表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/75

第九話 守るために黙る

店の前に貼られた札は、紙なのに重かった。

風が吹けば少し浮く。なのに、剥がそうとすると指が止まる。剥がした瞬間から「協力しない」に分類される。分類されると、次の紙が来る。次の紙はたいてい、店を殺す。


ミレイアは札を見上げ、ため息を一つ吐いた。寒さのせいにしてしまえば楽だったが、寒さはただの寒さだ。これは別の冷え方だった。頭の奥が冷える。数字と印が増えるほど、体温が奪われていく。


扉の内側には、昨日までの番号札の控えが並んでいる。

木箱が持っていかれた。預かり品も、空箱も、受領印の箱も。残ったのは番号と、薄い紙。薄い紙は「ある」ことは示すのに、「戻す」ことはしない。


戸が叩かれた。二回。

今度は、叩く音が妙に丁寧だった。丁寧な音は、こちらを逃がさない。


「治安局。確認に」


ミレイアは扉を開けた。

男が二人。後ろにもう一人。三人目は制服が違う。治安局ではない。徴税監督官室の腕章だ。いつもと同じだ。別部署が同時に来る。どちらも「自分の権限」だけを話し、結果だけは同じになる。


「お忙しいところ」


治安局の男が口だけで笑った。忙しくない。店は閉まっている。忙しさを作っているのは、あなたたちだ。


「今日は何ですか」


「面会の件だ」


ミレイアの胸が小さく跳ねた。

アレンのことだ。あの若い下級兵。罪を被せられかけている。倉庫を通った荷のせいで、店まで巻き込まれている。面会できれば、まだ何か確認できる。何か、紙にできる。


「会わせてくれるんですか」


「条件次第だ」


条件。便利な言葉が来た。便利な言葉は、こちらの希望を餌にする。


徴税の男が紙を一枚前に出した。

紙の上には整った文字が並んでいる。整いすぎている文字は、読む側の心を眠らせる。


「協力のお願いです」


「協力?」


治安局の男が頷いた。


「あなたの店を通った荷の件。あなたが把握している範囲でいい。確認に署名してもらう」


「確認って、何の」


「アレンが横流しに関与した、という点だ」


言い方が上手い。

“あなたが見たか”ではない。“あなたが把握しているか”だ。把握していないと言えば、無能にされる。把握していると言えば、罪の輪に入る。どちらでも痛い。


「そんなこと、把握してません」


「把握していない、で構わない。ただし」


治安局の男の声が少し低くなる。


「あなたの店の協力状況は記録される。協力がない場合、治安上の観点から営業許可の更新評価にも影響する」


評価。

ここでもそれだ。未来を盾にして、今を差し出させる。


徴税の男が重ねるように言った。


「追加課税の審査もあります。臨時措置中は、調整が入る。協力的であれば、こちらも柔軟に――」


柔軟。

柔軟という言葉は、紙を曲げるためにある。


ミレイアは紙を見た。署名欄がある。署名欄は空白だ。空白は人を誘う。誘って、責任を落とす。


「つまり、アレンがやったことにして署名しろ、と」


治安局の男が眉を上げた。すぐに戻した。短い反応は、図星の証拠だ。


「言い方が過激だ。こちらは秩序を守っているだけだ」


秩序。

顔のない言葉がまた出た。顔のない言葉は、痛みを持たない。


「秩序を守るのに、私の署名が必要なんですか」


「必要だ。あなたは“現場”だ」


現場。便利だ。現場はいつも責任を背負わされる。


ミレイアは一度、紙から目を離して男たちを見た。

治安局の男の指は机の端を軽く叩いている。急いでいる。徴税の男は視線が鋭い。数字を数える目だ。三人目は黙ったまま、扉の方に立っている。逃げ道を塞ぐ配置だ。


「面会は、その署名をしたら?」


「考える」


また、その言葉。何も約束しない言葉。

それでも、人は縋る。縋れば、向こうが勝つ。


「考える、じゃ困ります。会わせるか会わせないか」


治安局の男が肩をすくめた。


「例外措置中だ。確定はできない」


例外。

ここでは何でも例外で済む。例外の国。例外の季節。例外の人生。


ミレイアは唇を噛んだ。

黙れば、アレンは沈む。

話せば、店が死ぬ。


頭の中で天秤が揺れる。

でも、その天秤は正しくない。片方の皿には人が乗っていて、もう片方の皿には店が乗っている。人は一人だが、店は生きている。店が死ねば、また別の誰かが沈む。沈む人数が増える。増えた沈みは、誰にも数えられない。


「……私が署名しても、アレンが助かるとは限らない」


ミレイアが言うと、徴税の男が薄く笑った。


「助かるかどうかは、結果次第です」


結果次第。

これも顔のない言葉だ。顔のない言葉は逃げる準備ができている。


治安局の男が紙をもう一枚出した。今度は別の書式だった。


「では、こちらでもいい。“あなたは店の帳簿と荷札を管理しており、当該荷が店を経由したことを認める”」


「認めるも何も、持っていかれたでしょう。あなたたちが」


「持っていかれたのは、保全のためだ。あなたは管理者として、管理していた事実は変わらない」


言葉がねじれている。

管理していたから奪われたのに、奪われたから管理の責任が残る。責任だけ残して、道具を取る。取ってから「できないのはお前のせい」と言う。これが運用だ。


ミレイアは椅子の背に手を置き、ゆっくりと息を吐いた。

怒鳴りたい。ぶつけたい。けれど怒鳴ると、「騒擾」になる。騒擾になれば、全部が正当化される。正当化されれば、次の紙が来る。


守るために、黙る。

黙るのは、負けじゃない。黙るのは、矢を受け流す姿勢だ。矢の数を数えれば、いつか矢筒が空になる。空になる瞬間が来るまで、こちらは折れずに立っていなければならない。


「……署名はしません」


ミレイアが言うと、治安局の男の目が細くなった。


「つまり、協力しない」


「協力の内容が、嘘だからです」


「嘘かどうかは、こちらが判断する」


「じゃあ、私の署名は必要ないでしょう」


一瞬だけ沈黙が落ちた。

沈黙は短いほど怖い。短い沈黙の後に、手続きが動くからだ。


徴税の男が紙束を閉じ、乾いた声で言った。


「分かりました。では、協力なしとして扱います」


扱う。

扱うと決まった瞬間から、店はただの物になる。


治安局の男が続ける。


「面会は、当面見送る」


「当面って、いつまで」


「状況次第だ」


また戻る。

どこまで行っても、状況次第。


男たちが帰りかけた時、ミレイアは一歩だけ前に出た。


「ひとつだけ。預かり品はどこへ行ったんですか」


治安局の男は振り返らずに言った。


「必要な保管所だ」


必要な保管所。地図にない場所。

地図にない場所は、戻らない場所と同じだ。


扉が閉まり、店に静けさが戻った。静けさは優しいはずなのに、今は痛い。

痛い静けさの中で、ミレイアは机に戻り、受領箱を開けた。紙が増えている。増えているのは今日の通知だ。


治安局からの「協力拒否記録」。

徴税監督官室からの「臨時調整通知」。

監察局からの「確認要請」。

許可窓口からの「更新審査前倒し」。


全部ちがう印。全部同じ意味。

息をするだけで紙が増える。


ミレイアは紙の束を机の端に寄せ、代わりに小さな封筒を取り出した。王太子付顧問室へ送る控えだ。昨夜書いた、夜明け前移送の走り書き。番号紙の泥。現物が散る気配。


紙は弱い。弱いけれど、弱い紙が積もると矢になる。

矢を射るには弓がいる。弓は、順序だ。


彼女は封筒の口を閉じようとして、手を止めた。

封筒の隣に、小さな受領印の控えが置いてある。木箱を持っていかれたのに、控えだけは残していた。残したのは癖だ。癖は助けになる時もある。


「……これも、狙われる」


声に出すと、現実になる気がして嫌だった。

けれど現実は、声がなくても来る。


その日の午後、店の裏口が叩かれた。

表ではない。裏から来るのは、いつも“予定外”の顔をしている予定だ。予定外の顔は、予定通りの動きを隠す。


「監察局。確認に」


ミレイアは裏口を開けた。

女が一人立っていた。年齢は分からない。目が冷たい。冷たい目は、感情ではなく規則で動く目だ。規則で動く目は、こちらの言い分を聞かない。


「……さっき治安局が」


「治安局は治安局。こちらは監察」


女は紙を差し出した。


「控えの提出」


「控え?」


「受領印の控え。荷札の控え。出庫控え。保管ログ控え。現在、例外措置により、保全対象を拡大している」


例外措置。

例外が、また便利に使われた。


「それは……原本は持っていかれました。控えは、必要最小限しか」


「あるなら提出」


女の言い方は命令ではない。けれど拒否できない言い方だ。拒否すれば、次の紙が出る。次の紙は、だいたい「差押え」になる。


ミレイアは一瞬、封筒を見た。王太子付顧問室へ送る封筒。

この封筒の中に、控えの写しが入っている。出したい。出したいが、今ここで見られたら、封筒ごと“保全”される。保全されれば、届かない。届かないなら、矢にならない。


守るために黙る。守るために、見せない。


「提出は、手続きの根拠を示してからにしてください」


ミレイアが言うと、女は一瞬だけ瞬きをした。驚きではない。確認だ。こちらが言葉を知っているかどうかの確認。


「根拠はここに」


女は紙の端を指した。条文番号と通達番号。小さく「例外適用」。

例外が印刷されている。印刷された例外は、もはや日常だ。


ミレイアは紙を受け取り、目で追った。

書いてある。確かに書いてある。書いてあるなら、彼女はそれを盾にする。盾を持った人間は強い。盾を持った人間は、顔が無くても刺せる。


「提出は、今ですか」


「今。遅れれば、非協力扱い」


非協力。

また、その分類が来た。


ミレイアは喉の奥が熱くなるのを感じた。怒りではない。焦りだ。焦りは危険だ。焦ると口が滑る。滑ると罪になる。罪になると、アレンが沈むどころではなくなる。


「……分かりました。ある分だけ」


言いながら、彼女は机の引き出しを開け、控えの束を取り出した。

全部は出さない。全部を出したら、未来が消える。未来を残すには、少しだけ嘘が必要だ。嘘ではなく、隠し場所。隠し場所がある限り、逆転の可能性が残る。


女は控えを一枚ずつ確認し、淡々と封筒へ入れていく。手が速い。速い手は、こちらに考える時間を与えない。


「荷札の控えが足りない」


女が言った。


「荷札は……元々、全部控えていません。取引先の分は」


「控えていないと、管理が甘い」


「紙が多すぎて、全部は――」


言いかけて、ミレイアは止めた。言えば言うほど、こちらが悪い話になる。紙が多すぎるのは、向こうが増やしたからだ。でも向こうは言う。「業務ができないのはあなたの責任」。


女が顔を上げた。


「受領印の控えは?」


「木箱ごと持っていかれました」


「控え“も”」


“も”。

言い方が引っかかった。控えも、というのは、控えがある前提の言い方だ。


「……控えは、ここに出した分だけです」


女は一瞬だけ口角を上げた。笑いではない。確認の表情だ。

そして、さらりと言った。


「では、捜索します」


「は?」


「例外措置。保全対象拡大。隠匿の疑いがある場合、現場確認を行う」


隠匿。

言葉が来た瞬間、空気が変わった。隠匿は罪になる。罪になると、差押えが正当化される。


女が裏口の外へ視線を向けると、男が二人入ってきた。監察局の腕章。さっきまでいなかった。最初から待機していたのだろう。


「やめてください。ここは――」


「協力しないという選択肢はない」


女が淡々と告げた。

治安局の男の声ではないのに、同じ言葉だった。言葉が共有されている。共有されているということは、連携している。連携しているということは、これが“運用”だ。


男たちが棚へ向かい、引き出しを開け始めた。

紙がばらける。番号札が落ちる。控えが散る。現物が散る。


ミレイアの胸の奥で何かがきしんだ。

黙ればアレンが沈む。

話せば店が死ぬ。

そして今、黙っても話しても、店は殺されかけている。


だったら、黙る理由は一つしかない。

守るためだ。

守るのは、今ここに残せる“最後の原本”だ。


ミレイアは机の上の封筒――王太子付顧問室宛の封筒を、さりげなく布の下へ滑らせた。動きは小さく。息を止めて。

紙一枚が、未来の矢になる。


その瞬間、男の一人が声を上げた。


「これ、印だ。受領印の控えっぽい」


心臓が一度、強く跳ねた。

見つかったのは、控えの束の一部だ。わざと残した囮。囮に食いつけば、封筒の方へ目が行かない。


女が近づき、控えをつまみ上げた。


「提出対象。押収」


押収。

言われた瞬間、紙が“こちらのもの”ではなくなる。


女がさらに言った。


「荷札も探す。荷札が無いのは不自然だ」


不自然。

不自然は、向こうが決める。


男たちは棚の奥まで手を入れ、箱を引きずり出す。

紙が擦れる音が増える。封筒の位置が危うい。布が少しずれただけで見つかる。見つかれば、届かない。


ミレイアは口を開きたくなった。叫びたくなった。止めたくなった。

でも、叫べば終わる。叫びは騒擾になる。騒擾になれば、全部が正当化される。


守るために黙る。

黙って、手を出さない。

目だけで、布を押さえる。体の向きで、封筒を隠す。


女が机の方へ歩き出した。

薄い布の下に、封筒がある。

封筒の中には、泥の付いた番号紙の写しと、夜明け前移送の走り書きがある。


女の指が、布の端に触れた。


その瞬間、ミレイアは初めて、黙ることが怖いと知った。

黙るのは強さじゃない。黙るのは、最後の賭けだ。


そして賭けは、たいてい、相手の指先ひとつで崩れる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この店から勝手に押収された預かり品、実は前章で横流ししたことにされた物資で、移動された先が元々の横流し先だったりする可能性もありそうですよね……。 広範に手を伸ばしていろいろな組織を自由にして好き勝手…
冤罪を作ろうって意思剥き出しな感じです。 店主は、王太子府にはある程度期待している筈ですし、その旨も告げていましたが。 そっちにバレたら不味いとは思っていないのでしょうか。 -------------…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ