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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第三章

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第十五話 次は、もっと静かに来る

保全命令の写しは、いつもより早く机に届いた。


紙の端には封印番号。軍の倉庫が使う黒い蝋印。門の通行札の控えと、輸送隊の行軍記録の抜粋。兵站台帳の該当ページには、ページをめくった指の脂がまだ残っていそうな、生々しい筆圧がある。


「穴埋めは完了。……文面としては、これで“終わった”ことにできる」


ユリウスが淡々と呟くと、宰相は頷くだけで、余計な感想を挟まなかった。ここで勝ち誇ると、現場が反発する。反発すると、次の“紛失”が起きる。勝利演出は、制度の敵になる。


リリアナは、報告書の最後の数行にだけ目を留めた。


封印印の再登録。倉庫鍵の持ち主の一時凍結。出庫の立会記録の“二名署名”の義務化。通行札の発行権限を兵站から一段上へ移管。調達権の臨時停止と、再発行の手続き起案――。


誰かの首は飛んでいない。誰かの罪も断定されていない。だが、動かせた手が動かせなくなっている。手札だけが死んでいる。


「こういう報告は、形にして残しておくと効きますね」


補佐の官吏が息を吐くように言うと、ユリウスは短く答えた。


「効くのは“今”だけだ。次は別のやり方で来る」


その言い方は軽いのに、内容は重い。軽く言わないと、息が詰まる。息が詰まった制度は長続きしない。だから、軽く言う。だが、軽いままにはしない。


リリアナは視線を上げずに、封印番号を控えの用紙へ写した。数字は正直だ。正直なものほど、丁寧に扱う必要がある。雑に扱うと、簡単に折れる。


「軍からの報告は、これで終わり、ではありません」


淡い声で言ったのは、監察官室のエルナだった。いつの間に入ったのか分からない。彼女の仕事は、それでいい。


「現物の所在が固定された以上、“現物が動けた理由”が残ります。権限の再設定と、責任の線引き。ここを曖昧にすると、同じ穴が別の穴として復活します」


その言い方は、責めているわけではない。淡々と危険を指差しているだけだ。危険を指差す人間は嫌われやすい。だが、嫌われることを恐れると、危険は育つ。


ユリウスが頷いた。


「穴埋め完了の報告を“義務”にする。軍が自分で自分に報告する形式に落とす。王太子付顧問室は、報告の受け皿を作るだけでいい」


「受け皿があるだけで、隠蔽しづらくなります」


リリアナが短く補足すると、宰相が視線を流してきた。余計な戦い方をしない、という確認の目だ。


リリアナはそれに、うっすらと首肯だけ返す。戦い方は“言葉”ではなく“順序”で示す。言葉で戦うと、感情が燃える。燃えた感情は、また誰かを断罪したがる。


その日の午後、王都の外れの兵舎には、何も変わっていないようで、変わったものがあった。


レオンは倉庫へ向かう途中、分隊長の声で呼び止められた。昨日と同じように、短い命令。昨日と違うのは、紙が先に出てきたことだった。


「倉庫補助の命令書だ。控えはここ。署名は――お前が先にしろ」


分隊長は嫌そうな顔を隠さない。隠さない方がまだいい。笑って隠されると、後で紙が消える。


レオンは小さく頷き、署名の前に一呼吸置いた。慣れない手つきで日付を入れ、控えを自分の袋にしまう。周囲の兵が「面倒な奴」という目を向ける。目が向くだけで、距離が生まれる。距離は痛い。だが、距離があると“巻き込まれにくい”こともある。


「医務官へ行く許可も、紙でください」


自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。落ち着くのは強さではない。手順があるからだ。手順があると、人は呼吸ができる。


分隊長が舌打ちを飲み込み、紙束を探した。探す仕草そのものが、現場の空気を変える。探させるのは、すでに半分勝っているのと同じだ。勝利ではない。生存だ。


レオンは礼を言わない。礼を言うと、情で帳尻を合わせたくなる。情で帳尻を合わせると、次に紙が省略される。省略は、また誰かの首に縄をかける。


生き残る作法は、嬉しくないほど冷たい。


――同じ頃、王都の中心部。会計監督官室の奥で、ある男がいつも通りの椅子に座っていた。


机上の書類は整っている。整いすぎていない。整いすぎると、今は目につく。だから、適度に乱してある。乱し方までが職人だ。


男は報告の束の一つをめくり、鼻先で笑うでもなく、ただ息を吐いた。


軍の穴は塞がれた。塞がれたというより、塞がれた“ふり”がしづらくなった。封印番号と保管ログが刺さっている。刺さったものは抜けにくい。


「同じ手は使えない。……なら、同じ場を使わなければいい」


小さく呟き、男は次の紙に目を落とす。


そこには軍の言葉ではなく、徴税の言葉が並んでいた。滞納。差押え。徴発。補償。異議申立。治安維持。特別措置。臨時法廷。


軍は強いが、強い分、紙が多い。紙が多い分、痕跡が残る。痕跡が残ると追われる。追う者がいるなら、追われる。


だが徴税は違う。徴税は静かだ。静かなまま人を潰せる。しかも潰された人間は“自業自得”と言われる。誰も味方しない。味方がいなければ、紙の価値が下がる。紙の価値が下がれば、紙は簡単に折れる。


「次は、もっと静かに来る」


男はペン先を舐めるような仕草で、別の部署の名を書いた。神殿文書局。治安維持局。徴税監察班。臨時調停所――。


どれも、正しさの顔をしている場所だ。


――夕暮れ、下町の石畳。


薄い雪が残る路地で、布を売る商人の倉庫に、徴税監察の名札を下げた男たちが入った。入るだけなら合法だ。合法という名の鍵は万能で、鍵を持つ者は自分を疑わない。


「滞納の疑いがある。帳簿を出せ」


店主は首を振った。滞納はない。だが、ないことの証明は難しい。難しいことほど、圧は強くなる。


「帳簿が出せないなら、差押えだ」


「出します。出しますが……ここには――」


店主が言いかけた瞬間、徴税監察の視線が若い男に止まった。店主の甥だ。住み込みの手伝い。貴族ではない。身寄りは薄い。弁明の場は少ない。


「お前、昨日、門の外へ出たな」


「え……荷を運びました。指示があって」


「指示は誰だ」


「……分かりません。いつも、紙で――」


紙、と言った瞬間、徴税監察の顔が歪む。紙は敵だ。紙は残る。残る紙は面倒だ。面倒な紙は、静かな運用に穴を開ける。


「署名があるか」


「……控えは、店主が」


「なら、店主を拘束するか?」


脅しは軽い。軽いほど効く。重い脅しは犯罪だが、軽い脅しは“指導”と呼ばれる。


店主が慌てて手を挙げる。


「待ってください。帳簿はあります。ここに……」


徴税監察は、帳簿に目を通さない。帳簿を読むと矛盾が出る。矛盾が出ると時間がかかる。時間がかかると静かでなくなる。静かでなくなると、誰かが気づく。


彼らが欲しいのは帳簿ではない。口実だ。


「差押えを執行する。物のリストを作れ」


徴税監察の部下が紙を広げ、筆を走らせる。筆は速い。速い筆は、結論を先に作る。結論を先に作った紙に、人は乗せられる。


甥が青ざめて口を開いた。


「それは……うちの荷ではなく、預かりも――」


「黙れ」


徴税監察が一歩近づき、甥の肩を掴んだ。


「お前のせいで、店が潰れる。分かってるか」


潰れる、という言葉は重い。重い言葉は人を折る。折れた人間は便利だ。便利な人間は、次の紙の材料になる。


「治安維持局にも話が回る。抵抗するなら“騒擾”だ」


騒擾。便利な言葉だ。税の話が、いつの間にか秩序の話になる。秩序の話になったら、どんな強制も正当化できる。正当化された強制は、誰も止めに来ない。


その場にいた誰かが、震える声で呟いた。


「……特別法廷、って……」


徴税監察は笑わない。ただ、淡々と言う。


「明後日だ。早いだろ。秩序を守るのは速さが命だ」


速さ。軍の速さとは違う。軍の速さは目立つ。税の速さは目立たない。目立たない速さほど、人は潰れる。


――その夜、王太子府の廊下を、ひどく薄い封筒が滑るように運ばれてきた。


封筒の色は地味で、封印も弱い。軍の蝋印のような重さはない。だからこそ危ない。軽い封印は、軽く破られる。


補佐が封筒を差し出し、リリアナの顔を窺う。


「……民間から、直接です。王太子付顧問室宛てに」


リリアナは封印の粗さを見て、指先だけで開けた。裂ける音が小さすぎて、逆に耳に残る。


中身は一枚。乱暴な字。だが言葉は必死だ。


“甥が連れていかれました。税の話のはずが、治安だと。明後日、特別の裁きがあると言われました。私たちは何も知らない者です。どうしたらいいのか分かりません。せめて会わせてください。せめて紙で理由をください。”


誰も断罪していないのに、もう人が潰れ始めている。潰れる前に、潰れる準備が整えられている。整うのが早すぎる。


エルナが、背後から静かに言った。


「軍のように、封印番号も保管ログもありません。徴税監察は“現場判断”を盾にできます。盾が軽いぶん、振り回しやすい」


「盾が軽いと、殴る方も軽くなる」


リリアナは独り言のように返した。


「殴る方が軽いと、殴られた方は“たいしたことではない”扱いになる。そうして潰れる」


ユリウスはまだ戻っていなかった。宰相も不在だ。忙殺されるタイミングを、相手は選ぶ。忙しい時ほど、静かな案件が刺さる。刺さると血が出る。血は目立たない。目立たない血は、気づかれないまま乾く。


補佐が恐る恐る尋ねる。


「……顧問室として、動けますか」


「動けます。ただし、殴り返さない」


リリアナは紙を机に置いたまま、別の白紙を引き寄せた。文字を書く前に、息を一つ整える。息を整えるのは気合ではない。順序だ。


「まず、会えるようにする。次に、紙で理由を出させる。最後に、速さを止める」


エルナが頷いた。


「速さを止める根拠は?」


「“保全”です」


リリアナは即答した。


「徴税の現場は、物が動く。物が動くなら、動いた痕跡がある。痕跡を保全する義務がある、と言える。言えるだけで、止められる」


補佐が目を丸くする。徴税に保全義務、と言われても、普通は結びつかない。結びつかないところを結ぶのが、顧問室の仕事だ。勝つためではない。潰されないためだ。


「ただし、相手は“騒擾”を使う」


リリアナは手元の紙に、短い箇条だけを並べていく。箇条は冷たい。冷たいほど強い。


・徴税監察の権限根拠の提示

・差押え対象のリストの控え提出

・拘束理由の文書化

・面会の可否と拒否理由の記録

・特別法廷の設置根拠と手続規定の提示

・治安維持局の関与の範囲


「これ、全部“拒否理由も含めて”紙にさせます」


エルナが、ほんの少しだけ目を細めた。満足ではない。理解の合図だ。理解だけで十分だ。


「拒否理由が紙になれば、次から拒否しづらい」


「そう。拒否が紙になれば、それ自体が痕跡になる。痕跡は追える」


追える、という言葉は軽い。だが追うのは重い。追う側の精神が削れる。だからこそ、追う手順を軽く作る。軽い手順で、重い現実を支える。


――翌朝、ユリウスが戻った。


顔色に疲れがある。疲れは隙だ。隙は静かな案件が刺さる場所だ。


リリアナは封筒の手紙を差し出し、余計な感想を添えずに言った。


「次が来ました。軍ではありません。徴税の現場です」


ユリウスは紙を読んで、目だけで状況を整理した。怒りを先に出さないのが、彼の強みだ。怒りを出すと、相手は“政治介入”と言い訳できる。


「特別法廷……治安維持の名目か」


「はい。速さで潰すタイプです。軍より静かで、止めにくい」


ユリウスが短く頷く。


「なら、止めるのは速さではない。順序だ。順序を先に持ってくる」


リリアナは、その言葉だけで十分だった。彼は理解している。理解している者が上にいると、下は呼吸ができる。


「ただし、こちらの顧問室の動きも、監視が増えますね」


リリアナが言うと、ユリウスは苦く笑った。笑いは短い。


「王太子付にした時点で、鎖は増える。鎖が増えるのは、守られる側にとっても同じだ」


鎖が増える。だからこそ、鎖を使うしかない。使い方を間違えると、自分が縛られる。正しく使うと、相手が引っかかる。


宰相が席に着き、淡々と言った。


「黒幕は、椅子に座ったままだろう。今は失脚させられない。だが、手札は潰せる」


「同意します」


リリアナは頷いた。


「椅子を倒すと騒ぎになります。騒ぎになると、正しさの顔をした暴力が増える。だから椅子は倒さない。椅子の周りの机を片づける。机が片づけば、隠す場所が減る」


ユリウスは短く息を吐き、指示だけを出した。


「徴税監察へ照会を入れる。拒否理由の記録を義務化する形で。特別法廷の根拠も出させろ。面会は許可を取る。拒否なら拒否理由を紙にさせる」


それは派手な命令ではない。だが、静かに刺さる命令だ。


――その日の夕方、会計監督官室の男は、いつも通りの椅子に座っていた。


机の上の紙が一枚、少しだけ増えている。王太子府からの照会文。徴税監察に関する手続照会。拒否理由の記録義務――。


男は紙を見て、唇の端だけを動かした。


「……早いな」


軍の時ほど派手に動けない。動線が潰れている。同じ手が使えない。だが、椅子はまだ温かい。椅子に座っている限り、次の策は打てる。


「なら、もう一段静かにする」


徴税の現場ですら目が向くなら、さらに薄い場所へ。

“被告”が被告と呼ばれない場所へ。

裁きが裁きと呼ばれない場所へ。


男は別の紙を引き寄せ、短い文言を書き足す。


「治安維持名目の臨時調停」

「徴発の補償査定」

「内務による簡易判断」


どれも、裁判の外にある。外にあるものは、外だからこそ止めにくい。


――夜。


リリアナは机に戻り、今日の紙を揃えた。軍の穴埋め報告。徴税の手紙。王太子の照会文案。監察官室のメモ。


そして、いつもの白紙を一枚。


彼女はそこに、短く、癖のように見出しを置いた。


・次の舞台

・次の被告

・次の速さ

・次の言い訳

・次の“運用者”

・こちらの順序


書き終えると、紙の右下に封印番号欄を作る。まだ番号は空欄だ。空欄は未来だ。未来は不確かで、だから準備できる。


補佐が遠慮がちに言った。


「……怖いですね。軍より静かだと、気づくのが遅れます」


「だから、紙を増やします」


リリアナは軽く言い、重く受け取っていた。


「増やすのは記録です。噂ではなく。怒りではなく。断罪でもなく。痕跡です」


机の端に、今日の新しい紙が一枚、増えた。


同じ手は使えない。

それは相手にも、こちらにも言える。


相手は次へ行く。静かに。

こちらも次へ行く。もっと静かに、確実に。


リリアナは封印具を戻し、灯りを一段落とした。


夜が深いほど、音は小さくなる。

小さくなるほど、次は来やすい。


だから、先に耳を澇ませる。

紙の擦れる音に。封印の割れる音に。

そして――誰かが潰れる前の、息の音に。

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― 新着の感想 ―
・「……民間から、直接です。王太子付顧問室宛てに」 わりと迅速に訴えが来るということは、市井でも評判になっているわけですか。 江戸時代の目安箱の様な感じで。 --------------------…
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