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ダブルムーン・クライシス  作者: 夜月猫人
第三部 紅き月調査隊
18/38

第十八話 本当に知るべき重要な事柄は、何一つ表には出てこない


「紅い……」


 一言。

 カイはそう呟いた。

 山腹から見下ろす大地は、赤かった。

 おかしな話だが、この星に降りて約半日が経過して初めて、カイは〈紅き月〉の大地を踏んだ。

 もちろん宇宙服に身を包み、その荒涼とした砂地が続く星の表層を、じっと見つめる。


 紅き月は、砂と岩の星だった。ほんの数時間前まで、豊かな水を湛えた先進的な都市国家を走り抜けたことが嘘のように――そこは、生命の痕跡すら見えない世界だった。

 無人探査機から送られてきた映像の印象では、地球上のスアマテカ大砂漠に似ているという意見もあったが、実際に降り立ったその大地は、もっと異様で、神秘的なものだった。


「記憶にある光景で言えば、オルトア大陸の世界遺産、〈レッドガーデン〉の赤い大地が、色味としては近い気がしますね。いや、もっと紅いか……?」


 隣に並び立つリーアに向けて言葉を発するが、返事はなかった。

 その視線は、遙か地平線の向こうに投げかけられており、カイの声など耳に入っていないようだった。

 ちなみに、ローエヴァー博士は、スケジュール上の船外活動時間など無視し、研究室にこもりっきりだ。

 地下国家で採取したサンプルの調査に夢中なのだろう。


 地球とは明らかに違う弧を描く地平線の上に、いびつな輪郭を見せる奇岩群が並んでいた。

 モリソネス奇岩群と呼ばれるそれは、一見山と錯覚するような巨大な岩石が並ぶ奇景で、実際、無人探査車による調査結果により、巨大な一枚岩の集積地帯であると判明するまでは、モリソネス山脈と呼称されていた。

 空は赤い。その赤い空を反映するかのような、赤土と赤岩。

 赤はこの星そのものであり、この星に生きる命にとって、神聖な色なのだと――ただその光景を見下ろすだけで、魂に染みるほどに理解する。


 カイの故郷、大マルクレスト帝国では、蒼を神聖視している。

 カイも青が好きだった。

 なぜかということを意識したことはなかった。だが、この紅い空に浮かぶ、蒼い星を見るにつけ、それがあの星の色だからなのだと、カイは直感的に理解した。

 魂を奪われたかのように身じろぎもしないリーアの隣で、カイは足下の赤土に触れた。

 分厚い手袋ごしでは感触は乏しかったが、すくい上げた砂はさらさらとしていて、逃げるように指の間をすり抜ける。

 振り返れば、禿げあがった山肌が続き、中腹から山頂にかけて白い雪が積もっていた。

 その積雪の手前――赤茶けた山肌が覗く中腹に、不時着した船体が、粛々とした面持ちで佇んでいた。





 当初、3日間を予定していた紅き月滞在期間は、24時間の延長が決定した。

 理由は、調査隊員の半分が一時不在であったため、多くのミッションが未消化であること、司令船ごとの着地というイレギュラーな着陸により、帰還時の打ち合わせと準備期間が必要になったこと――以上の2点。特に、後者の重要性を考慮しての判断である。


 搭乗員たちにとって何より幸運だったのは、レッドムーン=テイラー3号には、次世代の月面基地往還用システムとして開発された、直接降下方式が採用されていたことだ。

 これによって、衛星に司令船ごと不時着するという想定外の事態に見舞われながらも、乗員たちは、本部に待機する地上支援飛行士たちの力を借りながら、離陸の準備を進めることができた。


 レッドムーン=テイラー3号の不時着と、3名の搭乗員の失踪は、SSA本部管制センターに伝えられていたが、3人が帰還後に伝えた報告は、あまりにも荒唐無稽な話で混乱を招くとされ、最重要機密として厳重に報道が規制された。

 地球上では、調査隊の動向は、今最もトレンドな話題として注目を集めている。

 SSA本部は再三にわたる協議の末、レッド=ムーンテイラー3号はエンジントラブルを受け、着陸予定時刻から遅れたが、〈紅き月〉周回軌道上での船外活動にて修復後、無事着陸船を切り離し、月面着陸を成功させたと報道した。

 着陸時の様子は、先のエンジントラブルを理由に、カメラに不具合が生じたとして公開されず、主星放映用の動画には、月面着陸後の隊員、月面上から見る母星など、当たり障りのないものだけが流された。

 月面に降り立つ司令船という、ある種貴重な光景は、永遠に闇に葬られることとなった。


 こういう対応を見るにつけ、カイは己が見ていた世界が、あまりにも表面的なものでしかなかったのだということに気付かされる。

 本当に知るべき重要な事柄は、何一つ表には出てこないのだ。

 7年前、目を瞑れば情景が思い浮かぶほどに、何度も焼き付けた月面着陸計画の映像も、国民向けに編集された、ほんの一場面でしかない。

 そもそも、リーアは7年前のフライトにも非公式に参加していたというのだから、その時点で、歴史的事実が大きく捻じ曲げられている。


「俺って本当に、バカなんだなぁ」


 ここに来て、カイはそんな風に思うことがあった。

 自分が、人や社会の薄っぺらい表層しか見ていなくて、夢ばかりを見ている愚かな子どものような気がして、嫌になる。


「君が?」


 ぽつりと呟いたカイに、マークスが眼鏡の奥の目を丸くして聞き返した。

 ここは、マークスとカイの部屋だ。隊長のソマルと、唯一女性であるエンテが1人部屋で、他のメンバーは、2人部屋を宛がわれている。

 VIPであるはずのバーンが、一操縦士と同じ扱いであることに疑問は感じたが、本人が「そんなもんはどうでもいいから、研究設備を充実させろ」と言ったと聞けば納得だ。


「本気で言っているのかい? カイ君。SSA始まって以来の秀才と言われた君がバカだと言うなら、僕らみたいな、ようやく引っかかっている人間はどうすればいいのさ」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 マークス=アルバントは本気で困惑しているようだった。何事も真正面から受け取る質朴さは、彼の長所であり、たまに反応に困るところでもある。

 ようやく引っかかっていると言っている彼自身、帝国外ピュラスタという不利な出自から、若くして名誉ある計画に抜擢された、英才なはずなのだが。


「博士とリーアさんが、〈白き月〉着陸計画に参加したのが、15歳の時……それから、彼らがやってきたことを思うとね」

「あの二人は、特別だから……」

「それはそうなんだけど、才能とか、頭の良さとか、そういう部分以外でも、凄く差を感じてさ……二人とも、俺と同じ年の時には、国や組織のトップと渡り合って来たのかと思うと……」


 17歳で爵位を得たリーアは、父親を凌ぐ手腕で、たった数年でクラウンフォルト家の名を世界へと轟かせた。

 人嫌いで有名なバーンですらも、宇宙開発計画の進展のために、ありとあらゆる分野から助言と助力をし、人が月に住むという、途方もない計画を現実のものへとしていったのだ。

 それは、決して綺麗なだけの世界ではなかったはずだ。

 莫大なカネが動く世界で、自分の成したいことを実現するには、理想と情熱だけでは何も叶わない。

 不条理も理不尽も食らいつくし、屍を踏み越え、手を汚し、足を引っ張られながら、それでも向かっていくだけの、強さと知恵が必要だ。


「努力すればいつか叶うはずだ――って信じて、がむしゃらに夢を追いかけ続けた自分が、何もしていないとは、もちろん思わないけど……今こうやって、棚ぼた的に夢に近づけた俺は、本当に幸運な人間なんだと思う。……本当は、ここに来るよりも先に、もっと知らなくちゃいけないことが、たくさんあったんだと思う」


 だから、自分はバカなのだ。と、カイははじめの独り言に戻った。

 ――それは、心から『敵わない』と思う人物と、出会ってしまったからかもしれない。

 バーンならば、リーアならば、同じものを同じように見聞きしていても、カイの10倍の情報を得るはずだ。

 今この瞬間が、一生涯に一度、体験出来るかも分からないような貴重な経験であるだけに、それがひどくもったいなく、口惜しかった。


「君は、あらゆる面で大人びているのに、ある一点においては、とても少年らしいな」

「へ?」


 不思議そうな顔で言ったマークスの意図が掴めず、カイは問い返す。


「宇宙とローエヴァー博士。まあこれは、イコールで結んでしまっても構わないか。すまない、からかっているわけじゃないんだ。とても、好感が持てると言っているんだ」


 勝手に自己完結しているらしいマークスに、余計に困惑する。


「君は、成長していないことを悪だと思っているようだけど、成長することによって失う純粋さというのは――ある意味、成長することによって得る狡猾さよりも、よほど貴重で、維持することが難しいものだと思うよ」

「……マークス、そういえば君はいくつなんだ?」


 登録では26歳、なはずだが、年相応の外見に見える彼が、そういえばピュラスタであったことを思い出す。

 もしかしたら、本当はもっと年上なのかもしれないという疑念にかられ、カイは半眼で聞いてみた。


「さぁ? ご想像にお任せするよ」


 そう言って、質朴な帝国外ピュラスタは、どこかの帝国貴族のような笑みを浮かべた。





 地球時間9月20日08時22分。

 〈紅き月〉滞在最終日。出発予定時刻まで24時間を切った頃、救護室の前を通ったカイは、何の前触れもなく開いたドアに驚いて立ち止まった。


「……博士?」


 出てきた白衣の男に声をかけるのを迷ったのは、その男が、見慣れない黒縁の眼鏡をかけていたからだ。

 一瞬誰かと思ったが、よく見ればその驚異的に似合ってない感じが、バーン=ローエヴァー以外何者でもない。


「本気ですか? バーン」

「確かめねぇわけにはいかねーだろ。隊長殿を呼んでくれ。あと、カイもだ」


 目の前にいたカイには目もくれず――というか目に入ってない様子で、大股にコックピットへと向かうバーン。


「リーアさん、どうかしたんですか?」


 続いて救護室から出てきたのは、同じく白衣を着たリーアだ。

 開いたドアから、ちらりと部屋を覗くと、最奥の扉が目に入った。

 救護室と続きになっているその奥の間は、サンプル室兼研究室となっている。

 主に、現地で採集したサンプルの保管と調査が目的の部屋で、研究員であるバーンとリーアの領域だ。門外漢であるカイが立ち寄ることはまずない。


「行きましょう、招集だそうですよ」


 声をかけられた側は、すぐに分かるとでも言いたげに肩をすくめて、カイの背を押した。


「標高3000メートル地点の探索許可を、だと?」


 繰り返したソマル=ハルクの声は、それこそ異常者の言動を目の当たりにしたかのように、疑念と驚嘆が剥き出されていた。

 同時にそれは、コックピットに集まった、大半の人間の心境を代弁したものでもある。


「おう。すぐ行きたい。この地点からなら、往復6時間くらいで可能だろ」

「6時間って……そう簡単に言いますけど、先に何があるか分からないんですよ!? いくらなんでも……」

「いくらなんでも無謀だわ」


 カイの語尾を奪ったエンテが、張りのある声と眼差しで、バーンを突き刺した。背筋を伸ばし、胸の前で腕を組んだ仕草が様になっている。


「司令船からもかなり離れることになるし、これ以上登るのは危険よ」

「私もトリスタンと同じ意見だ。ローエヴァー博士」


 ソマルの援護射撃が入る。その後ろで、マークスはおろおろと火花を散らす隊員たちを見ているだけだったが、現場の最高責任者の一言で、決着はつくかに見えた。


「だったら、俺一人でも行くぜ。持ち帰った気体とマルクレンタの調査を進めていて、面白いことが分かった。この目で確かめるまでは、帰るわけにはいかねぇ」

「勿論、私も行きますけどね」


 そのときのソマルの顔は、苦虫を噛み潰した、という表現がぴたりと当てはまった。

 一歩も譲る気のない2名の外部協力者を前に、護衛係――というか目付係――に対し、責めるような視線が向かう。


「……護衛係が、行かないわけにはいかないでしょう」


 肩をすくめ、カイは諾々と答えた。

 あまりに突拍子もない希望に思わず反駁してしまったが、本来なら、カイのような若輩者がローエヴァー博士に意見できることなど何一つない。

 彼のやろうとすることには、必ず何か意味があるはずだ。


「わ、私も行きます! リーア様を危険な目には……いえその、あの、話にあった霊気(マルス)というものも気になりますし」


 意外なところからの増援に、思わず全員の視線がそちらに集まる。

 あまり自己を主張することのない若き宇宙航法士(ナビゲーター)が、真剣な面持ちで拳を握っていた。

 こうして雄々しい様を見せると、背丈も高くなかなか男前だ。意外な事実に気付き、カイは場にそぐわぬ感心をした。


「行くなら私も行くわ。ここまで来て、知ることの出来るものを知らずに帰るなんて、出来ないもの」

「――そうこねぇと」


 最後まで反対するかに見えたエンテが反旗を翻し、バーンがにやりと笑った。エンテが口にした理由が気に入ったらしいことは、カイにも見て取れた。

 カイは、自然と肺の辺りから、高揚が押し寄せてくるのを感じていた。

 知的探求心に突き動かされる感覚。

 いつ味わっても、それはゾクゾクとワクワクに満ちていて、体中に力がわき上がってくるのだ。

 そんな自分と同じものを、ここにいる皆が感じていることを、カイは確信していた。


(やっぱり、そうじゃないと)


 命の危険を冒してまで、未踏の星に踏み込もうとする集団に、『知ること』を抑えられる人間など、いるわけがないのだ。


「……仕方があるまい。だがその前に、出発に向けて最後の打ち合わせだ。地球に比べ重力が小さいとはいえ、イレギュラーな発進になるのは間違いない。我々は、宇宙の塵になるためにここまで来たわけではない。どれほどの知的財産を抱えようとも、無事帰還できなければ、意味がないのだ」


 大きなため息の後に承諾したチームリーダーの一声に、全員が頷いた。






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