3.基地の町の日常(続)
憲一がいつものように軽バンを走らせていると、携帯電話が鳴った。画面に表示された番号を見て、眉間に皺が寄る。施設警備の担当者からの連絡だった。内容は、またしても色恋沙汰。まったく、兵士と地元の女のいざこざほど面倒なものはない。
今回のトラブルは、もう少し厄介だった。施設に勤務する若い下士官と「付き合っているつもり」だったという日本人女性が、施設の前で座り込んでいるというのだ。彼女は涙ながらに「会わせてほしい」と訴え、警備兵に取り押さえられそうになっている。憲一は現場に急行した。
「田中さん、大丈夫ですか? 少し落ち着いて話しましょう」
憲一は女性に優しく語りかけ、施設の敷地から少し離れた喫茶店へと促した。彼女の名前は田中ユミ。少し痩せた顔には、夜通し泣き明かしたような憔悴の色が浮かんでいた。話を聞けば、彼氏だと思っていた兵士とはここ数週間連絡が取れず、施設に直接来れば会えると思ったらしい。しかし、彼が彼女を避けているのは明らかだった。どうやら、兵士には本国に婚約者がいることが発覚し、二股をかけていたことがバレそうになったため、一方的に彼女との関係を切ろうとしているようだった。
「彼に会わせてくれませんか? お願いです、憲一さん。話せばきっと、わかってくれるはずだから!」
ユミは縋るように憲一の手を取った。その切羽詰まった瞳を見て、憲一は心の中でため息をつく。こういう時、相手の兵士はたいてい「もう関係ない」「日本の女とは遊びだった」と、ろくでもないことを言う。そして、施設側も「個人的な問題」として、一切関わりたがらない。
憲一は、静かに、そしてきっぱりと告げた。「それはできません、田中さん」。ユミの顔からみるみる血の気が引いていく。憲一は続けた。「彼には、もう会わない方がいい。これ以上、施設に来ても、会うことはできない。彼のことは、我々の方で厳重に処分する」。もちろん、処分など建前で、せいぜい訓告程度だろうが。
ユミは顔を覆って泣き出した。憲一は何も言わず、ただ彼女の嗚咽を聞いていた。彼にできるのは、ただこの揉め事を、大きな問題になる前に「掃除」することだけだ。ユミの治療費と、新しい生活のための費用を渡して、彼女の心を少しでも癒すこと。そして、兵士には二度と彼女の前に現れないよう、そして二度とこのようなトラブルを起こさないよう、厳しく言い含めること。
全く、色恋沙汰ぐらい当人同士で何とかしてほしいもんだが、だからこそ俺も仕事にありつける。憲一は心の中でそうぼやきながら、冷めていくコーヒーを一口飲んだ。彼の「掃除」は、今日も誰にも知られることなく、人々の間で起こる小さくも大きな波紋を静かに消し去っていく。