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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第五章

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第四話 書式が揃うほど危ない

翌朝、ミレイアが最初に気づいたのは、封の折り目だった。


紙の厚みでも印でもなく、折り方。

税務局の封なのに、昨日の許認可の封と折り目の位置が同じだった。三つ折りの角が、妙にぴたりと合っている。役所の封は雑に揃うことはあっても、ここまで同じにはならない。誰かが型を作っている折り方だ。


封を開く。

文面は相変わらず整っている。整っているが、今日は整い方が目についた。


――円滑な確認のため、下記様式にて回答を求める。

――当該回答は、関係部署間の共有に供する。

――期限内の提出が困難な場合、支援窓口にて事前整理を受け付ける(念のため)。


また同じ締めだ。

しかも、本文の二行目。「共有に供する」という言い回しは、昨日の許認可の紙にもあった。許認可の窓口が税務と同じ言い回しを使うのは、なくはない。なくはないが、連続すると匂う。


ミレイアは裏返して、下の小さな欄を見る。

回覧番号が付いていた。


「R-14-227」


昨日の許認可の通知を引っ張り出す。下欄を確認する。

「R-14-226」


一つ前。

税務と許認可で回覧番号が連番。

別部署の文書なのに、同じ束で回している。


胸の奥が、冷たく沈んだ。

分かりやすい違法の方がまだ扱いやすい。こういう“整いすぎ”は、誰かが仕事として作っている。つまり、個人の暴走じゃない。


ミレイアはすぐに市場の店先へ出て、昨日貼られた治安協力の告知を見た。

剥がされてはいない。むしろ増えていた。横に小さい告知が一枚追加されている。


「地域安全協力に関する照会票(様式R-14)使用開始」


様式R-14。

いま手元の税務通知の回覧番号もR-14。

許認可もR-14。

治安の告知までR-14。


通りの冷たい空気の中で、ミレイアは紙を握り直した。

見えてきた。

窓口が一つに見えるんじゃない。最初から、書式が一つだ。


店に戻ると、エルシェが言った。


「さっき、治安局の人が来て……これ、置いていきました」


差し出されたのは照会票だった。

表題は治安局名義。だが、用紙の罫線、欄の配置、脚注の位置まで、税務の様式と同じだった。違うのは上の印字だけ。

下欄の回覧番号は「R-14-228」。


連番。

税務、許認可、治安。

同じ様式で、同じ回覧束で、連番で来る。


照会票には、店の出入りに関する確認項目が並んでいた。

「夜間搬出入の有無」

「預かり品の保管場所」

「臨時協力要請への対応可否」

全部、曖昧で広い。

しかも欄外に、また「念のため」。


ミレイアはその場で、昨日作った圧の帳面を開き、新しい項目を足した。


・税務通知(R-14-227)

・治安照会票(R-14-228)

・許認可通知(R-14-226)

・別部署なのに様式同一(様式R-14)

・文末文言の一致(念のため/円滑/共有に供する)


書いているうちに、怒りより先に気持ち悪さが来た。

それぞれ別の部署が別の理由で動いているなら、まだ対処の仕方はある。

でもこれは、別の顔をした同じ手だ。

同じ手が、店のいろんな場所を順番に押している。


昼前、ルークが来た。今日は顔色がいつもより硬い。

入るなり、ミレイアの机の上の紙を見て、すぐに回覧番号へ目を落とした。


「もう出ましたか」


「出ました。税務が二二七、治安が二二八。許認可は昨日の二二六」


ルークの眉がわずかに上がる。


「やっぱり連番ですか」


「顧問室でも見えてたの?」


「昨夜の時点で、いくつかの写しに同じ様式番号がありました。ただ、回覧番号は切れていて……下欄まで潰されている写しが多かったんです」


下欄を潰す。

そこまでやるなら、やはり見られたくない情報だ。


ミレイアは税務通知と照会票を渡した。

ルークは二枚を重ね、窓の光に透かした。

紙質は違うのに、罫線の位置が一致しているのが分かる。


「添付様式もありますか」


「これ」


ミレイアが差し出した回答用紙を見て、ルークは小さく息を吐いた。

税務の回答票と、治安の照会回答票。表題は違うが、欄の並びがほぼ同じ。

しかも脚注番号まで揃っている。


「脚注三番の文言、見てください」


ミレイアが覗き込む。

どちらにも同じ一文がある。


「記載内容は関係部署の確認に使用されることがあります」


“あります”。

断定しない、責任を置かない言い方。

昨日から続いている癖だ。


「誰かが文面を配ってる」


ミレイアが言うと、ルークは頷いた。


「文面だけじゃないです。様式、回覧、脚注、たぶん配布先の順番も」


「運用者」


ルークは返事の代わりに、持ってきた封を机に置いた。


「今朝、顧問室にこれが届きました」


封蝋はきちんとしている。王都の正式文書の体裁だ。

表題を見て、ミレイアは顔をしかめた。


「抗議文?」


「はい。差出は、治安局・税務局・許認可監理局の連名」


連名。

しかも三部署。

中を開くと、文章はやたら上品だった。


――王太子付顧問室による現場手続への介入が、各部署の通常運用を阻害している。

――根拠照会、決裁者明示要求、口頭指示の記録化要求は、現場の迅速な安全対応を妨げる。

――顧問室の照会は管轄外の実務に及んでおり、越権のおそれがある。

――ついては、今後の照会については所定窓口を通じ、現場文書への直接閲覧・取得を差し控えられたい。


最後に、やたら丁寧な締め。

「協力のための秩序維持にご理解を賜りたい」。


ミレイアは笑いそうになって、笑えなかった。

“協力”も“秩序”も、全部あちらが先に使っている。

言葉を先に押さえた側が、正しい顔を取る。


「これ、顧問室への牽制だけじゃないね」


「はい。現場の口を揃えさせる文書です」


ルークは抗議文の末尾を指で示した。

また回覧番号がある。


「R-14-231」


「二二九と二三〇は?」


「たぶん別の店か、別の案件に出ています」


回覧が流れている。

市場の一店だけじゃない。

この運用は、もう面で動いている。


ルークは抗議文を畳まず、そのまま机に広げたまま言った。


「リリアナ様は、これを“当たり”だと見ています」


「当たり」


「顧問室へ正式に抗議が来たということは、向こうが顧問室を邪魔だと認識した。つまり、こちらの文書要求が効いている」


効いている。

店の側からすると、ただ紙が増えているだけに見える。

でも、向こうが抗議文を出すほどには、嫌がっている。


ミレイアは抗議文の本文をもう一度見た。

“根拠照会”“決裁者明示要求”“口頭指示の記録化要求”。

リリアナが出している文書の中身が、そのまま並んでいる。

嫌がる点がはっきり出ているのは、確かに当たりかもしれない。


「で、どう返すの」


「返す前に、揃えて見せます」


「揃えて?」


「文書の“揃い方”です。三部署の文書を並べて、同一構文・同一様式・連番回覧を先に固定する。越権抗議に答える形にすると、論点を“顧問室が邪魔かどうか”へずらされるので」


論点をずらさない。

いつものやり方だ。

真正面から反論しないで、先に土台を置く。


ルークは封からもう一枚、薄い紙を出した。顧問室の書式だ。

見慣れた白い紙に、簡潔な文面。


――各部署発出文書の様式統一・回覧連番・添付書式一致について照会する。

――運用根拠、所管責任者、決裁経路、回覧基準の提示を求める。

――顧問室への抗議文提出と同時期であるため、運用統括者の有無を確認したい。


最後の一行が、少しだけ鋭い。

“統括者の有無”。

いると分かっていて、いるかと聞いている。


ミレイアは頷いた。


「これなら、越権って言われても、文書の話だもんね」


「はい。現場判断には触れていません。書式と回覧の整合だけです」


ルークはそこで一度言葉を切り、少し声を落とした。


「ただ、向こうも返してきます」


「どういう形で」


「閲覧制限」


その言葉に、ミレイアはすぐ顔を上げた。


「顧問室の?」


「ええ。すでに予兆があります。昨夜、軍の案件で見られた台帳の写しが、今朝から“現場保管のため外部閲覧不可”に変わっていました」


また“外部”。

顧問室を外に置く言い方。王太子付なのに。


「それ、通るの」


「通してくるなら、通る根拠を作ってから通します。たとえば、臨時運用。たとえば、安全管理。たとえば、保全」


また例外の言葉だ。

何でも包める薄い布みたいな言葉。


昼過ぎ、ミレイアの店にはさらに二通届いた。

一通は許認可監理局からの追加照会。

もう一通は税務局からの補足説明。

内容は違うのに、見出しの位置、欄の段組み、脚注の置き方が同じ。

回覧番号は二三二、二三三。


連番が伸びていく。

運用が生き物みたいに動いているのが、番号で見える。


ミレイアは紙を並べて、エルシェにも見せた。


「ほら、ここ。全部同じでしょ」


エルシェは最初、きょとんとしていたが、脚注の位置を指差されると目を丸くした。


「ほんとだ……。違う役所なのに、同じ人が作ったみたい」


「たぶん、そう」


「これ、変じゃないんですか」


「変。だから記録する」


ミレイアは帳面にまた書き足した。


・抗議文(治安・税務・許認可連名)R-14-231

・越権抗議の論点=根拠照会/決裁者明示/口頭記録化要求

・同日追加照会(R-14-232、233)

・同一構文・同一脚注・添付様式一致 継続


書いている最中、店の扉が開いた。

見慣れない女が一人。身なりは地味だが、靴だけ新しい。役所勤めの靴だ。


「ミレイアさんですね」


「はい」


「税務局からの確認で」


女は封を出す前に、店内を一度見渡した。棚、帳場、奥の倉庫の戸。

確認というより、把握の目だ。


差し出された紙は補足説明書。

内容は「既送付の税務照会に関し、回答不備がある場合の再提出方法」。

まだ提出期限前なのに、不備時の再提出方法が先に来る。

失敗する前提で紙が組まれている。


「ずいぶん先回りですね」


ミレイアが言うと、女は微笑んだ。


「円滑な運用のためです」


その言葉の響きで、ミレイアは確信した。

この人も同じ文面を使っている。教わっている。

役所の口まで書式で揃えている。


「この書類、様式番号は」


「下欄に」


女はすぐ答えた。慣れている。

下欄は「R-14-234」。


「このR-14って、何の区分ですか」


微笑みが一瞬だけ止まった。


「運用上の分類です」


「どこの運用」


「関係部署の」


「どこの部署が管理してる運用ですか」


女は紙を持つ指に少し力を入れたが、声は崩さなかった。


「その点は、窓口でご照会ください」


窓口。

また窓口。

問いを全部、同じ穴へ落とそうとしている。


「王都治安協力商会ですか」


ミレイアがはっきり名前を出すと、女は初めて目を細めた。


「……手続支援窓口、と承っています」


“承っています”。

自分の言葉じゃない。

上から渡された答えだ。


女が帰ったあと、ルークはすぐにそのやり取りをメモへ落とした。

言い回しまで正確に書き取る。

言い回しは証拠にならないことも多い。でも、揃っていれば匂いになる。匂いは後で線になる。


夕方、顧問室から正式の照会文が各部署へ出た。

ルークは出す前の写しをミレイアに見せた。文面はいつも通り短い。


――文書の揃い方について、運用上の合理性を確認したい。

――現場負担軽減を掲げる以上、統括責任の所在が必要である。

――顧問室への越権抗議の前提として、まず文書運用の統一指示の有無を示されたい。


反論しない。

確認だけ。

でも、逃げにくい聞き方だ。


「これで向こうは答える?」


ミレイアが聞くと、ルークは首を横に振った。


「たぶん、まともには答えません」


「じゃあ、どうするの」


「答えない形を取らせます。答えないために、何を閉じるかを見ます」


その言い方に、ミレイアは少し背筋が冷えた。

顧問室は、向こうの“返答”より“返答を避ける動き”を見ている。

それは確かに正しい。でも、見ている間に店は削られる。


ルークはその顔を読んだのか、珍しく柔らかい声で言った。


「明日、少し動きが出ます。たぶん嫌な形で。でも、嫌な形の方が、証拠は残ります」


「嫌な形って」


「抗議文の裏で、鍵をかけてきます」


その言葉どおり、翌朝すぐに来た。


顧問室あての正式通知。差出は内務記録局。

本来なら地味な部署だ。だが、こういう時の鍵は、だいたい地味な部署が握る。


ルークは開封した紙を、ほとんど無言でミレイアに見せた。

表題は堅い。


「現場文書閲覧区分の再整理について(臨時)」


本文を読む。

読み進めるほど、腹の奥が冷える。


――安全維持・徴発・税務調整に関する現場文書について、臨時運用期間中は閲覧区分を見直す。

――外部照会機関による直接閲覧は、所管部署長の個別許可を要する。

――写しの交付は、要約版を原則とする。原本閲覧は現場保全上の必要が認められる場合に限る。

――本措置は、関係部署の迅速な実務遂行を妨げないためのものとする。


最後に、発効日。

今日から。

そして回覧番号。

「R-14-241」


ミレイアは紙を持ったまま、しばらく言葉が出なかった。

閲覧区分の見直し。

外部照会機関。

要約版原則。

全部、前に見た言葉だ。違う部署の紙にいた言葉が、今度は顧問室を閉めるために使われている。


「外部照会機関って……顧問室のこと?」


ルークは頷いた。表情は崩していないが、目だけが硬い。


「名指しはしていませんが、実質そうです」


「王太子付なのに?」


「だからこそ、名指ししない」


名指ししない方が通しやすい。

個人や組織を狙った文書にすると、政治になる。

“区分見直し”なら事務になる。

事務の顔をした壁だ。


「要約版って」


ミレイアが言いかけると、ルークが先に答えた。


「向こうが都合よく切った写しです。昨日まで潰れていた下欄みたいに、見せたくない所は落とせます」


要約という名の選別。

もう何度も見たやり方だ。

軍でも、税でも、今度は顧問室にまで同じ刃が来る。


そこへ、もう一通。

今度は治安局・税務局・許認可監理局の連名で、顧問室あて。

昨日の抗議文の“続き”だった。


――前回抗議の趣旨を踏まえ、現場文書の閲覧導線を整理した。

――今後、顧問室からの照会は、所定の統合窓口を通じて受け付ける。

――現場への直接接触・直接取得は、越権誤解を招くため控えられたい。


統合窓口。

名前は書いていない。

でも、どこかは分かる。

王都治安協力商会(準備室)だ。


ミレイアは、笑うしかない気分になった。

顧問室への抗議文を出し、同時に閲覧制限をかけ、その受付を“統合窓口”へ寄せる。

全部一つの流れだ。

流れが整っている。整いすぎている。


「これ、もう隠してないね」


「ええ。隠す段階を越えました。今は“正当な事務”に見せる段階です」


ルークは通知二通を並べ、回覧番号を指で追った。

二三一、二四一。間に十枚。

その十枚のどこかで、閲覧区分見直しの根回しが回ったことになる。


「回覧が速い」


「速いほど、統括がいる」


ミレイアは机の上の紙の山を見た。

税務、治安、許認可、内務記録局。

部署は増えているのに、文面の匂いは一つ。

同じ構文、同じ脚注、同じ締め、同じ逃がし方。


書式が揃っている。

それ自体は本来、悪くない。仕事が整う。事故が減る。

でも今ここで揃っているのは、責任の置き場所を消すための揃い方だ。

だから怖い。


エルシェが黙ってお茶を置いていった。

湯気を見ながら、ミレイアはふと思った。


「これ、顧問室のせいにする気だ」


ルークが顔を上げる。


「どうしてそう思いました」


「閲覧制限をかけた理由が“迅速な実務遂行を妨げないため”でしょ。つまり、遅れたら顧問室の照会のせいって言える。店が止まっても、顧問室が細かいこと言うからって」


ルークは、珍しくはっきり感心した顔をした。


「その通りです。越権抗議は、現場向けの言い訳でもある」


顧問室が邪魔。

だから書類が遅れる。

だから店に負担が出る。

だから商会の窓口を使え。

一本の導線になっている。


「うまいね」


ミレイアが言うと、ルークは苦い顔で頷いた。


「うまいです。だから、崩す時は“うまさ”を証拠にします」


「どう崩すの」


「書式です」


ルークは抗議文、閲覧制限通知、税務通知、治安照会票を順に重ねた。


「内容では争いません。まず、この揃い方自体が“偶然ではない”と固定する。次に、偶然でないなら統括運用がある。統括運用があるなら責任者がいる。責任者がいるのに、各部署は“現場判断”と言っている。そこに矛盾が出る」


内容の善悪じゃなく、運用の責任を問う。

リリアナらしい。

そして、この国で今いちばん効く攻め方だと、ミレイアにも分かる。


ただ、時間がいる。

時間がいる間に、店は削られる。


「間に合うかな」


口から出た言葉は、思ったより弱かった。

ルークは少し黙ってから、返した。


「間に合わせます、とは言えません」


正直だ。

その正直さに、逆に少しだけ息が戻る。


「でも、向こうも急いでいます。急ぐ時は、番号が残る。文面が揃う。抗議文みたいな余計な紙も出る。今日の閲覧制限も、急ぎすぎて回覧番号を隠していない」


回覧番号「R-14-241」。

確かに、そこまで隠すならここも切ればいいのに、残っている。

急いでいるからだ。

急いでいる相手は、いつか端を踏み外す。


夕方、顧問室から新しい依頼が届いた。ミレイア個人宛ではない。市場の複数商店宛の照会文の控えだった。

内容は簡単。


――最近受領した治安・税務・許認可文書について、添付様式を含めて写しの提供を求める。

――下欄の回覧番号が見える状態を優先してほしい。

――文末文言・脚注の一致が確認できるものは特に有用。


顧問室が市場全体の紙を集め始めた。

これで、ミレイアの店だけの話じゃなくなる。

同じ様式が何軒も出れば、偶然では済まない。


「顧問室、完全に矢面だね」


「ええ。だから、次はもっときます」


「何が」


ルークは閲覧制限通知を軽く叩いた。


「壁の拡張です。文書閲覧だけじゃ足りない。次は、人の動線か、時間帯か、保管場所に制限をかける」


ミレイアは、昨日まで“契約を結ぶかどうか”が中心だった感覚が、少し変わっているのに気づいた。

いまはもう、契約の前段階ではない。

向こうは顧問室を本気で閉めにきている。

店を一軒締めるより、顧問室を縛る方が効くと判断した。

それだけ、顧問室の文書が刺さっている。


夜、店を閉めてから、ミレイアは新しい帳面を出した。

売上でも圧でもなく、文書だけを書く帳面。

表紙に小さく書く。


「R-14」


最初の頁に、今日までの回覧番号を並べる。


226 許認可

227 税務

228 治安

231 三部署連名抗議(顧問室あて)

232 許認可追加照会

233 税務補足

234 税務確認(持参)

241 閲覧区分再整理(内務記録局)


番号の間が空いている。

空いているところに、まだ見ていない紙がある。

その空白自体が、もう証拠みたいに見えた。


ミレイアは次の頁に、同一文言を書き出した。


・円滑な運用のため

・関係部署の確認に使用されることがあります

・念のため

・臨時運用

・現場判断

・迅速な実務遂行を妨げないため


書いているうちに、これが“口癖”ではなく“配布文”だとはっきりしてくる。

人はここまで同じ言い回しを偶然には使わない。


最後の頁に、今日の一番重い事実を書く。


「顧問室の現場文書閲覧が一部制限された。要約版原則。原本閲覧は個別許可。」


書き終えると、手が止まった。

ここが今日の引っかかりだ。

文書の揃い方を追っていたら、逆に顧問室の目が塞がれた。

向こうも分かっている。目が一番邪魔だと。


窓の外では、夜の巡回の灯りがまた揺れていた。

穏やかな灯りだ。

穏やかな灯りの下で、紙の鍵が増える。


ミレイアは帳面を閉じ、上から契約書の下書きを重ねた。

利益欄の赤い囲みが、紙の端から少し見えている。

簡素化。猶予。一本化。

甘い言葉はまだそこにある。


けれど今日、もう一つ見えた。

あの契約は店を楽にする紙じゃない。

“揃った書式”の外に出さないための紙だ。


外に出さない。

顧問室に見せない。

見えなくして、要約で済ませる。


店の灯りを落としながら、ミレイアは小さく息を吐いた。

重い。でも、輪郭は出てきた。

輪郭が出れば、次にどこを押されるか少し読める。


明日はたぶん、顧問室の手が届きにくい場所から削られる。

時間か、人か、保管か。

どれでもおかしくない。


それでも、書式が揃っている限り、同じ癖は残る。

癖は消せない。急いでいる相手ほど、癖が出る。


ミレイアは扉に鍵をかけ、胸元の帳面を確かめた。

紙は増えた。壁も増えた。

でも、番号も増えた。


増えた番号は、誰かの手順だ。

手順があるなら、いつか手まで辿れる。

そのために、明日もまた、下欄から読む。

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