認に、興を削がれたようにロスフランベルカの指が離れた。
「城内に死体は残っていなかった。どうやら逃げ出したらしい。アレスクロディエが、ソルディレシアを逃がしたようだから、今頃合流でもしているだろう」
さして興味はないというように答える。
ロスフランベルカにとって、あの二人は留意するほどの存在ではないのだろう。
だが、あの男――バーン=ローエヴァーが、相手に出し抜かれたまま、黙っているわけがない。
ソディと合流して情報を得たとなれば、尚更手を打ってくるはずだ。
瞬時に、彼が取りうる行動を予測し、そこに要する時間を計算する。
レッドムーン=テイラー3号の出発時刻まで、後4時間5分――あの男ならば、時間内でのリーアの奪還は、不可能ではないと考えるだろう。
(ならば、必ず来る――)
不可能ではない目的に対して、あの男が行動を起こさないことはない。
(あとは、ここで助けを待つのが得策かどうかですね……)
バーンがリーアの奪還を企てた場合、時間的猶予を考えても、リーアの転送能力を利用しての帰還を前提としているはずだ。
時間制限がある以上、リーア自身もここから脱出し、彼らと合流して帰還するのが理想的だが――リーアの脱走を、ロスフランべルカが黙って見逃すはずはない。
雪崩すらも止めたロスフランベルカの実力は未知数だが、守人としてリーアと同等、あるいはそれ以上の力を持つ彼との直接対決は、避けたいところだ。
(――機会があれば逃げたいところですが……今は、ロスフランべルカがここの守りを薄くするよう仕向ける方が賢そうですね)
そう結論づける。
この男は、リアロクロエを溺愛しているらしい。逃げるそぶりさえ見せなければ、こちらの要望を聞く姿勢は見せるだろう。
権力と地位、己に自信があるものほど、懐柔は容易い。
欲望の矛先がはっきりしているのなら、尚更。




