プロローグ 空の底で
俺の住む世界には、地面の下に空がある。
足元の岩盤が途切れたその先は、ただの虚空だ。風が吹き上げ、鳥が渡り、遥か下方には厚い雲の層——雲海が広がっている。
雲海の下に何があるかは誰も知らない。知ろうとする者もいない。ただ奈落が広がっていて——それは死ぬということなのだろう。
もっとも、普通に暮らしている分には落ちる心配はない。島主や領主がクロニクルで領域を守っており、登録された国民なら万が一足を滑らせても魔法で帰還できる仕組みになっている。だが「登録された」国民なら、だ。何らかの理由でそこから外れた者にとっては、島の縁は死の淵と変わらない。
この世界は無数の浮島で構成されている。大小さまざまな島が、空中に繋ぎ止められ、浮かんでいる。島を浮かべているのはアーカーシャと呼ばれる力だ。世界の根源に流れるエネルギー。あらゆる可能性を内包する波。
その波を形にするための媒体が、クロニクルと呼ばれる概念の書物。
クロニクルに望む事象を記述すれば、アーカーシャの力によってそれは現実になる。火を起こす、風を操る、土を動かす——平民たちはそれを「魔法」と呼ぶ。仕組みなど知らない。知る必要もない。貴族がやる、なんかすごいこと。彼らにとってはそれで十分なのだ。
だが、俺は知っている。
アーカーシャの波を感じ取る力——共振能力。これを持つ者だけが記述者と呼ばれ、貴族として支配階級に立つことを許される。持たざる者は被記述者。すなわち平民。記述者が作った世界のなかで、記述者が定めた秩序に従って生きる。
それがこの世界の、絶対的なルールだ。
そして俺、カインは、その支配階級の最底辺に生まれた。
底辺の、さらに底。雲海を見下ろす崖っぷちに、かろうじて足をかけている。それが俺の立っている場所だ。
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◆用語紹介◆
**【浮島】**
この世界の陸地。大小さまざまな島がアーカーシャの力で空中に浮いている。島の下は雲海に覆われており、登録国民でなければ落下=死を意味する。
**【アーカーシャ】**
世界の根源に流れるエネルギー。あらゆる可能性を内包する波。クロニクルへの記述を通じて、現実の事象を引き起こす力の源。
**【クロニクル】**
アーカーシャの波を記述し、事象を現実化するための媒体。概念としての「書物」。位階があり、高い位階ほど強力な事象を扱える。
**【共振能力】**
アーカーシャの波を感じ取り、クロニクルに記述する力。遺伝的な素質が大きく影響する。この能力の有無が貴族と平民を分ける絶対的な境界線。
**【記述者と被記述者】**
共振能力を持ち、クロニクルに記述できる者を「記述者」(=貴族)と呼ぶ。持たない者は「被記述者」(=平民)として、記述者が作った秩序の中で生きる。
**【登録国民】**
島主・領主のクロニクルに登録された住民。帰還魔法の保護を受けられる。貴族は血の記述で、平民は10歳の儀式で登録される。未登録者は保護の対象外。




