第二話 その年、人類は新たな夜明けを迎えた
この発見により、〈白き月〉と古代文明の関連性を探るため、古代ガイロニア文明の研究が過去にない規模で進められた。
バーン=ローエヴァーは地球帰還後、SSAを離れ、古代文明の研究に没頭することになる。
そして、ローエヴァーを含む調査隊は、南ディアス大陸西海岸部の砂漠地帯にて、歴史的な偉業を成し遂げる――地底奥深くに埋もれた、極めて先進的な技術の集積を完璧に近い姿で残す、古代遺構を発見したのだ。
何よりも驚くべきは、無人の古代遺跡内で、地球周回軌道上の衛星との交信を続ける、半永久的機関が存在したことだ。宇宙と古代文明が繋がっていたことを、これ以上ない形で立証したのである。
これにより、これまで信じられてきた古代ガイロニア文明の滅亡時期に、若干のずれがあるという説が証明された。
これまで全盛期と考えられてきた時期は、実際は揺籃期、もしくは黎明期に過ぎなかった。そこから極めて短期間に、極めて高度な成熟を見せた超文明は、ある時代を境に、突然その痕跡の全てを失ったのだ。
この『極めて高度な超文明』と表現される時代について、論拠となる物質的証拠が発見されたのは初めてのことで、それまでの大勢の意見は、『極めて高度な超文明』の存在を否定し、それ以前の揺籃期を最盛期と捉え、古代ガイロニア文明の盛衰と滅亡を論じていた。
古代地下遺構の発見により、それまで信じられてきた人類史の常識が、大きく覆されたのである。
そして、研究が進められるにつれ、この『極めて高度な超文明』が、現代科学を遙かに凌ぐ技術レベルを有していたことが判明し、その多くを現代科学技術に転用しようとする『逆転の革命』が始まった。
「この発見により、我々の文明技術は数百年の飛び級を可能にした」
とは、当時のSSA長官の有名な発言だが、その言葉通り、そこからの数年間、人類は史上――少なくとも彼らが認知可能な足跡において――類を見ない速度での発展を見せた。
特に宇宙開発技術は、現在進行形で目まぐるしい進化を遂げており、わずか数年の間に、クランプトンの呟いた月面基地計画は、現実のものとして始動した。SSAは、10年以内の〈白き月〉基地完成と、人類の移住を明言している。
だが、古代ガイロニア文明が残した遺産の多くはまだ解明されておらず、現在もなお、考古学者と科学者による共同研究が進められている。
バーン=ローエヴァーの行った遺跡研究の成果は、現代の宇宙開発技術への転用と発展に大きく寄与した。
同氏はその功績を認められ、若干18歳にして、世界の頭脳といわれる科学者の最高名誉、エルタール賞を受賞した。
人類が月面に足跡を刻む最後の年――と考えられていたその年、人類は新たな夜明けを迎えたのである。
同年――地球・大マルクレスト帝国
地球帰還時、〈白き月〉着陸計画有人宇宙船クロニクル8号は、SSA本部のある北ディアス大陸南西部、キアローチェ共和国の西海岸沖に浮かぶ小島、マドラス島から2000キロメートル東の洋上に着水した。
男たちは着水から2時間後に、ヘリコプターによって回収された。
SSA西海岸宇宙センターに到着した宇宙飛行士たちは、ただちに健康検査のために、特別病棟へと搬送された。
未知のウイルスや病原菌への感染の恐れを考慮し、彼らを出迎えたSSAスタッフたちも、ヘリコプターから搬送車へと乗り換える英雄たちを、遠巻きに見守るにとどまった。
全世界へ放映するためにSSAが用意した一台のテレビカメラには、まず、乗組員の手を借りてヘリコプターを降りるモーリス船長の姿が捉えられ、次に、後に続いたクランプトン月着陸船操縦士、マクレガー司令船操縦士を映した。
その後、笑顔で出迎えに手を振る3人のアップが順に映される。
ヘリコプターの着陸地点から搬送車が駐車された場所までの距離は、わずか3メートルであり、その間、カメラワークは大半をモーリス、クランプトン、マクレガーのアップに終始した。
だが、彼らが搬送車に乗り込もうとする際、その全容を映そうと、自然にカメラはズームアウトし、その時、画面の左端に一人の少年の姿が映った。
その瞬間、カメラは急速にパンアップし、夕暮れの空に浮かぶ〈白き月〉を映す。
数秒後、地上に戻ったカメラが映したのは、宇宙飛行士達を乗せ、去っていく車体の後姿だった。
リアルタイムで流れたその一連の放送内容を、当時10歳だったカイ=ライトハーツは、帝都にある我が家で、テレビ画面の前に正座をして見入っていた。
現場で彼らに手を振るSSA局員たちに、狂おしい程の嫉妬と羨望を抱きながら見つめていたその映像で、一瞬だけ、画面の端に映った人物が、カイの目に焼き付いた。
地上から空を――月を眺める若い横顔。
先に搬送車に乗り込む3人と同じスペーススーツを着た少年は、風になびく艶やかな金の髪を手で押さえ、憂いを帯びた碧眼で空を仰いでいた。
その姿は、まるで月から舞い降りた天使のようだと、カイは思った。
その少年が、今回の計画に参加した15歳の宇宙科学者、バーン=ローエヴァー博士であることは、年齢的にも間違いない。
だが、ローエヴァーはその後の祝賀パレードを欠席し、以後、いかなるメディアにも姿を現すことはなかった。
覆面の天才科学者についてはさまざまな憶測を呼び、当然、例の少年がバーン=ローエヴァーであろうという推測もなされたが、SSAによる公式な発表はなされなかった。
そして、その後大々的に報道された、古代文明と〈白き月〉の関連性という世紀の大発見の前に、そんな些細なゴシップネタは、砂塵に舞う木の葉の如く掻き消されたのである。
それでも、カイ=ライトハーツは忘れなかった。
10歳の少年の記憶に強烈に、鮮やかな印象を残したかの科学者に心酔し、カイ=ライトハーツは、彼の研究に少しでも貢献できる人材になることを目標に、それからの7年間を費やしたのだ。
現在――地球・キアローチェ共和国内宇宙科学研究開発局(SSA)
「たぁぁぁっ!」
「それまで! 勝者、カイ=ライトハーツ!」
鋭い踏み込みと共に振り下ろされた一撃が、相手の手から獲物を弾き飛ばす。音を立てて、床に突き刺さる細長剣。
鮮やかに決した勝敗に、壁際で練習試合を見守っていた面々が、感嘆の声を漏らした。
「すげーな、あいつ。とうとうロイド先輩倒しちゃったよ」
「ロイドさんって、大帝国の最強陸軍からスカウトがあって、来月からそっちに所属するって話だぜ」
「大マルクレスト帝国? だったら、カイの方が行ってもおかしくなさそうなもんだが」
「ああ、アイツの親父って、大帝国の軍人だったな。でも、その気があるなら、初めから士官学校に入るなりしてるんじゃねぇ?」
期待のエースパイロットの勇姿を前に、同僚達が口々に好き勝手なことを言う。
宇宙飛行士候補者たちを対象とした、合同基礎訓練での一幕である。
その間にも、勝負を決した少年は、防護用のヘルメットを外し、対戦相手に右手を差し出した。
黒髪に、黒い瞳。素直そうな目をした17歳の少年は、まだ幼さの残る顔に、爽やかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ロイド先輩。最後にお手合わせ出来て、良かったです」
「あぁ、やっぱり強いな、お前。かなわないよ。さすが、ライトハーツ軍曹の息子だ」
同じくヘルメットを脱いだロイドが、固く右手を握り返す。
「父をよろしくお願いします」
「……それは俺がお願いするところなんだけどな。カイ、こんなことを聞くのもなんだが……お前は、帝国軍に入るつもりはないのか? 本当は、ひっきりなしにスカウトも来ているんだろう?」
国境なき研究団、宇宙科学研究開発局――SSAはその名の通り、どの国家にも属さない独立組織である。
だが、その運営の多くは、大陸全土の協力国家からの援助によって成り立っている。
特にここ20年程は、女帝の強い意向により、宇宙開発に力を注いでいる大帝国――大マルクレスト帝国の、大規模な資金援助に依るところは大きい。
それゆえに、帝国と研究団の間の人員交流――分かりやすく言えば、優秀な人材の引き抜き――は、ほとんど暗黙の了解として、日常的に行われていた。
帝国平民出身のロイドは、今回、帝国士官学校卒業生相当の待遇での、陸軍への所属が内定しているらしい。これは平民でありながら、将校としての出世の道が拓けたという意味で、大変な名誉だ。
握手をしながらのロイドのぶしつけな質問に、カイは肩をすくめて答えた。
「帝国宇宙軍が出来たら、喜んで入隊しますよ」
「お前らしいな」
ロイドが苦笑する。
「先輩こそ、なぜ帝国軍へ?」
カイに弾かれた剣を拾い上げ、ロイドはおどけた調子で答えた。
「なぁに。せっかくSSAに入っておいてなんだが……俺には、頭を使って宇宙船を動かすより、銃剣を持って戦う方が、性に合っているらしい」
「俺には、宇宙船を動かして宇宙を飛ぶ方が性に合ってた。それだけですよ」
「そうだな、お互い頑張ろう」
笑みをかわし、退場しようとしたロイドが、思い出したようにカイを振り返った。
「そういや、おまえ知ってるか? 今度の宇宙飛行計画の操縦士――」
――おまえが、候補に上がってるって話だぜ。
一体どこから情報が漏れたのか、そんな噂がまことしやかに流れているらしい。
次の飛行計画に向け、SSAがここのところ慌ただしく動いているのは、カイも知っている。
7年前の〈白き月〉での大発見以降、SSAの宇宙開発計画は勢いを増したが、ここ2、3年で更に加速した。
理由は、超文明研究の最も革新的な成果と目されていた、重力子の人工生成技術が確立したことにある。
3000年前の古代遺跡から、それまで存在の確認されなかった仮説上の素粒子――重力子を、人工的に発生させ、空間内の重力を調整する装置が見つかった。
これまでの常識では、宇宙空間で利用可能な人工重力の生成には、重力のメカニズムの解明が必須と考えられてきた。
だがこの発見により、状況は一変する。人工重力生成の『教科書』を得た現代人にとって、『重力とは何か』という根元的な存在解明よりも、生成技術の解読と実用化の方が容易であり、また圧倒的に魅力的な命題であったのは間違いない。
世界最高峰の科学技術集団を自認するSSAが、その叡智とプライドをかけ、総力を挙げて取り組んだ、この超技術復古計画は、約4年半の歳月をかけ実を結んだ。ついに人類は自らの手で、地球と同様の重力場を創造する力を手に入れたのだ。
その技術は近年、スペースシャトルや宇宙ステーションの開発に、次々と導入実用化されている。
これにより、宇宙空間での人体への負担が大幅に軽減され、かつ地球上に近い適応環境での設備構築が可能になり、居住区の拡大と搭乗員の増員が実現した。
これまで、少人数でリスクの高い飛行を強いられてきた有人飛行計画においても、乗員構成や設備面から見直しが図られ、国際医師免許取得者の搭乗推奨、副操縦士の配置、船内医療・研究設備の拡充など、大きな変化を見せた。
特に、増員に伴う搭乗員の専門性の向上により、より安全性と効率性の高い有人調査が可能となった意義は大きい。
今となっては、20名規模での調査団が〈白き月〉へ派遣されるようになり、民間の協力者の参加も珍しくない。来たる〈白き月〉月面基地計画も、これにより一層の加速を見せ、月の植民に向けた本格的な環境改造実験も始まっている。
人工重力生成装置の開発自体は、超古代文明が遺した技術の模倣であったが、現在SSAの技術部は、更にこれを応用した、亜光速の推進エンジンの開発研究に取り組んでいる。
これが実現すれば、他惑星への有人飛行もより現実味を帯びるのだが、重力子の解明が途上にある現状では、難航しているようだ。
そんな中、今、SSAが総力を挙げ実行しようとしているのは、更に次のステップ――〈白き月〉の外側にある衛星への進出だ。
しかし、すでに数回の〈白き月〉への飛行経験があるとはいえ、若過ぎるカイに、そんな大きな計画への参画が回ってくるとは、到底思えない。
そんな風の噂は9割方本気にせず、カイは、呼び出しを受けたナスター教官の執務室へと足を運んだ。