6.交錯する道
その日の「掃除」を終え、憲一はいつもの帰り道を軽バンで走っていた。基地の周辺に漂う不穏な空気や、某国のカメラマンたちの存在が、脳裏を過っては消える。そんなことを考えていた時だった。
通りの向こうから、見慣れた顔が歩いてくるのが見えた。先日トラブルを処理したばかりの、田中ユミだった。彼女は以前会った時よりも、幾分か顔色が良くなっているように見えたが、その表情には、どこか決意のようなものが宿っていた。
憲一は車を停め、ユミに声をかけた。ユミは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに憲一の顔を見て、はにかむように微笑んだ。
「憲一さん……」
ユミは深呼吸をしてから、まっすぐ憲一の目を見て言った。「あの後、たくさん考えました。彼とはもう会いません。でも……**私、この子を一人で育てるって決めました**」。ユミはそっと、まだ平らな下腹部に手を当てた。
憲一は、驚きはしなかった。あの兵士が彼女と真剣な関係を築こうとしていなかったことは、最初から分かっていたからだ。だが、ユミがこれほど早く、この決断を下したことには、少なからず感銘を受けた。
ユミは、憲一に今の心境を訥々と語り始めた。未来への不安、それでも命を守りたいという強い思い、そして、自分自身の足で生きていくことへの決意。憲一は、ただ黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
ひとしきり話終えたユミは、少しすっきりした顔をしていた。憲一は、静かに自分の名刺入れから一枚を取り出すと、ユミに差し出した。「これ、**女性と子供を支援しているNPO**の名刺だ。もし困ったことがあれば、ここに連絡するといい」。
ユミは名刺を受け取り、目を丸くした。「え……憲一さんが?」
憲一は曖昧に頷くと、「ここなら、色々力になってくれるだろう」とだけ言った。そして、それ以上何も言わずに、軽バンのドアを開けた。
車を発進させながら、憲一はバックミラー越しに、名刺を握りしめたまま立ち尽くすユミの姿を見た。その時、ふと、幼い頃の記憶がよみがえった。女手一つで自分を育ててくれた**母の姿**だ。強く、そして哀しみを秘めた、あの背中。
「**同情してたら、掃除屋は勤まらない**」
憲一は、誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。自分の仕事は、感情に流されることではない。揉め事を収め、秩序を保つこと。それが彼の役割だ。だが、ユミに名刺を渡した行為は、彼の中に残る微かな「人間らしさ」の表れだったのかもしれない。