第二十三話 生きて帰らねば、何の意味もない
――世界標準時間・9月21日06時37分。
出発予定時刻まで30分を切り、慌ただしさを見せるコックピットで、マークスが奇妙なことを言い出した。
『なんだ……コレは?』
「どうした?」
『いえ、その……緊急通信が入っています』
「緊急通信?」
ソマルが怪訝な顔で聞き返す。頷いたマークスの顔が青ざめていた。
『――発信元は……この星です』
一瞬にして、コックピットが静まり返る。
カイは、全身に鳥肌が立つのを自覚した。隣で、エンテが寒さを凌ぐように腕をさする。バーンとリーアの表情に大きな動揺はなかったが、息を詰めるような緊張感を漂わせたまま、無言でソマルの判断を待っていた。
「――繋げ」
わずかに逡巡したソマルの命令に応え、前面中央の画面が切り替わった。
そこに映った予想外の光景に、その場にいる全員が度肝を抜かれた。
「ヒ……ッ」
エンテが口を押さえ、悲鳴を呑み込む。男たちは無言だった。無言のまま、画面を凝視する。
血まみれの部屋だった。
壁に嵌め込まれたいくつもの監視モニターの大半が、ノイズの嵐に侵され、その機能を失っていた。虫の標本のように、胸から柄を生やし壁に張りついた黒衣の男の遺体。その傍らで、壁に手をつき、立ち上がろうともがいた姿のまま事切れた、白服の兵の死体。
記憶に間違いがなければ――そこは、最後に地下国家の紅月人たちと別れた、墓地地下の隠し部屋だった。
最先端の電脳に囲まれた知的空間であったはずの場所に充満する、原始的な死の臭い――
明るい灯に照らされ、凄惨な光景を浮き上がらせる狭い部屋の中央に、やはり満身創痍の少女が映っていた。
「ティスカ!」
カイは叫んだ。数日前、地下国家内で出会った第二守人派の少女だった。
「これは一体……」
リーアが小さく呟く。激しい戦闘の跡を残し、部屋に転がる紅月人の遺体の中には、王国軍の兵らしきものもあれば、第二守人派の黒装束もある。
誰もが二の句を継げない中、通信が繋がったことに気付いた少女が、早口にまくし立てた。
『リーア様! 聞いて下さい! アレスクロディエが――第二守人の降臨を吹聴し、臣民を煽り、王国軍に無謀な戦いを挑んで……』
スピーカーを通して、悲痛な叫びが船内にこだまする。
「床が……!」
エンテが目を見張る。コックピットの中央に、どこかで見た幾何学的な文様が浮き上がった。――転送式。
『ダメです! ダメなんです! もうこのままでは、私たちは全滅してしまう……お願い、助けて! 助けて……!』
「……っ」
「やめろ」
転送式に駆け寄ったカイを、バーンが引き留める。
「俺たちに何が出来る?」
大の大人に掴まれた手首は、ピクリとも動かなかった。
冷静な目と声に、以前のカイならば大人しく従ったかもしれない。
しかし、今のカイにとって、ローエヴァーは絶対的な存在ではなかった。
「行きましょう」
「カイ!」
「だってこんなの……っ!」
『リーア様! リアロクロエ様! 我らの王よ、願わくば、どうか救いと慈悲を……』
博士と護衛役の押し問答が続く中、助けを求める少女の声が響く。それは、もはや懇願というよりは、祈りと化していた。
永い時を、彼らが幾度となく呟いてきたであろう祈り。待ち続けた救いの主の名。
「リアロクロエ……? まさか、やはりあなたが……っ!」
ティスカの祈りに反応したマークスが、驚愕に顔を上げる。
その時、言い争う二人の間に、リーアが割って入った。
「わっ、リーアさんっ?」
急に腕を抱かれ、カイの心臓が飛び跳ねる。が、すぐにそれが『転送』を意識した行動であることを察した。
「行くつもりか」
冷めた声に、リーアがカイの腕に手を回したまま振り返る。
「バーン」
何気ないやりとりすらも、彼らの本当の関係を知ってしまった今は、一言一言の駆け引きに重みを感じた。
「ついてきて、くれますか」
差し伸べられた手を見下ろし、バーンはいつもと同じ、挑発的な笑みを浮かべた。
「俺を誰だと思ってる?」
「……忘れてました。あなたは金の鎖に繋がれた私の犬、でしたね」
「言ってろ」
こちらも普段と同じ、本音の読めない微笑みで答えたリーアの手を取り、バーンが乱暴に引いた。
「わっ」
一緒に引っ張られ、カイまでバランスを崩してよろめく。
「だが忘れんじゃねーぞ。絶対に傷を作るな。お前は、今だけヤツらの神様のフリをしてやりゃあいい。後のことは、俺たちに任せろ」
「分かりました」
そう命令するバーンに、リーアがあっさりと首肯する。
「お待ち下さい!」
かけられた声は、宇宙航法士のものだ。
「僕をお召し下さい。リアロクロエ様」
リアロクロエの名で呼ばれ、リーアは硬い表情で見返した。
「マークス……あなたは、一体何を知っているのですか……?」
「『主よ、栄光の王よ、300年の時の内に、我らの前に再び現れ給え。御心を知らせ給え。あなたの忠実なる僕を、約束の地へと導き給え』――僕たち異能人――国を持たない放浪の民に伝えられる、祈りの言葉です」
リーアの問いに、どこかで聞いた祈りが応えた。
「『我々の王は、300年の時を生きる。そして、王が現れた時、盲目なる者の目は開かれる』――だから、僕たちは300年、耐えることを決めた。いつか必ず現れる、僕たちの本当の主を迎えるために」
眼鏡の奥の若葉色の瞳が、自嘲気味に笑う。
「『王の名はリアロクロエ。地上に降りた最後の神である』――正直、おとぎ話だと思っていました。自らを神の民と称す、帝国にも頼らず生きる流浪の民の、プライドが生み出した幻想だろうと。けれど、僕はあなたに出会って、文字通り目が開いたのです。心より付き従いたいと思った。だから僕は、あなたが我々の待ち望んだ王ではないかと――」
「私は、リアロクロエではありません。例え私が、リアロクロエと同じ霊波を発していようとも、私はあなた方の王にはなれない。だからそれは、あなたを戦場へ連れて行く理由にはなりません」
「…………っ」
捲し立てるような必死の訴えを、リーアは揺るぎない言葉で突き放した。
傷ついたように瞳を曇らせたマークスが、反駁を飲み込み、顔を伏せる。
「だったら、私も行くわ。カイが行って、私が行けない理由が分からないもの」
「いや、俺は二人のボディーガードで……」
何の対抗意識か、無茶な言い分でついてこようとするエンテを、カイは宥めた。さすがに連れて行けない。
「行き先は戦場だ。足手まといは大人しくココで待ってろ」
「…………」
バーンの容赦ない言葉に、エンテが唇を噛む。
「生きて帰らねば何の意味もない――ハルク隊長の言葉は真実です」
リーアの諭すような声が、対峙する隊員たちの間に流れ込んだ。
「これは我々の問題です。我々が――いえ、私がつけなければいけない、決着でもある。……カイには、巻き込んでばかりで、申し訳なく思いますが」
「いえっそんなっ! 俺はお二人の護衛役として、行くなと言われようとも、絶対について行きます!」
「……そう言うと思いました」
柔らかく微笑み、リーアは視線をエンテに戻した。
「そういうわけで、もしカイに何かあった場合、この船を操縦できるのはあなただけです。あなたには、無事隊員を地球に帰還させるという任務がある」
「それは……」
「その通り。第一操縦士であるカイ=ライトハーツが、護衛という危険な任務を兼務できるのは、君という優秀な第二操縦士があってのことだ、エンテ=トリスタン」
それまで黙して状況を見守っていたソマル=ハルクが、ようやく口を開いた。
「…………」
押し黙り、エンテが踵を返してコックピットを出て行く。
その姿を一顧だにせず、ソマル=ハルクの鋭い眼差しが、黒髪の科学者へと向いた。
「そして私には、隊員達の安全を図る義務がある。第一衛星が接近する前に、この星を脱出することが最優先事項だ。――白き月は待ってはくれませんぞ、ローエヴァー博士」
その言葉には、引き留めるというよりは、むしろ挑むような色が込められていた。
限られた往還可能期間の内、当初設定していた有余は、24時間の滞在期間延長で消化した。
二衛星の大接近の危険が過ぎ去るのを、待つだけの猶予はなかった。近地点付近を過ぎて、急速に地球を離れる〈紅き月〉の軌道に留まれば、帰ることが出来なくなる。
「誰に向かってもの聞いてやがる」
その挑戦を受け取ったバーンが、勝ち気に笑った。
「マークス、すぐに燃料残量の再試算と、二衛星による星間重力影響圏接触までのリミットを出してくれ」
「はい!」
バーンの指示に、慌ててデスクに寄ったマークスが、すぐに回答を弾き出した。
「地球への帰還ルートシミュレート――第一衛星予測軌道と照合。……出ました。第一衛星重力圏接触まで、あと12時間5分です」
「両衛星の最接近ポイントは?」
「あと、12時間30分ですが……」
「燃料は問題ないな?」
「はい、燃料残は予備燃料を使用できますので、今のところ問題はありません。ただ……」
最悪の事態を想定し、マークスが一度言葉を切った。
「万一、接近する第一衛星の重力妨害を受け、飛行ルートが引きずられた場合、再噴射し軌道を修正するには、かなりのリスクが伴うかと……」
「あと12時間だ」
失敗すれば、星間物質として、無限の宇宙を漂わなければならない――その恐るべき事実をカイが胸に抱いた時、バーンがこともなげにその時間を提示した。
まるで12時間以内に帰ってこれば、何の問題もないと言いたげに。
「勝手を言ってすみません、隊長。しかし我々は今後、残った隊員が我々の行動によって、一切の生命リスクを負うことのないよう行動することを、固く誓います。隊員の生命に危険が及ぶと、あなたが判断したとき――その時は、例えリミット前であっても、私たちに構わず発射指示を」
リーアの決意表明に、ソマルが瞑目したまま大きく息を吐いた。
それは、ギリギリのところまで譲歩した承諾の証だ。
「今から12時間後――発射時刻は、地球時間9月21日1900。我々が待てるのは、そこまでだ」
「ハルク隊長……あなたは、何も聞かないのですね」
紅月人に王と呼ばれる隊員に対して、ソマルが言及することはなかった。
「時間がない。今優先すべきは、貴殿が何者かを問い質すことではない。今、助けを求める者がいて、貴殿はそれを助けに行くという――隊員を管理する立場にある私が、その行動を認めるか、否かだ」
冷厳に言い放った後、ソマルは鋭い眼差しで3人を見回した。
「――許可する。ただし、時間内の帰艦を厳命する」
「……隊長、あなたの勇気と善意ある決断に、心から感謝します」
「…………」
リーアの謝辞にも、ソマルが笑みを見せることはなかった。眉間に皺を寄せた険しい表情で、モニターに映る惨状を見据えている。
ソマルの母国であるサレスナ王国は、今でこそ休戦状態が続いているが、ほんの10年前まで、内戦状態にあった地域だ。宗教宗派の対立が遠因にある、不毛な争いだった。
当時現役の兵隊だったソマルは、終戦を機にSSAのパイロットに転身した。その経緯も動機も定かではないが、彼の記憶に残る祖国の傷跡が、この決断を後押ししたのかもしれない。
そんなことをカイが思っていると、エンテがコックピットに戻ってきた。
「エンテ……」
「いるんでしょ。持って行きなさいよ」
声をかけると、エンテ=トリスタンは不機嫌な顔で、抱えてきたものをまとめてカイに投げ渡した。
3丁の拳銃とバーンの棍だ。
威勢の良い言葉とは対照的に、不安げな視線を自分に向ける女性操縦士を、カイは真摯に見つめ返した。
「エンテ、みんなを頼む。君にしか頼めない。君なら、絶対に大丈夫だと信頼出来る」
「……私は、あなたが帰ってくると信じているわ」
だから引き受けるのよ、と素っ気なく後ろを向いた同僚に苦笑する。
「行くぞ、リーア」
「はい。――ティスカ、頼みます」
その言葉に導かれるように、世界が白く反転した。




